混沌のワルツ⑨
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ランドワールとランスを待つあいだ、俺は騎士団の陣に留まることにした。
ハームとシルガが率先して隊長の様子を告げてまわり、魔物を討伐したことを伝えている。
炭火で焼いていたはずの肉はすっかりなくなっていて、俺はまだ熱を保っているかまどのそばに座った。
騎士たちの目は、さほど気にならない。
俺はほっと息を吐いて、魔物の魔力を溜めたはずの鉱石を取り出す。
……ここじゃ調べられないから、ただの気休めなんだけどな。
「コップ、借りてきましたわ」
そこに、太陽のような髪をさらさらと揺らしながら、ウイングがやってくる。
騎士からものを借りてこれるのはさすがといっていい。
差し出されたコップには水が並々と注がれていて、俺はそれを一気に飲み、ふーっと息を吐いた。
体が水分を欲していたことに、今さら気が付く。
「……少し食べないとな」
苦笑すると、ウイングは隣に座って笑った。
「ええ。……食べ物も分けてくださるかしら?」
「うーん。さすがに食糧まで分けてもらえるとは思わないなぁ」
そこに、バヴェルが無言でやってきた。
……食べ物の話は聞こえていただろうが、勿論手ぶらである。
「どうした?」
「お前が隊長を無理矢理……連れ出したから」
俺の言葉に被せるようにして絞り出された声に、ウイングの目が眇められた。
俺はそれを目線で咎めて、バヴェルに向きあう。
「ああ。怪我なんてちっとも気付かなかった。……悪かった」
「……お前にはわからない。剣で敵と肉迫するんだ、隊長に……俺たちに危険なことを任せて、自分は後方から――」
震える声。
遠巻きに、ほかの騎士の視線が集まるのを感じた。
「魔法なんてもの、ここには必要ない! 臆病者め! 剣の誇りすら持たないくせに、なにが討伐だ! お前が来なければ、隊長は――っ」
「あなた……ッ、それは……!」
腰を浮かせたウイングを、俺は今度こそ手で制した。
バヴェルが怒っているのはわかる。
それが矛盾していることもきっと気付いているのに、ぶつける場所はここしかないのだろう。
「……剣の誇り……ね。わかった。バヴェル、ここに訓練用の剣は持ってきてるか?」
「……なに?」
「それならば、ここにある」
カランカランッ、と乾いた音を立て、訓練用の木刀が目の前に転がってきた。
振り向くと、ハームが難しい顔をして立っている。
その横にはシルガの姿もあった。
思い切り剣を振るうことが、いまのバヴェルに必要なことだろうな。
……その鼻先をへし折られることも含めて。
俺は木刀を拾い上げ、バヴェルに向き直る。
「剣の誇りがあれば、お前は俺たちを認めるのか? そうは思わないけどな。隊長は怪我を隠してまで先陣を切ってくれた……俺はランドワールに感謝してるよ。そうしなきゃ、お前たちの士気は下がったはずだから。……ランドワールはちゃんとわかってくれてた。だから、俺はここにいる」
本当なら、待機させている翼竜に乗って、すぐにでも戻りたい。
デューに会いにいきたい、と……そう思って俺は首を振った。
「俺は王立魔法研究所の所長。剣でなく、魔法で認められることが俺の使命だ。騎士と争ってる場合じゃないんだよ、バヴェル。守るべき民がいる――それを忘れたお前の剣の誇りなんて、なんの意味もない。そんなもの捨てちまえ!」
俺は木刀の片方をバヴェルに放った。
……俺も頭を冷やす必要があるみたいだと、どこか遠くから冷静に見ている自分がいる。
「……ッ、この!」
バヴェルは駆け出しざまに木刀を拾い上げ、真っ直ぐ突っ込んできた。
俺は左に半身だけ移動して、バヴェルの一振りを弾き上げる。
「っ!」
まさか簡単に迎撃されるとは思っていなかったのか、バヴェルはマントを翻して飛び離れた。
「どうした? 来いよ」
挑発してやると、驚いていたバヴェルの表情がぎゅっと嫌悪に染まる。
再び地を蹴ったバヴェルの木刀が俺の右から振り抜かれ、俺はまた弾いた。
何度も何度も繰り出される攻撃は、がむしゃらで、落ち着きがなく、読みやすかった。
「なん……でだよっ! なんで、当たらないんだよっ!?」
バヴェルの声は、悲鳴のようでもある。
俺は答えず、ひたすら弾く。
――騎士団長が幼馴染みの俺にとって、剣は魔法と同じくらい長い時間触れてきたものだ。
騎士団のなかでも、それを知っている奴は多いはずだった。
ハームやシルガも、知っていたんだろう。
バヴェルの腕が上がらなくなるまで付き合うつもりだったけど、次の瞬間、俺の集中は一気に吹き飛んだ。
「……なんでだよっ! 仲間ひとり守れなかったくせに!」
「――ッ!」
放たれた言葉は矢のように俺を射貫き、頭のなかが真っ白になって。
俺の前で斬られたティルファ……そして、いまも牢屋に入れられているデューの微笑みだけが、脳裏にちりちりと焼き付くように過ぎっていく。
横薙ぎに切り払われたバヴェルの一撃を、切っ先を下にして立てた木刀で受け、俺はその刃を滑らせるようにバヴェルに肉迫した。
体は、半ば染みついた経験だけで動いている。
急に攻撃に転じた俺に驚いたのか、後ろに引こうとして上半身の重心が崩れたバヴェル。
その剣を下から上に絡め取るようにして弾き飛ばし、俺は無防備になった首筋へと木刀を振り抜こうとして……止まった。
そのまま切り払わずに済んだのは、ウイングの水の球が俺の剣を包み込んだからだ。
「……う」
バヴェルの目は、信じられないと訴えている。
俺はその怯えが混ざる光りに向き合って、唇を噛んだ。
「――いまだって、仲間が囚われてるんだよ……ッ!」
「……え?」
「守れなくて……彼女が……デューが囚われてる――それは、俺のせいだ。……でも、俺はそれを置いてここまで来たんだ」
「お前、なに言って……?」
「剣だけじゃ、守れないものもある。魔法だけじゃ守れないものもある! なら、協力すればいいだろ! それを実現させるために来たんだ! 敵は俺たち魔法を使う者なのか? 違うだろ!?」
デューが待っているのに。
こんなことで怒るつもりはなかった。
それなのに、俺は……。
そこに、ウイングの冷ややかな言葉が降りかかる。
「そこまでですわルークス。バヴェルでしたわね。あなたも、人を怒らせてなにが楽しいのかまったくわかりませんわ。団長は自分の意志で戦ったのに、それをこんな形で貶めるなんて失礼ですのよ? ……あなたの剣の誇りは、そんなことのためにかざすものではありませんわ。頭を冷やしなさい」
瞬間。
俺とバヴェルの頭の上で、大きな水球が弾けた。
ばしゃあっ!
「……」
「……」
バヴェルと俺は、ぐっしょぐしょに濡れたお互いを見詰めあいながら、呆然と立ち尽くす。
俺は髪の毛の先からぼたぼたと水を垂らすバヴェルに、みるみる冷静になった。
「……あー。ごめん、バヴェル……」
思わず呟くと、バヴェルは仏頂面で鼻を鳴らした。
「……説明するなら、謝ってやってもいい」
俺はそれに苦笑して、とりあえず大きな火を起こそうと決めた。
お待たせしました!
よろしくお願いします!