第十一話 因果と結果と想いの答え
謎の襲撃者によってばら撒かれた手榴弾。その場にいた者たちは知る由もないが、別の場所で行われたドクター・マッドによる似たような行動のせいで地下にある遺跡が大きく揺れ、床は吹き飛んでいる。
吹き飛んだ床から見えるのは、底の見えない空洞だ。護はげほっ、血の混じった咳を零すと、未だ煙が充満する室内を見回した。床が吹き飛び、巨大な穴が生まれてしまったせいで身動きがとり辛い。ただ、ここにいる他の人間はその全てが敵だ。迅速に行動する必要がある。
痛む体にムチを打ち、起き上がる護。その瞬間、護に向かって一筋の銀閃が放たれた。
「――――ッ!?」
咄嗟に刀を構え、それを受ける護。だが、あまりの威力に刀が折れ、衝撃で護は弾き飛ばされた。
弾かれたように床に転がる護。起き上がろうと床に手をつくが、その行動はすぐさま止められることとなる。
「よぉ、誘拐犯。まさか逃げられると思ってねぇよな?」
うつ伏せに倒れた状態の護の頭を踏みつけ、そんな言葉を叩き付けてくるのは先程まで一方的に護を叩き伏せていた男だ。至近距離で爆発に巻き込まれたため、それなりにダメージはあるようだが……男の動きにおかしな部分はない。――痛みを感じない、というのはどうやら真実らしい。
ギリギリと、男は容赦なく護を踏みつける力を強くしてくる。護はぐっ、と呻き声を漏らした。
「ちっ、正好がいねぇ。一緒に落ちやがったか……面倒だな。まあいい。今はオメェだ、誘拐犯」
「……ッ、俺は、誘拐――」
「黙れよ」
ごりっ、という鈍い音が響き渡った。男が容赦なく護の頭を踏み抜いた音だ。
衝撃が抜け、額から血が溢れ出す。護は呻き声を漏らすことしかできない。男がそんな護へ更に力を込めようとするが、その前に男に向かって声が届いた。
「――無事かい、坊や!? 凄い音がしたみたいだけど!」
「局長? ああ、無事だ」
護にとっても聞き覚えのあるその声に対し、男が頷いて応じる。護は、思わず聞き覚えのある声の主の名を口にしていた。
「……アルビナ……?」
「あん? 誘拐犯、オメェ――」
「虎徹! あんた部下を放り出して何をしてるさね!?」
虎徹、と呼ばれた男の言葉を遮り、女性――伊狩・S・アルビナがこちらへと歩いてくる。ただ、今の彼女は普段とは違い、大日本帝国の軍服を着ているが。
しかし、護にはそれについて言葉を発する余裕はない。呻き声を漏らしながら、虎徹の脚を掴む。
「……へぇ、根性あるじゃねぇか」
そんな護の行動に、冷たい声色でそんなことを呟く虎徹。その背後から、アルビナが駆け寄ってきた。
「虎徹? そいつは――って、待ちな虎徹! そいつは違うよ! 誘拐犯じゃない!」
「はぁ? いきなり何を――」
「いいから足をどけな!――しっかりするさね!」
虎徹の脚を強引にどけさせると、アルビナは護を助け起こす。護は自身の頭に手を当てると、呻き声を漏らしながらゆっくりと目を開けた。
「……ぐっ……、あんた、その恰好は……?」
「ああ、野暮用ってのは『これ』のことさね。それより、どうしてアンタはここにいるんだい? お嬢ちゃんと坊やは?」
「……アリスは来てねぇ。ヒスイは、ここで見つけた子供を逃がすために先に行かせた」
頭を振り、意識を覚醒させながら護はそうアルビナに言葉を返す。その言葉を受け、何だと、と虎徹が声を上げた。
「小僧、オメェまさか誘拐犯じゃねぇのか?」
「……俺はシベリアの人間だ。ここにいたガリアの連中とは何の関係もねぇよ」
立ち上がり、鋭い視線を虎徹に投げかけながら護は言う。虎徹は顎に手を当て、考え込むような仕草を取った。
「……昨日殺されてた諜報員のことがやっぱり気になってな。調べに来たんだよ。そしたら路地裏にここに入るための入り口があって……途中でガリア人の連中と交戦。そのまま先行したヒスイが拉致されてた子供を見つけて、俺はここで足止めだ」
「成程……虎徹、どうやらアンタの早とちりが状況を更にややこしくしたみたいだよ?」
護の言葉を聞き、厳しい口調でアルビナは言う。虎徹は、ちっ、と舌打ちを零した。
「この状況だ。そこの小僧が味方かどうかなんてわかるはずがねぇだろうよ」
「それもわかるけどねぇ……。まあいいさね。とにかく、坊やは先に行ったんだね? だったら追うよ。ただし、虎徹。アンタはここで他の連中の救出だ」
「……………………ちっ、仕方ねぇな」
アルビナの指示に虎徹は反論しようとしたが、何かに気付いたように舌打ちを零した。そんな虎徹の肩を、アルビナが頷きながら軽く叩く。
「……アンタのことだ。別方向からも突入部隊を入れてるんだろう? あの子は強いよ。アンタたちの子だ。そう簡単に負けるような鍛え方はしていないだろう?」
「……局長。アンタの信頼は、どちらに対してのものだ? 俺たちに対してか、それとも……」
「――どちらに対してもさ」
ふっ、と小さく笑みを零し、アルビナは言う。
「アタシがどうして大日本帝国を出たか……知らないわけじゃないだろう、虎徹? アタシはわからなくなったのさ。国に仕えることの意味。唯一友と呼べた相手との距離……その全てがね」
「……答えは、見つかったのか?」
「いいや? きっと見つかることはないよ。アタシの行動は矛盾してる。もう、答えなんて出ない状況なのさ。嫌なもんだねぇ、本当に。歳を取ると、色々なしがらみが増えてしまう」
くっく、と小さく笑い、アルビナは護を伴って階下へ降りて行こうとする。護は無言でそれについて行き、虎徹はそれを見送る形だ。
そして、最後に一言。
アルビナは、小さな笑みと共に虎徹へと言葉を紡いだ。
「……本郷正好はもう子供じゃないよ。アンタの気持ちもわかる。あの娘は――アタシたちが殺したあの子は、本郷正好の戦う理由だ。けれど、そろそろ乗り越えなくちゃいけない。あの娘を死に追いやった最大の原因は、本郷正好なんだからね」
「…………わかってる」
小さな声で虎徹は頷く。そして、二人が奥へと進もうとすると、虎徹が護へと言葉を紡いだ。
「――小僧。これを持っていけ」
「ん?」
投げ渡されたのは、一振りの日本刀だった。虎徹はそれを護に投げ渡した格好のまま、言葉を紡ぐ。
「侘びの代わりだ。オメェにやる。だが……もし、うちの娘を助けられなかったどうなるか。わかってんだろうな?」
「ヒスイもいるんだ。絶対にしくじらねぇよ」
「はっ、面白ぇ。……大将の案、本気で検討しておくか」
虎徹の呟き。しかし、それは護へは届かない。
行くよ、とアルビナが呟き、護はそれに頷く。そうして駆け出した二人を見送ってから、虎徹は周囲に向かって声を張り上げた。
「動ける奴は返事をしろ! 負傷者を運び出せ! 俺は今から下に降りて正好の救援に行く! オメェらは動ける連中集めてそれを追って来い!」
指示を出すと、周囲からいくつかの声が上がる。至近距離から遺跡の壁をぶち破り、更には床を吹き飛ばすような手榴弾をまともに受けたのだ。普通なら動けないはずだが……流石に虎徹の部下であり、氷雨の部下である。無事にやり過ごしたらしい。
虎徹はそんな部下たちに頷くと、深く空いた床の穴を見た。爆発の最中、見た光景――正好と襲撃者が墜ちて行った時のことを思い出す。
「……ガキじゃねぇ、か。確かに、もうアイツも将軍だしな。もう、泣いてばかりだったガキじゃねぇか」
小さく笑みを零し、そして、ゆっくりと天井を見上げる。
「――地上では、ソラがきっちり仕事をしてる。俺ァ俺の仕事をしようじゃねぇか」
そう、呟いて。
普通なら立っているのも辛いはずの身体で、《鬼神》と呼ばれる男が虚空へとその身を投げる。
深い闇の底は……見えなかった。
◇ ◇ ◇
大量の手榴弾によって穴が開き、それによって地下深くへと誘われたのは二人。
一人は、大日本帝国において《七神将》第五位の位階を預かり、《野武士》と呼ばれる男――本郷正好。『本郷家最後の当主』とも呼ばれる彼は、体を起こしながら周囲へと視線を向ける。
「つっ……野郎、無茶苦茶しやがるな……。どこに行きやがった?」
「――あらあら、やっぱり頑丈ねぇ」
正好が呟いた言葉に対し、クスクスという笑い声を含んだ声が響き渡った。正好はすぐさま起き上がり、腰の刀に手をかける。
「テメェ……! なめた真似しやがって……!」
「あははっ、なめた真似? どういう意味? 生き残るため、殺すためなら手段は選ばない……常識でしょうに」
フードを目深に被ったままの襲撃者が、クスクスと笑いながら正好にそう言葉を返す。テメェ、と正好が目を細めた。
相手は女。そして、この口調と態度。随分前に一度接敵しただけだが、正好はこの相手に覚えがある。
――神道絶。
大日本帝国が追い続ける《殺人鬼》。その罪状は『千人斬り』を皮切りに、『帝暗殺未遂』、『叛乱先導』、『当時の帝国議会議員十三人の暗殺』などが挙げられる。十年近く前に大日本帝国を出奔し、『真選組』が追い続けているのにもかかわらず未だ逃げ続けているという傑物だ。
そう、幾度となくあの神道虎徹が刃を交えているのにかかわらず、まともな成果を上げられないほどの実力を持つ『鬼』――それが神道絶という存在。
神道家が世に解き放ってしまった、〝人非ざる者〟。
「――丁度いい。テメェは生かしておいても邪魔になるだけだ。この場で殺してやる。罪状は十分だからな」
「……アタシを殺すの?」
「逆に聞くが、殺されねぇ理由があるのか?」
油断なく刀の柄を握り締め、正好が言う。ふふっ、と絶が笑った。
「ならば逆に聞くけれど――……」
対し、絶は背負った刀に手を伸ばすことをせず、フードへと手をかけた。
言葉と共に、その顔を隠していたフードが取り払われる。
「――あなたに、このアタシが殺せるの?」
現れたのは、一人の女性の顔。その表情はどこか憐れむような色を宿しているが……正好にとって、そのようなことはどうでもいい。
固まった理由は――その、容貌。
見覚えのある顔に、正好は自身の体が硬直するのを感じた。
「……な、……う、嘘……だろ……?」
絞り出すように、正好は言葉を紡ぐ。そう、嘘だ。あり得るはずがない。〝彼女〟は、もういない。いないのだ。だってあの日、自分は彼女を救えなかった。
だから、これは他人の空似。いくら彼女もまた、〝神道〟だったとはいえ――……
〝……あなた……だれ……?〟
〝私を……助けて、くれるの……?〟
不意に、そんな声が聞こえた気がした。
懐かしい、もう思い出せなくなっていた声。
その言葉を、口にしたのは――
「――神道、奏」
びくりと、自身の体が震えたのがわかった。視線を向けると、まるで氷のような冷たい視線をこちらへ向けている絶がいる。
「あの子のことを忘れたとは言わせないわ。ええ、言わせない。あなたが殺したあの子を、あなたが忘れることは許さない」
「…………ッ、な、どうして、どうして奏の名前を……」
声をどうにか絞り出す。神道絶が『神道家が生み出してしまった最悪の殺人鬼』であるならば、神道奏というのは『神道家が生んだ禁忌』と呼ばれる存在だ。記録上、享年十四歳とされている少女だが……その少女は神道家に『いた』という記録が残されているだけで、実際に知る者はほとんどいない。
現在の《七神将》においても、その年齢的な部分から藤堂暁と水尭彼恋は知らない存在だ。神道家がその存在を隠してきたという側面もあるため、今ではその名を語られることもない。
故に、神道絶などという《殺人鬼》が知るはずがないのだ。
多重人格――強さを求め、その血を純潔とするために近親相姦を繰り返してきた神道家が生んだ怪物の名を、知っているはずが――
「わからないの?」
鋭い視線はそのままに、問い詰めるように絶が聞いてくる。正好はまともに答えられない。
彼が『神道奏』を最後に見たのは、もう十年以上も前のことだ。故に当時の彼女は幼く、今の絶のような大人の女性ではない。
しかし、これはそんな理屈ではない。
本能のようなものが、一つの答えを告げている。
ただ、それを認めたくないだけで……。
「アタシの名は、神道絶。『殺意』のみを宿す、一人格。あなたのことはあの子の中からずっと見て来たわよ? アタシにはどうにもできなかった、昏い黄昏の牢獄生活……目を開けることさえ禁じられ、陽の光も空の青さも知らなかったあの子を救い出したヒーロー――本郷正好」
カツン、という音を響かせ、絶が一歩正好へと近付く。正好は反射的に刀を抜こうとするが、しかし、抜けない。
本能が、〝止めろ〟と――そう、警告を飛ばしている。
「だからアタシは許さない。あの子を見捨てたあなたを。絶望の中、置き去りにしたあなたを。本来ならアタシが消えるべきだった。世界を呪うという感情さえ知らなかったあの子が、その本能で世界を呪い、アタシを生み出した。あなたにわかる? 憎悪という感情も憤怒という感情も知らない人間が、世界を呪えばどうなるか。――答えは、アタシよ」
ここにいる自分が答えだと、絶は言った。
「アタシは、生まれたばかりの頃はただの代理人格だった。けれど、あの子が禁忌とされ……闇の牢獄へ幽閉されてから、ずっとあの子の言葉を聞いてきた。あの子はいつも、たった一つの台詞だけを繰り返していたわ」
どうして。
どうして。
どうして。
どうして。どうして、どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。
どうして私は――こんな場所にいるの?
「気が狂うわ。いいえ、最初から気が狂っていたわね。少なくともアタシたちはそう認識されていた。……本郷正好。何も知らなかったあなたは、あの子をそんな世界から連れ出したのよ」
神道家に訪れた、ある日。正好は一つの隠し通路を見つけた。
興味で踏み込んだその先に、彼は見つけたのだ。絶が『あの子』と呼び、彼が『アイツ』と呼ぶ人物を。
両目を拘束され、身動き一つまともにとることを許されぬ姿で拘束された……一人の少女を。
「アタシはそこで消えるはずだった。いいえ、消えるべきだったのよ。アタシのような存在はね。けれど……結果としてあの子が消え、アタシが生き残った。全てはあなたの所為よ――本郷正好」
至近距離。それこそ吐息のかかるほどに近い距離まで近付き、絶は正好をまっすぐに見据える。
「あの子は、あの子自身の自由のために戦った。そして、あなた達に捕らえられた」
「……捕らえ、られた……?」
「そうよ。あの子を捕らえたのは当時の《七神将》第三位、辻堂虎徹。あの男はね、《女帝》の情報を引き出すために…………あの子を徹底的に凌辱したのよ」
「――――ッ!?」
神道絶は敵である。故に、彼女の言葉を信じる道理はない。
しかし……正好には、その言葉を信じることしかできない。彼女の瞳が、それ以外の選択肢を許さないのだ。
「あの子は、必死で耐えた。ようやく見つけた〝自由〟への希望。それを手放すまいと、あなたが――そうよ、あなたが教えた〝自由〟のために!! あの子は地獄の中で正気を保ち続けた!! あの子は最後まであの子に居場所をくれた《女帝》ではなくあなたを信じていた!! それなのに!! それなのにあなたはあの子を見捨てた!!」
絶叫のような声が響き渡る。正好は、何も言えない。
「――アタシは、あなたを許さない。本当なら、アタシが消えるべきだった。そうなるはずだった。それで良かった。アタシなんて消えるべきだった。なのに、あなたがあの子を見捨てたせいで……アタシが残ってしまった」
正好に背を向け、吐き捨てるように絶は言う。
「あの子の最後の言葉……ボロボロになりながら、あの子はアタシに何て言ったと思う?」
何も言えない正好へ。
遺言となる、彼女にとっては『姉妹』たる者の言葉を……絶は告げる。
「――〝まーくん、たすけて〟」
その言葉を聞いた、瞬間。
がくりと、正好は床へと膝をついた。言葉は、何一つ……紡げない。
「あなたは必ずアタシが殺す。それまで、あの子を殺した罪に苛まれなさい」
靴の音を鳴らし、絶が立ち去って行く。正好は顔を上げ、手を伸ばした。
「…………ッ、ま――……」
しかし、制止の言葉が紡げない。その姿が消えていくのを呆然と見送り、正好はただ茫然とする。
――かつて、本郷正好という少年は『落ちこぼれ』だった。
『御三家』の一角たる本郷家、その直系にして長男という立場にありながら、武芸も教養も人並み程度。三つ上の姉は《鬼姫》と呼ばれ、《七神将》に抜擢までされているというのに、彼は一兵卒から昇進することができないでいたのだ。
大日本帝国は徹底的な実力主義を敷く国であり、特に大日本帝国軍はその者の家柄よりも実績、実力を重要視する。《七神将》の選定をそもそも帝やその代における《七神将》の第一位が中心となり、全体で決定するのだ。そこに不正はほとんどないと言ってもいい。
姉が優秀であったが故、当然のように長男として正好は期待された。だが、彼の才能は開花することはなく、月日が経過していく。
日に日に本家の中でも居場所を失っていく正好。彼が荒み始めたのもこの時期であり、それを見かねた当時の本郷家当主――正好の父は彼を『神道家』に預け、鍛え上げるという方法をとる。無論、当時の正好には『神道流』を学ぶ資格はなかったため、刀術の基本から道場で修行することになった。
そしてその過程で、彼は神道家の『禁忌』に触れる。
厳重に秘された牢獄の最奥。そこで、本郷正好という少年は一人の少女と出会った。
少女の名は――神道奏。
〝最強〟という『呪い』に近き妄執に取りつかれた一族――『神道家』が生み出してしまった、一つの身体に二つ以上の魂を宿す禁忌の存在。
条理に外れているが故に秘されたその少女と出会い、本郷正好の運命は大きく変わる。
少女を外へと連れ出し、当時吉原を率いていた《女帝》と単身で接触。正確にはその義妹にになるのだが……そうすることで、少女の安全を確保した。
そう、できたはずだった。
少女にとって、少年はヒーローとなったはず……だったのに。
――しかし、少年はヒーローになれなかった。
後の戦いにおいて、少女が戦死したと少年は聞かされる。自由のために戦い、散ったのだと。当時の彼の上官であった男から、少年はそう告げられた。
少年は泣き、そして――それで終わったはずだった。
少年と少女の物語は、そこで終わったはずだったのに。
一人の殺人鬼が、その物語は終わっていないと、そう告げて。
再び、物語は始まった――……
……どれくらいの時間、そうしていたのか。座り込んだ正好の耳に届いたのは、聞き慣れた声だった。
「正好、オメェ無事か?」
振り返る必要はない。声の主は――虎徹だ。
かつて、彼女が……神道奏が死んだことを正好に伝え、そして、彼を罰した男。
その男が、背後から正好へ手を伸ばした瞬間。
「――――――――ッッッ!!!!!!」
反射的に、正好はその顔面を殴り飛ばしていた。流石の虎徹も咄嗟のことに反応ができず、殴り飛ばされ、床へ尻餅をつく。
正好は息を切らし、必死の形相で虎徹を睨む。虎徹はそんな正好を冷めた目で見据え、ちっ、と舌打ちを零した。
「……どういうつもりだ、オメェ」
「それは……っ、それはこっちの台詞だ!!」
虎徹の胸倉を掴み、正好が吠える。
「テメェ!! どうして……どうして奏のことを黙ってた!? 神道絶――《殺人鬼》のことも!! 妙だとは思ってたんだよ!! あんたがわざわざ出向いて始末しようとするから、何かあるんだろうって思ってた!! ふざけんなよテメェ!!」
再び、正好が虎徹へと拳を振るう。だが、その拳は難なく受け止められてしまった。
「……成程、絶の素顔を見たか。黙ってたことは謝る。侘びとして、一発だけなら殴られてやろう。だがな、正好。それ以上は許さん。これ以上向かってくるようなら、本気で相手してやるぞ」
「――ふっ、ざけんなぁ!!」
放たれる正好の蹴り。しかし、それが虎徹を捉える前に、正好の顔面を強烈な右ストレートが殴り飛ばした。
たまらず吹っ飛ばされ、尻餅をつく正好。その正好に、服を整えながら虎徹は鋭い言葉を投げかけた。
「冷静になれ。今のオメェの立場を考えろ馬鹿野郎。聞くがな、当時のオメェがそれを知ってどうなった? まさかとは思うがオメェ、ただでさえ迷惑かけてた本郷の本家に更に迷惑かける気か?」
「…………ッ!?」
「……まあ、本郷家そのものはオメェの姉貴が裏切ったせいでほとんどお家お取潰し状態。オメェはもう少し立ち回りってもんを考えろ。全てが今更なんだよ、馬鹿野郎が。当時の神道奏には殺害命令が出ていた。神道家から逃げ出した上に神将騎まで操って反逆してきたんだ。当然だろうがな」
大局を見ろ、と虎徹は言う。
「オメェは今まで何人殺してきた? 何人見捨ててきた? 顔も名前も――数さえも覚えちゃいねぇだろうが。そんな奴が今更一人の女の生き死にで足を止めることが許されると、本気で思ってんのか?」
「…………ッ、俺は……ッ!」
「俺は、じゃねぇ。オメェの立場を自覚しろ。必要なんだ、オメェの力はよ。……頭冷やしたら戻って来い。詩音の救出も完了した。そろそろ、祭の準備が始まるぞ」
言い放ち、虎徹が立ち去って行く。正好は、くそっ、と小さく呟いた。
「……奏……」
『落ちこぼれ』と呼ばれ、疎まれていた自分に初めて優しく接してくれた少女。救うと約束し、救えなかった相手。
本郷虎徹という人間の、原点たる少女――……。
「……………………ちくしょう…………」
何に対しての、呟きなのか。
本人さえもわからぬままに、正好は呟いた。
◇ ◇ ◇
聖教イタリア宗主国における実質上の中心地であるヴァチカン市国。そこには世界最大宗派たる『聖教』のトップ、『教皇』とそれを支える『十二使徒』が存在するため、イタリアにおける最大規模の病院もまたヴァチカンのすぐ側にある。
医療技術においては千年ドイツ大帝国が最先端であると言われているが、イタリアも大きく劣っているわけではない。十分以上の施設、技術は存在している。
しかし……それでも治せない病は存在する。
そう――アリス・クラフトマンが再会を果たしたイタリアの英雄、朱里・アスリエル。その妹である咲夜・アスリエルを蝕む病もまた、治すことはできない病の一つだった。
「本当に無事で良かったです、アリス様」
「咲夜さんも……すみません、私は……」
「……お兄様から、話は伺いました。アリス様は悪くありません。多くの事が重なった結果だとお兄様が仰っておられました。私も、その通りだと思います」
「でも。それでも、私は……私は、あなたたちを裏切って……」
「……アリス様は、アリス様の故郷を想っただけの事です。私はこんな身体ですから……戦うことなどできず、お兄様には迷惑をかけてばかりで……。アリス様が、羨ましいです」
「私が、羨ましい……?」
「意志を持ち、戦える身体。それが……私は羨ましいです」
「……それは」
「すみません、暗い話を。……また、来てくださいますか?」
「はい。しばらくは滞在しているつもりなので、また来ます」
「お待ちしていますね。今度は、護様とヒスイ様も是非お連れください」
「うん。必ず」
パタン、という扉の閉まる音が響いた。それを聞き届けてから、アリスは大きく息を吐く。ずっと緊張しっぱなしだったため、酷く肩が凝っている。
罵声を浴びせられると思った。恨まれて当然だと思っていた。むしろ、そうするために来たはずだった。
しかし、咲夜は笑っていてくれた。
それで……どれだけ救われたか。
「咲夜の様子はどうだった?」
不意に、そんなアリスに声がかけられた。見れば、朱里が優しげな表情を浮かべてこちらを見ている。アリスは頷くと、笑顔を意識して言葉を紡いだ。
「はい。……ありがとう、ございます」
深々と、アリスは頭を下げる。朱里が眉をひそめた。
「それは何に対しての礼だ?」
「……私を、こんな私を受け入れてくれたことに対してのお礼です」
「まだそんなことを言っているのか?」
ふう、と呆れたように朱里は息を吐く。アリスは首を左右に振った。
「一度は諦めてしまった命ですから。……ふとした時、思い出すんです。私は、どうして。どうして、こんな――……」
掌を見つめながら、小さく呟く。何度も諦め、その度に誰かによって救われてきたこの命。何度も思う。どうして、生きていられるのだろうと。
どうして、私は――……
「……礼を言ってくれるというなら、一つだけ頼まれて欲しいことがある」
不意に、朱里が呟くようにそんなことを口にした。アリスが首を傾げると、朱里は頷いて言葉を続ける。
「咲夜を……妹のことを、頼みたい」
「……咲夜さんを?」
「ああ。……情けない話だが、ソラやリィラ、レイラたちがいなくなってしまった以上、イタリアで俺が頼ることのできる人間はそう多くない。だから、頼まれて欲しい」
その言葉を口にする朱里の表情は、真剣そのものだった。アリスは、思わず朱里に問いかける。
「た、大佐。それは……そんな言い方をされたら、まるで……」
その先の言葉は、紡ぐことができなかった。親しい、とはおそらく言えない相手。しかし、見知った上で世話になった相手でもあるのだ。故に、その言葉を紡ぐのはどうしても躊躇われる。
そう――『死』という、アリス自身も多くを見届けたその事象を。
朱里は首を左右にゆっくりと振ると、仮定の話だ、と窓の外を眺めながら言葉を紡いだ。
「今、EUがガリア連合との戦争状態に入っているのは知っているだろう? あまり大きな声では言えないが、非はEUの側にある。……俺が言うべきではないのだろうがな、こんな台詞は」
自嘲気味に朱里は言うが、それはその通りだろう。朱里・アスリエルはイタリアの英雄であり、EUの英雄の中でも一際知名度の高い一人だ。その人物が戦争に対して疑問を抱けば、それだけで軍内に動揺が走る。
そんな朱里の言葉に対し、アリスは何も言うことができない。こんな時、気の利いたことが言えない自分に嫌気が差す。
そんなアリスの様子に気付いたのか、朱里は大丈夫だ、と言葉を紡いだ。
「死ぬつもりなどないし、負けるつもりもない。所詮は可能性の話だからな。……だが、俺は結局は兵隊だ。いつ『その時』が来るかはわからない。お前ならわかるだろうが、〝奏者〟とは常に死と隣り合わせの立場にいる。当然だ。相対する相手がほとんどかならず神将騎なのだからな。だから、アリス。咲夜のことを……頼みたい」
「……大佐。でも、私にできることなんて……」
「気にかけてくれるだけでいい。……面倒なことを言っているのはわかっている。だが、頼れるのはお前しかいないんだ」
頼む――そう言って、朱里は頭を下げた。アリスは、慌ててそんな朱里へ言葉を紡ぐ。
「あ、頭を上げてください大佐! そのっ……わ、私にできることなら何でもしますから……!」
「……そう言ってくれると本当に助かる。ありがとう、アリス」
ふっ、と小さく笑みを零し、朱里は言う。そんな朱里へ、アリスが頷きを返した瞬間。
「こ、ここは病院です! 患者様の迷惑となりますので……!」
「ええい黙れ! これは教皇猊下の勅命だ! 朱里・アスリエルはどこにいる!?」
廊下の奥から、騒々しい声が聞こえてきた。病院内だというのに周囲への迷惑を顧みないその大声に、朱里は眉をひそめる。
靴の音が近付き、十人近くの集団の姿が現れた。白い、十字の紋様を背負ったローブ姿。朱里にとっては見覚えのあるその姿に、無意識のうちにその表情を険しくする。アリスは何が起こっているのかわからず、オロオロと周囲を見回すだけだ。
そしてその集団は朱里の姿を認めると、その進路上にいた者たちに「どけっ!」という一喝と共に乱暴に排除するという暴挙に出た。その姿に、朱里が思わず声を上げる。
「やめろ! 何をしている!?」
「黙れ! この異端者が!」
朱里の一喝に、先頭に立っていた男がすぐさまそう言葉を返した。朱里が、なっ、と眉をひそめる。
「どういう意味だ? そもそも、何故お前たちがここにいる?」
「ふん、そういえば貴様は我々の存在を知っているのだったな。ならば話は早い。――朱里・アスリエル。貴様に『異端』の嫌疑がかかっている。ヴァチカンへ出頭せよ」
「な……ッ!?」
朱里が驚愕に目を見開き、何事かと集まっていた者たちも驚きでざわめき始めた。アリスもいきなりのことについて行けず、ただ茫然と成り行きを見ている。
「教皇猊下直々の指示書だ。……同行してもらうぞ」
「待て! 何が異端だ! どんな根拠があって!」
「――逆らえる立場だと思っているのか?」
声を荒げ、反射的に臨戦態勢に入ろうとする朱里。しかし、男がすぐ側の病室へ視線を向けながら放ったその言葉で、朱里の動きが止まった。アリスは、反射的に拳を握り締める。
――咲夜・アスリエル。
先程までアリスも話をしていた相手。そして、朱里にとっては誰よりも大切な相手だ。
異端、という言葉と集団が背に追っている十字架からおおよその状況はアリスにも推測できる。
脅迫――男たちは、咲夜を人質に取ることで朱里を連行しようとしているのだ。
「…………ッ!! 貴様らァ……ッ!!」
音が聞こえてくるほどに強く、朱里が拳を握り締める。男が、ふん、と鼻を鳴らした。
「貴様は黙って従えばいい。……連れて行け」
「はっ」
男の背後にいた者たちが指示に従い、朱里の両腕を拘束する。朱里は無言でされるがままだ。しかし、その表情は苦渋そのもので、血が滲むほどに歯を食い縛っている。
異端――その言葉は、聖教イタリア宗主国おいてあまりにも重い意味を持つ。『聖教』という宗派から外れた、外法に身を染めし者。異端審問会という言葉があるが、アレはほとんどただの拷問だ。
一度『異端』と認定されてしまえば、覆すことはほとんど不可能。
歴史上において最大規模の虐殺の一つ『魔女狩り』が有名な『異端審問』――最早消えたはずの悪しき風習が、朱里の体を絡め取る。
「…………アリス」
両腕を縛られ、抵抗を許されない状態にされた朱里。彼は目の前の事態にどうしていいかわからず、ただ茫然と見守っていたアリスに小さく言葉を紡いだ。
「――後は、頼む」
そして、朱里は連行されていく。周囲からは、戸惑いの声が途切れずに聞こえてきている。
「《赤獅子》様が……」
「そんな、まさか……」
「朱里さんが、異端……?」
ざわざわと、周囲に広がる動揺という名の戸惑い。その中心に近い場所で、アリスはただ立ち尽くしている。
〝――後は、頼む〟
朱里が遺したその言葉が、耳に響き渡る。
そんな、ところへ。
「……アリス様? 一体、何があったのでしょうか……?」
扉を開け、車椅子に座った状態の咲夜が声をかけてくる。
アリスは、何も言葉を紡げない。
かくして多くの因果が絡み合い、歴史が一つの転機を迎える。
戦乱の世界は、未だ〝平和〟への道筋を見つけられずにいた――……
と、いうわけで色々と人間関係がややこしくなってまいりました。
まあ、今回は要するに護と虎徹というシベリアと大日本帝国の重鎮二人の接触と、過去に色々あった絶と正好のやり取り。そして、朱里とアリスの会話ですね。
朱里は異端審問官に連れて行かれ、アリスはそれを見送るしかないという現実。この先これらがどう動いていくのか……楽しみにして頂けると幸いです。
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ありがとうございました!!