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恒介さんの場合

いつの間にか紫陽花の季節が終わり、早くも蝉が鳴き出した。


空には見事な入道雲。

テレビからは梅雨明けのニュースが流れている。


「あぁ、いよいよ夏の到来だな。」

隼人は、店の窓から眩しい太陽に照らされてゆらゆらと揺れる葉陰を眺めた。



午前中から、夏休みに入った小川俊太君がお母さんと店を訪れていた。


「お母さん、拓人くん、まだかな?」


そわそわと扉の方を眺めている俊太君。


「まだ、約束の11時まで10分ぐらいあるし……

拓人君、もうすぐ来るわよ。待ってましょう。」


お母さんにそう言われて、俊太くんはしぶしぶメニューに手を伸ばした。

「何にしようかな~。拓人君、何がいいんだろう?」


「そうねぇ。」


「あっ、お母さん、かき氷がある!」


「本当に?」

俊太君のお母さんもメニューを急いで覗いた。


その時、扉が開く音がし、たくちゃんが店の中に駆け込んで来た。


「俊太君!」


「あっ、拓人君!」


俊太君の元に駆け寄るたくちゃん。

拓人君の後ろからお母さんの真弓さんも続いて店内に入ってきた。


「お久しぶりです。優子さん。」

真弓さんは、俊太君のお母さん、優子さんに明るく声をかけた。


「お待たせしたかしら?」


「ううん、待ち合わせの時間通りよ。

私たちが早く来すぎただけ。」

真弓さんが笑顔で答える。


「ね~、ね~。拓人君。

かき氷食べない?」


「いいよ。この間食べたけど、美味しかったよ」


「えっ、本当に?何味食べたの?」


二人は、会うなりどのかき氷を頼むか相談し始めた。


店長の隼人がオーダーを取りに行くと

「僕、イチゴ味!」

元気にたくちゃんが答える。


「僕は、ブルーハワイでお願いします。」

少し大人っぽい雰囲気で俊太君がオーダーした。


「たくちゃんは、イチゴ味、気に入ってるんだね。」

隼人が笑顔でたくちゃんを見る。


「うんっ!色々迷ったけど、やっぱりイチゴ味にした。

お母さんたちは、今日はアイスコーヒーだって。」


「かしこまりました。」


隼人は、カウンターに戻るとかき氷を作り始めた。


「俊太君、夏休みの自由研究、何か決まっています?」

真弓さんが優子さんに問いかけると


「うちは、駅ビルに入っているカルチャースクールで子ども向けに開催する万華鏡作りに行ってみようかと思っているんですよ。」

と優子さんが教えてくれた。


「万華鏡?」


「えぇ。チラシが入ってきて、俊太に見せたら行きたいって。

……ほら、これですよ。」

優子さんがスマホでカルチャースクールを検索して真弓さんと拓人君に万華鏡の写真を見せてくれた。


「わぁ~。綺麗だね。僕もやってみたい!」

たくちゃんが目を見張った。


「じゃあ、拓人君も是非一緒に行きましょうよ。私、拓人君の分も同じ日に予約入れておきますね。」


「いいんですか?」


「勿論!」


「やった~。楽しみ、楽しみ。」

たくちゃんは、はしゃいだ声をあげた。


「拓人君と行けるなんて、僕も嬉しいよ。」

俊太君も乗り気だ。


たくちゃんは、学校にはまだ通えていないけれど、夏休みの宿題は受け取っていた。


「うちも自由研究、何にしようかなと思っていたんで助かります。」


真弓さんの言葉に

「それなら良かったわ。」と優子さんも嬉しそうに頷いた。


しばらくするとかき氷がテーブルに運ばれてきた。


「うわ~っ、美味しそう。」

俊太君がワクワクしている。


「うん、すっごく美味しいから、食べてみて。」


二人は夢中でかき氷を食べ出した。


「わっ、冷たい。頭がきんきんする。」

俊太君がおでこを触っていると


「痛いよね、頭。」とたくちゃんが笑って言った。


「ねっ、見て。」


「えっ?」


たくちゃんの言葉に顔を上げた俊太君。


ピンクに染まった舌を見せているたくちゃんを見て、俊太君は自分の舌もペロリと見せた。


「あ~っ、俊太君は真っ青だ!」


二人で笑い合っている様子を隼人も遠巻きに見て、思わずクスクスと笑っていた。


「よく、子どもの頃、俺もあんなことしたっけな。」

隼人は昔を懐かしく思い出していた。


すると

「すみません、お水もらえますか?」


窓際の席のお客さんから声がかかった。


「はい、ただ今お持ちします。」


隼人が水を注ぎに行くと、そこには40代くらいのもの静かな感じの男性が座っていた。


カフェの本棚にあった文庫本を読んでいる最中のようだ。


「その本、気に入られました?」


「あぁ、この本ですか?

好きな作家のエッセイ集だったもので。

前からここに本棚ってありましたっけ?」


「はい。うちには読書好きなお客さんが多いので、少し前から本棚を置いて自由に読んで頂いているんですよ。

貸し出しも自由ですから、ご興味があればお貸ししますよ。」


「えっ、そうなんですか。それは、嬉しいですね。

実は、私、この近くで古本屋をやってまして……。」


「古本屋さん?

……もしかしたら、あの駅の近くにある『青葉堂』さん?」


「あっ、そうです。御存知なんですか?」


「はい。最近伺ってなかったんですが、私も以前、『青葉堂』さんには時々立ち寄っていました。

でも、店主の方は失礼ながらもっとお年を召していたような……。」


「それは、私の祖父です。今は、もう引退したので、後を私が継ぎました。

私は、普通にサラリーマンをしていたんですがね。

とにかく毎日忙しくて……何だか疲れてきてしまって。

そんな時に祖父の店を一緒に整理していて、ふと思ったんです。

この店がなくなるのは、嫌だな、ここでのんびり古書店をやるのもありかなって。

それで会社はやめて、古本屋の店主になりました。」


「そうだったんですか。」


「はい。」


「よく思いきられましたね。

でも、あのお店……僕も好きだったのでなくならなくて、良かったです。」


「そう言ってもらえると凄く嬉しいです。」

男性は、にっこり笑った。


「私、高橋恒介と申します。良かったら、こちらの本棚にうちの本、少しお持ちしてもいいですか?

勿論、無料で。」


「えっ、よろしいんですか?」


「えぇ。見たところ、お子さんも来られているみたいだし、児童書や子ども向けの図鑑なんかもあるんですよ。」


ぐるりと店内を見渡した恒介さんはそう言って優しい笑顔を隼人に向けた。


それから、数日後にはカフェ・エスポワールの本棚には新しい本が並んでいた。


小説の他に恐竜や鳥、動物の図鑑、人体の秘密なんて本もあった。


夏休みに入った子どもたちに児童書や図鑑は人気だった。


時々やってくる恒介さんは、そんな子どもたちの姿を嬉しそうに眺めていた。


「恒介さん、たくさん本を下さってありがとうございます。」

隼人が恒介さんに声をかけると


「いえ、ここで本を読む皆さんの様子を見られるのは、幸せですよ。

特にお子さんたちが喜んでくれていて……感激しました。

私自身に子どもはいないんですが、姉のところに甥っ子がいて、可愛くってね。

子どもは、見ているだけで元気をもらえます。

本って、知らない世界を見せてくれるでしょう。

だから、子どもたちにとって読書をすることは、未来の扉を開くことなのかもしれませんね。」


「わかります。

子どもの頃の読書体験は、大切だと僕も感じています。

特に図鑑を数冊頂きましたがーー

物語は読まないけれど、図鑑ならってページをめくる子も多いんですよ。

あと、手芸の本もありましたよね。

女の子で早速借りていった子がいましたよ。

家で刺繍がしたいと言って。

あの本、写真付きで説明されていてわかりやすいと思いますよ。」


「本当ですか?」


「はい。」


「古書店にはなかなか来てくれないお客さんたちにも、ここでは触れあえて嬉しいです。

私も少しは役に立ってるのかな。」


「そんな……『少しは』だなんて。

恒介さんは、凄く皆さんに感謝されてますよ。」



「それなら、良かったです。」

隼人の言葉を聞いて少し照れたように笑って、恒介さんは急いでアイスコーヒーを飲み干した。


店内では、今日は一人で来た俊太君と常連さんの大河原さんが鳥の図鑑を仲良く眺めていた。


「あっ、この鳥、うちのそらくんに似てる!」


「どれどれ……あぁ、セキセイインコか。」


「うん。これは、ツバメ?

僕、お店のひさしの下に巣を作っているのを見たことあるよ。」


「おじさんも見たことあるよ。

ツバメにも色々種類があるんだな……。」


「本当だね。」


鳥好きの二人の間では会話が途切れない。


「おじさんはかなり遠くまで、鳥を見に行くの?」


「まぁ、大抵近所の公園が多いけど……。

たまには、旅先でバードウォッチングもするよ。」


「へぇ、いいなぁ。僕も大きくなったら、世界中を旅して、珍しい鳥を見てみたいな。」


「世界中かぁ。

それは夢が大きくて、いいね。」


「うん!」

俊太君の瞳はキラキラと輝いていた。


隼人は、俊太君と大河原さんの楽しそうな様子を見ながら思った。


今は、電子書籍も動画もゲームもある。

魅力的で刺激の多いもので世界は溢れている。

だけど……

そんな時代だからこそ、子どもたちには紙の本に触れて欲しい。



こうして、同じ想いを抱く恒介さんにここ、カフェ・エスポワールで出会えたことが、隼人にとっても、とても大切な出来事となった。


未来の扉は、実はごく身近な場所にあるのかもしれない。

それがこのカフェであったら、どんなに嬉しいだろう?


隼人は、カフェに集う人々の顔を一人一人見ながら、そんなことを思い浮かべていた。































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