百五 則天文字、読めない改革は嫌われる
彰子が新しい文書管理法を導入すると、女房たちは「読みにくい」「覚えにくい」と不満を漏らす。彰子は、自分の合理策でも現場が使えなければ意味がないと認め、表記・帳面・分類名を女房たちに合わせて改善する。毒舌は外向きではなく自分にも刺さる。「正しい仕組みでも、使われなければただの紙の迷宮です」
正しいことをやれば、人はついてくる。
――そう思っていた時期が、私にもありました。
前世でもそうでした。整理した。無駄を減らした。分類を見直した。
記録の抜けを防げるようにした。重複をなくした。探しやすくした。引き継ぎしやすくした。要するに、かなり合理的にしたのです。
なのに、現場は渋い顔をする。
「前の方が分かりやすかった」
「どこに何を書けばいいのか迷う」
「名前が似すぎていて見分けがつかない」
「理屈は分かるけれど、手が止まる」
「急いでいる時に限って開きにくい」
「覚えることが増えた」
なぜなら、どれほど正しい仕組みでも、使われなければ意味がないからです。
改革する側は、つい勘違いします。全体が見えている。重複も無駄も見えている。だから、よりよい形を置けば皆うまく使うはずだ、と。
でも現場の人が毎日触れるのは、思想ではありません。紙の置き方。見出しの読みやすさ。札の分かりやすさ。帳面を開く手間。どの言葉がぱっと目に入るか。つまり、理屈より先に、手が迷わぬかどうかです。
武則天の則天文字の話など、私はわりに好きなのですが、あれも、権力の強さを見せるには面白くても、使う側からすればだいぶ大変だったでしょう。
新しい文字。新しい正しさ。新しい意味づけ。制定する側は気持ちがよい。世界を塗り替えている感じがするから。
でも、読む側はたまりません。いつもの字で足りていたのに、急に別の形が降ってくる。書く方は得意げでも、読む方は首をひねる。そういう改革は、だいたい嫌われます。
その日の藤壺は、朝から妙に紙の音が多かった。
若菜が香炉の灰をならしている横で、何人もの女房が帳面を開いては閉じ、札を見ては首を傾げている。有子は控えの紙を整えているが、今日は整えているというより、片づかぬ紙に静かに怒っている顔。
春枝は紙箱を抱えたまま、珍しく紙に味方をしていない。小少将は扇を使いながら、完全に「今回ばかりは、少し姫様に非がございますわね」という顔をしていた。澄子は灯台の金具を磨きつつ、紙を前にした人の手が止まる回数を見ているようでした。
つまり、私の導入した新しい文書管理法が、だいぶ不評です。
「姫様」
赤染衛門が来た時点で、はい、来ましたね、となりました。
「少し……評判が」
「悪い?」
「かなり、読みづらいと」
ああ…そうですか。数日前、私は文の流れ、贈答控え、返歌控え、私的相談の控え、急ぎの札、保留の札、後日参照の帳面を、少し整理し直したのです。
前のままでは重複が多い。似た記録が別のところに散っている。誰が見ても分かる形にしたい。引き継ぎもしやすくしたい。
思想としては、かなり正しい。ええ、自分でもそう思います。
ただし。
分類名が少し似ていた。帳面の順が、作る側には筋が通っていても、使う側には一拍遅かった。札の表記が、賢そうすぎた。
つまり、現場にとっては、たいへん面倒な“正しい仕組み”になっていたのです。
「何を言われているの」
赤染衛門が少し眉を寄せる。
「“文控・別控・仮控の違いが見えませぬ”と」
「ええ」
「“急ぎ札と至急札は、どちらがどちらやら”と」
「はい」
「“後見帳と参照帳が、どちらも後で見るものでございますれば”とも」
「……」
「さらに」
「はい」
「“姫様は分かっておいででも、こちらの手が止まります”と」
「だいぶ正しい苦情ですね」
「ええ。かなり」
常盤が、柱の陰から顔を出しました。
「則天文字めいてまいりました」
「嬉しそうに言わない」
「申し訳ございません。でも、“読めない改革は嫌われる”はかなり普遍で」
ええ。たいへん普遍です。そして今回は、わりとこちらが悪い。
前世でもありました。整理しすぎて、現場が使えないやつ。分類名が賢すぎるやつ。導入した人だけが満足して、現場だけが迷うやつ。本当に、あります。
「誰がいちばん困っているの」
「ほぼ全員です」
「……。」
「とくに鈴、夕霧、若い伝令の者どもが」
「でしょうね」
「急ぎの時に、札と帳面の見出しで一拍迷うと」
「それだけで遅れます」
「はい」
有子も、少しきっぱりと言いました。
「記録としては美しゅうございます」
「ええ」
「ですが、手が一度止まります」
「そうですね」
「止まる記録は、急ぎには向きませぬ」
「その通りです」
はい。だいぶ刺さりますね。でも、その通りです。
「皆を集めましょう」
女房たちが集まっても、皆どこか遠慮がちでした。私が考えたものに文句を言うのは、やはり気が引けるのでしょう。でも、そこを曖昧にしてはいけません。
「率直に言いなさい」
私は座って言いました。
「今回の文書管理法、使いにくいですか」
しん。
若菜が、おずおずと口を開きました。
「理は分かるのでございます」
「ええ」
「前より、たしかにきれいに分かれて」
「はい」
「でも」
「でも?」
「急ぐ時に、どの帳面を開けばよいか、一つ考えます」
はい。それで十分まずい。
鈴も続きます。
「札のことばが」
「ええ」
「少し似ております」
「急ぎ札と至急札?」
「はい……」
「どちらも急ぐ気がして」
場に、かすかな笑いが落ちた。ええ。そのとおりですね。夕霧は、困ったように帳面を差し出しました。
「この“後見帳”と“参照帳”も」
「ええ」
「後で見るのであれば、どちらも後で」
「……はい」
はい。そのとおりです。たいへんそのとおり。
春枝まで珍しく控えめに言いました。
「紙の作りはようございます」
「ありがとうございます」
「ですが、見出しが少し賢すぎて」
「紙の側からも?」
「はい。紙も、呼ばれ方は分かりやすい方が」
「なるほど」
有子が横で、「今日は春枝がかなり正しいです」と真顔で申しました。ええ、本当に。
小少将が、扇の陰で静かに言いました。
「美しい整理と、使える整理は、少し別にございます」
「……ええ」
私は頷きます。
「そうですね」
「今回のは、少し前者へ寄っておられます」
「……」
「かなり」
はい。きれいに刺さりますね。ありがとうございます。その場で私は少し息をつきました。
「分かりました」
皆が少しだけ顔を上げる。
「今回のは、私が作る側に寄りすぎました」
「……」
「正しい仕組みでも、使われなければただの紙の迷宮です」
場が、しんと静まりました。
常盤が、後ろで今ものすごく頷いている気配がする。見なくても分かります。でも、この言葉は外向きの毒舌ではなく、完全に自分へ刺さっています。
はい。そうです。たまにはこちらも反省します。
前世でも、改善する側が最初に認めねばならぬことがありました。それは、「分からない現場が悪い」ではなく、「分からせる設計になっていなかった」ということです。
そこを認めない改革者は、だいたい二度失敗します。
「では、直しましょう」
私は言いました。
「今ここで」
赤染衛門が、即座に筆を取る。ありがたいです、こういう時の速さは。
「まず、似た名前をやめます」
「はい」
「急ぎ札と至急札は」
鈴が少し身を乗り出す。
「どうなさいますか」
「“今すぐ”と“今日じゅう”に」
場が少しざわついた。ええ、そうです。格好つけるのをやめます。
「違いが一目で分かる方が先です」
「後見帳と参照帳は」
夕霧が問う。
「“あとで見る”と“迷った時に見る”に」
「まあ」
「長いですけれど、長くても意味が分かる方がよいでしょう」
「はい……!」
若菜が、ちょっとほっとした顔をする。
「“文控・別控・仮控”は」
有子が言う。
「それぞれ何を残したいかで呼びましょう」
「ええ」
私は頷く。
「“出した文”」
「“返りの文”」
「“まだ決まらぬ文”」
「……」
「どうでしょう」
有子が即答した。
「たいへん分かりやすうございます」
「よろしい」
小少将が少し笑います。
「急に雅がなくなりましたわね」
「ええ」
私は答えます。
「雅で回る記録なら苦労しませんので」
「それは、まことに」
よろしい。少し空気がやわらぎました。ここからさらに大事なのは、現場の言葉で分類し直すことです。
作る側の概念でなく、使う側が口で呼ぶ名前に寄せる。
「皆、自分なら何と呼ぶか言いなさい」
私は言いました。
「急ぎの文は?」
「今すぐ文」
「今日じゅう文」
「返り待ち」
「保留」
「見本」
「前の例」
たいへんよいです。賢そうではない。でも、動きます。
前世でもそうでした。現場が勝手に呼んでいる名前は、だいたい強い。そこには最短距離の認知が入っているから。管理者だけが使う正式名称は、だいたい長くて弱い。
「衛門」
「はい」
「分類名を、現場呼びに寄せます」
「承知しました」
「帳面の順も」
「ええ」
「急ぐ順に並べる」
「参照の美しさより?」
「まず手の速さです」
有子が、見るからにうれしそうな顔をした。ええ、記録係はこういう時、理屈が運用へ着地するのが好きなのです。
「それから」
私は続けます。
「見本帳を一冊にまとめましょう」
春枝がぴくりと反応する。はい、ここはあなたの出番です。
「祝い」
「見舞い」
「断り」
「返歌」
「急ぎ返し」
「すぐ使うものは、一冊でめくれるように」
「分冊にせぬのでございますか」
と春枝。
「しません」
「……」
「今回は迷わせない方が先です」
「……かしこまりました」
さらに、私は自分の失敗をもう一つ認めました。
「説明が足りませんでした」
場が少し静かになる。
「帳面を置いただけで、皆が分かると思っていました」
「……」
「それもよくなかった」
若い女房たちが目を見開く。ええ、上の者が説明不足を認めるのは珍しいでしょう。でも、必要な時は必要です。
「だから、今日から三日」
私は言いました。
「新しい帳面の使い方を、皆で回しながら確かめます」
「……はい」
「分からぬところは、その場で言いなさい」
「はい」
「“覚えれば済む”で押し切らない」
「……はい」
常盤が、柱の陰で小さく拍手でもしそうな気配でした。やめなさい。
その日の午後から、藤壺はちょっとした実験場になりました。
鈴が急ぎの文を持つ。
「これは“今すぐ”でようございますか、“今日じゅう”で」
「今すぐ」
「では、札は赤」
「よろしい」
夕霧が返りの文を見て、
「これは“返り待ち”」
「ええ」
「でも、前の例も見たいので」
「その時は“見本”の帳」
「なるほど」
若菜は、人に渡す前の文について、
「“まだ決まらぬ文”は、この札で」
とやわらかく口に出して確認する。よいですね。呼び名が口に乗れば、定着は早い。
有子は横で、どこで手が止まるかを見ていました。
「いま、ここで一拍ございました」
「ええ」
「見出しを少し大きく」
「そうしましょう」
春枝は、紙の見出しを太くする位置に異様な情熱を燃やしていた。人は直せる失敗には元気が出ます。
小少将は、分類名が上品すぎず、下品すぎず、ちゃんと場の格を保つかを見ていました。
「“今すぐ文”は少し荒うございますけれど」
「ええ」
「急ぎの場で迷わぬ方が勝ちでございますわね」
「その通りです」
「今回は実利に軍配を」
「はい」
澄子は、帳面を取りに立つ動線まで見ていた。
「見本帳は、こちらに近い方が」
「ええ」
「急ぐ時に歩数が減ります」
「そうですね」
こうして見ると、改革というのは紙だけでなく、置き場所、動き方、呼び名、説明の仕方まで含めて初めて回ります。
ええ、分かってはいたつもりでした。つもりでしたが、今回は少し机上へ寄っていました。
前世でも、こういう時がいちばん効きます。自分の合理が、現場では迷路になる。その経験をすると、少しまともになります。
数日後、新しい形はようやく落ち着いてきました。前よりずっと見出しが俗っぽい。分類名も、賢そうではない。でも、手が止まらない。人が口で呼べる。探す時間が減る。
ある夕方、若菜がやわらかく笑って言いました。
「姫様」
「はい」
「近ごろ、皆さま、紙を見るお顔が前よりやさしゅうございます」
「それは何よりです」
私は答えました。
「紙に恨まれては困りますので」
春枝が真顔で、
「紙は恨みませぬが、迷わせることはございます」
と言った。
「今日はかなり面白いですね」
鈴も、ほっとした顔で言いました。
「“今すぐ”と“今日じゅう”は、たいへん助かります」
「でしょうね」
「最初からそれでよかったのでは」
「ええ」
私は答えます。
「本当にその通りです」
場に笑いが落ちた。上の者が自分の失敗を少し笑える形で認めると、場はだいぶやわらぎます。
夕霧も、
「“あとで見る”と“迷った時に見る”は、たいへんようございます」
としみじみ言った。
「帳面に性格がつきました」
「おや」
「前は、どちらも賢そうで近寄りがたく」
「それはだいぶ悪口ですね」
「ですが事実にございました」
「ええ、そうですね」
小少将は扇を揺らしながら、いかにも当然という顔で申しました。
「読めない改革は嫌われます」
「ええ」
私は頷きます。
「身にしみました」
「よろしい学びでございました」
「厳しいですね」
「でも、お可愛らしゅうございましたわよ」
「それはどういう」
「賢く作りすぎる失敗をなさるところが」
「褒めているのかけなしているのか」
「どちらもでございます」
若菜がくすっと笑う。赤染衛門が控えを見ながら言いました。
「則天文字も、使う側は骨が折れたことでございましょう」
「ええ」
私は答えます。
「定める側は気持ちがよかったでしょうけれど」
「はい」
「読む側はたまったものではありません」
「その通りです」
「今回は、少しそちらへ寄りました」
「ええ」
「ですが、すぐ直されました」
「直さぬと、ただの紙の迷宮でしたから」
「……たいへんよいお言葉です」
私は少しだけ苦笑しました。
「正しい仕組みでも、使われなければただの紙の迷宮です」
「はい」
「今回は自分に刺さりました」
「そのようで」
「かなり」
「でも」
赤染衛門はやわらかく笑いました。
「それを認めて、現場に寄せて直されたのは、ようございました」
「ありがとうございます」
少し離れたところで、常盤がしみじみ言いました。
「賢い人のつくる迷宮ほど、入ると出にくうございます」
「そうです」
私は答えます。
「しかも作った本人だけ地図を持っている」
「たいへん怖うございます」
「ええ」
「でも今回は、地図を皆に配り直した」
「そういうことです」
前世でも、本当に使える改革は、だいたい少しかっこ悪い。名前が平凡。見出しがそのまま。分類も素朴。でも、誰でも使える。困った時に迷わない。一番忙しい人が一番楽になる。そういうものが残ります。
逆に、改革者の頭の良さがにじみすぎる仕組みは、たいてい現場で嫌われます。そして嫌われるだけならまだいい。使われなくなる。それがいちばんまずい。
新しい仕組みを作るのは、少し楽しいものです。
整う。重複が消える。名がつく。自分だけは、全体がきれいに見える。
でも、それで使う人の手が止まるなら、半分失敗です。どれほど合理的でも、現場が読めず、覚えにくく、急ぐ時に迷うなら、その正しさは紙の上で終わる。
読めない改革は嫌われます。そして嫌われるだけでなく、使われません。正しい仕組みでも、使われなければただの紙の迷宮です。
だから改革する側こそ、名前をやさしくすること、分類を口に乗る言葉へ寄せること、説明を惜しまぬこと、そして、自分の合理が人の手を止めた時は、ちゃんと認めて直すこと。
少し苦くて大事な反省でした。
〜 出典 〜
『改元載初赦文』則天文字制定の宣言(詔)
朕又聞之、人必有名者、所以吐情自紀、尊事天人。……朕今懷柔百神、對揚上帝。三靈眷祐、萬國來庭。宜膺正名之典、式敷行政之方。朕宜以曌爲名。……思返上皇之化、佇移季葉之風、但習俗多時、良難頓改。特創製一十二字、率先百辟。上有依于古體、下有改於新文、庶保可久之基、方表還淳之意。……
(要約)人にとって「名前」とは、自分を表現し、天や人々に敬意を示すための大切なものです。今、私は天の神々から祝福を受け、世界中から人々が挨拶に訪れる立場にあります。天下を正しく治めるにあたり、私は新しく「曌」という名を名乗ることにします。また、世の中の乱れた風習を、理想的だった古代の姿に戻したいと願っていますが、長年の習慣は急には変わりません。そこで、天下の役人たちの手本となるよう、特別に12個の新しい漢字(則天文字)を作りました。古い書体を参考にしつつ新しく作ったこの文字を広めることで、永遠に続く国の基礎を固め、世の中を純粋で正しい姿に戻すという私の決意を表します。
〜 舞台背景 〜
則天文字は、中国・武周の女帝武則天が制定した漢字。則天新字、武后新字とも言われる。武則天が権力を誇示するため、あるいは個人的な好みや考えのため制定されたとされ、彼女が治めている間は広く用いられたが、失脚するとほどなく忘れ去られた。現在の日本でもよく知られている文字として、徳川光圀の名前に使用されている「圀」がある。出典:wikipedia




