第47話 強い酒の造り方
翌朝、グラウは何事もなかったかのように一樹たちを起こした。昨夜のことには触れない。ミラも、ティオも、いつもと変わらない様子で朝食の支度をしている。一樹も、何も聞かなかった。
朝食は、昨夜と同じ岩麦の粥だった。温かい粥を口に運びながら、一樹はグラウに尋ねた。
「グラウさん。竜牙酒を造っているところを、見せてもらうことってできますか?」
グラウは匙を止め、少しだけ考えた。
「酒蔵はドルクのところだ」
「ドルクさん……昨日の」
「あいつの家は、代々台地の酒を造っている。今、台地で一番強い竜牙酒を造るのはドルクだ」
セレナが小さく肩をすくめる。
「昨日あれだけ睨まれたのに、行くの?」
「お酒は見たいので」
「……でしょうね」
ドルクの酒蔵は、集落の外れ、台地の縁に近い場所にあった。石造りの大きな建物で、屋根の上には細い煙突が何本も立っている。そのすぐ脇には、雲海から吹き上げてくる風を受けるように、長い石の樋がいくつも組まれていた。
一樹たちが近づくと、中からドルクが出てきた。一樹の顔を見るなり、露骨に眉をひそめる。
「何の用だ」
「竜牙酒の造り方を、見せてもらえませんか」
「人間に見せる理由はない」
「見るだけです。邪魔はしません」
ドルクはグラウを見た。グラウは何も言わず、ただ黙って立っている。しばらく睨み合うような沈黙が続いたあと、ドルクは舌打ちをして背を向けた。
「……見るだけだぞ。触るな」
「ありがとうございます」
酒蔵の中は、外よりもずっと暖かかった。大きな石の甕がいくつも並び、中では岩麦を仕込んだもろみが、ぷつぷつと泡を立てている。甘酸っぱい香りが、蔵いっぱいに満ちていた。
その奥には、蒸留のための大きな釜があった。釜から伸びた管は壁を抜け、外の石の樋へとつながっている。
「この管、外に出てるんですね」
「台地の風で冷やす」
ドルクがぶっきらぼうに答えた。
「釜で温めて立ち上った酒の気を、外の風で冷やして滴にする。台地の風は一年中冷たい。だから、どこの酒よりも強い酒が造れる」
「風で冷やす蒸留……」
一樹は思わず感心した。管の先からは、透明な滴が一滴、また一滴と落ち、小さな壺に溜まっている。
「すごいですね。この土地だからこそできる造り方だ」
ドルクは一瞬だけ言葉に詰まった。褒められるとは思っていなかったのだろう。
「……当然だ。祖父の代から改良を重ねてきた」
「何回くらい蒸留するんですか?」
「三度だ」
「三度も」
「一度目で酒にする。二度目で強くする。三度目で、さらに強くする」
ドルクは壺に溜まった酒を、小さな杯へ注いだ。
「これが、今朝取ったばかりの竜牙酒だ」
杯を差し出され、一樹は少しだけ驚いた。ドルクは顔を背けたまま言う。
「見るだけでは分からんだろう。……一口だけだ」
「いただきます」
一樹は慎重に口へ含んだ。宿で飲んだものより、さらに鋭い。喉を通った瞬間、胸の奥まで熱が突き抜ける。思わず目に涙がにじんだ。
「……っ。宿で飲んだのより、強いです」
「宿のは、しばらく置いたものだからな。取れたてが一番強い」
「置いたものと、違うんですね」
「時間が経てば、酒は弱る。だから竜人は、取れたての酒を一番の酒とする」
一樹はもう一度、手元の杯を見つめた。取れたての酒は、確かに強い。けれど、宿で飲んだ酒の奥に感じた、あの淡い甘みは、この一杯からはほとんど感じられなかった。
「ドルクさん。どうして、そこまで強い酒を造るんですか?」
ドルクは、聞くまでもないという顔をした。
「台地の冬を知らんから、そんなことが言える」
「冬、ですか」
「冬になれば、この台地は嵐に閉ざされる。雪と風で、何日も外に出られなくなる。嵐の中で家畜を守り、道に迷った者を探しに行く。それができるのは、強い者だけだ」
ドルクの声は、昨日よりもずっと静かだった。
「強い酒は、強い戦士の証だ。冬の嵐を越えるには、強さが要る。だから竜人は、強い酒を造り、強い酒を飲む」
一樹は黙って聞いていた。その言葉には、見栄や意地ではない重さがあった。
「……なるほど」
「何だ。人間の酒は弱いとでも言いたいのか」
「いえ。人間のお酒にも強いのはありますし、弱いのもあります」
一樹は小さく笑った。
「ただ、お酒が強い理由に、ちゃんと暮らしがあるんだなって思って」
ドルクは何か言いかけて、やめた。それから、乱暴に杯を取り上げる。
「見学は終わりだ。仕事の邪魔だ」
「ありがとうございました」
一樹が頭を下げると、ドルクは背を向けたまま、ふん、と鼻を鳴らした。
酒蔵を出ると、昼の光が台地を照らしていた。グラウは畑に用があると言って、そこで別れる。一樹とセレナが集落へ戻ろうとすると、道の途中で、杖をついた老女の姿が見えた。ヴェルダだった。
「ドルクの蔵に行ってきたのかい」
「はい。竜牙酒の造り方を見せてもらいました」
「あの子が見せたのかい。珍しいこともあるもんだ」
ヴェルダは楽しそうに笑い、台地の縁にある平たい岩へ腰を下ろした。眼下には、昨日と同じ雲海が広がっている。
「少し、年寄りの話に付き合いな」
一樹とセレナは、その隣に腰を下ろした。
「昨夜、ティオが風穴の酒の話をしたそうだね」
一樹は少し驚いて、ヴェルダを見た。
「グラウさんから?」
「ミラからさ。あの子は、グラウのことを心配してるからね」
ヴェルダは雲海の向こうを見つめた。
「グラウの父親はハルドといってね。台地で一番の戦士で、台地で一番の酒造りだった」
「戦士で、酒造り……」
「竜人の間では、珍しくもない。強い者が強い酒を造る。だが、ハルドは少し変わっていてね。酒の強さより、味の話ばかりする男だった」
ヴェルダは懐かしそうに笑った。
「お前さんみたいにね」
一樹は思わず頬を掻いた。
「二十年以上前の冬の始まりに、ハルドは自分で造った竜牙酒を一樽、風穴に置いた。『グラウが一人前になった日に、一緒に飲む』と言ってね」
風が、三人の間を吹き抜けていく。
「その冬、ひどい嵐が来た。ハルドは道に迷った者たちを探しに出て……戻らなかった」
セレナが、そっと目を伏せた。一樹は黙って、ヴェルダの言葉を待つ。
「それから何年も経って、グラウが一人前と認められた日、あの子は一人で風穴へ行った。父親の樽を開けて、一口飲んで……」
ヴェルダは、そこで一度言葉を切った。
「強くなかった、と言っていたよ。喉を噛まない。父親の酒が、弱ってしまったと」
「……」
「竜人にとって、弱った酒は恥だ。あの子は樽にもう一度蓋をして、それきり誰にも触らせなくなった。父親の酒を、恥だと思いたくないんだろうね。だから、誰の目にも触れないようにしている」
ヴェルダは、ゆっくりと一樹のほうを向いた。
「お前さんに聞きたい。弱くなった酒を、どう思う」
一樹は少しだけ考えた。風穴から吹き出していた、あの冷たく乾いた風を思い出す。宿で飲んだ竜牙酒の奥に、かすかに残っていた甘みを思い出す。
「飲んでみないと、分かりません」
一樹は正直に答えた。
「でも。弱くなったんじゃなくて、変わっただけかもしれません」
ヴェルダは何も言わなかった。ただ、皺の刻まれた目元を、ほんの少しだけ細めた。
その時、背後で小さく石を踏む音がした。
振り返ると、少し離れた場所に、グラウが立っていた。畑へ行ったはずの男は、手に何も持たず、ただ黙って一樹を見ていた。
次回に続く。




