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「天才」 第三部 背反  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
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第25章

 

 このとても独特で、多くの人にとって、とても重要な書物を今までに読もうとしたことがある人たちは、これがどれほど矛盾と形而上学的なたわごとの寄せ集めに見えるかを知っている。冒頭に出てくる洪水以後の病気の急増と激化に関する記述は、明確で、具体的で、確立された自然科学を信じる者なら誰でも衝撃を受けるに十分だった。これに最初に出会ったとき、もちろん、これはユージンをずいぶん苛立たせた。なぜこんな愚かな意見を述べなければならないのだろう? 洪水がなかったことは、みんなが知っているのに。なぜ神話を事実として引用するのだろう? これはユージンを苛立たせ、批判的観点からは面白がらせた。それから、物質と精神に関する混乱の寄せ集めだと彼が思ったものに出くわした。著者は、五感の証拠には価値がないと言っておきながら、自分の霊的な意味を説明するために、絶えず言及を続け、それらの証拠に基づく比喩を使用していた。聖書の引用が彼を苛立たせたので、何度もこの本を放り投げた。彼は聖書を信じていなかった。教会にいたあの男もそうだったが、キリスト教という言葉そのものが胸くそ悪い冗談だった。キリストの奇跡が今日でも繰り返されると言う話を、真面目に受けとることはできなかった。それでも、あの男は証言したのだ。あれはそうではなかったのだろうか? そのすべてを通って流れているある種の誠実さ……すべての誠実な改革者の特徴である信仰と共感の確かな証拠……は彼に訴えかけた。ところどころにあったいくつかの小さな考え……イエスの霊的理解を心から受け入れること。彼自身がこれを受け入れて、彼のところにとどまった。ある文章や段落が、どういうわけか彼の心に残った。なぜなら、彼自身に形而上学的な性質があったからだ……

 

「生命と知性は純粋に霊的なものであり、物質の中にはなく物質でもない、と一瞬でも意識すれば、肉体は何も不調を訴えなくなる。病気だと信じて苦しんでいるのなら、あなたは自分が突然元気になったことに気がつくだろう。肉体が霊的な生命と愛に支配されるとき、悲しみは喜びに変わる」

 

「神は霊である」彼はイエスが言ったことを思い出した。「神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」

 

「あなたは自分が突然元気になったことに気がつくだろう」ユージンは考えた。 「悲しみは喜びに変わる」

 

「悲しみか。どんな悲しみだろう? 愛の悲しみだろうか? これはおそらく、この世の愛の終わりを意味していた。それもまた死ぬべき運命だった」

 

 ユージンは読み進めて、サイエンスの信者たちが、聖母マリアの無原罪懐胎を信じていることを知った。これは彼には愚かに思えた。また、自己創造や永遠という人間の幻想を表するものとして、結婚の最終的廃止を信じていた。そして、当然、両性のかかわりを通して子供を持つこと、肉体が物質でなくなること、罪も病気も疾患も衰退も死も存在しないそれ本来の霊に変わること、は彼らの信仰もしくは理解の一部だった。これは彼には荒唐無稽な主張に思えたが、それでもこの当時は、彼の生まれつきの形而上学的気質のせいで、彼の生命の神秘に対する感覚と一致した。

 

 これを読み続けた要因として覚えておくべきだが、気質……内省的、想像力豊か、精神的……と、悲しみと絶望と敗北からの解放を約束するならどんな藁でもつかむ価値があるという一時的な絶望的態度のせいで、人間の存在についてのこの明らかに過激な理論の研究するのに、ユージンは特に適した状態だった。教会が建てられ、特にニューヨークで信者が増加し、あらゆる人間の病気からの解放を熱狂的に主張している様子を見ながら、彼はクリスチャン・サイエンスについて多くのことを聞いていた。娯楽も気晴らしもなく、ひどく内省的で、仕事もせずにいたので、こういう奇妙な発言が彼の注意を引くのは自然だった。

 

 また彼は、カーライルがかつて「物質そのもの……物質の外の世界は、無か、さもなければ人間の心の産物である」(カーライルの日記、フロードの『カーライルの生涯』より)と述べたことや、カントが全宇宙を目や思考の中のもの……思考以上でも以下でもないととらえたこと、を過去の読書や科学的な推測から知らないわけではなかった。マルクス・アウレリウスが彼の自省録のどこかで、世界の魂は親切で慈悲深い、そこに悪はなく、悪に害されることもない、と言っていたのを思い出した。この後者の考えは奇妙なものとして彼の心に残った。世界は、その精神というのは、微妙で残酷で狡猾で悪意に満ちているという彼自身の感じ方と正反対だったからだ。どうすればローマ皇帝になれる人が、そうではない考えを持てたか知りたいところだった。キリストの山上の垂訓は、人生を本当に何も知らない理想主義者の美しい思索として、いつも彼を引きつけた。さらに、どうして「自分の宝を地上に置くな、そこだと、虫とサビとで朽ち、盗人が押し入って盗み出す」という一節が、真実であるに違いないほど美しいものとして、自分を興奮させたのか、彼はいつも不思議だった。「あなたの宝物があるところには、あなたの心もある」からだ。キーツは「美は真実であり、真実は美である」と言っていた。また「真実は存在していることである」。

 

「では、何が存在しているのだろう?」ユージンはそれに対する答えを自分に問いかけた。

 

「美だ」が自分への答えだった。すべての恐怖が満ちあふれているにもかかわらず、人生は基本的に美しかったからだ。

 

 アンジェラがラシーンに向けて発ち、マートルの勧めでニューヨークに戻り、入院時とその後ユージンに付き添われて産院で時間を過ごした数か月の間に、試みられた調整のゆっくりとした推移を追いたがるのは、形而上学か自然宗教的な思考の持ち主だけだろう。これは、知的に優れた者だけが踏み出す存在の深淵だが、ユージンはその中をずっと遠くまでさまよっていた。マートルやバングスと長い時間をかけて話し合った……現実的なものから非現実的なものまで、人間の思考のあらゆる局面について議論した。これはアンジェラの状況とは全く関係がなかった。ユージンは、アンジェラを愛していないこと……一緒に暮らしたくないこと、を率直に告白した。スザンヌがいなければ到底生きてはいけないと主張した。他にやることがなかったので、いろいろな哲学や宗教の本を手に取り、読んだり、読み直したりしていた。アンジェラに申し訳ないと思っていたので、最初はそばに行って一緒に座る気になれなかった。ケントの『ヘブライ人の歴史』、ワイニガーの『性と性格』、カール・スナイダーの『世界機械』、ムジーの『霊的英雄』、ジョンストンの『バガヴァッド・ギーター』の翻訳、エマーソンの「大霊」に関するエッセイ、ハックスリーの『科学とヘブライの伝統』、『科学とキリスト教の伝統』などを読んだり読み返したりした。ユージンはこれらの書物から、それまで知らなかったか忘れていた宗教に関連するいくつかの興味深い事実を学んだ。すなわち、ユダヤ人は宗教的な思想家や預言者を連綿と育成したほとんど唯一の民族または国民である。彼らの理想は終始一貫して単一の神もしくは神性であり、最初は部族的だったが後に普遍的になり、その範囲と意義は神が全宇宙を包括するまでに拡大した……実際は全人類……統治原理だった……しかし唯一の神、その神への信仰、神の癒す力、構築する力、打破する力は、決して手放されなかった。

 

 旧約聖書はそういうことだらけだった。そういうものだった。歴史に最初に登場したとき、昔の預言者たちが踊り回る托鉢僧に過ぎなかったことを知って、ユージンは驚いた。彼らは自分たちを極度の興奮した歓喜と狂乱に追い込み、地面に横になってのたうち回り、ペルシャの狂信者が今日でも十月の祭りでやるように自分たちを切りつけて、この上なく奇妙な方法に頼って自分たちの狂信的な精神を育んでいた。しかし、いつも驚くほど霊的で大きなことを唱えていた。普通、彼らは神聖な場所によく現れ、そのだらしない外見と奇妙な衣服で見分けがついた。イザヤは三年間服を着なかった。(イザヤ書二十二章二十一節)、エレミヤは(マジーによれば)首に木のくびきをつけて首都の通りに現れて言った。「こうしてユダの首は曲げられバビロニアの奴隷になった」(エレミヤ書二十七章二節)、ゼデキアは牛のように鉄の角をつけてアハブ王のところへ行って言った。「こうやってシリア人を突くがよい」(列王記上二十二章十一節)。預言者は狂人のように振る舞ったので狂人と呼ばれた。エリシャは無愛想な隊長エヒウの陣に飛び込み、彼の頭で油の入った小瓶を割って言った。「主はイスラエルの神に言った。私はあなたを主の民の王とした」それから戸を開けて逃げた。何だか、これらは荒唐無稽に思えたが、それでも予言についてのユージンの感じ方と一致していた。安っぽくはなく、偉大だった……主なる神の言葉のように荒々しく劇的だった。彼を魅了したもうひとつのことは、進化論的な仮説は、結局、彼が考えていたように、支配したり定めたりする神の概念を排除しないとわかったことだった。今これについて熱心に考えていたところ、彼は自分を夢中にした文書の中で、いくつかの事柄に出くわした。ジョージ・M・グールドという生物学者の本からひとつ引用するとしよう。

 

「生命は細胞の働きによって物理的な力をコントロールできる。私たちが知る限り、これができるのはそれだけである」ユージンはエディ夫人の著書を読み、バングスと議論しても、これを認める気にはならなかったが、これが最終的に我々の目的を形づくる能動的な神性を認めることにどうつながるのかを知って興味が出た。「有機分子は、知性、設計、目的の証拠を見せてくれない。それは数学的に決まって一定の物理的な力だけの産物である。生命は特定の目的に合った細胞活動を通して自分を意識するようになる。したがって、人間の個性は、より大きな機能の分化の統一体、単一細胞時の形態よりも高度で充実した形態でしかありえない。生命、あるいは神は、細胞の中に存在する……。(そしてその外側のどこででも、おそらくはまったく同じように、それ以上に、活発である、ユージンは心に留めた) 。細胞の知性は神のものである。(エディ夫人を読んで、ユージンはこれに全く同意できなかった。夫人によれば、それは幻想だった)。人間の個性は最終的には神自身でもあり、神でしかない……。もし生命と言う代わりに「バイオロゴス」とか神と言いたければ、私は心から賛成する。私たちは生物学の崇高な事実に直面している。細胞は神の道具であり、物質の仲介者である。それは形を作るメカニズムである。言葉が肉となり、私たちの中に宿っている」

 

 もうひとつは、日曜新聞に掲載された、当時の現役物理学者と思われる人物エドガー・ルシアン・ラーキンの言葉だった。

 

「新しい紫外線顕微鏡と、それとセットの装置の高速高感度フィルムを搭載したマイクロフォトカメラが発見されて最近完成したことにより、人間の視界は極限にまで達したようだ。無機、有機の粒子が確認された。旧式の最上位機種で見える(最小の)物体ほどのとても小さなものが、並べて見ると巨大な塊のようになる。星のある宇宙や星の構造と同じくらいすばらしい、活動的なミクロの宇宙が明らかになった。この複雑なものは実際に存在するが、探究はほとんど始まっていなかった。この研究に専念すれば、百年以内にミクロの宇宙は多少理解されるかもしれない。巨大な宇宙の太陽とその同心円状にある惑星や月の法則ように、微小な運動の法則が発見されて教科書に掲載されるかもしれない。これは精神の領域だ……すべての運動は心にコントロールされる、とすぐに信じることなしには、この微細な動きと生命の深淵をのぞくことはできない。その驚くべきものを見れば見るほど、この確信は深まっていく。このミクロの宇宙は、精神的な基盤に根ざして基礎を固めている。きっぱりと、覆されるとも思わず、こう断言される……飛んでいる粒子はどこへ行くべきかを知っている。昔の顕微鏡で見える大粒の粒子は、液体に浮かぶと、急速な動きをしながら、高速で幾何学模様を描くようにあらゆる方向に飛ぶのが観察された。しかし紫外線顕微鏡は、動いている何兆個ものはるかに小さな物体や、それらが幾何学的な進路をとって突き進んで、それぞれの種類やタイプに特化した最高に信じられないスピードで角度を切る様子を明らかにする」

 

 この角度は何なのだろう? ユージンは自問した。誰がそんなものを作ったのだろう? 誰が、あるいは何が、そんな幾何学的な線を用意したのだろう? エディ夫人の言う「神の心」だろうか? この女性は本当に真理を見つけたのだろうか? ユージンは読書をしながらこんなことを考えた。そして、ある日、論文の中で、アルフレッド・ラッセル・ウォレスによる宇宙とその統治に関する考察を見つけた。それは、イエスが言ったように、エディ夫人が主張したように、悪は存在せず善だけが存在する神の心だか中心思想が存在するかもしれないという証拠として、ユージンの興味を引いた。引用する。「生命は、空気と水とそこに溶けている物質から、明確な形と機能を持つ組織的でとても複雑な構造を作り上げる力である。これらは液体と気体の内部循環によって、崩壊と修復が絶えない状態の中で発生し、青年期、成熟期、老年期などのさまざまな段階を経て、死に、速やかにその構成要素に分解される。このようにして似たような個体の連続的なつながりを形成して、外的条件がその存在を可能にする限り、これらは潜在的な不滅性を持っているように見える。

 

 私たちが支配的と見ている進化の予め定められたシステムに従って下位の力を導くには、何かの巨大な知性、浸透している霊、を前提にすることがとても必要である。それがないことには始まらない……

 

 しかし、ここまで来れば、さらに上に進まなければならない……私たちは、私たちの精神的な発達を助け、霊的存在として、存在のより高度な状態へと段階的に適合させるために、論理的、科学的根拠に基づいて、私たちだけが利用でき、私たちのために用意された、動物界や植物界の無限の種類の産物を見る完全な権利を持っている。

 

 ……私たちと神との間の広大な無限の隔たりは、ほぼ無限に続く存在の階級によってある程度占められていて、各階級は宇宙の起源、発展、制御にかかわるより高度な力を持っている、と仮定することは論理的としか思えない。

 

 ……能力と知性を持つとても高度な階級から、ヘッケルに仮定された無意識もしくはほぼ無意識の細胞の魂に至るまでの間に、存在のこのような階級の大がかりな協力体制があったのかもしれない……

 

 私は想像することができる……無限の存在が、宇宙の大枠を予見し、決定するのを……

 

 例えば、神は十分な数の最高位の天使たちに、その意志の力によって、後に続くものに必要なすべての固有の性質と力を持つ、エーテルの原初の宇宙を創造するように、強く認識させるかもしれない。次の位の天使たちは、これを媒体として使いながらエーテルに反応を起こさせ、適切な質量と適切な距離で、そこから物質のさまざまな要素を発展させる。次にそれが、重力、熱、電気などの法則や力の影響下で、我々の恒星宇宙を構成する星雲と太陽の広大な系体を形成し始める。

 

 次に私たちが想像するのは、彼らにとって千年の歳月が一日でしかないこの大勢の天使たちが、この広大な太陽系と惑星の発展を見守っている様子かもしれない。やがて、そのうちのどれかひとつもしくはひとつ以上が、それ自体の中で、大きさ、基本的構成、大気、水の質量、熱源からの必要な距離などの諸条件を組み合わせて、アメーバから人間に至る生命の世界の完全な発展に必要な最低限の数百万年だか数世紀に、生命が十分に成長できる数億年の余裕をつけて、構造の安定と温度の均一性を確保するのだ。

 

 したがって、私たちは、自分たちの仕事の役割を正確かつ確実に果たすために、無数の細胞の魂に影響を与える義務を負わされる、組織化された霊とでも呼べばいいかもしれない組織体を想定することになる。

 

 生命の世界の発展が続いている各段階では、もっと多くの、おそらくはより高度な知性が、打ち出される全体像に沿うように、変化の主要な系統に明確な方向を指示し、最終的にそれだけが人間の形を作ることにつながる、特定の系統の断絶を防ぐことが求められるかもしれない。

 

 この推測含みの提案が私の読者の一部に、物質と生命の力と意識の、そして、最善の状態なら、すでに天使たちよりも少し下であり、天使たちと同じように、霊の世界で永続的に進歩する存在となるように運命づけられた人間自身の、より深くて最も根本的な原因について、今、私たちが明確に述べられる最も正解に近いものとして伝わることを、私は希望したい。

 

 自然科学が宇宙に関して明らかにした結論に関する、この非常に独特で明らかに進歩的な発言は、すべてが精神であり、無限の変化に富むというエディ夫人の主張のかなり公平な証拠だとユージンには聞こえた。そして、彼女とイギリスの科学的な自然主義者との唯一の違いは、彼らが、自分たちで感じたり見つけたりできる自分たち自身の秩序あるもしくは自分で課した法則のみによって支配したり示せたりできる秩序ある階層を強く主張したのに対し、夫人はどこにでも存在しそれ自身が定めた秩序ある法則と力を通して行動する支配的な霊を主張したことだった。神は数学の法則のような原理だった……たとえば、二掛ける二は四である……太陽や星系の回転運動に現れるように、廊下の端の寝室にも毎日、毎時間、瞬間ごとに現れた。神は原理だった。彼は今それを理解した。原理なら、もちろん、どこであろうが、同時に存在でき、存在した。二掛ける二が四にならない、もしくはその法則が現れない場所を想像できなかった。だから、神の全知、全能、偏在の心も同様なのだ。

 


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