第十二話 戦乱の火種
シベリア連邦首都、モスクワ。大分復興が進み、かつての姿を取り戻しつつあるその場所の中心にある王宮。夜の帳も落ち切り、街の灯りも消えてしまったその時間、王宮の最奥には明かりが点いていた。
その部屋は、王の私室。そこに座すのは、シベリアの王。
――ソフィア・レゥ・シュバルツハーケン。
かの《氷狼》と共に統治軍をシベリアから撃退し、新たな国造りを進める若き王だ。その王の側には親衛隊隊長であり、元傭兵――ソフィアが〝ジャンヌ・ダ・ルーク〟と二人きりの時には呼ぶ男、アランが控えている。
「……ソフィア、本気?」
壁に背を預け、難しい表情を浮かべたアランがぽつりとそんな言葉を紡いだ。対し、ソフィアは何のことだ、と笑みさえ浮かべながら言葉を返す。
「貴様には何度も話したであろう? これが最善の一手なのだ。あの《女帝》が語った大日本帝国の目的――私には、それを受け入れることは出来ぬ」
「……多くが死ぬよ。大日本帝国は強大だ。それだけじゃない。合衆国アメリカ、中華帝国……精霊王国イギリス。それぞれが強力な軍隊を擁する大国を敵に回すことになる」
「大日本帝国だけでも厄介だというのにな。……だが、アラン。今一度問うが、戦に勝てぬからと諦めるのが道理か?」
「一国の王としての判断なら、それもありだと僕は思うよ」
厳しい表情のまま、アランはソフィアへとそう言葉を紡いだ。ソフィアは、ははっ、と苦笑を漏らす。
「……お前は意地悪だな、アラン」
「現実主義なだけだよ。傭兵は夢なんて見ていられないから」
アランが肩を竦める。そんな彼を、ソフィアが笑った。
「戯けが。貴様のどこがリアリストだ。貴様は夢を見、理想を追い、その果てにこそ――〝救国〟を成し遂げたのだろう? 立派な理想家だ」
「……昔の話だよ。それに、僕は結局妹を救えなかった。〝ジャンヌ・デ・アーク〟は、魔女狩りによって処刑されたんだ」
「……すまぬな。嫌なことを思い出させた」
「構わないよ。昔のことだしね。それに、今の僕は〝アラン〟であり、〝ジャンヌ・ダ・ルーク〟じゃない。……僕はキミについて行くと誓った。キミを守ると約束した。地獄の底であろうと供をするよ」
「頼りにしているぞ。……さて、そろそろか――」
時計に視線を向け、ソフィアが呟く。その時。
室内に備え付けられていた電話が、甲高い音を響かせた。ソフィアはその受話器を手に取ると、笑みを浮かべて耳に当てる。
「電話をかけてきたということは、例の件について了承してもらえたと考えても構わぬのか?」
『……断るにせよ受けるにせよ、電話越しとはいえ会談の席を用意するのは必要なことだ』
「詭弁だな。お互い忙しい身だ。腹の探り合いなどという無駄なことをする暇はないと思うがな? 必要とあらば、そちらが応じる理由を答えることも可能だぞ」
『必要ない。……すでにエトルリア公国には話を通したと聞いたが』
「ああ。向こうのトップは二つ返事で承諾した。罠かとも思ったが、それならば大日本帝国が動かぬ理由がない。今のところは信用しても――いや、違うな。信用するのだった。……あの大日本帝国と事を構える以上、味方を疑っていては終わりがない」
真剣な口調でソフィアは言う。対し、電話の相手は至極冷静に言葉を紡いだ。
『それは道理だが、こちらはまだ完全に足並みが揃っているわけではない。確かに我々の革命に協力してくれたことには感謝している。だが、私は我が国の民、その命を預かる立場に立った。そう簡単に頷くことはできん』
「本当にそうか?」
『……どういう意味だ?』
「大日本帝国は強大だ。それについては今更語るべくもない。そしてあの国が『救世』を謳おうとしている今、手を打たねばならない」
『それさえも眉唾だが……まあいい。それで、そこに加わることに際してメリットは?』
「――未来」
ソフィアは、その言葉だけを口にした。相手が息を呑んだのが伝わってくる。
「このままでは、我らは未来を見ることができぬ。……子供が夢を見れぬ世界に、どれほどの価値があるという?」
なぁ、とソフィアは問いかけた。
これから先、共に戦っていくことになるであろう――その相手に。
「神聖ドイツ帝国国家元首――カルリーネ・シュトレン」
◇ ◇ ◇
大日本帝国《七神将》第二位、《剣聖》神道木枯。護にとっては一度刃を交えた相手であり、大日本帝国の要ともされるその人物との相対に、不安がなかったわけではない。何より誤解とはいえ彼女の夫であり、『真選組』という組織を預かる神道虎徹とやり合った後でもあったのだ。警戒はしていた。
しかし、その想定外の会合自体は驚くほどあっさりと進んだ。むしろ、木枯からは深々と頭まで下げられ、虎徹から貰った刀とは別に『奇縁』という銘を持、刀身に文字が掘られた日本刀まで手渡された。
護としてはそんな礼が欲しくてしたことではない。虎徹から渡されていた、こちらは『備前長船』という銘の日本刀も含めて返そうとしたのだが、アルビナの「受け取りな。それもまた礼儀だよ」という言葉を受けて受け取ることとした。
詩音は頭部にそれなりに深い怪我をしていたが命に別状はないようで、その後の戦闘でもヒスイがきっちりと守ってくれていたらしい。それもあってか、詩音はスケッチブックに『ありがとうございました』という言葉を書くと共にヒスイに何度も礼を言っていた。
そして、これでアルビナの言う大日本帝国によるEUとの戦争という最悪のシナリオは回避されたこととなる。それについては木枯と虎徹が礼と共に護へとそう告げた。もっとも、別件の用事があるらしいためすぐに帰還するわけではないらしいが。
「――一度は敵として殺し合ったが、機会があれば是非とも背中を預け合いたいものだ」
木枯はそう言い残し、護とヒスイ、アルビナを残して立ち去って行った。護たちはそれを見送り、今は宿に向かっている状態である。
「……しっかし、想定外の状況だったな……」
「……護、大丈夫?」
ふう、と明らかに疲れた調子の吐息を漏らす護に、ヒスイが首を傾げて問いかけてくる。護はそんなヒスイの頭を軽く撫で、大丈夫だ、と言葉を紡いだ。
「お前こそ大丈夫か? 結構きつかっただろ?」
「……僕は大丈夫。昔に比べれば、全然」
「そっか。……けどま、よくやったぞヒスイ。流石だな」
「……うん」
くしゃくしゃと頭を撫でてやると、ヒスイは相変わらずの無表情で頷いた。ただ……その表情が幾分か柔らかく見えるのは、きっと錯覚ではないだろう。
仲のいい兄弟のように道を歩く二人。その二人へ、アルビナが笑みを浮かべながら言葉を紡いだ。
「……でも、二人共本当に良くやってくれたさね。最悪のシナリオは回避できた」
「あん?……いや、偶然だしな。戦争が起こらなかったのは何よりだよ。けどよ、俺は一つ疑問なんだが……」
「何がさね?」
「いくら重要人物の娘とはいえ、所詮は十歳の子供だろ? 誰に攫われたかもわからねぇのに、大日本帝国は本当にEUに戦争を仕掛けるつもりだったのか?」
そう、護は何度聞いてもそこが納得できない。確かに神道詩音という少女は重要人物の娘であり、将来的には大日本帝国の重鎮となる可能性を秘めている。
しかし、まだ誰によって誘拐されたかさえわかっていなかったのだ。だというのに、本気で戦争など仕掛けるのだろうか?
そんな疑問を浮かべる護。そんな護に、アルビナは煙管の煙を吹かしながら真剣な声色で答えた。
「――それが、大日本帝国さね」
たった一言。
護の問いを解決するための、その一言を。
「採算なんて考えていないのさ、連中はね。逆らうのであれば容赦はしない。そうして全てを叩き潰せば、いずれ反抗する者もいなくなる――そういう論理さね」
「……無茶苦茶だな」
「暴論だよ、確かにね。けれどそれが真実であり、それ以上の答えはないのもまた現実さ。大日本帝国は帝の統治下において歴史上において二桁以上の叛乱を経験してる。けれど、それが成功したことは一度もない。唯一成功と呼べたのは、先生――《女帝》の事実上の敗戦という『休戦』だけ。……そういう国なんだよ、あそこはね」
異常な場所さね――自嘲するように、アルビナは言った。護は、まあ、と呟くように言う。
「……天音さん一人のために将軍五人が出向くような国だからな。常識じゃ測れねぇか」
「あの国と事を構えるなら、全てを懸ける覚悟が必要さね。先生はその果てに、『休戦』という『敗北』を受け入れた。あの《女帝》でさえもそうなんだ。それがどういうことか……アンタにはわかるだろう?」
「わかりたくもねぇがな」
大日本帝国において《女帝》と呼ばれた英雄、出木天音。
彼の天才――天災でさえ、大日本帝国には膝を折るしかなかった。その物語を、護は聞き及んでいる。
「まあ、今は大丈夫さね。下手人はガリア連合の人間だった。――標的は、変更されたよ」
「……ちょっと待て。それは――」
「――護さん!!」
言いかけた言葉は、第三者の声によって遮られた。見れば、アリスが息を切らしてこちらへと駆け寄ってくる。
「アリス? どうした?」
「護さん、私、私ッ……どうしたら……ッ!?」
護の手を握り締め、涙さえ浮かべてアリスは言う。護は、落ち着け、と言葉を紡いだ。
「それじゃわからない。何があったんだ?」
「ッ、ど、どうしたら……どうしたらいいの……!?」
呟くようなアリスの言葉。かなり錯乱していることが見て取れる。
落ち着け――もう一度護がそう言葉を紡ぐと、アリスは目から今にも涙を零しそうな瞳で護を見上げた。
「大佐が、大佐が……ッ、連れて行かれて、咲夜さん、が、一人ぼっち、に、なって……ッ、私、頼むって、後は頼むって、大佐に……」
支離滅裂な言葉。しかし。
アリスは、最後にその言葉を口にした。
「――大佐が、処刑されちゃう……!!」
その、台詞に。
その場の全員が、目を見開いて驚愕した。
◇ ◇ ◇
神聖ドイツ帝国――その、自国の新たな名を耳にしたカルリーネは僅かに微笑を漏らした。そして微笑を浮かべたその表情を変えぬまま、気の早いことだ、と電話の相手へと言葉を紡ぐ。
「その名はまだ、協議段階なのだがな?」
『そのようなもの、所詮は形式だけのものであろう? 革命が成功し、古き悪しき体制より脱却を目指すという意味を込めた国名の変更……成程、理に適っている』
「口で改革といっても、実際にそれが浸透するかどうかはその後の政策にかかっている。これはその第一歩だ。名を変えるという、誰にでもわかるその行為を以て我々は革命を成功させる」
『『我々』、か』
「そうだ。私一人ではない。この国に住まう民、全てのための改革だ」
断言する。かつての自分は、自分に預けられた領地の民たちのことを最優先で考えれば良かった。むしろそれ以上のことに口を出すことは他の貴族たちの不興を買う結果になることがわかり切っていたし、結局のところ『女性』である自分は侮られることも多かったのだ。
統治軍に軍属として参加したのも、自身の性別からくる理由が大きい。結局は女性で、更に若い身。自らが動かねば、誰もついて来てはくれないのだ。
そういう意味で、自信と同じ年若き身でシベリアの王となったソフィア・レゥ・シュバルツハーケンには興味があった。統治軍のことも考えれば簡単に受け入れることができない相手だが、元々シベリア連邦という国家はEUと密に貿易を交わしてきた相手でもある。利益を考えれば、個人的な禍根など捨て去る覚悟がカルリーネにはある。
王とは、一つの装置だとカルリーネは思っている。民の生命と財産を守り、その上で国を導き護っていく存在。そこに個人的な感情は許されず、常に最善の道を選ばなければならないのだ。
これはその『最善の一手』と成り得るのか――カルリーネは、その答えを見つけるために言葉を紡ぐ。
「私は所詮、一地方の貴族に過ぎなかった。しかし、時代が、状況が、世界がそれを許さなかった。私が――私たちが立ち上がらなければ、今頃この国は本当の意味で終わっていただろう。『ドイツ』という国は、歴史の教科書にしか名を刻まれないようになる」
過度なインフレと、それによる失業者の増加。このまま放置すれば、文字通り国が『滅んで』いた。
カルリーネが秘密裏に繋がりを用意していたエトルリア公国の協力もあり、経済的な危機が抑え込める手は打った。しかし、それは同時に一つの決断をしなければならないということでもある。
それ故の、この会談だ。ソフィアが本当に信頼できる相手なのかどうか――それを見極めるための、対話。
「私はな、この国が好きだ。私が生まれ育った国だ。愛するなという方が無理な話でもある。……だが、EUは年がら年中、他国を蹴落とそうと競争を続ける愚昧な地域だ。連合といっても、所詮は形に過ぎん。現に我が国の窮状について手を貸してくれる国など皆無だった」
『……くだらぬな。その手の話はいつ聞いても夢見が悪い』
「しかしそれが現実だ、シベリアの王。……さて、無用な問答はここまでとしよう。お互いに忙しい身だ。単刀直入に問う。――先日寄越した書簡の内容は、正気を以て紡いだものか?」
声の調子を整え、カルリーネは問いかけた。対し、向こうからも真剣な雰囲気が伝わってくる。
『逆に問おう、ドイツの王。――正気を以て、あの大日本帝国と事を構えられるのか?』
「……それはシベリアの総意か?」
『総意、とはいかぬな。争いはもう嫌だと告げる民も多い。いや、むしろそういった者たちの方が多いだろう。その代表格が、我が国の英雄だ。あの者にこの内容を告げれば、正面から否定してくるだろうな』
くっく、と僅かにソフィアが笑みを零した。それに対し、話にならんな、とカルリーネは言葉を紡ぐ。
「民の意に沿わぬ政治が受け入れられるとでも? それは王の傲慢だ。私は泥船に乗るつもりはない」
『ならば重ねて問おう。――貴様は、民から未来を夢見ることさえも奪うつもりか?』
「……どういう意味だ?」
『言葉通りだ。すでに先に送った資料に記していたはずだが、《女帝》の言葉に嘘偽りはなかろう。あれを信頼することは出来ぬが、信用することはできる。……ドイツの王よ。私はな、我が民と約束をしたのだ』
不意に優しげな声色となり、ソフィアは言う。
『〝良き世を創るのだ〟――と』
……その言葉は、カルリーネも知っている。ソフィアから秘密裏に届けられた手紙に、全く同じ言葉が記されていたのだ。ただ、その言葉の意味まではわからなかったのだが。
ソフィアは、まるで夢を語る子供のように言葉を続けていく。
『だが、それを妨げようとする者がいる。私はそれを認めることは出来ぬのだ。問おう、ドイツの王よ。人が、一個人が、人生において幸福と思える根拠は何だ? 何があれば、人は幸福でいられる?』
いきなりの問いかけだった。カルリーネは一度目を閉じ、思考を巡らせる。
そして、答えを紡ぐ。
「――自らの手で選び、進み、生きていくことだ」
他者の決定ではなく、自分自身の決定を以て生きていくこと。それは辛い道ではあるが、それができるのであれば、それが最も幸福なことだろう。
その答えに満足したのか、やはりな、とソフィアが笑みと共に頷く声がカルリーネの耳へと届いた。
『ドイツの王よ。貴様ならそう答えてくれると思っていたぞ。そう、選択とは人が人であるための最低の条件であり、最大の条件だ。神とやらは人を不完全な存在として生み出す代わりに『自由』を与えた。そしてその『選択』と『自由』という二つの言葉を、私はこう定義する。――〝夢〟、と』
告げられた、夢という言葉。……青臭い台詞のはずなのに、何故だろうか。どこか納得してしまう。
『大日本帝国の――帝の理想は理解できる。確かに『平和』を勝ち取るならばそれしか道がないのだろう。だが、その先に待つのは感情のない世界だ。決められた未来、管理された世界――そんな結末の先で、子供が夢を見れるというのか?』
答えは否だ、とソフィアは言う。
『咎も業も責も、全て背負う覚悟はある。……受けられぬというのなら是非もない。この話は忘れてくれ』
それきり、ソフィアは沈黙する。カルリーネは再び目を閉じると、思考を巡らせ始めた。
シベリア連邦はかつての敵でこそあったが、恩もある相手だ。『救済党』を影から支援してくれたのは彼らであり、本来なら手を貸してくれるはずのEU各国は誰一人としてこちらを見ようとさえしなかった。
そして――送られてきた書簡。
大日本帝国の梟雄、《女帝》。彼の者からもたらされたのだという情報には信憑性がある。あの女性についても知らないわけではないのだ。それに、知らされた内容は突拍子もないものだったが、大日本帝国という存在を考えれば不可能な絵空事ではない。
……正直、私個人としては『乗る』ことを選びたい。
EUという、ヨーロッパ諸国から形成される連合。これに対して不信感を抱き始めているのもまた真実だ。ガリア連合との戦争もある。軍隊の派遣こそしているが、それは革命前のことであるため呼び戻すのも妙な話だ。幸いというべきか、軍部は自分に従ってくれているので大きな問題となっていないのだが……。
国の行く末を左右する決断だ。しかし、事態は急を要することでもある。《女帝》がそう断言している以上、猶予はあまりない。
どうする――内心で、もう一度呟いた時だった。
部屋をノックする音が聞こえ、それと共に一人のメイドが入ってきた。普通ならこちらの許可を待つものだが、火急の要件であるらしく、どこか慌てた様子で黒人のメイド――クリスィは一枚の紙をカルリーネに差し出す。
カルリーネはその紙を手に取り、目を通すと、険しい表情でソフィアに対して言葉を紡いだ。
「……シベリアの王。悪いが、答えはもう少し待って欲しい」
『理由は?』
「今、私の部下から伝わった情報がある。あまりにもEUが愚か過ぎて泣けてくるほどの内容だ。この結果を以て、私はEUを見定める」
そして、カルリーネは彼女のメイドから伝えられたその情報を、ソフィアへと告げた。
「――朱里・アスリエルの公開処刑が、明後日の正午に執り行われる」
◇ ◇ ◇
アリス・クラフトマンが告げた情報は、とてつもない衝撃を護たちに与えることとなった。
聖教イタリア宗主国の英雄にして、《赤獅子》と呼ばれる奏者。朱里・アスリエル。
イタリア軍の象徴であり、この国に多大な貢献を果たしてきたはずの男。その武勇は護自身、身を以て味わっている。アリスと共に二人がかりでようやく退かせることができたほどの相手であると同時に、完膚なきまでの敗北を喫した相手でもある。
その男が――〝異端〟としての告発を受けた。
異端審問、魔女狩り……そういった事例が歴史上において存在していたことは護も知っている。しかし、時の流れと共に〝異端〟という言葉は声高には叫ばれなくなったはずだ。
そのはず、なのに――……
「……どうやら、朱里・アスリエルの処刑は本当のようだね。号令が出されてる。何でも、『敵国と通じて教皇を暗殺しようとした』ってことみたいだよ」
アリスが告げた情報の確認を取るために街へ出ていたアルビナが、帰って来るなりそんなことを口にする。アリスが、そんな、と声を上げた。
「大佐が暗殺なんて……そんなこと、するはずがありません!」
「アタシもそれには同意するよ。あの男はやるとすれば正面から堂々と乗り込んで事を成すタイプの人間だ。それができるだけの実力もあるしね」
「ならどうして――」
「――口封じ、だろうな」
腕を組み、ずっと黙っていた護が口を開いた。朱里・アスリエル――アリスから話を聞いた時から、ずっと疑問だった。あの男は異端として問われるような男ではない。個人的には気に入らないが、それでもあの男の武勇は本物なのだ。
その朱里が処刑される理由……それはおそらく、一つしかない。
「内容なんて想像もできねぇし、するつもりもねぇけど……それぐらいしかねぇだろ。そもそも、イタリアの英雄が敵国と通じて教皇の暗殺を企てるってのはいくらなんでも無茶苦茶だ」
「へぇ……良いことを言うじゃないか。アタシもそう思うよ。けどね、シベリアの英雄。それが真実だとしたら、アタシたちにできることは何もないということになるよ?」
椅子に座りつつ、アルビナは言う。その言を受け、どういうことですかとアリスが問いかけると、アルビナは面倒臭そうに言葉を紡ぎ始める。
「あのねぇ、お嬢ちゃん。結局のところ、アタシたちはこの国において部外者だ。それに、そこの英雄はシベリアの重要人物。下手に関われば二国間で戦争が起こる可能性もあるんだよ? そんな状態で《赤獅子》に対して何かができると本気で思ってるのかい?」
鋭い、ナイフで抉るような言葉だった。アリスは、ぐっ、と唇を引き結ぶ。
「そ、それは……でも……、わ、私はっ、大佐に……」
「――ならば聞くけどね。アンタにあの男は何て言ったんだい?」
その問いを受け、護は思わずアリスを見た。アリスは何かを噛み締めるように一度唇を噛むと、ゆっくりとその言葉を口にする。
「……後は頼む、と……」
「その『後』という言葉は、どういう意味なんだろうね? ねぇ、お嬢ちゃん。あの男は他でもないアンタにその言葉を残したんだ。なら――あんたにできることは、何がある?」
ずっと黙って話を聞いていたヒスイも、その言葉を受けてアリスへと視線を向ける。ヒスイも朱里を知らないわけではない。表情には出していないが、気にはなっていたのだろう。
アリスは何かを考え込むように目を閉じる。そして、数秒の時が流れた後、ゆっくりと口を開いた。
「……きっと、大佐は咲夜さんのことを心配していたんだと思います」
「咲夜ってのは聞いた覚えがあるな」
「はい。大佐の妹さんで……私の、友達、です」
友達、という単語に妙に力を込めてアリスは言った。シベリア人であるアリスと、イタリア人である朱里の妹。知り合ったのは統治軍にいた頃なのだろうが、どういう経緯で知り合ったのかは想像もできない。
しかし、『友達』と呼ぶからには大切な相手なのだろう。アルビナがアリスの言葉を聞き、ふむ、と頷く。
「咲夜・アスリエル……朱里・アスリエルの妹だね? 成程、確かに朱里・アスリエルが処刑されれば相当苦しい立場になるだろうさ。唯一の肉親が死に、それどころか異端者の家族として扱われることになる」
「……随分詳しいんだな?」
「少し調べればわかることさね。まあそれはいいよ。それで、お嬢ちゃん? アンタはどうしたいんだい?」
アルビナが問いかける。アリスは再び、数瞬の沈黙を抱き。
そして……その言葉を口にした。
「私は――……」
◇ ◇ ◇
ヴァチカン市国、地下牢獄。
かつて数多の異端者、魔女と呼ばれた者たちが収容され、同時にその全てが息絶えた場所。
その最奥に、一人の男の姿があった。両腕を何重にも巻かれた鎖で拘束され、その両足も壁と繋がった鎖で拘束されている。
その姿を見た者は、思わず目を疑うだろう。牢に入っているのは間違いなく人間だ。しかし、その燃えるように紅い髪や、闘志衰えぬ瞳。その姿は、まるで手負いの獅子。
ここに収容され、満足に動くことさえも許されぬ身でありながら、それでも尚鋭き意思を携える男の名は――朱里・アスリエル。
イタリアの英雄にして、《赤獅子》と呼ばれる男。
「…………」
朱里は、無言で微動だにせず座っている。動くことさえ辛いのだからある意味では当たり前だ。しかし、まるで彫像のように動かない様はある意味不気味ですらある。
見張りの兵士などは存在しない。まあ、存在しようとしまいとこの地下から出る手段がないのだから一緒だろう。そもそも、『異端』を隔離するための場所がここだ。そんな場所に、『聖教』の信者を見張りとはいえ置くわけにはいかない。
何故なら、未だ『聖教』の根底には『異教を許さない』という論理が存在しており、そもそもから『異教徒は人間ではない』のである。
そんな中、誰が好き好んで『人外』の見張りなどするものか……そんな、論理。
狂った、論理だ。
音がない、無音の闇。
どれだけの時が流れたのか、もう時間の感覚さえ曖昧になってきた頃。
「……こんな形で再会するなんて、本当に世の中とはわからんね」
不意に聞こえてきた声に、朱里は顔を上げた。靴の音は聞こえていたが、無視していたのだ。
誰であろうと気にかける必要はない――そんな想いと共に顔を上げた朱里はしかし、現れた人物の姿を見て驚愕する。
「…………ッ!! お前は……ッ!!」
思わず身を乗り出そうとし、体が拘束されていることに気付く。結果は、鈍い音を立てて鎖が軋んだだけだった。
その様子を見て、相手は苦笑。左目を眼帯で覆ってこそいるが、その雰囲気と物腰は変わっていない。
「相変わらずですね、大佐――っと、もう俺はイタリア軍の人間じゃないから敬語はいいのか。あはは、朱里相手にタメ口で話すなんて士官学校以来だ」
「何故だ、どうして、どうして貴様がここにいる!?」
ギシギシという音を立て、軋む鎖。
目の前の男が笑っている姿。それが、朱里にはあまりにも衝撃的な光景だった。
「答えろ!! 今までどこで何をしていた!? お前がいなくなって、どれだけのことがあったと……!!」
――実際のところ、これまでに起こったことに目の前の人間は大きく関係はしていない。この男がいても結果は変わらなかっただろうし、状況も変わらなかっただろう。
しかし、この男がいてくれれば。生きていてくれれば。
それだけで、何かが変わったかもしれないとも――そんなことも、思うのだ。
だからこそ、朱里・アスリエルは絶叫するようにその名を呼んだ。
唯一にして、無二の友たる男の、その名を。
「答えろ!!――ソラ・ヤナギッ!!」
迸るような怒声。それに対し、青年――ソラ・ヤナギは笑みさえ浮かべてみせた。
いつもの彼と変わらぬ、掴み処のない雰囲気をその身に纏い。
いつもの口調で、彼は語る。
「……今の俺は、大日本帝国の人間でねー。色々あって、まあ、そんなことになってる」
「何だと……!? 大日本帝国……!?」
「そ、ホントに色々あったわけでねー。面倒だよ、本当に。……でもま、今回は俺の都合なんてどうでもいいや。実は、朱里に話があって来たんだよ」
言いつつ、ソラは懐から一枚の封筒を取り出した。朱里も見覚えのあるそれは、イギリス王室の印が押されたもの。
――私掠船、免状。
「こういうのは馬鹿正直に報告しても百害あって一利なし。握り潰さないと。見て見ぬ振りが一番」
言いつつ、ソラは取り出したライターでその手紙を燃やし始めた。紙が燃える臭いが鼻をつく頃には、もう消し炭になってしまっている。
「ま、普段なら黙っとけよー、なんて言われて終わりだったんだろうけど、ちょっと朱里は大戦で活躍し過ぎたみたいだ。……大日本帝国がさ、あんたが邪魔だって言ってるぞ?」
「何だと?」
「まあ、それについては同意するけどな。味方にするなら最高だけど、敵に回すとあんたは本当に厄介だ。雑魚だ雑魚だと呼ばれ続けてきたイタリア軍を、それでもEUの主力軍隊の位置に留まらせてきたのはあんたの実力に依るところが大きいしな」
けどもう、無理だ――ソラは、そう言い放った。
「大日本帝国にとって、あんたが邪魔になったんだ。だからこんな強引な手を使って処刑しようとしてる。……馬鹿な王様だよ、教皇ってのは。自分自身の武器を言われるがままに圧し折ろうってんだから」
自嘲するように笑うソラ。朱里は、何故だ、と声を絞り出した。
「何故お前が、大日本帝国にいる!?」
「……目的がある。理由なんてそれだけだよ。理解されようなんて思わないし、されたくもない。けどさ、朱里はやっぱり親友だから。最後に、別れだけは言いに来た」
それじゃ――そう言って、立ち去ろうとするソラ。その背に向けて、朱里が声を張り上げた。
「待て!! お前のことだ!! 考えがあるんだろう、それはわかる!! だがそれならば!! それならば遺された者はどうなるんだ!? リィラは!? 逢うことさえしてやらないつもりか!?」
背を向けたまま、ソラが立ち止まる。そのまま、こちらへ顔を向けずに言葉を紡いだ。
「――今更、どんな面して逢えってんだよ。俺は、アイツを……」
最後まで言葉は紡がぬまま、ソラは立ち去って行く。朱里は、くそっ、と小さく呟いた。
時は、誰にとっても平等に流れていく。
それは残酷であり、同時に無情。
処刑の時間まで、あと一日を切っていた――……
というわけで、最新話です。楽しんで頂けましたか?
ここまでの状況を整理すると、とりあえず、
EUとガリア連合
→戦争中。(合衆国アメリカも参戦)
EU国内
→私掠船免状が問題になるかと思いきや、朱里が処刑されるという事態に。また、大日本帝国は『神道詩音』の救出に成功。しかし、未だEU内に戦力――《七神将》全員を含めた戦力は留まっている。
シベリア連邦
→永世中立国であるエトルリア公国と秘密裏に同盟。『大日本帝国の目的』という、《女帝》から得た情報を元に神聖ドイツ帝国(革命により、千年ドイツ大帝国より改名)も勧誘。
と、まあこんな感じです。
……混沌と化してきましたねしかし。
まあともかく、もう少しで第二部は終了。後は最終部のみ。
楽しんで頂けると幸いです。
感想、ご意見お待ちしております。
ありがとうございました!!




