第八話
御堂さんの人差し指からすーっと流れ落ちた血。
そのすぐ側に、折られたカッターの刃が置いてあった。
「だから言ったでしょっ!! 危ないから早く捨ててって!」
「い、いやっ! 俺のせいじゃないだろ!!」
「じゃあ誰のせいだよ!」
「わっ、私はちゃんと注意したからねっ!」
「俺だって! ちゃ、ちゃんとわかりやすいところに置いてあったし!」
御堂さんのグループの人たちが、真っ青な顔のまま言い争いを始める。
「お前は御堂さんが悪いっていうのかよっ!」
「ち、ちがっ……そんなことは言って――」
「私が悪いから。私がドジしちゃっただけだから」
責任の擦り合いをしているところに、御堂さんが割り込む。
その声は、ビックリするくらいに硬い。
それを聞いて、カッターの刃を折った男子生徒が更に顔を青くする。なんならカタカタと小さく歯を鳴らしてる。
なんかよくわからないけど、教室内が異様な緊張感に包まれてる。
――でも、そんなことはどうでも良かった。
俺の目に映る御堂さんは、とても辛そうに見えた。
怪我した指を抑えて俯くその姿は、とても悲しそうだった。
曇りの屋上で初めて顔を合わせた時のような、寂しげで、何かを諦めたような憂いを帯びた顔。
気づけば俺は、御堂さんのもとに駆け寄っていた。
「御堂さん、こっち」
「一条君!?」
俺は戸惑いの声を上げる御堂さんの手を引いて、教室から出る。
なんとなく直感で、教室の中に居続ける事は御堂さんにとって良くない気がした。
そのまま俺は、彼女の手を引いて近くの手洗い場までくる。
「その……手、水で洗った方がいいよ」
「そう、だね」
俺の言葉に、御堂さんは頷いたまま動かない。
怪訝に思って彼女を見ると、困ったような視線を向けられた。
「……?」
「あの、手を繋がれてると……洗えない」
「っ!? ご、ごめんっ!!」
教室からここまでずっと御堂さんの手を握りっぱなしだった!
俺は慌てて手を離す。
その瞬間、御堂さんが小さく「ぁ……」と言ったような気もしたけど、今の俺にそれを聞き返す余裕はなかった。
「こ、これで手が洗えるね!」
「うん……」
御堂さんは少し間を空けてから小さく頷いて、傷を洗う。
傷口に水が触れた瞬間、僅かに顔が歪む。
「しみる?」
「ちょっとだけ」
「えっと……昔はケガに消毒液をかけてたらしいけど、あれ実は必要ないらしいんだよね」
「……そうなんだ」
「う、うん。流水で洗うだけで十分なんだって。それで、あ、でも汚物とかで怪我した時は消毒が必要らしいよ」
「ふふふ、汚物って」
「あ、ごっ、ごめん! 汚い話しちゃって! えと……ば、絆創膏しないとね! 俺、予備持ってて」
「その絆創膏……」
「ん? あっ!」
小さく呟くような御堂さんの声に、俺は手元の絆創膏に目を向ける。すると、可愛らしくウィンクをしてくる子猫キャラと目が合った。
「ご、ごめんっ! こんな絆創膏嫌だよね! えっと、えっと……保健室に普通のやつがあると思うから! 取ってくる!」
くっそ〜! 朝の挨拶といい今といい、なんで俺は肝心な時に失敗するんだよ! てか、これはお母さんのせいだけど!
「待って! その絆創膏で大丈夫!」
「へ?」
御堂さんが俺の保健室ダッシュを止めるように、ちょんと服の袖を摘んでくる。
……え? この女の子向け絆創膏がいいの?
「その絆創膏がいい」
「あ……そうなの? こんな可愛いやつでいいの?」
「……私に可愛いのは、似合わない?」
「っ!?」
ちょっ! その上目遣いは反則なのでは!?
しかも俺の袖摘んだままだし!? ちょんって!!
「そんな事ないよ! 御堂さんならどんな絆創膏でも似合うよ!」
どんな褒め方だよ俺! てか、どんな絆創膏でも似合うって嬉しいのかどうかわからないよ!
「ほんとう?」
「う、うん……」
「じゃあ……それ、つけてくれる?」
御堂さんはそっと怪我をした人差し指を俺に差し出してくる。
な、なんだろう。ちょっと甘えるような雰囲気を出してる御堂さんの破壊力がやばいのですが……。
「か、片手じゃやりづらいもんね……」
「うん。お願い」
「……わかりました」
俺は絆創膏を包装から取り出す。
くそ、緊張で手が震えて上手く絆創膏の紙を剥がせない……。
でも、ここまで失敗続きだったから、もう失敗はできない! 落ち着け俺!
「じゃあ、貼るね?」
一言断ってから、俺はそっと御堂さんの手に触れる。
ほっそりとして綺麗な御堂さんの手は、思ってたよりも少しひんやりしてて。そして、思っていたよりも小さく感じた。
って、俺女の子の手に触れたの保育園の遠足以来かも……。
「……一条君の手、温かいね」
「え? あ、そ、そう?」
「うん。凄く温かい」
「そ、そっか……その、熱かったらごめん」
「ふふっ、そこまでじゃないよ」
「ご、ごめん」
逆にこっちが火傷しそうです……。
俺の心臓がバクバクと暴れてます。
お願い、絆創膏を貼るところをそんなにジッと見つめないで……。
でも、絆創膏は失敗しないでちゃんと貼れた。ふぅ〜とりあえず一安心。
「ありがとう」
「うん。大丈夫そう?」
俺がそう声をかけると、御堂さんは自分の目の前に手をかざして、微笑んだ。
「可愛い」
いや、君の方が可愛いです。
なんて言えるわけもなくて、その場に突っ立ってると、ふと御堂さんが俺の手を握ってきた。
……ほえっ!? 握ってきた!? なんで!?
突然の御堂さんの行動に、俺は頭の中が真っ白になる。
ど、どど、どないしたんですか御堂さん!?
「……絆創膏、お揃いだね」
「ばんっ!? そう? ほ? あぁ! 確かに! そ、そうだね!」
一瞬、言葉を理解できなかった。
ワンテンポ遅れて、御堂さんが何を言ったのかが頭に入ってきた。
御堂さんは俺の手を握って、爪切りを失敗した薬指と自分の人差し指を並べてる。
「私のはウィンクしてるけど、一条君のはニッコリスマイルだね」
「本当だ。それぞれデザインが違うんだね」
「だね」
「…………あ、俺まだ予備持ってて、もし剥がれたようにもう一枚渡しておくね!」
「ありがと」
俺はポケットからもう一枚キャラデザ絆創膏を取り出して御堂さんに渡す。
「使わなかったら、そのまま捨ててくれていいから」
「ううん、捨てないよ。ちゃんと大切にするね」
「へ? う、うん……?」
御堂さんは受け取った絆創膏を大事そうにポケットにしまう。まるで宝物をもらったかのように。
御堂さんって、意外と貧乏性?
でも、確かにオリジナルデザインの絆創膏って割高だったりするしね。
そんなことを考えていると、不意に背後から声をかけられた。
「二人とも。教室から出て何をしているのですか?」
「っ!? あ、あの……」
声を掛けてきたのは、職員室から戻ってきた公共の先生だった。
授業中に勝手に教室から出たことに罪悪感を感じる俺は、突然の先生の登場にアワアワしてしまう。
「えと、その、ちょっとトラブルで」
「トラブル?」
先生の表情が一段階険しくなる。
や、ヤバいどうしよう……。
その時、御堂さんが先生の方を向いてハッキリと言う。
「私がカッターで手を切っちゃったんです」
「え!? 御堂さんが!? だ、大丈夫なの!?」
カッターで怪我をしたと聞いた先生の顔が一気に青ざめる。
「大丈夫です。一条君が手当してくれたので」
「あ、そうなのね……。ありがとう一条君」
「いえ」
なんだろう、先生がすごく動揺してる。
自分の受け持つ授業で怪我人が出たら問題になるとか、そういう感じなのかな?
「それで、その……怪我は、だ、大丈夫なのかしら? 誰かのせいだったり……」
恐る恐ると言ったふうに問いかけてくる先生。
そんな慎重な口調を一蹴するように、御堂さんは明るく笑った。
「いえ、何も問題はありません」
「そ、そう……」
明らかにホッとした様子を見せる先生。
御堂さんは明るい笑顔のまま、クルッと俺の方を向く。
「一緒に教室に戻ろ。一条君」
「うん」
すごく機嫌が良さそうな御堂さんの後に続いて、俺は教室に戻る。
その姿を先生が呆然とした様子で見てきていた。




