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酒で世界は救えますか? ~飲み過ぎで死んだ酒豪、異世界では乾杯ひとつで争いを終わらせます~  作者: 春野ケイ


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第28話 受け継ぐ火

 翌日の夕刻。


 山の稜線へ夕日が沈み始める頃、一樹たちは再び宴の広場へ足を運んでいた。


 昨日まで静まり返っていた場所には、多くのドワーフたちの姿があった。


 老人も。


 若者も。


 子どもたちも。


 皆、静かに広場へ集まってくる。


 幼い子どもたちは、不思議そうに辺りを見回していた。


「ここ、何の場所なの?」


 母親と思われる女性が、小さく微笑む。


「昔ね。」


「みんなでお酒を飲んでいた場所よ。」


「お祭り?」


「そうね。」


「そんな場所だったの。」


 一樹はそのやり取りを見て、小さく笑みを浮かべた。


 この子たちは、乾杯を知らない世代だ。


 それでも、この場所にはどこか懐かしさのような空気が流れている。


 やがて、ガンツがゆっくりと姿を現した。


 その手には、昨日広場の地下から掘り出した木箱が抱えられている。


 広場が静まり返る。


 ガンツは広場の中央へ歩み寄り、木箱をゆっくりと地面へ置いた。


 蓋へ手を掛ける。


 ゆっくりと開かれた木箱の中から、幾つもの木杯が姿を現した。


 ざわめきが広がる。


「あれは……。」


「昔の木杯か。」


「本当に残っていたのか……。」


 年配のドワーフたちは息をのみ、若い世代は初めて目にする木杯を食い入るように見つめていた。


 ガンツは一本一本、丁寧に木杯を取り出していく。


 土を払い、布でそっと拭う。


 その手つきには、職人らしい優しさがあった。


「この木杯は。」


 ガンツが静かに口を開く。


「儂らの父や祖父。」


「さらに、そのまた父たちが使っていたものじゃ。」


 誰も口を挟まない。


「祝いの日も。」


「実りの日も。」


「旅立ちの日も。」


「そして。」


「最後の宴の日にも。」


 その言葉に、広場の空気が少しだけ重くなる。


 ガンツは一本の木杯を手に取った。


 炎の彫刻が施された木杯。


 父が使っていた木杯だった。


「儂は。」


「三百年間、この場所へ来ることができなかった。」


 静かな声だった。


「ここへ来れば。」


「あの日を思い出してしまう。」


「だから。」


「目を背け続けた。」


 ガンツは木杯を見つめ、小さく笑った。


「じゃが。」


「昨日、ここへ来て思い出した。」


「儂が忘れていたのは。」


「悲しい記憶ではない。」


「笑っていた日々の方じゃった。」


 店主が静かに目を閉じる。


 年配のドワーフたちも、小さく頷いていた。


 広場に吹く風は穏やかだった。


 三百年前も、きっとこんな夕暮れだったのだろう。


 ガンツはゆっくりと木杯を胸の高さまで持ち上げる。


 そして、町の人々を一人ひとり見渡した。


「皆。」


「儂と。」


「一杯付き合ってくれ。」


 その言葉に、広場の空気が張り詰めた。


誰も動かなかった。


 木杯を見つめたまま、息をのむ音だけが広場に広がる。


「長老……。」


 店主が思わず声を漏らす。


「本気、なんですか。」


 ガンツは静かに頷いた。


「ああ。」


「本気じゃ。」


「だが。」


「誰にも強いるつもりはない。」


「飲みたくない者は、それでいい。」


「木杯を持ちたくない者も、それでいい。」


「決めるのは、お前たち自身じゃ。」


 その言葉を聞き、年配のドワーフが一歩前へ出た。


 白く長い髭を揺らしながら、震える手で木杯へ視線を向ける。


「儂は……。」


「まだ怖い。」


 その本音に、誰も笑わなかった。


 ガンツも静かに頷く。


「怖くて当然じゃ。」


「儂も昨日まで、同じだった。」


 今度は昨日言い争っていた若い鍛冶師レオンが前へ出る。


「長老。」


「俺は。」


「持ちたいです。」


 ガンツは穏やかに微笑む。


「理由を聞かせてくれるか。」


「俺は。」


「三百年前は知りません。」


「でも。」


「昨日、長老が笑ったのを見ました。」


「酒場の親父さんも笑っていました。」


「それを見て思ったんです。」


「俺たちは。」


「失ったものばかり教えられてきた。」


「でも。」


「昔、この町には笑顔もあったんだって。」


 広場は静まり返る。


 レオンはゆっくりとガンツを見つめた。


「俺は。」


「その笑顔も受け継ぎたい。」


 ガンツは何も言わず、小さく頷いた。


 そして木箱から一つの木杯を取り出し、レオンへ差し出す。


 レオンは両手でそれを受け取った。


 木杯は思っていたよりも重かった。


 その重さは木の重さだけではない。


 三百年という歳月の重さだった。


 レオンは木杯を胸の前で抱きしめるように持つ。


 その姿を見て、もう一人の若い鍛冶師も静かに前へ歩き出た。


「俺も……。」


 レオンが振り返る。


「まだ怖い。」


「でも。」


「逃げ続けるのは、もっと嫌だ。」


 ガンツは木杯をもう一つ手に取る。


 その表情には、昨日までの迷いはなかった。


 少しずつ。


 本当に少しずつだった。


 三百年間止まっていた時間が、再び動き始めていた。


レオンに続くように、一人、また一人と前へ出る者が現れた。


 若い鍛冶師。


 酒場で働く娘。


 白髪の老人。


 皆、恐る恐る木杯を受け取っていく。


 その一方で、動かない者もいた。


 腕を組み、複雑な表情で見つめる者。


 静かに首を横へ振る者。


 ガンツは誰一人責めなかった。


「無理をする必要はない。」


「心が決まらぬまま杯を持っても、その一杯は旨くない。」


 その言葉に、町の人々は静かに頷く。


 一樹はその様子を見て、小さく微笑んだ。


 誰も急かさない。


 誰も押しつけない。


 だからこそ、一歩を踏み出した者の決意が伝わってくる。


 やがて、ガンツは木箱の中へ視線を落とした。


 最後に残ったのは、炎の彫刻が刻まれた父の木杯だった。


 ガンツはその木杯をゆっくりと手に取る。


 長い間、その重みを確かめるように見つめたあと、小さく息を吐いた。


「父上。」


 誰にも聞こえないほど小さな声だった。


「ようやく……。」


「この場所へ帰って来られた。」


 その姿を見ていた店主は、目頭を押さえる。


 広場には夕暮れの風が静かに吹いていた。


 ガンツは父の木杯を胸の前へ掲げる。


 そして、一樹へ視線を向けた。


「酒井。」


「お主にも、一杯頼めるか。」


 一樹は穏やかに笑い、静かに頷く。


「喜んで。」


 セレナは二人のやり取りを見つめながら、小さく息をのんだ。


 町の人々も、誰一人声を発しない。


 今まさに。


 三百年間止まっていた時が、動き出そうとしていた。


次回に続く。

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