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佳奈さんの場合

いつの間にか日差しが強くなり、カフェ・エスポワールのテラス席には、サンシェードを広げる日が多くなった。


連休も明けて、日常が戻ってきている。

待ち行く人たちも眩しい日差しに目を細めて足早にカフェの前を通りすぎる。

道路沿いに所々、植えてある紫陽花に小さな花芽がついてきた。

まだ白い花の蕾が色づく日を待っている今日この頃ーー。


店長の隼人は、テラス席に来ているワンちゃんたちに冷たい水のサービスも行っていた。


「お水、良かったらどうぞ。」


「あぁ、ありがとうございます。」


柴犬を連れた佳奈さんは、嬉しそうに水の入った容器を隼人から受け取り、柴犬ココの足元に置いた。


ココは、勢いよく水を飲んでいる。


「お水、持ってくるのを忘れてしまって……。

助かります。」


「お役に立てて良かったです。」

隼人は、佳奈さんに笑顔を向けた。


その時、佳奈さんのスマホに休職中の会社からメッセージが届いた。


佳奈さんの顔が少しだけ曇った。


体調を崩してしばらく休職している佳奈さんが、まだいつ復職できるかは、決まっていない。


実家暮らしの佳奈さんにとって普段の生活に不自由はないが、時々気持ちがふさいでしまう。


今は柴犬のココとの散歩が良い気分転換にもなっていた。


テラス席の佳奈さんのテーブルには読みかけの単行本が置かれていた。


「本、お好きなんですか?」


隼人が何気なく佳奈さんに声をかけた。


「……はい。」


「宜しければ、店内に本棚がありますので、ご覧になってみたらいかがですか?」


「えっ、でも……この子はお店の中に入れないから……。」


そこに咲耶さんがふいに顔を出した。


「こんにちは。私で良ければ、ココちゃん、みていますよ。」


「えっ?」


「私、店長の妹です。ワンちゃん、大好きなんで大丈夫だと思います。」

ニコニコしている咲耶さんを見て、佳奈さんは少しほっとしたような表情を浮かべた。


「そう……なんですか?」


「はい。

ココちゃん、私と待ってようね。」

咲耶さんがココちゃんに歩み寄り、しゃがんでそう言うとココちゃんは、咲耶さんをじっと見た。


隼人からおやつももらうとココちゃんは、美味しそうにボーロを食べている。


「ココちゃん、妹に任せても大丈夫そうですよ。

今日は暑いですからね。 良かったら店内で少し涼んでいきませんか?

お好きな本も見つかるかもしれませんし。」


「……じゃあ、お言葉に甘えて少しだけ。」


佳奈さんはココちゃんの頭を撫でると立ち上がり、店内に入っていった。


奥まで進んで行くと、雑誌や単行本が置かれた棚があった。

何冊か本を取り出し、パラパラとページをめくる。


その中で、ある一冊の本を手に取り呟いた。


「この本……海外の小説なんだ。

恋愛小説?ちょっと面白そうだな。」

佳奈さんは、気になる本を見つけたようだ。


「あぁ、その本は、こちらのカフェに来られている方が翻訳したものなんですよ。」


隼人が佳奈さんが手にした本を見て言った。


「えっ、そうなんですか?」


本の後ろ表紙を開くと原作者と共に翻訳者の名前があった。


「柏木佐和……さん。」


「ちょうど今、あちらの席でお仕事されていますよ。」


隼人の声に振り向いた佳奈さん。


佳奈さんは、窓際の席に座った自分と同じ位の年齢の女性を見つけた。


「あの方がこの本を……。」


その女性はノートパソコンのキーボードを忙しげに叩いていた。


佳奈さんは、そっと佐和さんに近づき、恐る恐る声をかけた。


「あの……お仕事中、失礼します。

この本は、あなたが翻訳されたんですか?」


佐和さんは、はっとしたように顔を上げた。


「えっ?」


「すみません、いきなりお声をかけてしまって……。

私、谷口佳奈と言います。

店長さんに勧められてカフェの本棚を見ていたら、この本を見つけたんです。」


「あぁ、その本……。

私が翻訳しました。原作はフランスの作家で。」


「フランスの作家さん?」


「そうなんですよ。パリの郊外が舞台の恋愛小説なんですけれど、ロマンスの中にミステリアスな雰囲気もあって面白いんですよ。」


「へぇ。それは読んでみたくなりました。」


「わぁ、本当に?」


「はい。私、恋愛小説好きなんですよ。」


「じゃあ、私からもお薦めします。楽しめると思いますよ。」


そこに隼人がやって来て、佳奈さんに声をかけた。

「貸し出し自由ですから。どうぞ、持ち帰られてゆっくり読んでください。」


「ありがとうございます。じゃあ、この本、お借りしますね。」


佳奈さんは、嬉しそうにそう答え、佐和さんにも軽く会釈した。


佐和さんもにこやかに手を振って

「また、今度お会いした時に感想、聞かせてください。」と言ってくれた。


佳奈さんがテラス席に戻るとココちゃんは、咲耶さんと大人しく待っていてくれた。


ココちゃんは、佳奈さんを見ると嬉しそうに尻尾を振って立ち上がった。


「あの……ありがとうございました。」


「あっ、良い本が見つかりましたか?」

咲耶さんが笑顔で佳奈さんを出迎える。


「はい。お陰様で。この本の翻訳者の方にも中でお会いしました。」


「あぁ、佐和さんですね。よくうちのお店に来られてお仕事されているんですよ。」


「へぇ。そうなんですね。

じゃあ、またお会いできるかな。」


「えぇ、きっと。」


佳奈さんは、佐和さんに初めて会ったはずなのにとても親しみを感じていた。


「じゃあ、またお邪魔しますね。」


そう言うと佳奈さんは荷物をまとめ、ココちゃんと帰っていった。



それから一週間位経った頃……


佳奈さんと佐和さんは、カフェ・エスポワールで同じテーブルに座って、楽しそうにお喋りしていた。


すっかり二人は、打ち解けたようだ。


「あの場面、素敵でした。街中の書店で二人が再会するところ……。」


「あぁ、あそこね。良い場面よね。

私もどんな日本語が合うか大分慎重に訳したのよ。」


「そうなんですね。すごく自然にさらっと読めましたよ。」


「それなら良かったわ。」


佐和さんは、チーズケーキを。

佳奈さんは、シフォンケーキをオーダーし、アイスコーヒーといっしょに昼下がりのひと時を楽しんでいる。


今日は、ココちゃんは佳奈さんの実家でお留守番のようだ。


隼人は、仲良くなった佳奈さんと佐和さんを見て微笑んだ。


「あのお二人、話が合うようだね。」


「本当にね。良かったわ。」

咲耶さんも嬉しそうだ。


佳奈さんは、大分体の調子も良さそうに見えた。


真っ白だった頬に赤みがさしている。


「佳奈さん、休職中だって聞いていたけれどお元気そうになられて良かったよ。」

隼人がそう言うと……


「佐和さんと知り合われて、明るくなられたわね。

佳奈さん。」


咲耶さんも二人を見て微笑んだ。


道路沿いに咲く紫陽花の蕾も段々と花が開きかけ、淡く色づいてきた。


季節は、春から初夏へ。


カフェ・エスポワールもそろそろ夏に向けてのメニューを考えないと……


隼人は常連さんの顔を一人、一人思い浮かべながら思案している。


ふと、その中でもたくちゃんの顔が浮かび、大盛のかき氷を頬張っている様子まで見えてきた。


かき氷……いいかも。


隼人は、思わず笑顔を浮かべた。



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