勇太さんと佐織さんの場合
カフェ・エスポワールで結婚式を挙げた勇太さんと佐織さん。
二人は、結婚したらいつも一緒にいられる、二人の時間は楽しく過ごせる。
そう思っていた。
でも……学校の教員である勇太さんの仕事は土日にも及ぶことがあり、思った以上に二人でゆっくりと過ごせる時間は少なかった。
ある日曜日の朝……。
昨日も仕事だった勇太さんが布団を被って寝ている。
「ねぇ、勇太君、クウちゃんのお散歩は?
一緒に行かない?」
「えっ?散歩かぁ……。もうちょっと寝かせてくれない?」
勇太さんは動かない。
「じゃあさ、せめて朝ご飯だけでも一緒に食べようよ。
久しぶりにゆっくり二人で朝ご飯が食べられるんだし。」
佐織さんがもう一度声をかける。
「ごめん……。まだ、眠い。
昨日、陸上部の顧問の仕事もあったしさ。」
「わかってるけど。じゃあ、今度旅行に行こうって言ってた話、あれ、どうするか、まだ話し合ってないよね。」
「う……ん。そう……だね。」
そう答えた勇太さんは、また、夢の中へ。
佐織さんは、一人で寝室を出てリビングに行くとため息をつきながら、椅子に座った。
「これが結婚生活か……。
私だって仕事で忙しいよ。でも、二人でいられる時間は一緒に楽しく過ごしたかったのに。」
珈琲を一人分カップに注ぐと、用意していた朝ご飯を一人で食べ始めた。
目玉焼きやサラダ、トーストを用意していたが、一人で食べる朝ご飯は何となく侘しく感じた。
疲れているんだから、寝かせてあげなきゃな。
でも、少しは話ぐらい聞いてもらいたかった……。
ポメラニアンのクウちゃんが足元に来て佐織さんに甘えている。
クウちゃんを抱き上げると佐織さんは、優しく頭を撫でた。
「クウ……パパ、起きないね。
私とお散歩行く?」
佐織さんは簡単に朝ご飯を食べ終えるとクウちゃんと散歩に出かけた。
「今日は短縮コースね。」
佐織さんはクウちゃんにそう話しかけると歩き出した。
散歩道にある公園の花壇には、チューリップやパンジー、アリッサム等、春の花が咲き乱れていた。
「綺麗ね……。良いお天気だし、寝てるなんて勿体ないお天気だなぁ。」
佐織さんは空を見上げる。
結婚前はデートがあると思えば、朝早くから支度をして待ち合わせの場所にウキウキして向かったものだった。
私が行くと勇太君も嬉しそうにしてくれたのに……。
ふと、以前の二人の姿が目に浮かんだ。
気がついたら、涙が溢れてきてしまい、佐織さんは急いでハンカチで目頭を押さえた。
短いお散歩を終え、クウちゃんと家に帰った佐織さん。
そのまま、バタバタと外出する支度を始めた。
「クウちゃん、すまないけどパパとお留守番していてね。」
クウちゃんは、佐織さんの言葉に小首を傾げた。
佐織さんは、バッグを持つと勇太さんには声をかけずに部屋を出た。
それから、30分程して勇太さんがやっと起きた。
「佐織……。」
呼びかけるが、答えがない。
「何処言ったんだよ。俺に声もかけずに……。」
スマホを見ても佐織さんからLINEにメッセージは来ていない。
リビングのテーブルには、一人分の食事の用意があった。
「何か怒らせたか?俺。」
クウちゃんが勇太さんに近寄ってきたので、「佐織、どこ行ったか知らない?」と聞いてみたが、クウちゃんは、尻尾を振るだけで何も答えない。
勇太さんは、パジャマのまま朝ご飯を食べ終えると洋服に着替えた。
クウちゃんのハーネス(胴輪)にリードを着けると佐織さんを探しに外に出た。
スマホを鳴らすが、佐織さんは電源を切っているのか、応答はない。
「あいつ……。そんなに怒ってんのか。」
スマホを持つ手に力がこもる。
「クウちゃん、俺と散歩に行けて嬉しいか?」
実は二度目の散歩を楽しんでいるクウちゃんは、嬉しそうにハァハァと舌を出して歩いている。
「それにしても、佐織、何処にいるんだよ。」
気がつくとカフェ・エスポワールのある通りまで来ていた。
ふとカフェの窓を見ると、ぼ~っとカップを持ちながら座っている佐織さんの姿が見えた。
「……あいつ、ここにいたんだ。」
勇太さんは、そのまま、クウちゃんとカフェまで歩いて行き、扉を開けた。
すぐに店長の隼人が勇太さんに気がついた。
勇太さんは、隼人にとって学生時代からの親友だった。
隼人は扉の外まで出てくると、勇太さんに声をかけた。
「勇太、来たんだ。佐織ちゃんがさっき一人でふらっとやって来たんで勇太は?って聞いたんだけど何も言わないからさ。
お前たち、喧嘩でもしたの?」
「いや、別に喧嘩したわけじゃないけど……。
多分、俺のこと怒ってるよ、佐織は。」
「本当に?佐織ちゃんの様子がおかしいから、咲耶も今、呼び出してて、こっちに向かってる。」
「悪いな、心配かけて。」
「いや、こっちは大丈夫。クウちゃんもいるから、勇太はテラス席にいて。」
隼人に言われてテラス席に落ち着いた勇太さん。
勇太さんは、膝にクウちゃんを乗せて盛んに頭を撫でていた。
そんな落ち着かない様子の勇太さんを隼人店長は心配していた。
ちょうどそんな二人の前に現れた咲耶さん。
「あれ、勇太君がいる。クウちゃんも……。
佐織は?」
「中だよ。」
隼人が窓の方を見る。
「あぁ、あそこに座ってるんだね。……でも、何で勇太君と佐織は別々にいるの?」
「それは……色々あって。
すまないけれど、咲耶ちゃん、佐織の話、聞いてやってくんない?」
「私が?勇太君が佐織に直接話せばいいのに。」
「そこを何とか、頼みます。」
勇太が両手を合わせて咲耶に頭を下げた。
「えぇ?そんなお願いされてもねぇ。」
「まぁ、佐織ちゃんの話、先に咲耶が聞いてあげたら?」
隼人が勇太さんに助け船を出した。
「……わかったよ、そんなに二人が言うんなら。じゃあ、佐織と話してくるね。」
咲耶さんは、そう言うとカフェの中に入っていった。
「良かったぁ。咲耶ちゃんが来てくれて。」
ホッとした様子の勇太さんに
「お前、佐織ちゃんに何したの?」
隼人店長がちょっと可笑しそうに尋ねた。
「いや、別に何したわけでもないと思うんだけどな。」
「佐織ちゃん、暗かったぞ。店に入ってきた時……。
泣いてたかもな。」
「そんな泣いてたなんて、まさか……。」
動揺する勇太さん。
「俺、仕事があるから、店に戻るよ。
勇太は、何にする?」
「あっ、じゃあ、アイスコーヒーで。」
「承知しました。少々お待ちください。」
隼人は、クスッと笑うとテラス席から立ち去った。
「おい、隼人、笑うなよ。
佐織を怒らせたら怖いんだよ、俺は……。」
隼人の後ろ姿に呼び掛ける勇太さん。
カフェの窓には、佐織さんと咲耶さんの姿があった。
しばらく真剣な顔で話していた二人だったが、いつの間にか笑顔になっていた。
20分程して……カフェの扉が開く。
「勇太君、来てたんだね。クウちゃんも。」
「あっ、佐織!」
「やっと目が覚めたんだ。
私がいなくなっていて、驚いた?」
「そりゃあ、そうだよ。電話しても出ないし、LINEしても返事ないし……。」
佐織さんは、勇太さんと向かい合うようにテラス席の椅子に腰掛けた。
クウちゃんが喜んでいる。
「私ね、結婚したら毎日一緒にいられて、楽しいのかなと思ってた。
でもね、最近、勇太君とちゃんと話せなくて寂しかったよ。」
「えっ。ごめん。」
「二人でしようって言ってた旅行の話もしたかったし……。
ただ一緒に食事もしたかったよ。
クウちゃんの散歩だって……。」
「そっか。佐織に寂しい思い、させてたんだな、俺。」
「勇太君が疲れてたのはわかるんだけど……。
それはわかってたんだけどね。」
「うん。悪かったよ。これからは、佐織の話をちゃんと聞くよ。」
「一緒にゆっくり話ができる時間、作ろうよ。
旅行に行ったらできるかな?」
「そうだね。クウちゃんも一緒に行ける場所なんてどう?」
「クウちゃんも?いいね、それ。
じゃあ、ワンちゃん連れで行かれる宿、私、探すよ。」
「本当に?じゃあ、佐織に任せた。
休みを合わせないとな。」
「5月の連休もあるし、まだどこか空いてるかな?」
スマホで宿を検索し始めた佐織さん。
それを除いている勇太さん。
クウちゃんは、二人の間にお座りをして、おやつを食べていた。
窓越しにそんな二人をみていた咲耶さんが隼人に話しかけた。
「あの二人、仲直りしたのかな?」
「あの様子なら、そうなんじゃないの?」
「夫婦の危機?だったね。」
「うん。危なかったね。勇太、顔面蒼白だったよ。」
「勇太君は、佐織には弱いよね。」
「そうそう。まっ、クウちゃんがいるからこれからも二人の危機を救ってくれるよ。」
「そうだね。クウちゃんはいい子だものね。」
隼人と咲耶さんは顔を見合わせて微笑んだ。
今日もカフェ・エスポワールのテラス席はお客様に役立っているようだ。
盲導犬を連れた方、散歩の途中でワンちゃんと一息つきたい方……
そんな犬を愛するお客様がホッとする空間になってくれたら……。
そう願う隼人だった。
春の日差しは明るくテラス席を照らしていた。
佐織さんは、青空を見上げて「いい気持ち。」と笑った。
勇太さんも眩しそうに空を見上げる。
「もうちょっと散歩するか、クウ。」
クウちゃんは、尻尾を振りながらくるくると回っている。
「ポメラニアンって嬉しいと回るよね。」
「そうだね。」
勇太さんと佐織さんは、クウちゃんを連れて楽しそうにカフェ・エスポワールを後にした。
もうしばらくは、爽やかな陽気が続きそうだ。
でも、あと数週間したら、テラス席にもサンシェードが必要になるな……。
隼人は、窓の外を眺めながらそんなことを考えていた。




