第11章
この夜はこれ以上の出来事は起こらずに過ぎた。しかしこれはこのとおり、ユージンの経験の中で最も驚くべき恐ろしい夜だった。彼が予期した事態は、実は彼にもあまりはっきりしていなかったが、アンジェラが部屋に入ってくるまで、まさかこれほど劇的で最大の見せ場が起きるとは本当に予期していなかった。どのようにして、いつ、なぜ、そうなるのかはわからなかったが、横になって考える間に時々、最終的にスザンヌをあきらめなくてはならなくなるかもしれない、と想像することがあった。彼は文字通りスザンヌに夢中だった。こういう事が実際に起こるとは考えられなかった。また別のときには、この目に見える人生、この五感で確認できる人生の外の力が、彼が完全に幸せになれるように、彼のために人生をこうして美しく仕上げてくれたのだと想像した。ユージンはずっと、自分は多かれ少なかれ、基本的には多かれだが、運命的な人生を歩んでいると思っていた。自分の絵の才能は天賦のものである、ある意味で自分はアメリカの芸術に革命をもたらすか、一歩前進させるために送り込まれたのであり、自然はこうやって絶えず使徒か特別な代表を派遣し、それを見守っては満足している、と考えた。かと思えば、自分は、マクベスを取り囲んで悲劇的な最期を遂げさせた力のような、不吉な悪意の力の遊具かおもちゃかもしれない、そしてそれが自分を見せしめにしようとしているのかもしれない、と想像した。彼が時々人生を見たとおりに、人生は特定の人たちにこういうことをしていそうだった。運命は嘘をついた。すてきな、甘い言葉で誘う魅力が、ただ人を破滅へと導くためだけに差し出された。彼はこうやって破滅させられたように見える人たちを見たことがあった。彼もそういうふうに扱われるのだろうか?
アンジェラの思いがけない異例の発表は、これをそういうに見せた。しかしユージンはこれを信じなかった。人生はある目的のためにスザンヌを送り出してユージンの行く手を横切らせた。運命あるいは力は、ユージンが惨めで不幸であることを知っていた。彼は神さまのお気に入りの子供なので、彼女を手に入れることによって、苦しんだ分が報われることになった。彼女は今ここにいた……言わば、一刻も早く彼のものになるようにと、いきなり、強引に、彼の腕の中に押し込まれたのだ。逢い引きのために自分のアパートに連れ込んで現場を押さえられたのは、今は何とも愚かに思えたが、運命の手は何と幸運でもあったのだ! 間違いなく、これは意図されたものだった。いずれにせよ、、ユージンの恥、アンジェラとスザンヌの恥、それぞれが今耐えている恐ろしい瞬間と時間……こういうものが不幸にして何かの避けられない大きな調整に巻き込まれた。こうなるしかなかったのかもしれない。これは不幸な人生を送り続けるよりましだった。彼は自分には本当はもっといいもの……偉大な生涯……がふさわしいと考えた。彼は今、何らかの方法でアンジェラとこの問題を調整するか、彼女と別れるか、あるいはスザンヌとの交際を邪魔されずに楽しめる取り決めをしなければならなかった。干渉があってはならなかった。ユージンはスザンヌをあきらめるつもりはなかった。子供が生まれるかもしれない。それは仕方がない。子供は養うが、それだけだった。彼は今、できればあなたと一緒に暮らしたいと言ってくれたスザンヌとの会話を思い出した。その時がきたのだ。アトリエを構える計画はさっそく実行に移されるべきだ。これは秘密にしなければならなかった。アンジェラは気にしないだろう。彼女はどうすることもできなかった。ただ今夜の出来事がスザンヌを怖気づかせて後戻りさせることにならなければいいのだが! 彼は、今夜彼女が聞いた以外の方法でアンジェラをどうやって追い出すつもりかを説明したことがなかった。ユージンはスザンヌが、二人はこの暫定的な形で愛し合ってアトリエで一緒に暮らし、おそらくは世間がどう思うかを気にせずに、彼女の弟と妹とアンジェラを無視して、ユージンだけと幸せになれる、と考えているのを知っていた。彼は一度もスザンヌを幻想から目覚めさせようとしなかった。彼自身がははっきりと考えていなかった。彼女の美しい心と体の交わりを望みながら、当てもなく突き進んでいた。今、彼は、行動しなければならない、さもなければ彼女を失わねばならないことを理解した。アンジェラが言ったことを踏まえてスザンヌを納得させるか、手放さなければならなかった。おそらくスザンヌは、完全に別れるくらいならむしろ彼のところに来たがるだろう。彼は話し、説明し、このすべてがどういう罠なのかを彼女に理解させなくてはならなかった。
アンジェラは眠りはしなかったが、暗闇の中で天井を見つめながら横になっていた。目は絶望しきっていた。朝が来ても、彼らの結論は昨夜のところから何も進展がなかった。それぞれが個別にはっきりと大きな悲劇か変化が迫っていることを知っただけだった。スザンヌは何度も考えた。あるいは考えようとしたが、彼女の血と情熱の衝動はユージンに向いていて、自分たちの視点からこの状況を見ることしかできなかった。彼女は自分がユージンを愛していると思った……彼は彼女のために多くの犠牲を払う用意があるのだから、彼女も彼を愛さなければならないと思った。しかし同時に彼女には奇妙な当惑させる曖昧さがあった。もしこの時ユージンがこれに完全に気づいていたら、それは彼を恐怖に陥れていただろう。今の彼女は、人生と愛の美しさに驚いて喜んでいた……楽しいことが一生ずっと自分のところにやって来ると宿命のように考えて安心していた……楽しくて仕方がなかった。彼女にはユージンの立場の厳しさがわからなかった。愛の至福を本当に一度も味わったことがなく、どんなに愚かであろうと富にまつわる物を欲しがり、しかも一度も手に入れたことがなかった人の苦悩が、彼女に理解できるはずがなかった。ユージンは最初の一口味わった後でこのすばらしい喜びが永遠に取り上げられてしまうのを恐れて、自分の部屋の暗闇の中でぴりぴりしていた……ぴりぴりしながら、それでも手を伸ばしていた。いっぱいに広げた両手はもう少しで、目の前にあるように見えた人生の輝きに届きそうだった。しかし、人生がすでに多くのものを与えていたスザンヌは、すべての享楽がすでに獲得されてのんびりと堪能されていた眠けを誘う楽しいポビーの花畑の代わりが務まるかもしれないほどの、ある種の静かな安らぎの中でくつろいでいた。スザンヌにとっては最悪の状態の人生でも、それほど悪くなかった。ユージンによってある程度鎮められ、何事もなかったように過ぎ去ろうとしているこの嵐を見ればいい。物事は放っておけば、そのうちひとりでにおさまるのだ。スザンヌは、何が起ころうと災いは自分に降りかからない、といつも確信していた。そしてここでも、ユージンの自宅でさえも、ユージンに言い寄られて守られたのだ!
だから、この状況でスザンヌは、ユージンのことも、アンジェラのことも、自分のことも悲しんではいなかった。彼女にはできなかった。そういう性格があるのだ。ユージンの経済力なら彼と彼女とアンジェラの面倒を見られると思った。彼女は本気で、この不幸な結婚が解消されて、ユージンと、おそらくはアンジェラも本当にもっと幸せになるもっといい日が来るのを心待ちにしていた。彼女はユージンにもっと幸せになってほしかった。これに関してはアンジェラも……ユージンの幸せはアンジェラ次第であるように思えたので、できれば、彼女を通して……幸せになってほしかった。しかしユージンとは違って彼女はすでに、もしそうしなければならないなら、自分は彼がいなくても十分に生きていける、と考えていた。彼女は望まなかった。彼女は、自分の最大の幸せが終わった不幸と苦悩を彼に返すことにある、と感じた。たとえ二人が一時的に別れなければならなくても、それはあまり大きな影響を及ぼさなかっただろう。時間が二人を引き合わせるからだ。でも、もしそうならなかったら……いや、なるだろう。どうしてそうならないと思うのか? しかし、彼女の美しさが、彼女には重要であるように思えなかったただの肉体的な美しさが、ユージンをこれほど夢中にさせるとは、何とすばらしいことだっただろう。彼女はユージンの体の主要部を蝕んでいた本物の肉体的苦痛を知らなかった。しかし彼が狂ったように彼女に夢中であることは明らかだった。彼の顔全体と、強烈な喜びとほとんど苦悶を浮かべて彼女に釘付けの燃えるような黒い両目が、これを証明した。彼女はそんなに美しかっただろうか? そんなことはなかった! しかし、彼はこんなにも彼女に思いを寄せていた。それに、これはとても楽しかった。
スザンヌは明け方起き出して、静かに身支度を始めた。散歩でもしようと思い立ち、どこに来れば会えるかがわかるメモをユージンのために残した。その日は約束を一つかかえていた。その後は家に帰らなくてはならなかったが、物事は順調に運ぶだろう。母親に言いつけるというアンジェラの決心をユージンが無理やり断念させたのだから、すべてがうまくいくに違いない。彼女とユージンは会うつもりだった。彼女は家を出てユージンのものになり、ユージンが望むところならどこへでも行くつもりだった。ただ、彼女の視点から物事を見るように母親を説得して、後でここで両者の間で何らかの合意が得られればいいと思った。アンジェラとユージンのここでの立場があるから、こうするのがいいと思った。若さと、ロマンチックで突飛な人生観のせいで、彼女は自分なら母親を説き伏せられる、自分とユージンはどこかで一緒に平和に暮らせる、と思い込んだ。友人たちはこの状況に気がつかないかもしれない。あるいは友人になら、そのうちの何人かになら、話してもいい。これはとてもすてきで自然なことだから、彼らは賛成してくれるかもしれない!
しばらくしてユージンが物音を聞きつけ、起きてスザンヌの部屋に行き、ノックした。ほぼ服を着終わった状態でスザンヌがドアを開けると、痛いほどの動悸が彼の心臓を駆け抜けた。てっきりスザンヌがもう自分に会わないでこっそり出て行くつもりでいると思ったからだ……二人は本当にお互いをあまり知らなかった。しかし、少し冷ややかだからか、じっとして動かないからか、熟慮の結果と自分の立場の特殊性から正気に返ったからか、そこに立つ彼女はこれまで以上に美しく見えた。
「出て行くんじゃないよね」スザンヌが不審そうな目で自分を見上げたのでユージンは尋ねた。
「散歩に行こうと思ったのよ」
「僕抜きでかい?」
「会えるなら会うし、会えなければ、あなたが追いかけてこられるようにメモを残すつもりだったわ。あなたなら来ると思ったから」
「待っててくれるかい?」生きるためには永遠に彼女をそばに置いておかねばならないように感じたのでユージンは尋ねた。「ほんのちょっとだよ。服を着替えたいんだ」ユージンは彼女を抱きしめた。
「はい」スザンヌは優しく言った。
「僕を置いて行かないよね?」
「いかないわ。どうしてそんなこと聞くの?」
「それは、きみを愛してるからだよ!」ユージンは答えると、彼女の頭を反り返らせて、うっとりした様子で彼女の目をのぞき込んだ。
スザンヌはユージンの疲れた顔を両手で受け止めて、じっと彼の目を見つめた。ユージンのせいで彼女は、愛情のこの最初の爆発の中ですっかりのぼせ上がってしまい、彼以外は何も見えなかった。ユージンはとても美しく、とても飢えているように見えた! 今の彼女には、自分が彼の妻の家にいることも、彼の愛情が明らかに邪悪なものと複雑に絡み合っていることも、問題ではなかった。彼を愛していた。一睡もしないで一晩中ユージンのことばかり考えていた。彼女はとても若かったから、はっきりと論理的に考えるのはまだ難しかった。しかし、どういうわけか彼女には、ユージンがとても不幸な境遇で、夫婦仲は険悪で、彼が自分を必要としているように思えた。彼はとても上品で、とても清潔で、とても有能だった! 彼はアンジェラを求めないのに、どうして彼女は彼を求めるのだろう? ユージンと一緒にいなければ、彼女は何も苦しむことはないだろう。なのに、どうして彼をつなぎとめたいのだろう? もし自分がアンジェラの立場だったら、そんなことはしないだろう。子供がいたら、それが何か大きな影響を及ぼすのだろうか? ユージンが彼女を愛していないのに。
「私のことは心配しないで」スザンヌは励ましの言葉をかけた。「愛してるわ。そんなこともわからないの? 私、あなたに話さなくちゃならないことがあるの。私たちは話し合わないといけないわ。奥さんはどんな様子なの?」
スザンヌは、ウィトラ夫人はどうするつもりなのか、母親に電話するつもりなのか、ユージン争奪戦はすぐに始まるのか、を考えていた。
「ああ、相変わらずさ!」ユージンはげんなりして言った。「散々話し合ったよ。僕がどうするつもりでいるのかを説明しておいた。そのことは後できみにも話すよ」
ユージンは着替えに行って、それからアンジェラの部屋に入った。
「スザンヌと散歩してくる」支度が整うとユージンは一方的に言った。
「わかったわ」アンジェラは言った。気絶しかねないほど疲れていた。「夕食には帰って来るの?」
「わからない」ユージンは答えた。「帰ったらどうだというんだい?」
「あなたが帰って来ないのなら、メイドとコックは待っていなくてもいいでしょ。それだけよ。私は何もほしくないもの」
「看護婦は何時に来るんだい?」
「七時よ」
「じゃあ、食べたければ夕食の支度はできるわけだね」ユージンは言った。「四時までに戻るようにするよ」
スザンヌのいるアトリエの方に歩いて行くと、彼女が待っているのを見つけた。顔は白く、目は少しうつろだったが、力と自信に満ちていた。これまでもたびたびこういうことがあったが、このときユージンは、彼女の若い体に漂う自立心と頼もしさに気がついた。これは過去にとても強く楽しく彼を感動させたものだった。人を無気力にすると思われたかもしれない環境下で育てられたにもかかわらず、スザンヌは勇気と才能に満ちたすばらしい少女だった。昨夜の重圧下で発せられた、自分の問題がきちんと整理できるまでホテルに行って家には帰らないという彼女の言葉は、ユージンを大いに感動させていた。彼女に本当に立派なものがなかったら、どうして社会に出て自分で働こうなどと考えただろう? 父親の遺言で彼女は財産を相続することになっている、と母親が言うのをユージンは一度聞いたことがあった。今朝のスザンヌの一瞥は自信に満ちていた。ユージンは車を呼ぶのに電話を使わず、スザンヌと一緒に車道に出て、グラント将軍の墓に向かって北上する川を見下ろす石垣に沿って歩いた。朝食を取りにクレアモント・インに行き、その後は車でどこかに行こうと思いついた……あてはまったくなかった。スザンヌが誰かに見られるかもしれないし、ユージンもそうだった。
「さて、どうしようか?」冷たい朝の空気が顔をなでる中でユージンは尋ねた。すばらしい日だった。
「私は構わないわ」スザンヌは答えた。「今日、アルマーディングさんのところへ行くって約束をしたけど、時間は言わなかったから。夕食が終わるまでに私が着かなくても、向こうは何とも思わないわ。あなたの奥さんは、うちの母に電話をするかしら?」
「するとは思わないな。実は、しないと確信してるんだ」ユージンは、アンジェラが何もしないと言ったときの最後の会話について考えていた。「きみのお母さんは、きみに電話をするかな?」
「しないと思うわ。私の行き先を知ってるときは、いつも干渉しないもの。もし電話をすれば、私はまだ来ていないと先方が言うだけよ。もし母がこっちに電話をしたら、奥さんは母に言うかしら?」
「言わないと思うな」ユージンは言った。「絶対に言わないよ。アンジェラは考える時間が欲しいんだ。何もしないつもりでいる。今朝、僕にそう言ったんだ。僕がどうするつもりかがわかるまでは静観するつもりだよ。すべては僕たちの出方次第なんだ」
ユージンは川を眺めながら、スザンヌの手を握って歩き続けた。時刻は七時十五分前。車道は割と空いていた。
「もし奥さんが母に言ったら、とても厄介なことになるわ」スザンヌは考えながら言った。「奥さんが言わないって本当に思ってる?」
「言わないのは確かだ。間違いないよ。彼女はまだ何もしたくないのさ。これは危険過ぎるからね。どうせ僕が戻ってくると高をくくってるんだと思う。ああ、僕は何て生活を送ってたんだ! きみの愛を手に入れた今となっては、夢みたいな話だけど。きみは全然違うよ、寛大だしね! 態度だってとても献身的だ! この何年ずっと、小さなことまでいちいち指図されてきたんだ。これは彼女のとっておきの罠なんだ!」
ユージンは悲嘆にくれて首を振った。スザンヌは彼の疲れた顔を見た。彼女自身の顔はその日の朝のように清々しかった。
「ああ、最初からきみが僕のものだったらよかったんだがなあ!」と付け加えた。
「ねえ、ユージン」スザンヌは言った。「私だって奥さんに申し訳ないと感じてるのよ。昨夜私たちがしたようなことは、するべきじゃなかったのよ。なのにあなたは私にさせたんだわ。あなたって手遅れになるまで絶対に私の言うことを聞かないものね。とんでもない石頭だわ! あなたが別れたくないのなら、あなたには奥さんと別れてほしくないわ。私のためにそんなことをする必要はないわ。別にあなたと結婚したいわけじゃないから、今はね、とにかく。もしあなたが望むのなら、私はこの身をあなたに捧げるわ。でもね、考えて計画を立てる時間がほしいのよ。もし母が今日聞いたら、とんでもないことになるもの。私たちに考える時間があれば、私たちで母を丸め込めるかもしれないでしょ。昨夜奥さんがあなたに話したことなんか、どうでもいいのよ。私はあなたに奥さんと別れてほしいわけじゃないから。私たちが何か調整をつけられればいいのよ。問題は母なんだから」
スザンヌはユージンの指を握りながら、つないだ手をゆらゆらさせた。スザンヌは深く考えた。母親が本当の問題だった。
「知ってるでしょ」スザンヌは続けた。「母は了見の狭い人じゃないし、理想的でない限り、結婚をあまり信じてないわ。奥さんの状況は、子供がいても、大して変わらないわ。私はこれについてずっと考えてきたの。これで私が幸せになって、しかもスキャンダルにもならないって母が思えば、母は何らかの取り決めを認めるかもしれない。でも、母と話をするには時間が必要よ。これは今すぐにはできないわ」
ユージンはスザンヌが自発的にした発言のすべてに驚いたように、これに対してもかなり驚いて耳を傾けた。彼女はこの問題を長いこと考えていたようだった。彼女は簡単に自分の意見を口にしなかった。発言と発言の間と考える間に、口ごもったり、ためらったりしたが、口をついて出たのはこれだった。これはどれくらい本気なのだろう、とユージンは訝った。
「スザンヌ」ユージンは言った。「呼吸が止まるかと思ったよ! きみは何てことを考えるんだ! 自分が何を言ってるのかわかってるのかい? きみは自分の母親のことをちゃんとわかってるのかい?」
「母のこと? ええ、もちろん、わかってるつもりよ。あなただって母がとても変わり者なのは知ってるでしょ。母は文学かぶれのロマンチストよ。自由についてはたくさん話すけど、私は母の言うことをすべて受け入れてはいないわ。母はほとんどの女性と違ってると思うの……母は特別だわ。母は私を娘というより、ひとりの人間として好きなのよ。私のことを心配してるわ。でもね、私は母よりも強いと思う。私がその気になれば、母を思いどおりにできると思うの。母は今、随分、私を頼りにしてるわ。もし私がやりたくなかったら、母は私に何もさせられないわよ。私なら母を私の考え方に近づけられると思うわ。私は何度もそうしてきたの。だから、もし時間があれば、今ならできるかもしれない気がする。私の思い通りに母を動かすには時間がかかるでしょうけどね」
「どれくらいかかるの?」ユージンは考えながら尋ねた。
「さあ、わからないけど、三か月、半年かな。私だってわからないわよ。でもやってみたいわ」
「それで、もしできなかったら、そのときはどうするの?」
「まあ、そのときは……そうね、そのときは逆らうわ、それだけのことよ。私にだってわからないって。でも私ならできると思う」
「もしできなかったら?」
「だからできるって。絶対にできるわ」スザンヌは浮かれて頭を反らした。
「そして僕のところへ来るんだね?」
「そしてあなたのところへ行くの」
二人は百丁目付近の木陰にいた。少し離れたところに歩行者が一人いるだけだった。ユージンはスザンヌに抱きついて、その口にしっかりとキスをした。「ああ、きみは女神だ!」ユージンは叫んだ。「ヘレンだ! キルケだよ!」
「だめよ」スザンヌはにこやかな目で答えた。「ここではだめ。車に乗るまで待って」
「クレアモントに行こうか?」
「お腹は空いてないわ」
「それじゃ車を呼んで乗った方がいいかもしれないね」
ガレージを探しながら加速して北上した。朝の心地いい風が、熱くなった二人の気持ちを冷まして、清々しい気分にしてくれた。ユージンとスザンヌは、ある時は自然に気分が落ち込み、かと思えば異常に陽気だった。ユージンが喜びと恐怖の間で揺れ動いていて、そんな彼をスザンヌが元気づけていたからだ。スザンヌの態度は、ユージンのよりも冷静で、自信に満ち、勇敢だった。ユージンにとってスザンヌは頼もしい母親のようだった。
「実はね」ユージンは言った。「僕は時々何を考えたらいいのかわからなくなるんだ。僕はアンジェラを愛していないことを別にすれ、特に彼女に不満があるわけじゃない。そしてとても不幸でいるんだ。こういう場合をどう思う、スザンヌ? きみもアンジェラの言い分は聞いただろ」
「ええ、聞いたわ」
「すべてはそこから始まっている。僕はアンジェラを愛してない。実は最初から愛していなかったんだ。愛がないところで、きみなら何を考えるかい? アンジェラの言ったことの一部は本当なんだ。他の女性に恋をしたことがあるからね。でもそれはいつも、僕が自分に合う気質のようなものを求めていたからなんだ。結婚してからもね、スザンヌ、僕はずっとそうだったんだ。カルロッタ・ウィルソンと本当に恋愛をしていたとは言えないけど、僕は彼女が好きだった。彼女は僕にとても似ていたんだ。他のひとりはどこかきみに似ていたな。あまり賢くはなかったけど。それだって何年も前のことだ。僕はその理由だってきみに言えるよ! 僕は若さを愛し、美を愛しているんだ。僕は精神的に仲間である人がほしいんだ。きみはそれなんだよ、スザンヌ。そして、これがどんな地獄を作り出しているかわかるだろ。僕がとても不幸な場合、これはとても悪いことだときみは思うかい? 言ってくれよ、きみはどう思う?」
「ええとね」スザンヌは言った。「私は、誰であっても悪い契約に固執すべきだとは思わないわ、ユージン」
「それはどういう意味だい、スザンヌ?」
「つまり、あなたは彼女を愛してないわけよね。彼女と一緒にいても幸せではない。あなたが彼女と一緒にいたところで、彼女にもあなたにもプラスになるとは思わないわ。彼女は生きていけるわよ。もしあなたが私を愛していないのなら、私ならあなたに私と一緒にいてほしくはないわ。あなたが愛していないのなら、あなたなんかいらないもの。あなたを愛していなかったら、私はあなたと一緒にいたくならないわ。そんな気にならないもの。私は結婚って幸せな契約であるべきだと思います。もし幸せでないのなら、一度は一緒にいられると思ったからといって、努力してまで一緒にいるべきじゃないわ」
「もし子供がいたらどうだい?」
「まあ、それだと話が違ってくるかもしれないわね。たとえそういうときでも、どちらか片方が子供を引き取ればいいんじゃないかしら? そういう場合に、子供まで不幸に巻き込まれる必要はないもの」
ユージンはスザンヌのかわいらしい顔を見た。彼女がこんなに真剣に論じるのを聞くのはとても奇妙に思えた……この少女が論じるとは!
「でも、きみはアンジェラが僕のことと自分の状態について何と言ったかを聞いたよね、スザンヌ?」
「わかってる」と彼女は言った。「それについて考えたわ。これがそんなに大きな違いを生じさせるとは思わないわ。あなたが彼女の面倒を見ればいいことでしょ」
「きみはそんなに僕のことを愛してるんだね?」
「はい」
「たとえアンジェラの言うことがすべて本当でもかい?」
「はい」
「なぜなんだい、スザンヌ?」
「だって、彼女の非難はすべて過去のことで、今のことじゃないんですもの。それに私は、あなたが今私を愛してることを知ってるわ。私は過去なんて気にしない。だって、ユージン、私は将来のことだって気にしないもの。あなたが私を愛したいと思う間だけ、私を愛してほしいのよ。あなたが私に飽きたのなら、あなたにはいなくなってほしいわ。あなたが私を愛してないなら、私と一緒に暮らしてほしくないわ。私があなたを愛さなくなったら、私だってあなたと一緒に暮らしたくないもの」
ユージンは、この人生観に驚き、喜び、励まされ、元気づけられて、スザンヌの顔をのぞき込んだ。いかにもスザンヌらしいと思った。スザンヌはとっくに明確で効果的な結論に達していたようだった。彼女の若い考え方は、すべての人生の問題を解決してしまいそうだった。
「ああ、きみはすばらしい女の子だ!」ユージンは言った。「きみは自分が僕よりも賢いことを知ってるんだ、強いこともね。凍える人が火に引き寄せられるように、僕はきみに引き寄せられるんだ、スザンヌ。きみは、とても優しくて、控えめで、理解力があるんだね!」
二人は車でタリータウンとスカーバラへと向かった。その途中でユージンはスザンヌに自分の計画のいくつかを話した。もしアンジェラが了承するなら、アンジェラとは別れないつもりだった。もしこれで納得してもらえるのなら、彼はこの外面を維持するつもりだった。ただひとつ問題があった。彼はここにいたまま、彼女のことも手に入れられるのだろうか? ユージンは、どうしてスザンヌが誰かと自分を共有したがるのかがよくわからなかった。しかし、どの観点からもスザンヌを理解できないまま、魅了された。スザンヌは、最高にいとしく、繊細で、変わり者で、愛すべき少女に思えた。彼女がどういうやり方で母親の反対を押し切るつもりなのかを探ろうとしたが、スザンヌには、段階的に精神的優位を獲得して相手を支配できるようにする以外の計画は持っていないようだった。「あのね」ある時スザンヌは言った。「私には自分のものになるお金があるのよ。私たち子供が成人したときにひとり当たり二十万ドルが渡るように父が用意してくれたの。私はもう成人だわ。信託という形で管理されるんだけど、私はそこから一万二千ドルか、多分それ以上もらえるわ。私たちはそれを使えばいいの。私はもう成人なのに、これについては何も口出ししたことがなかったわ。こういうことは母がすべて管理してきたからだわ」
ここにユージンを元気づける別の考えがあった。スザンヌと一緒にいれば、他にどんなことが起きても使えるこの追加の収入が手に入る。もしアンジェラが彼の条件を受け入れて、スザンヌが母親との勝負に勝てば、すべてがうまくいく。彼の立場が危険にさらされる必要はないのだ。現時点でこれをデイル夫人の耳に入れる必要はない。折り合いがつくまで、彼とスザンヌはこの形で関係を続ければいいのだ。まるでもっとずっと楽しい結婚へと花開く楽しい求婚期間のようだった。
その日は愛情を確かめるうちに過ぎ去った。スザンヌはユージンにフランス語で読んだ『青い鳥』という本の話をした。その寓話はユージンの心の奥まで届いた……幸福の追求である。ユージンはさっそくその場でスザンヌを「青い鳥」と名付けた。彼女はユージンに車を止めさせて、通り過ぎたときに野原で見かけた、高い茎に自生していたとても美しいラベンダー色の花を取りに戻らせた。それは金網の向こうの茨の中にあったから、ユージンはやんわりと断った。しかしスザンヌは言った。「だめ、今、取って来なくちゃ。もうあなたは私に従わなくちゃいけないってわかってるでしょ。これからあなたをしつけることにするわ。あなたは甘やかされてきたのよ。悪い子ね。母ならそう言うわ。私はあなたを改心させることにします」
「楽しい時間を過ごせるよ、フラワーフェイス! 僕は悪い子だからね。きみはそれに気づいていただろ?」
「少しはね」
「それでも僕のことが好きかい?」
「私は気にしないわ。あなたを愛することであなたを変えられると思うから」
ユージンはうれしそうに向かった。その立派な花を摘んでスザンヌに手渡し「王笏でございます」と言った。「それはきみに似てるね」と付け加えた。「堂々としている」
スザンヌはお世辞とは考えずに賛辞と受け止めた。ユージンを愛する彼女にとって言葉はほとんど意味を持たなかった。子供のように幸せで、彼女の二倍の年齢の女性と同じくらいいろいろなことに知恵が回った。自然の美しさのことになるとユージンと同じくらい馬鹿になってしまい、朝夕の空や、肌に感じる風や、木の葉のそよぎにうっとりした。自然の美しさが至るところで彼女の目を引き、彼女は感じたことをユージンがうっとりとする素朴さで話しかけた。
一度、車を降りて宿の敷地を歩いていて、彼女がシルクのストッキングの片方の踵部分が擦り切れていることに気づいたことがあった。彼女は足を上げて、思案に暮れながらそれを見た。「今、インクがあれば、すぐに直せるのにな」スザンヌは笑いながら言った。
「どうするんだい?」ユージンは尋ねた。
「自分で黒く塗っちゃうのよ」スザンヌはピンクの踵を指して答えた。「あるいは、あなたが塗ってもいいわよ」
ユージンは笑い、スザンヌはくすくす笑った。彼を楽しませたり魅了したのは、こういう小さくてたわいのない純真さだった。
「スザンヌ」ここでユージンは芝居がかった言い方をした。「きみは僕を妖精の国に連れ戻しているんだね」
「私はあなたを幸せにしたいわ」スザンヌは言った。「私と同じくらい幸せにね」
「幸せになれたらいいな! そうなれさえしたらなあ!」
「待つことね」スザンヌは言った。「元気を出してよ。心配しないで。すべてうまくいくわ。私はそうなるのがわかるの。物事はいつも私の言うとおりになるんだから。私はあなたがほしい、そして、あなたは私のところに来るの。私があなたを手に入れるのと同じように、あなたも私を手に入れるの。ああ、それってすべてがとてもすてきよね!」
スザンヌはうれしくてうっとりした状態でユージンの手を握り、それから唇を与えた。
「誰かに見られたらどうするんだい?」ユージンは尋ねた。
「構わないわ! 構わないわよ!」スザンヌは叫んだ。「私はあなたを愛しているんだから!」




