八 父上、その支援はズレています
道長が彰子を励ますため、豪華な調度・衣・菓子を大量に贈る。しかし女房たちは「権力で飾るしかない中宮」とさらに陰口を叩く。彰子は父を呼び、「物資投入だけではブランド価値は上がりません」と説教。必要なのは、贈り物ではなく、女房たちが誇れる“場”と“物語”だと説明する。
藤原道長という男は、たいへん分かりやすい人です。権力がある。財力がある。人脈がある。そして、それらを使うことに一切のためらいがない。
前世の会社で言えば、役員会で一言発すれば予算が動き、関係部署が一斉に立ち上がり、なぜか翌朝には会議室に新しい大型モニターが設置されているタイプの人です。
しかも本人は、それを「ちょっと手配しておいた」くらいにしか思っていない。困ったものです。いえ、ありがたいのですけれど。ありがたいのですけれど、方向性が合っていないと、巨大な支援は巨大な事故になります。
その日の昼過ぎ。私の御殿、梅壺には、またしても父からの贈り物が届きました。
「左大臣様より、御品々にございます!」
廊に控えた男房の声が高らかに響いた瞬間、女房たちの間にざわめきが走ります。先日の雪山、香炉峰の雪の件以来、梅壺への注目は少しずつ増えていました。
定子様の登華殿ほど華やかではない。清少納言のような即興の才女もいない。けれど、何か妙に面白いことをする御殿。そんな評判が、宮中の隙間を流れ始めている。そこへ、父・道長からの大量支援です。女房たちが期待するのも無理はありません。
けれど私は、運び込まれてくる唐櫃の数を見た瞬間、内心で頭を抱えました。
(多い)
多いのです。明らかに多い。唐櫃が一つ、二つ、三つ。まだ来る。さらに来る。絹。綾。唐紙。香木。螺鈿の箱。銀の器。珍しい菓子。そして、どこから調達したのか分からない異国風の小さな置物。
梅壺の一角が、みるみるうちに高級百貨店の外商サロンみたいになっていきました。赤染衛門が、感心と不安の入り混じった顔で言います。
「まあ……左大臣様の御心遣い、まことにありがたく」
「そうね」
「これほどの御品があれば、登華殿にも見劣りいたしませぬ」
「そうね」
「姫様?」
「衛門」
「はい」
「見劣りしないことと、勝つことは違うわ」
赤染衛門は、目を瞬かせました。私は運び込まれた品々を眺めます。どれも素晴らしい。高価で、美しく、希少で、父の権勢をこれでもかと示している。でも、それが問題なのです。
いま梅壺に必要なのは、単なる豪華さではありません。私たちはようやく「石の中宮」から、「何か少し変わった面白いことをする御殿」へと認識され始めたところです。そこで急に、父の財力を前面に出しすぎるとどうなるか。答えは簡単。こう言われます。
――結局、左大臣様のお力で飾り立てているだけ。
――彰子様ご自身には何もない。
――石に金箔を貼ったところで、石は石。
はい、終わりです。
ブランド構築中に、スポンサー臭が強すぎるのは危険なのです。前世で言えば、まだコンテンツ力で勝負している最中の小さなチャンネルに、突然大企業案件が入りすぎて「結局、広告か」と言われるやつです。
父上。娘のためにありがとうございます。でも、それは違う。そう思っていたところへ、当の本人が来ました。
「彰子!」
几帳の向こうから、太く明るい声が響きます。藤原道長。宮中の空気を自分の都合で少し重くできる男。権力者特有の存在感をまといながら、父親らしい遠慮のなさで私の御殿に入ってきました。女房たちは一斉にかしこまります。私は御簾の内で頭を下げました。
「父上」
「うむ。息災か」
「はい」
「何か不自由はないか。足りぬものはないか。言え。すぐに用意させる」
早い。出会って三言目でもう調達の話です。道長は満足げに運び込まれた品々を見回しました。
「どうだ。これだけあれば、あちらにも劣るまい。唐紙もよいものを選ばせた。香木も珍しい。衣も、登華殿の女房どもが目を丸くするであろう」
にこにこと笑う父。周囲の女房たちは、ありがたさに震えています。私は沈黙しました。ここで「ありがとうございます」とだけ言えば楽です。
父は満足する。女房たちも安心する。品々はそのまま飾られ、梅壺は豪華になる。しかし、それでは駄目です。この父娘関係を、ただの保護者と被保護者で終わらせてはいけません。
道長は、私を守ってくれる父であると同時に、私の最大のスポンサーです。スポンサーには、説明が必要です。支援の目的と使途を、理解してもらう必要があります。私はゆっくり顔を上げました。
「父上」
「何だ」
「ありがたく存じます」
「うむ」
「ですが、このまま飾るだけでは、かえって梅壺の評判を損ないます」
空気が止まりました。女房たちが息を呑む音が聞こえます。赤染衛門が、横で「姫様、それは直球が過ぎます」という顔をしました。道長も、さすがに目を丸くしました。
「……損なう?」
「はい」
「この品々がか?」
「はい」
「なぜだ」
声が少し低くなりました。周囲の女房たちはさらに身を縮めます。無理もありません。左大臣・藤原道長に、娘とはいえ真正面から「その支援は逆効果です」と言ったのです。
前世なら、役員プレゼンで社長の肝入り企画に赤ペンを入れるようなものです。でも、ここで引くわけにはいきません。
「父上。登華殿の強みは、物の多さではございません」
「む」
「定子様の御方には、清少納言をはじめ、才ある女房たちが集い、日々の出来事を物語に変えております。雪を見ても、香を焚いても、紙を得ても、それを語り、笑い、帝のお耳に残る形にする力がございます」
道長の顔から、少し笑みが消えました。
「それは、分かっておる」
「ならば、こちらがただ高価な物を並べても、こう言われるだけです。『左大臣様の財で飾った御殿』と」
道長の眉が動きました。私は続けます。
「私は、父上の財を否定しているのではありません」
「では何だ」
「使い方です」
「使い方?」
「はい。物は、見せびらかすだけでは消費されます。けれど、人を育て、場を作り、記録を残すために使えば、文化になります」
道長は黙りました。私は、そばに置かれた唐紙を一枚手に取りました。
「この紙は、美しい。ですが一枚だけ見せれば、『美しい紙』で終わります」
「うむ」
「しかし、これを文書の種類ごとに分け、女房たちが使いこなせるようにすれば、梅壺の文は整います。歌会の記録、贈答の控え、帝からの御問いへの答え、物語の写し。すべてが早く、美しく、正確になります」
次に、香木へ視線を向けます。
「この香も同じです。珍しい香を一度焚いて驚かせるだけでは、明日には忘れられます。けれど、誰が来る時に、どの香を、どの強さで焚くかを決めれば、梅壺そのものの記憶になります」
さらに、織物。
「衣も、ただ豪華にすればよいものではありません。女房ごとに競わせれば、御殿の中がばらばらに見えます。季節と役割に合わせて整えれば、梅壺全体が一枚の絵になります」
最後に、菓子。
「菓子は、一度に出せば食べて終わりです。けれど日を分け、客を選び、話題と結びつけて出せば、人を集める口実になります」
道長は、じっと私を見ていました。その目は、父親のものではなくなりつつあります。権力者の目。人を見る目。この子どもが、どこまで考えているのか測ろうとする目。私はその視線を受け止め、静かに言いました。
「父上のお力は、私を飾るためではなく、梅壺という場を育てるために使わせてください」
沈黙。重い沈黙です。
女房たちは息もしていないのではないかと思うほど静かでした。やがて、道長が低く言いました。
「彰子」
「はい」
「誰に教わった」
私は一瞬、答えに詰まりました。誰に。前世の上司。同僚。失敗したプロジェクト。炎上案件。数字だけ見て現場を見なかった管理職。逆に、限られた予算で人を育てた先輩。そんなものを、この時代の父に説明できるはずがありません。だから私は、少しだけ視線を伏せました。
「……御殿の空気に、教わりました」
「空気に?」
「はい。女房たちは、物を見て喜びます。けれど、誇りは物だけでは生まれません」
私は、赤染衛門たちの方へ目を向けました。
「自分がその場を作っていると思えた時、初めて誇りになります」
雪山の時がそうでした。彼女たちは、私に命じられたから雪を守ったのではありません。途中から、自分たちの雪として守り始めた。だから、あの雪は意味を持った。
「父上がくださる物も、同じように使いたいのです」
道長は、しばらく何も言いませんでした。私は静かに待ちます。ここで畳みかけてはいけない。父にも、父の自尊心があります。
現代でも中世でも、偉い人の顔を潰してはいけません。正論は、相手が受け取れる形に包む必要があります。ただし今回は、少し直球すぎた自覚はありますが…。
(赤染衛門の胃が死んでないといいけど)
ちらりと横を見ると、赤染衛門は案の定、顔色を失っていました。ごめんなさい。でも必要経費です。
やがて。道長が、ふっと息を吐きました。
「面白い」
私は瞬きをしました。その言葉は、帝から言われた時とは違う重みを持っていました。道長は、少し笑っています。
「そなた、いつの間にそのようなことを考えるようになった」
「父上が、考える材料をくださるので」
「口も達者になった」
「まだ、清少納言ほどではございません」
道長は声を上げて笑いました。女房たちの緊張が、少しだけ緩みます。
「よい。ならば、そなたの好きに使え」
「よろしいのですか」
「ただし」
道長の目が、再び鋭くなりました。
「成果を見せよ」
来ました。スポンサー要求です。前世で言えば、予算承認の代わりに四半期報告を求められるやつです。私は、ゆっくり頭を下げました。
「承知いたしました」
「何をもって成果とする?」
父は試すように尋ねます。私は少し考えました。ここで「帝の御幸が増えること」と言えば、あまりに露骨です。もちろん、それは重要な指標です。でも、それだけでは薄い。梅壺の価値は、帝の訪問回数だけで測ってはいけない。
「三つございます」
「言うてみよ」
「一つ。梅壺の女房たちが、それぞれ役割を持つこと」
「ふむ」
「二つ。こちらで生まれた歌、文、物語、記録が、他の御殿へ求められること」
道長の眉が少し上がりました。
「三つ。帝が、憐れみではなく、興味によってこちらへお越しになること」
その瞬間、道長の表情が変わりました。ほんの一瞬ですが、痛ましそうな顔をしたのです。父は分かっていたのでしょう。帝が定子様を深く愛していること。彰子が政治のために入内した若い娘として見られていること。周囲から同情され、比較され、時に嘲られていること。
だからこそ、父は物を贈った。せめて見劣りしないように。せめて可哀想に見えないように。その気持ち自体は、たぶん本物です。権力者としてではなく、父として。私は少しだけ声を柔らかくしました。
「父上」
「何だ」
「私は、可哀想ではございません」
道長が、黙ります。
「まだ幼く、足りぬところも多くございます。定子様の御方には、眩しいほどの才が集まっております。けれど、私は私の場を作ります」
「彰子……」
「ですから、哀れんで飾らないでください」
私は、父の目を見ました。
「投資してください」
道長が固まりました。赤染衛門も固まりました。しまった。投資。現代語が出てしまいました。私は咳払いをして、慌てて言い換えます。
「……育つものに、お力をお貸しください」
道長は、数拍遅れて笑い出しました。
「投資、か。妙な言葉を使う」
「失礼いたしました」
「いや」
父は笑いながらも、どこか楽しそうでした。
「よい。そなたは、わしに物ではなく、育つものを見ろと言うのだな」
「はい」
「では、わしも問おう。彰子」
「はい」
「そなた自身は、何になるつもりだ」
その問いに、私はすぐには答えられませんでした。何になるつもりか。帝に愛される后。道長の栄華を支える娘。皇子の母。女房たちの主。清少納言に対抗する知性。紫式部を迎える器。
いくつもの答えが浮かびます。けれど、今の私に言えるのは一つでした。
「礎に」
「礎?」
「はい」
私は、庭の方へ目を向けました。雪はもう消えかけています。けれど、その場所には梅が咲き始めている。
「私一人が輝くのではなく、才ある者たちが立てる場の礎になります」
道長は、じっと私を見ていました。
「石の中宮と呼ばれたからか」
私は少し笑いました。
「石も、使い方次第でございます」
道長は、また大きく笑いました。今度の笑いは、先ほどよりも深く、嬉しそうでした。
「よい。実によい」
彼は女房たちの方へ向き直りました。
「聞いたか。姫の言う通りにせよ。必要な物があれば、遠慮なく申せ。ただし、飾るためだけの物は送らぬ。姫の言う、育つもののために使え」
女房たちは、一斉に頭を下げました。
「かしこまりました」
赤染衛門も頭を下げます。その顔には、まだ少し胃痛の影がありますが、同時に誇らしさもありました。道長は最後に私へ向き直りました。
「彰子」
「はい」
「そなたが成果を見せると言った三つ、覚えておくぞ」
「はい」
「わしは甘くない」
「存じております」
「だが、父としては甘い」
「……それも、存じております」
道長は一瞬、言葉に詰まったようでした。それから、照れ隠しのように咳払いをします。
「寒くはないか」
急に父親の顔に戻りました。
「大丈夫でございます」
「本当か。火鉢は足りておるか。衣は。薬師は。菓子は食べておるか」
「父上」
「何だ」
「その心配は、少しだけありがたく受け取ります」
「少しだけか」
「多すぎると、またズレます」
道長は、また笑いました。
「手厳しい娘になったものよ」
「父上のおかげでございます」
「わしのか?」
「はい。大きな力を近くで見ておりますと、その使い方を考えざるを得ませんので」
道長は、しばらく黙りました。そして、低く言いました。
「ならば、よく見ておけ。力は、持つ者よりも、使われる者の方がよく知ることもある」
その言葉に、私は少し驚きました。道長はただの権力馬鹿ではありません。自分の力が周囲にどう見えるか、完全ではないにせよ、知っている。
だからこそ、この男はここまで来たのでしょう。父としてはズレている。スポンサーとしては強引。権力者としては恐ろしい。でも、愚かではない。
私は、初めて少しだけ、藤原道長という父を面白いと思いました。
父・道長が帰った夜、私は、一人で父から送られた唐紙の束を見ていました。美しい紙。高価な紙。けれど、ただ美しいだけなら、いつか古びる。
この紙に何を書くか。誰が読むか。何が残るか。それを決めるのは、私たちです。
(父上。あなたの力、ありがたく使わせていただきます)
ただし、あなたの思うようにではありません。私のやり方で。
石の中宮は、父の金箔で飾られるつもりはありません。
石なら石らしく、人を飾る宝玉ではなく、人を支える礎となる。
その礎の上に築かれるものが、父の望んだ世とは違うとしても――私は、私の道を歩きます。
〜 出典史料 〜
『栄花物語』道長の栄華描写
御門も行幸せさせ給ひ、春宮もおはしまして、殿の家司ども皆よろこびしたる中にも、家の子の君達、皆舞人にて、いみじうめでたし…
〜 舞台背景 〜
赤染衛門(あかぞめえもん、天暦10年(956年)ごろ? - 長久2年(1041年)以後)は、平安時代中期の女流歌人。大隅守・赤染時用の娘。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に93首が入集。その歌風は『古今和歌集』の歌風を忠実に継承し、理知的で優美な詠風を示す。平安時代中期において活躍した女流歌人として、和泉式部と並んで称されている(『俊頼髄脳』では赤染衛門よりも和泉式部が高く評価されたが、鴨長明『無名抄』では赤染衛門の方が高く評価された)。出典:wikipedia
本作品では主人公・彰子の側近的女房。教育係・記録係・参謀役。冷静・常識人で彰子の無茶を受け止める役回り。時にツッコミ役として彰子が現代語・直截的な題名を出すと、赤染衛門が平安風に整えるポジション。




