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「天才」 第三部 背反  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
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第26章

 

 人を支配するために人に取りつくもので最も危険なものは、思想である。それは人を破滅に追いやることができ、現に追いやっている。十八歳を完璧とするユージンの考え方は、彼の性質の中の最も危険なものの一つだった。ある意味、アンジェラがユージンの関心と忠誠を得られなかったことに加えて、これが今日までの彼の破滅の元凶だった。狭い意味で関心を持たれた宗教的思想なら、この他のものに関心を向けさせただろう。しかし、もし彼がこれに関心を持つことができていたら、これは彼を滅ぼしただろう。幸いなことに、彼がこのとき関心を寄せていた理論は、いかなる意味においても狭い独断的なものではなく、大きな側面から見れば宗教であり、当時の形而上学的な思索を包括的に要約して宗教的に調整を加えたもので、誰もが知的に探求する価値があるものだった。カルトもしくは宗教としてのクリスチャン・サイエンスは、当時の宗教や宗教家たちから、何かとっぴで、不可解で、薄気味悪いものとして……黒魔術、想像の産物、催眠術、動物磁気療法、心霊術のようだと……敬遠された。要するに、すべてがそうではなかったが、どちらかと言えば、少しだけ本当にそういうところがあった。エディ夫人は、インドの聖典、ヘブライ語の旧約聖書、新約聖書、ソクラテス、マルクス・アウレリウス、聖アウグスティヌス、エマソン、カーライルなどに見られる事実を整理もしくは言い換えたのだった。彼女と現代人の間にあった顕著な違いは、彼女の言う「支配的な調和」が、ユージンや他の多くの人たちが想像したような悪意のあるものではなく、有益なものであることだった。彼女の「調和」は愛の「調和」だった。神は、悪の父以外のすべてだった。彼女によれば悪は幻想であり……事実でなく物質でもなく……音と怒りであり、何の意味もなかった。

 

 忘れてならないのは、このつらい宗教的な思索を行っていた間、ユージンは市の最北部に住み、売れるかもしれないと思う絵を漫然と描き続け、百十丁目の産院に無事に退避したアンジェラを時々訪ね、四六時中スザンヌのことを考えて、ひょっとしたらもう会えないのではないかと思い続けていたことだった。 彼の心は、この少女の美しさと気質に、かなりあおられていたので、もう本当に普通ではなかった。彼を正気に戻すには、これまでに経験したことがなかったような何かのショックか大惨事が必要だった。地位を失ったことは多少影響を及ぼしていた。スザンヌを失ったことは、彼女への愛情を高めただけだった。アンジェラの状態は彼を思いとどまらせた。彼女はどうなるか、が関心を呼び覚ます疑問だったからだ。「あいつが死んでくれさえしたらなあ!」彼は独り言を言った。何しろ、人には、自分がさんざんひどい目に遭わせた相手を喜んで憎むことができるおめでたい能力があるのだ。アンジェラが自分の成功の足かせになっているという考えに取り憑かれていたから、彼はなかなか彼女に会いに行くことができなかった。彼の人生に子供をもたらすというアンジェラの考えは、彼をすさませただけだった。今、もしアンジェラが死んだら、面倒を見なければならない子供を彼が抱え込むことになり、そのせいでスザンヌが彼のところに来なくなるかもしれないのだ。

 

 このときユージンが考えた唯一のことは、あまり、いやむしろ全然ひと目につかないようにすることだった。彼はかなり不興買っていた。公の場に出ることは彼自身を傷つけることにしかならなそうだった……この事実は、他のどこよりも彼自身の心の中にあった。もし彼がそれを信じていなかったら、そういう事実はなかっただろう。今どきの都市交通がないも同然の、この静かな地域を選んだのは、これが理由だった。ここなら平穏に考え事ができたからだ。一緒に住んでいた家族は、彼のことを何も知らなかった。冬が始まっていた。寒さと雪と強風のため、このあたりなら、あまり大勢の人たちに会わずにすみそうだった……特に、過去に彼を知っていた有名人たちには。旧住所から転送されてくる手紙が大量にあった。彼の名前は多くの委員会で使われ、「紳士録」にも載っていたからだ。交際に多額の出費が必要で、彼に会うのを喜んでいたであろう人たちよりも、あまり有名ではない友人が大勢いた。しかし彼はすべての招待を無視し、返事の手紙で現住所を知らせず、主に夜に出歩き、日中は本を読んだり、絵を描いたり、座って考え事をした。スザンヌのことや、運命が明らかにスザンヌを通じて、どれほど破滅的に自分を罠にかけたかをずっと考えていた。彼女は戻ってくるかもしれない、戻ってくるはずだ、と考えていた。彼女に再会するという、すばらしくも、痛ましい光景が浮かんだ。その中で彼女はもう彼から絶対に離れまいと彼の腕の中に駆け込むのだ。病室にいるアンジェラは、彼からの気遣いをほとんど受けなかった。彼女はそこにいて、専門的な治療を受けていた。請求された分はユージンが全額支払っていた。彼女の重大な時間はまだ本当に来てはいなかった。彼女のことはマートルが見ていた。ユージンは時々自分のことを、自分の人生が知り得た最も献身的なものを叩きのめして自分のところから追い立てている冷酷無情な知識人として垣間見たが、なぜかこれが正当なことに思えた。アンジェラは彼にふさわしくなかった。どうして彼女は彼と別れて生きられないのだろう? クリスチャン・サイエンスは、人と神との不滅の一体性と矛盾するとして、結婚を人間の幻想として完全に排除した。どうしてアンジェラは彼を手放さないのだろう? 

 

 ユージンはスザンヌに詩を書き、住んでいる家にあった古いトランク一杯分の本の中で見つけた詩をたくさん読んだ。「運と他人の目に見放されとき」で始まるソネットを何度も読み返した……自分のことのように思える暗闇からの叫びだった。イェーツの詩集を買い、スザンヌのことを語っている自分の声を聞いた気がした。

 

  彼女が私の日々を不幸で満たしたからといって、

  なんで責めなくてはいけないんだ……

 

 八年前に健康を損ねた時ほどひどくはなかったが、ユージンはかなりひどかった。彼の思考は再び、人生の不確かさ、そのうつろい、その愚かさに釘付けになった。自然の奥深さを扱うこういうものだけを研究していたら、これが再び人生そのものに対する病的な恐怖を生み始めた。マートルは彼のことでひどく苦しんだ。正気を失うのではないかと心配だった。

 

「実践士のところへ行ったらどうかしら、ユージン?」ある日のことマートルは弟に頼んだ。「あなたは助かるわ……本当なんだから。あなたは助からないって思うでしょうけど、助かるんだから。何とかなるんだから……何がって言われてもわからないけど。精神的に落ち着くわ。気分だってよくなるわよ。行ってごらんなさい」

 

「ねえ、余計なお世話だよ、マートル。頼むからやめてよ。僕は行きたくないんだ。形而上学的に言えば、その考えに一理あるとは思うけど、どうして僕が実践士のところへ行かなきゃならないのさ? もし神がいるのなら、みんなのところにいるように、僕の近くにもいるだろ」

 

 マートルは拳を握りしめた。彼女がいつになくひどくがっかりしたので、ユージンは結局行くことに決めた。こういう人たちには催眠術というか、体から体へと伝わる何かがあるのかもしれない……死ぬ運命にある肉体に宿る古い錬金術みたいなものが、彼に届いて癒すことができるかもしれない。ユージンは催眠術や催眠暗示などを信じていた。彼は最終的にある実践士に連絡をとった。マートルや他の人たちに強く勧められた老齢の婦人で、ブロードウェイのずっと南側、マートルの家の近くに住んでいた。名前はアルテア・ジョンズ夫人……すばらしい治療を施したことがある女性だった。なぜ、この自分が、ユージン・ウィトラが、〈ユナイテッド・マガジンズ社〉の元統括出版部の部長であり、元芸術家(ある意味、自分はもう最高の意味での芸術家ではないと思った)であるこの自分が、ユージン・ウィトラが、クリスチャン・サイエンスの女性のところに行って、何の治療を受けるというのだろう、と受話器を取る間に彼は自分に問いかけた。憂鬱ですか? はい。失敗しましたか? はい。頭痛がしますか? はい。隣の席に座っていた見知らぬ男が証言したように女癖が悪いのですか? はい。何て奇妙なことだろう! それでもユージンは興味があった。これが本当に対処可能かどうかを思索することに少し興味がわいた。彼は失敗から立ち直れるのだろうか? この切望の痛みはとめられるのだろうか? 彼はそれがとまることを望んだだろうか? いや、決して望んではいなかった! 彼はスザンヌを求めていた。彼が知る限り、マートルの考えは、この相談がどうにか彼とアンジェラを仲直りさせて、彼にスザンヌを忘れさせるだろう、というものだったが、それはありえないことを彼は知っていた。ユージンは通い続けた。しかし彼が通い続けたのは、彼が不幸で、やることや目的がなかったからだった。他にどうすればいいかわからなかったから彼は通い続けた。

 

 ジョンズ夫人……アルテア・ジョンズ夫人のアパートは、当時ニューヨークに何百とあったありふれたデザインのアパートだった。クリーム色の圧縮されたレンガでできた両翼の間には広々とした通路があって奥の玄関へと続いていた。玄関はしゃれた錬鉄製の扉で守られ、扉の両脇には、しゃれたデザインの電灯台が置かれ、すてきなクリーム色の電球が柔らかい光を放っていた。中には、普通のロビー、エレベーターがあって、無関心で無愛想な制服姿の黒人のエレベーター係がいて、電話の交換台があった。建物は七階建てだった。ユージンは雪が降って風が吹き荒れるある一月の夜そこに行った。大きな湿った雪片が巨大な渦を巻いて舞い、街中が柔らかでぬかるんだ雪の絨毯に覆われた。いつものように憂鬱だったにもかかわらず、彼は世界が見せてくれた美しい光景に興味を持った……街は純白のすてきなマントに包まれた。車はガタゴトと通り過ぎ、人々は大きなコートの中で体をまるめて、激しい風に立ち向かっていた。彼は雪が、雪片が、物質が生き生きとしているこのすばらしさが、好きだった。これは彼の心の苦しみを和らげ、彼にまた絵を描くことを考えさせた。ジョンズ夫人は七階に住んでいた。ユージンはノックして、メイドに迎えられた。時間が少し早かったので待合室に案内されると、そこには先客がいた……健康そうな男女で、痛みや苦しみとは無縁に見えた。これこそ、これが思い過ごしの病気に関係している証拠ではないか、と座っている間に考えた。だとすると、教会の隣の席で彼が聞いた男性は、どうしてあんなに力強く誠実に、自分が回復したことを証言したのだろう? とりあえず、様子を見ることにした。これが自分のために何ができるのか、まだ彼にはわからなかった。彼は働かなければならなかった。隅っこに座り、両手を組んで顎の下で支えるようにして、考え込んでいた。部屋は芸術的でないというよりも、むしろ特徴がなく、調度品は安っぽいというよりも、デザインがよくなかった。神の心は、自分の代理人をこんな外観で登場させるよりもいい方法を知らなかったのだろうか? 地上で神の威厳を示すのを助けるために召された人が、こんな家に住むほど芸術がわからないままにしておいていいのだろうか? 確かにこれは神のみすぼらしいお目見えだった、しかし……。

 

 ジョンズ夫人がやって来た……背が低く、太った、不器量な女性で、白髪で、しわが目立ち、服装がやぼったく、口の片側に小さな腫れ物があり、鼻は少し大きすぎて見た目が良くなかった……外見の致命的欠陥がすべて派手に強調され、どこかで見たミコウバー夫人の古い版画に似ていた。素材は良いのに型崩れしたありふれた黒のスカートをはき、暗いブルーグレーのブラウスを着ていた。目が澄んだグレイであることに彼は気がついた。ジョンズ夫人は感じのいい微笑みを浮かべた。

 

「ウィトラさんですよね」ユージンが窓際の隅に陣取っていたので、ジョンズ夫人は部屋を横切って彼のところに来て、少しスコットランドなまりで言った。「お会いできてとてもうれしいわ。入っていただけません?」予約があったので他の数名よりも優先して声をかけると、彼の先に立ってまた部屋を横切って廊下を進んで実践室まで行った。彼が通り過ぎるときに握手をしようと、彼女は片側に立った。

 

 ユージンは恐る恐るその手に触れた。

 

 周囲を見回しながら入室するときに、これがジョンズ夫人か、と考えた。バングスとマートルは、彼女がすばらしい治療を行った……いや、神の心が彼女を通して行った……と言っていた。彼女の手はしわだらけで、顔は老け込んでいた。そういうすばらしい治療ができたのなら、どうして彼女は自分を若返らせなかったのだろう? どうしてこの部屋はこんなに散らかっているのだろう? 壁にはキリストや聖書の場面を描いた染色石版画や銅版画があり、床には安っぽい赤いカーペットだか敷物や、センスのない革張りの椅子や、本がありすぎるほどのテーブルだか机があって、薄くなったエディ夫人の写真があり、おまけに彼がうんざりする馬鹿げた標語があちこちに掲げられていたものだから、ほとんど息が詰まりそうだった。人々は暮らしの芸術となると、こうも駄目なのだ。人生について何も知らない者が、どうすれば神さまを気取れるのだろう? 彼は疲れていたし、この部屋は彼を不快にさせた。ジョンズ夫人も不快だった。おまけに、この女の声は少し裏声だった。この女に、がんが治せるのか? 結核が治せるのか? マートルが言ったように、他のすべての恐ろしい人間の病気が治せるだろうか? 彼はこれを信じなかった。

 

 ユージンは彼女が勧めた椅子に疲れた様子で、それでも議論を辞さない態度で座り、相手を見つめた。一方、ジョンズ夫人は優しい微笑むような目で彼を見ながら、静かに彼の向かいに座った。

 

「さて」彼女は気楽に言った。「神の子は、自分がどんな問題を抱えてると思っているのですか?」

 

 ユージンはいらついて身じろぎした。

 

「神の子だと」ユージンは思った。「御託を並べやがって!」彼は神の子だと主張するどんな資格を持っていただろう? こういう始め方が何の役に立つのだろう? 馬鹿馬鹿しいし、とても愚かだった。どうして素直に、どうしました、と聞かないのだろう? しかしユージンは答えた。

 

「ええ、かなりかかえています。絶対に改善できないと確信するほどたくさんですよ」

 

「そんなにひどいのですか? 決してそんなはずはないわ。いずれにせよ、神に不可能はないってことを知るのは良いことだわ。私たちは、いずれにしても、それを信じられるわよね?」ジョンズ夫人は微笑みながら答えた。「あなただって神、あるいは支配する力を信じているでしょ?」

 

「信じているかどうか自分でもわかりません。基本的には信じていると思います。信じるべきだとは思います。はい、信じていると思います」

 

「あなたにとって神は悪意がある神ですか?」

 

「私はいつもそう思ってました」彼はアンジェラのことを考えながら答えた。

 

「死すべき心だわ! 許されない考え方です!」ジョンズ夫人は自分に強く言い聞かせた。「どんな迷いもあってはならないわ!」

 

 それからユージンに向かって言った。

 

「神が愛の神であることを知るためには、たとえその人の意に沿わなくても治療がなされなければなりません。あなたは自分が罪深いと信じていますね、そして、神には悪意があるとも? 事情を私に話す必要はありません。私たちはみんな同じように死すべき状態にあるのですから。イザヤ書の『あなたの罪が緋色のようでも、雪のように白くなり、深紅のように赤くても、羊毛のようになる』という言葉に注目してください」

 

 ユージンは何年もこの引用を聞いてこなかった。これは彼の記憶の中でぼんやりしていただけだった。過去に預言者の心像がヘブライ語で爆発したように、今それが単純に一瞬光って訴えかけてきた。腫れ物があって、大きな鼻で、やぼったい服装でも、ジョンズ夫人はこれをとてもうまく引用できたから、少しはましになった。これは彼女に対するユージンの評価を高めた。これは活発な思考、少なくとも機転の効く思考を証明した。

 

「あなたは悲しみを癒やせるのですか?」ユージンは険しい顔で、声に皮肉をこめて尋ねた。「心の痛みとか恐怖を治せるのですか?」

 

「私には何もできません」ジョンズ夫人はユージンの気分を察して言った。「でも神は全能です。もしあなたが神を信じるなら、神があなたを治してくださいます。聖パウロは『私を強くしてくれるキリストを通じて、私は何でもできる』と言っています。あなたはエディ夫人の本を読んだことがありますか?」

 

「ほとんど読みました。ずっと読み続けています」

 

「あなたはそれを理解しましたか?」

 

「いいえ、完全とまでは。私には矛盾の塊のように思えます」

 

「初めてサイエンスにいらした方々には、ほぼ決まってそのように見えるものです。でも、それを心配しないでください。あなたは自分の悩みから解放されたいのでしょ。聖パウロは言っています『この世の英知でも、神にとっては愚かである』 『主は賢者の考えを知っている……それがむなしいことも』。私を女だとか、これをどうにかする何かを持っているとか、考えないでください。私はむしろあなたに私のことを、聖パウロが述べた真理のために働く人のように考えてほしいのです。『神が私たちを通してあなたたちに求めるのだから、私たちはキリストの使いです。私たちはキリストの代わってあなたたちに願います。神と和解しなさい』」

 

「聖書に詳しいですね?」ユージンは言った。

 

「それが私の持つ唯一の知識ですから」彼女は答えた。

 

 その後で、クリスチャン・サイエンスではごく一般的な……手ほどきを受けたことがない者にとってはかなり異常な……あの奇妙で宗教的な活動のひとつが実際に行われた。その際、彼女はユージンに気を引き締めて主の祈りについて瞑想するよう求めた。「今のあなたに無意味に思えても気にしないでください。あなたは助けを求めてここに来ました。あなたは神の完全な映像であり、似姿です。神はあなたを手ぶらで帰すことはありません。まず、この詩篇を読んでさしあげましょう。これはいつだって初心者にはとても役に立つと私が考えているものなんですよ」ジョンズ夫人はテーブルの近くにあった聖書を開いて読み始めた。

 

「いと高き者の隠れる場所に住む者、全能者の陰に宿る者。

 

 私は神について言います。神は私の避難所、私の砦です。私の神さま、私は神を信じています。

 

 神は必ずあなたを猟師の罠からも、有害な病からも救います。

 

 神はあなたを神の羽でおおいます。あなたは神の翼の下で保護されます。神の真理はあなたの大きな盾であり小さな盾なのです。

 

 あなたは夜の恐怖も、日中飛んでくる矢も、恐れることはありません。暗闇を歩く疫病も、真昼に荒らす滅びも、恐れることはありません。

 

 あなたの傍らで千人が倒れて、右側で一万人が倒れても、それがあなたに近づくことはありません。

 

 あなたはただ、あなたの目で、悪人の報いを見るだけです。

 

 あなたは、私の避難所である主を、いと高きものを、あなたの住まいにしたので、災いはあなたに降りかかりません。いかなる病もあなたの住むところに近づくことはありません。

 

 神が神の天使たちに命じて、あなたのすべての道で、あなたを守らせるからです。

 

 彼らは、あなたが足を石にぶつけないように、その手であなたを支えます。

 

 あなたは獅子と毒蛇を踏み、若獅子と大蛇を踏みつぶすでしょう。

 

 彼が私を愛したので、私は彼を助けます。彼が私の名を知ったので、私は彼を高いところに置きます。

 

 彼が私に問えば、私は彼に答えます。私は彼が困っているときに一緒にいます。私は彼を助け、彼に栄光を与えます。

 

 私は長寿で彼を満足させて、私の救いを彼に示します」

 

 神の恩恵のこの最高にすばらしい意思表明が続く間、ユージンは目を閉じて座ったまま、自分の最近の不幸のすべてに思いを巡らせていた。何年かぶりに、全知全能とか、遍在とか、寛大といったものに心を集中させようとしていた。これは至難の業だった。彼はこの神の恩恵の表現の美しさを、彼が知る世界の性質と調和させることができなかった。彼はアンジェラと自分自身が最近ひどく苦しんだのを見ていたのに「彼らは、あなたが足を石にぶつけないように、その手であなたを支えます」と言ったところで、何の役に立っただろう? 彼が生きているときだって、彼はその、いと高き者の隠れる場所に住んでいるのではないだろうか? どうすれば、人はそこから抜け出せるのだろう? やはり……「彼が私を愛したので、私は彼を助けます」これがその答えだろうか? アンジェラの愛は彼に向けられていたのではなかったか? 自分の愛はどうだろう? 二人の苦悩はすべてそこから始まったのではないだろうか? 

 

 彼が私に問えば、私は彼に答えます。私は彼が困っているときに一緒にいます。私は彼を助け、彼に栄光を与えます。

 

 彼はこれまでに、実際に、神に呼びかけたことがあっただろうか? アンジェラはどうだろう? 彼らは失意のどん底に置き去りにされていたのではなかったか? さらにアンジェラは彼にふさわしくなかった。なぜ神はこれを正さなかったのだろう? 彼は彼女と一緒に暮らすことを望まなかったのに。

 

 ジョンズ夫人が話をやめるまで、ユージンはこれを哲学的に批判的に考えた。すべてを疑っていたにもかかわらず、このそう見える騒ぎや現実や痛みや気がかりが幻想だったら、どうだろう、と自分に問いかけた。アンジェラは苦しんでいた。他にも大勢の人たちが苦しんでいた。どうすればこれは真実になれるだろう? これらの事実は、幻想の可能性を排除しないだろうか? これらが幻想の一部である可能性はあるだろうか? 

 

「今、私たちは、自分たちが神の完全な子供であることを理解しようとしています」ジョンズ夫人はそう言うと話をやめて相手を見た。「私たちは、自分たちがとても大きくて強くて実在すると思っています。私たちは十分に実在しますが、神の中の観念に過ぎません……それがすべてです。そこでは私たちに何も悪いことが起きません……悪は私たちに近づくことができないからです。神は無限であり、すべての力であり、すべての命です。真理であり、愛であり、すべての上にあり、すべてなのです」

 

 ジョンズ夫人は目を閉じて、さっき言ったとおりに、神の中の彼の霊の完全性を、彼に理解させようとし始めた。ユージンはそこに座って、主の祈りについて考えようとしていたが、実際には、その部屋、安っぽい印刷物、質素な家具、彼女の醜さ、そこにいる自分の場違いさについて考えていた。このユージン・ウィトラが祈りをささげられている! アンジェラはどう思うだろう? もし霊が他のこういうことをすべてできるのなら、この女はどうして年老いているのだろう? どうして彼女は自分を美しくしないのだろう? 彼女が今やっていることは何なのだろう? 彼女が行っているこれは催眠術か、動物磁気療法だろうか? こういうことが行われることはない……サイエンスではありえない……とエディ夫人が特に言っていたのをユージンは思い出した。違うな、彼女は間違いなく誠実な人だった。彼女はそう見えた……口でもそう言った。彼女はこの慈悲深い霊を信じていた。詩篇にあるように、霊が助けるのだろうか? 霊はこの痛みを癒やしてくれるだろうか? 霊は彼がもうスザンヌを求めないようにするだろうか? もしかしたら、悪霊かもしれない? そうだ、そうに違いない。それでも……主の祈りには心を集中させた方がいいかもしれない。その気になれば、神は彼を助けることができるのだ。確かに、できるかもしれない。これは疑いの余地がない。宇宙を支配するこの巨大な力にできないことは何もなかった。電話や無線電信を見るがいい。星や太陽ついてはどうだろう?「神が神の天使たちに命じて、あなたを守らせる」

 

 約十五分黙想した後、ジョンズ夫人は「さて」と言って、にこやかに目を開けた……「私たちがもっといい状態になるのかどうかを見てみましょう。私たちはもっと健康になりますよ。だって良い行いをして、さらに神の中の観念には何ものも傷をつけることができないのだと理解するのですからね。残りはすべて幻想です。そんなものが私たちを拘束できるはずがないのです。だって実在しないのですから。良いことを……神を……考えれば、あなたは善です。悪いことを考えればあなたは悪です。しかし悪はあなた自身の思考の外には実在しません。それを忘れないでくださいね」彼女は、まるで彼が小さな子供であるかのような口ぶりで話しかけた。

 

 ユージンは体をくるんだコートのボタンを留めながら、風が絵のように雪を渦巻かせている雪の夜の中に出て行った。車はいつものようにブロードウェーを走っていた。タクシーが慌ただしく通り過ぎて行った。雪の中を少しずつ進む人たちがいた。大都市のいつもの人たちだった。舞い散る雪片を通して、アーク灯が青くあざやかに燃えていた。彼は歩きながら、これは自分にいい影響をもたらすだろうかと考えた。エディ夫人は、こういうものはすべて実在しない、と主張した。ユージンは考えた……死すべき心は、霊と調和しないものを進化させたのだ……死すべき心、『偽り者であり、偽りの父』。彼はこの引用文を思い出した。そんなことがありえるだろうか? 悪は実在しないのだろうか? 不幸はただの思い込みに過ぎないのだろうか? 彼は恐怖と恥の感覚を克服して、再び世界に顔を向けられるのだろうか? ユージンは車に乗って北上した。キングスブリッジに着くと、考えごとをしながら自分の部屋に向かった。どうすれば人生はかつてのような形で、彼のところに戻されるだろう? 彼はもう四十歳だった。ユージンはランプのそばの椅子に座って『科学と健康』の本を取り、適当に開いた。それから興味本位で、自分が開いたところを見てみようと思い立った……目にとまった特定のページだか段落は、自分に何を語りかけねばならないだろう。彼は今でもものすごく迷信深かった。見ると、目の前にこの段落があった。

 

「死すべき人間が、存在についての自分の思考を霊的なものと融合させ、神が働くのと同じようにだけ働けば、天国を経験したことがなかったからといって、もう暗闇の中をさまようことも、地上にしがみつくこともなくなります。世俗的な信念は私たちを欺きます。それらは人間を無意識の偽善者にします……善を創造しようとするときに悪を生み、優雅さと美しさを描こうとするときにいびつなものを形づくり、祝福しようとした人たちを傷つけます。そういう者は、自分は半分神であると信じている、よくいる半端な創造者になるのです。その者が触れると希望を塵に変えます。私たち全員が踏みつけた塵にです。聖書の言葉で言うなら『私が望む善を行わず、望まぬ悪を行う』です」

 

 ユージンは本を閉じて瞑想した。もしこれが本当ならこれを実現したいと思った。それでも、宗教家にはなりたくなかった……宗教に溺れる人にはなりたくなかった。そういう人たちは何と愚かだろう。彼は日刊紙……イブニング・ポスト……を手に取った。中のページの目立たない片隅に、故フランシス・トンプソンの『天の猟犬』と題する詩の一節が引用されていた。それはこう始まった。

 

  私は神から逃げた、昼も夜も、

  私は神から逃げた、歳月の門をいくつもぐぐって……

 

 

 結末は彼を妙な気分にさせた。

 

  それでも、慌てずに追いかける、

  しかも、平然とした顔で、

  余裕のはやさで、堂々と迫る

  神の足が追いついた、

  そして、踏み鳴らす足音にも負けない声が……

  「私を守らぬお前を守るものはない」

 

 この男は本当にこれを信じただろうか? 本当にそうなるだろうか? 

 

 ユージンは本に戻って先を読み進めた。徐々に、罪や悪や病気はもしかしたら幻想かもしれない……そういうものは、人の自我がこの神の原理と知的に霊的に調和することで治る……と半分信じるようになった。確信は持てなかった。これはものすごく間違っていると感じた。彼にスザンヌをあきらめることができただろうか? 彼はそれを望んだだろうか? 望んではいない! 

 

 ユージンは立ち上がって窓のところに行き、外を眺めた。雪はまだ吹雪いていた。

 

「あきらめてしまえ! 彼女のことはあきらめるんだ!」それにアンジェラまで危険な状態だった。とにかく、何てとんでもない窮地に陥ってしまったんだ! とりあえず、朝のうちにアンジェラに会いに行くつもりだった。少なくとも優しくするつもりだった。彼女がこれを乗り切るのを見守るつもりだった。横になって眠ろうとしたが、どういうわけか、もう全然眠くならなかった。疲れすぎ、悩みすぎ、興奮しすぎだった。それでも少し眠った。近ごろは彼が願えることはこれしかなかった。

 


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