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大地君の場合

紫陽花の蕾が色づき、鮮やかな青や赤紫の花が咲き始めた。


空気が湿り気を帯び、時々空から雨粒が落ちてくる。

ーーそんな季節がやってきた。


「今日も蒸すなぁ……。」

鉛色の空を見上げる隼人。


「そろそろ、あれを出すかな。」


そう呟いた隼人の言葉に続けて咲耶さんが嬉しそうに言った。


「あれってかき氷ね?」


「えっ?わかった?」

咲耶さんの方を振り返って店長、隼人は笑顔を向けた。


「うん。私も食べたいからね。」


「そっか。」


「たくちゃんが喜びそう。」


「たくちゃんね。彼は、何味が好きなんだろう?」


「どうだろうね……。メロンか、イチゴかな?」


「そうだね。飯倉さんは、宇治金時かもな。」

 

常連さんの顔が隼人の脳裏に次々と浮かぶ。


「じゃあ、早速かき氷の準備、始めなきゃね。」


咲耶さんの弾んだ声に隼人が頷く。


程なくして、カフェ・エスポワールでは、かき氷がメニューに追加された。


隼人や咲耶さんの予想通り、その日の午後、たくちゃんが、お母さんの真弓さんとかき氷を頼もうとメニューを眺めていた。


昨日からの雨がやみ、窓の外には青空がのぞいていた。


気温は、ぐんぐんと上がってきているようだ。


額の汗を拭い、たくちゃんはメニューを見ながらお母さんに告げた。

「僕は、イチゴ味にする。ママは?」


「私は……黒蜜きな粉にしようかな。」


「イチゴと黒蜜きな粉ですね。

少々お待ちください。」

咲耶さんが笑顔でオーダーを取ってきた。


「イチゴときな粉をお願いします。」


隼人がガラスの器にサラサラとしたきめ細かい氷を盛り付け、イチゴシロップと練乳をかける。


もう一方の器には、氷の上に黒蜜ときな粉を振りかけ、スプーンを二つ添えた。


咲耶さんがたくちゃんたちのテーブルにかき氷を届けると

「わぁ~、おっきいね。美味しそう。」

たくちゃんがウキウキとした声をあげた。


「今年初めてのかき氷だわ。美味しそうね~。」

真弓さんも慎重にきな粉を落とさないようにスプーンで氷をすくった。


「美味しいね、ママ。」

「うん、美味しい。」


かき氷を口に含んだ二人は、顔を見合わせて笑っている。


カウンターの中から、そんな親子の様子を見て、隼人も微笑んでいた。


その後も次々と入ってきたお客さんがかき氷を頼んだ。


やはり、蒸し暑さから冷たいかき氷をオーダーする人が多いようだ。


近くにある大学受験予備校から来たと思われる男子学生がカフェの扉を開けた。


疲れた顔をして、窓際の席に座る。


最近行われた模試の結果がリュックの中には入っていた。


彼の名前は、岡本大地。

現在、一浪中で、来年こそは希望する大学に受からなければと焦る気持ちがあった。


残念ながら模試の結果は思わしくなかった。

このままでは、また、同じことの繰り返しになるのでは?と辛い気持ちを抱えていたのである。


コップに入った冷たい水を一口飲むとメニューを眺めた。

普通にアイスコーヒーを頼もうかと思っていたが……

かき氷があることに気がついた。


へぇ……かき氷があるんだ。


大地君の目はかき氷に釘付けになった。


メロンにイチゴ、ブルーハワイ……。

ん?レモン味もあるんだ。


いいかも……レモン味。


大地君は、近づいてきた咲耶さんに

「あの……かき氷のレモン味をお願いします。」とオーダーした。


「かしこまりました。」

咲耶さんは、笑顔で答えてカウンターに去った。


しばらくすると、かき氷が運ばれてきた。


真っ白な氷にレモンのシロップがかかっている。

見るからに爽やかそうだ。


スプーンで氷をすくって口に含むと

甘酸っぱいレモンの味が口いっぱいに広がった。


あっ、頭がキ~ンとする。


久しぶりだな、この感じ。


大地君は、痛みを堪えながら、かき氷を食べ進めた。


氷の山が少しずつ崩れていくーー


何だか鬱々とした気持ちも氷といっしょに溶けていくようだった。


夢中で食べていくうちに、最後の一匙になった。


食べ終わってしまうのを少し寂しく感じながらもかき氷を口に含むとスプーンを置いた。


「あ~、美味しかった。」

と大地君は、思わず呟いた。


その呟きが聞こえたのか、カウンターの中の隼人が微笑んでこちらを見ている。


は、恥ずかしいな……。


大地君は、照れて俯いた。


でも、何だかスッキリとした自分がいるのを感じていた。


時々、予備校の帰りにこのカフェに寄って珈琲を飲んでいたが、今日は初めてかき氷を食べた。


延々と続く勉強漬けの日々。


でも、このカフェにいる時間は、どこかホッとできた。


居合わせた他のお客さんたちも、リラックスしているように見えた。


色んな人たちが来てるんだろうなぁ。


自分だけが大変なわけじゃないのかもしれない……。


しょうがないよな、くよくよしても。

また……頑張るか。


大地君は、窓から見える青空を眺めながらそう思った。


それから、参考書を取り出してページを開くと明日の予備校で行われる小テストに備えて勉強を始めた。


机の上に広がったたくさんの書き込みのある参考書やノートは、大地君の並々ならぬ努力を物語っていた。


そして、1時間程勉強した後、伝票を持って立ち上がると大地君はレジに向かった。


咲耶さんが会計をすると、最後に

「ありがとうございました。

勉強、頑張ってくださいね。」と言って珈琲キャンディを二つ、大地君に差し出した。


驚いたように咲耶さんを見つめた大地君。


「……あっ、ありがとうございます。」

そう言ってキャンディを恥ずかしそうに受け取ると足早に扉を開けて出ていった。


外の日差しはもう、すっかり夏のものだった。


大地君にとって、カフェで過ごした時間は、今までの気持ちを一旦リセットして、また新たに始めようと思えたひと時だった。


ゆっくりと歩き出す一歩が少しだけ軽く感じられるような気がした。




「かき氷、人気ね。」

咲耶さんが微笑む。


「うん、今年も始めて良かったな。」

隼人もカウンターの中で店内のお客さんを満足そうに眺めながら、そう答えた。


梅雨は始まったばかりだが、たまには今日のような晴れ間もある。

人の心にもそんな晴れ間が訪れる日があってもいいーー。


少し首を垂れた紫陽花が青空の下でより鮮やかさを増していた。



















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