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亜希ちゃんの場合

小学校6年生の白石亜希ちゃんは、教室の窓からどんよりとした空を見上げた。


今日は朝から曇り空で、亜希ちゃんの気持ちもちょっぴり曇っていた。


土曜日だけれど授業参観があるので、亜希ちゃんたちの教室には保護者の人たちが、すでに何人か集まっている。



「亜希ちゃん、次の授業、音楽だから一緒に音楽室まで行こう。」


朋子ちゃんにそう言われて、亜希ちゃんは頷いた。


音楽の教科書が入ったバッグを持って、朋子ちゃんの後に着いていく亜希ちゃん。


音楽の授業が始まると、皆が歌を歌い出したが、亜希ちゃんは黙って楽譜を見つめている。


何故なら……そうするしかないから。


先生は、歌を歌わない亜希ちゃんを注意することはない。


国語の授業でも、皆が一人ずつ教科書を順番に読むことになると、亜希ちゃんの番は誰かが代わりに読んであげるのが常だった。


亜希ちゃんも黙ってそれを受け入れている。


いつの間にか、それがクラスの中でごく自然のこととなっていた。


保護者の人たちも何も言わずにその光景を眺めていた。


亜希ちゃんは、家では家族と普通に話せるけれど、学校に行くと皆の前ではどうしても声を発することができないでいた。


確か、幼稚園に通っている間はお友だちと楽しく話せていたのに……

小学校に上がった後、気がつくと人前で緊張して声が出せなくなっていたのである。


心配したお母さんが亜希ちゃんを病院に連れていくとお医者様は

場面緘黙(ばめんかんもく)症ですね。」

と説明された。

無理には、話させないようにとも言われたので、お母さんは、学校に行って担任の先生にその旨を伝えた。


こうして、亜希ちゃんは学校では先生やお友だちの言葉に、頷いたり、首を振って意思表示するようになっていった。


お友だちは親切で、そんな亜希ちゃんを苛めたりはしなかった。

皆優しく接してくれるし、一人ぼっちにもならなかった。


でも、いつも亜希ちゃんは優しい級友たちに心の中で申し訳なさを感じていた。


特に今日みたいな日は、気持ちがどんよりと沈んでしまう。

たくさんの保護者の人たちがいる前で、自分は皆のように声が出せないーー。




学校の帰り道、亜希ちゃんがとぼとぼと歩いていると、犬を連れたご夫婦が自分の前を歩いていた。


二人は楽しそうに話しながら歩いている。


小さな犬は、ポメラニアンだろうか?

ちょこちょこと一生懸命歩く姿はとても可愛らしかった。


亜希ちゃんは、そのまま何となくご夫婦の後を着いていった。


亜希ちゃんがいつもは曲がらない道をご夫婦が曲がったので、一緒に曲がってみたら……

そこにはあるカフェがあるのが見えた。


ワンちゃんとご夫婦は、その店の入り口で立ち止まり、扉を開けた。


カフェの扉から顔を出したのは、優しそうな男性。


この店の店長さんかもしれない。


「やぁ、優太、佐織ちゃん、いらっしゃい。 

今日は二人とも休み?」


そう店長さんは、そのご夫婦に声をかけた。


「おうっ。隼人、元気そうだな。

今日は二人で揃って休みが取れたんだよ。

テラス席、座るよ。」


「うん、どうぞ。

クウちゃんもこんにちは。」


店長さんは、小さなワンちゃんを見て腰を屈めて頭を撫でた。


クウちゃんは、気持ち良さそうに目を細め、尻尾を盛んに振っていた。



あの店長さんは、隼人って名前で小さなワンちゃんは、クウちゃん……


亜希ちゃんは、ぼんやりと隼人やクウちゃんのことを見つめていた。


「あれ?あの女の子は、隼人の知り合い?」


勇太さんが亜希ちゃんに気がついた。


ランドセルを背負ってカフェの前でこちらを見ていた亜希ちゃんは、急に恥ずかしくなって踵を返して歩き始めた。


その後、亜希ちゃんは後ろから誰かが追ってくる気配を感じた。


「あの……。良かったら、今度カフェで催し物をするから、お母さんやお父さんと来てくれる?」


びっくりして、振り返るとさっきの店長さんだった。


店長さんは、エプロンのポケットから、小さなカードを取り出して、亜希ちゃんに渡した。


カフェ・エスポワール

5月5日 11時~ 子どもの日の親子イベント。

(工作、絵画制作、ゲーム等) 軽食あり。


カードにはそんなことが書かれていた。

綺麗なお花や鳥の絵も添えられている。


亜希ちゃんは、黙ってそのカードを受け取ると隼人にちょっと頭を下げて、元の道に戻っていった。


あの店長さん、会ったこともない私のことをこのイベントに誘うんだ……。


笑顔で手を振ってくれたな。


どうしよう?

このイベント……。


亜希ちゃんは、家に帰ってからお母さんに相談しようと思った。


夕食を食べ終わった後、亜希ちゃんはお母さんに店長さんからもらったカードを見せた。


「カフェ・エスポワール?

う~んと、聞いたことあるわね。どこでだったかな?」


「えっ、本当に?」


しばらく考えていたお母さんだったが、ふと思い出したように言った。

「そうだ、確か……ずいぶん前にあなたの主治医の牧野先生にこのカフェのこと、聞いたんだわ。」


「牧野先生から?」


「うん。このカフェの店長さん、公認心理師というちゃんとした資格を持った人で、色んな人が店長さんに会いにカフェに来ているらしいのよ。」


「あの店長さんが?」


「そう。亜希ちゃん、行ってみたいの?

このカフェに。」


「うん!」

思わずそう答えた亜希ちゃん。


私、またあの店長さんに会ってみたいなと思っているんだ。

亜希ちゃんは、店長さんの優しそうな顔を思い出した。


「じゃあ、お母さんと行ってみようか。

牧野先生からも勧めてもらっていたし……。

あのカフェに行くと店長さんが話を聞いてくれたり、色々な相談に乗ってくれるみたい。」


「へぇ、そうなんだ。」


亜希ちゃんは、それから5月5日が来るのを期待半分、不安半分といった感じで待っていた。



そして……

イベント当日の朝は、夜中に降っていた雨が上がり、爽やかな青空が広がった。


カフェ・エスポワールに着くと入り口の所で店長の隼人と妹の咲耶さんが参加者を待っていた。


隼人は、亜希ちゃんを見ると

「あぁ、この間の……。来てくれたんだね。」

と声をかけてくれた。


亜希ちゃんが戸惑ったまま黙っていると


「すみません、この子、話せなくて……。

私たち家族とは話せるんですが。」


亜希ちゃんの後ろに立っていたお母さんが隼人にそう説明した。


「いえ、大丈夫ですよ。お嬢さんのお名前は?」


「亜希です。」


隼人は頷くと微笑みながら亜希ちゃんを見た。


「亜希ちゃん、今日はようこそ。

楽しんでいってね。」


咲耶さんに促されてカフェの中に入ると小学校低学年から、中学生位の人まで来ているようだった。


好きな飲み物を用意してもらい、それぞれがやりたいことを始める。


近くにいた、たくちゃんと呼ばれている男の子は画用紙いっぱいに動物の絵を描いている。


亜希ちゃんは、咲耶さんに勧められて、押し花の栞を作り始めた。


ピンセットを使って好きなお花の押し花を栞に置く作業は、思ったより神経を使い、難しかった。


でも、自分の考えたデザインで綺麗な栞が出来上がると亜希ちゃんは、嬉しくなった。


亜希ちゃんのお母さんも一緒に栞作りに挑戦し、二人でお揃いの素敵な栞を完成させることができた。


亜希ちゃんは、お母さんと栞を見せ合って微笑んだ。



そろそろお昼の休憩かなと思った頃、店長の隼人から声がかかった。


「みんな、好きなピザを作ってみようか。 生地の上に好きな具をのせていいよ。」


テーブルの上には、小さなピザ生地と、 コーン、ピーマン、ウインナー、チーズ、トマトソースが並べられた。


「わぁ、楽しそう!」 たくちゃんが嬉しそうに言う。


「僕、コーンいっぱいのせる!」

子どもたちが次々にトッピングを始めた。


亜希ちゃんは少し離れた場所で、その様子を見ていた。


すると咲耶さんが優しく声をかけた。


「亜希ちゃんもやってみる? 好きなものをのせればいいんだよ。」


亜希ちゃんは小さく頷いた。


お皿の上の生地に、そっとスプーンでトマトソースを塗る。

それから、コーンを少しずつ並べ、 丸く切ったウインナーをのせた。

最後にチーズをふわっとのせる。


隣でたくちゃんが自分のピザを見せてきた。

「見て!ぼくの、チーズ山もり!」

たくちゃんのピザには、驚くほどたくさんのチーズがのっていた。


そのあまり量に亜希ちゃんは思わず、ふっと笑った。


「あっ、笑った!」 たくちゃんが嬉しそうに言う。


亜希ちゃんは慌てて俯いたけれど、 咲耶さんが優しく言った。

「楽しそうで良かった。」


焼き上がったピザが運ばれてくると、 チーズの香ばしい匂いがふわっと広がった。


「いただきます!」

子どもたちの元気な声が響く中、 亜希ちゃんも自分のピザをひと口食べた。


美味しい……。


自分で作ったピザは、思った以上に美味しかった。


その時、向かい側に座っていたたくちゃんが言った。


「亜希ちゃんのピザ、すごく美味しそう!」


亜希ちゃんは少し驚いたようにたくちゃんを見る。


そして、小さく「ありがとう。」と囁いた。


その声が たくちゃんに届いたかはわからない。


でも、たくちゃんは笑って言った。


「今度は僕、亜希ちゃんと一緒に作りたいな。」


「おっ、そうか。

じゃあ、次回はたくちゃんは亜希ちゃんと一緒にトッピングしようね。」


隼人がニコニコして言った。


亜希ちゃんは胸の奥がぽうっと温かくなるのを感じた。


ここには、同じ学校の人は誰もいない。

だから、自分の事情を知っている人もいない。


本当に小さな声だったけれど確かに今、「ありがとう。」って、私、言えたんだ。


亜希ちゃんにとって、それは小さな自信になった。


このイベントが終了した後も、亜希ちゃんはカフェ・エスポワールに時々顔を出すようになった。


たくちゃんがいることもあれば、初老のおじさんがいたり、犬好きの勇太さん夫婦がいたり……


ここでは、亜希ちゃんは、誰に気を遣うわけでもなく、自由に振る舞える。


店長の隼人や咲耶さんも他の人と分け隔てなく、亜希ちゃんを扱ってくれるので気が楽だ。


段々と亜希ちゃんは、自然と声が出せるようになってきた。


隼人が「亜希ちゃん、今日は何にする?」と聞くと

「オレンジジュース。」

と亜希ちゃんが答える。


まだ、それだけ。

でも、ちゃんと答えられる。


亜希ちゃんは、カフェ・エスポワールではリラックスしている自分がいることに気がついていた。


まだ、学校では声が出せないけれど……

いずれは出せるようになる。


亜希ちゃんは、そんな気がしている。


カフェのある通りにはツツジの植え込みがあり、ピンクや赤、白の花が咲き乱れている。


新緑も光を受けてキラキラと輝いていた。


カフェ・エスポワールから出てきた亜希ちゃんの頬を爽やかな風が撫でていった。















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