凶々しいくて、成りきれない
「ハハハハハ!」
そして、もう一人の男は美容院にあるような剃刀片手に地下で笑っていた。
「ヒヒヒヒ!」
理由は享楽だ。杜若カリムはこの状況を楽しんでいる。
「はぁ…笑い、疲れた」
理由は二つ。
一つ目は彼の予定がとことん崩れていること。
二つ目は、それでも彼の望む未来が見えたということだ。
彼の望む未来への一番の近道はもうない。
一番の近道とは、あの時、杜若リツトが鴨川マイ、押上タケルと共に組織を相手取ることだった。
ただ、リツトは違う道を選んだ。彼は異能局に入り彼の野望を叶えようとしている。
それでも、カリムの望む未来は実現可能だった。
彼がひとりで笑っていると、扉が勝手に壊れた。
誰も触れずにひとりでに、金具も全て吹き飛ばした。
「カリム、面白そうだね。どうしたんだい?シナリオに何か異常が?」
「シナリオは、もう、すごいことになってるなんですよ。ボス」
ボスと呼ばれた男は片手に麦茶を注いだコップを持ったまま彼の向かいにあるソファに向かって歩いている。
この男はリラシオのボスである。
「そうか、それは良かったのか…?」
30代の背が高くと髪の長い彼は、カリムの話の真意を探ろうとすると、思わずコップを落としてしまった。
それを見たカリムは頭をだらんと、垂れる。
この後に起きる光景を予知した彼は落胆していた。
「この…」
地に落ちて割れたコップ、辺りに茶色の液体が小さな水たまりを作っている。
「この…この…」
「使えない右腕がァ!!!!!!!!!」
コップを持っていた右腕を左手で掴んで壁に何度も叩きつけ始めた。
「この、クソ、使えない、手足が!どれだけ!迷惑を!かけさせ!て!いるんだ!」
ガン、ガン、ガン、ガン、と何度も叩きつけられる。
衝撃音の中には骨が傷つく音も混じっている。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
飛び上がり、右腕を抑えて左手を床に叩きつけた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
痛みに悶えながらもくねくねと体を揺らしながら立ち上がった。
カリムはボスと呼ばれた人間が叫んでいる間に、部屋の端まで移動している。
ボスと呼ばれた男は立ち上がって、ゆっくりと右腕を上げる。
そして次の瞬間、彼の右腕が潰れた。
紙ほどに薄くなった腕は血と骨と筋肉を空中で判子のようにまき散らされた。
不可思議な光景である。
つまり血の一滴も、床にも天井にも付着していない。
彼の右腕だったものが、薄っぺらになって空中で固定されている。
「カリム、義手あったかな?確か鴨川が使ってただろう」
カリムは全く表情を崩さないリラシオのトップを見てやや引きながら答えた。
「ないですよ。この前使ったので最後」
「本当か、なら仕方ない…。そういえば、残っていたっけ?あの…止血装置」
「ああ、それは近くにあります。それで、血は?」
「ああ、大丈夫、ほら」
彼の血が透明な管を通るかのように戻っている。
さらに彼から出た血は空中で弧を描いて彼の腕に戻っている。
「随分と器用なことをしましたね」
それを見たカリムは驚愕していた。
未来視で事前に見えていた光景でも、実際に目の前で起きると驚いてしまう。
「伊達にこの能力と向き合ってないよ」
ボスと呼ばれた男は自分の血が空中に放たれ、自分の体に戻っていく様をまじまじと見ている。
「さて、明日、幹部が全員集まるよね」
依然と動揺しない彼は惚れ惚れとしながら言った。
「はい」
カリムが座っていたソファに深々と座り、子供のように目を輝かせていた。
「今残ってるのは、君と、高宮と佐々里だよね。楽しみだなぁ。明日は忙しくなる。この腕の治療をしたら寝よう」
「そうですね」
リラシオの長の目は、欲しいおもちゃを与えられた子供の用に光り輝いていた。
その日の深夜、誘拐し記憶を操作した実験体の報告書を提出するために、チーフの男が上司の部屋の前に立っていた。
連れ去った少女の名前は翡翠リカというらしい。
その身に『能力をコピーする力』を宿している。
彼女に関する実験とその結果は異能局だけでなく、他の派閥にも知られてはならない重要書類なので手渡しすることが義務付けられている。
彼は仕える上司の執務室の前に立ち、軽く2回ノックする。
「いいぞ」
上司の答える声を聞いてから「失礼します」と礼儀正しく入室した。
彼女の執務室は気が散らないようにするために、必要なモノだけを集められている。
「夜まで遅く…流石、佐々理の幹部ですね」
「そうでもないさ。報告書だろ。そこに置いてくれ」
「はい」
彼は彼女の指差した、机の書類の山の一番上に報告書を置いた。
「ありがとう。それでは…いや、少し待ってくれ」
チーフを返そうとした佐々里は、移動するのが面倒だったので、彼女の能力である氷を出してマジックハンドのように形成して彼の背中をつついた。
「はい、なんでしょう?」
「少し、愚痴を聞いてくれないか?君が良ければ、だが」
チーフとの間にある氷を溶かし消滅させてから、彼女にとっての本題に持ち込んだ。
「明日のリラシオ全勢力がここに集まる件について、ですか」
明日、この、佐々里の拠点にリラシオの残存勢力の全てが集まってくる予定になっている。
ここ最近でリラシオの勢力は大きく削がれてきた。まず勢力が大きかった杜若派の分裂、壊滅、押上と鴨川の幹部拘束、最大勢力であった柚季派の壊滅。
勢力の半分は削れたと見ていい。
リラシオの各派閥は思想の違いにより仲が悪いことが多い。個人間であれば例外はあるが、グループ間であれば例外はない。
彼らは普段はよほどのことがない限り、それこそ、裏切り者が現れ組織全体を消そうとしない限り、結束をしなかった。しかし、このままでは各派閥が一つ一つ潰されてしまう。そうなってしまっては、リラシオは大望を果たすことが出来なくなってしまう。
さらにもう一つ。彼らにとって都合が悪い超能力者の法律案が提出されるという情報も後押しとなった。
「その通りだ。あの我の強い連中と直接顔を合わせなきゃならないなんて、最悪だよ。もう胃がキリキリする」
結果、全ての勢力を集めて一軍となって国を乗っ取ることになった。
乗っ取った後のことはその時考える。
そこまで彼らは追い詰められていた。
「あとあのクソカリムが来るってことは、異能局のアイツも来る」
そして、全員集合するということはカリムが来る。カリムが来るということは異能局最強の茨木が来るということだ。
彼への対策だけは厳重に行わなければならない。
「貴方なら何とか出来ます。茨木も、この世界も」
彼女の不安を慰めるように呼び掛けている。
「おだてるなよ。嘘だろ」
言葉とは裏腹に、彼女はまんざらでもない笑顔を見せていた。
「いえ、そんなことありませんが?」
「そうか、なら、いい」
「それでは、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
最後に何回か話をしてからチーフと呼ばれた男は、扉に手を掛けた。
「最後に一言」
扉を少しだけ開けて、彼女の方へ振り向く。
「短い間ですが、ありがとうございました」
「ああ、こちらこそ。ありがとう」
佐々里の浮かべたやわらかい笑顔を確認してから部屋から出た。
(さて、もう一つの方へ報告するか…)
井原原ミナトは鬱陶しく思っていたガスマスクを荒々しく脱いだ。
(異能局はどう動くのだろう?あと、俺には何が出来る…?)
井原原ミナト、彼は元から異能局の人間ではない。
リツト加入以前からそこに籍を置いていたのも、スパイ活動の一環でしかない。
彼の本来の所属は、警視庁公安部。
日の光を浴びることなく活動する、国の守り手の一つだ。
リラシオのボス登場です。




