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酒で世界は救えますか? ~飲み過ぎで死んだ酒豪、異世界では乾杯ひとつで争いを終わらせます~  作者: 春野ケイ


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第25話 約束の場所

 翌朝。


 山々の間から差し込む朝日が、石造りの町をゆっくりと照らし始めていた。


 一樹は宿の窓を開け、大きく息を吸い込む。


 澄んだ空気が胸いっぱいに広がる。


 どこからか、鉄を打つ音が聞こえてきた。


 カン、カン、カン……。


「もう仕事を始めてるんだ。」


 昨日遅くまで酒場で飲んでいたはずなのに、町はもう動き始めている。


 鍛冶の町らしい朝だった。


 部屋を出ると、食堂ではセレナが朝食を取っていた。


「おはようございます。」


「おはようございます。」


 一樹も席に着く。


 焼きたての黒パン。


 燻製肉。


 温かな野菜のスープ。


 派手さはないが、身体に染みるような朝食だった。


「美味しいですね。」


「この町は何を食べても美味しいです。」


 セレナは微笑みながら頷く。


「職人の町ですから。」


「食事も力が出るものを好むそうです。」


 一樹は黒パンをちぎりながら笑う。


「何となく分かります。」


「皆さん、朝から元気ですもんね。」


 その時、宿の主人が近付いてきた。


「酒井さん。」


「長老がお待ちですよ。」


「もう来られてるんですか?」


「ええ。」


「外で待っておられます。」


 一樹は慌てて朝食を済ませ、宿の外へ出た。


 そこには昨日と変わらぬ姿のガンツが立っていた。


「おはようございます。」


「おはよう。」


 ガンツは静かに頷く。


「よく眠れたか。」


「はい。」


「お酒も美味しかったですし。」


 その言葉に、ガンツは小さく笑った。


「そうか。」


「では、行こう。」


 一樹は辺りを見回す。


「どちらへ?」


「見せたい場所がある。」


 それだけ言うと、ガンツはゆっくりと歩き始めた。


 一樹とセレナも、その後を追う。


 三人は町を抜け、山道へ入っていく。


 朝露に濡れた草が陽の光を受けて輝いていた。


 鳥のさえずりが響き、昨夜の静かな酒場とはまるで違う空気が流れている。


 しばらく歩いたところで、一樹はガンツへ尋ねた。


「昨日、『見せたい場所がある』って言ってましたけど。」


「どんな場所なんですか?」


 ガンツは前を向いたまま答える。


「儂にとって。」


「一番忘れられない場所じゃ。」


 一樹は黙って続きを待った。


「若い頃は。」


「何度も足を運んだ。」


「楽しい日も。」


「嬉しい日も。」


「皆、あそこへ集まった。」


 一樹は少しだけ笑う。


「宴会場ですか?」


 ガンツの足が止まる。


 振り返ると、少し驚いたような顔をしていた。


「……よく分かったな。」


「何となくです。」


 一樹は照れくさそうに笑う。


「長老がそんな優しい顔で話す場所なら。」


「きっと、皆で笑った場所なんだろうなって。」


 ガンツはしばらく一樹を見つめていた。


 やがて、小さく笑みを浮かべる。


「その通りじゃ。」


「儂らは。」


「あそこで、よく酒を飲んでおった。」


 その言葉に、一樹も自然と笑顔になった。


 悲しい思い出だけではない。


 長老には、今でも大切にしたい時間があった。


 その場所が、もうすぐ目の前に現れようとしていた。


山道をさらに登ることしばらく。


 木々が途切れ、視界がゆっくりと開けた。


「ここじゃ。」


 ガンツが静かに立ち止まる。


 一樹はその先を見て、小さく息をのんだ。


 広場だった。


 今は膝ほどまで草が伸び、ところどころ石畳が顔をのぞかせている。


 崩れかけた石のかまど。


 苔むした長椅子。


 風雨にさらされながらも残る石造りの土台。


 人の気配はない。


 それでも、この場所がかつて多くの人で賑わっていたことは、一樹にも伝わってきた。


「ここが……。」


「宴の広場じゃ。」


 ガンツは懐かしそうに辺りを見回す。


「春になれば、この広場いっぱいに机が並んだ。」


「酒樽を運ぶ者。」


「料理を作る者。」


「子どもたちは走り回り。」


「大人たちは酒を飲みながら笑い合っておった。」


 一樹は静かに耳を傾ける。


「人間も、ここへ?」


「ああ。」


 ガンツは頷く。


「人間もドワーフも関係なかった。」


「互いに酒を持ち寄り。」


「旨い酒ができれば皆で喜んだ。」


「今年はどちらの酒が旨いか。」


「そんなことで言い合いになってものう。」


 ガンツは小さく笑う。


「最後には。」


「『どっちも旨い』と言って飲み明かしておった。」


 一樹も思わず笑った。


「それ、すごく楽しそうですね。」


「楽しかった。」


 ガンツは迷いなく答える。


「儂が子どもの頃は。」


「宴の日が、一年で一番楽しみじゃった。」


 その表情は、昨日までとはまるで違っていた。


 悲しみではない。


 懐かしさだった。


 ガンツは広場の中央へ歩いていく。


 足元の草をそっと踏み分け、ある場所で立ち止まった。


「この辺りに。」


「父の席があった。」


 少し離れた場所を指さす。


「あそこが兄。」


「向こうには、人間の友がおった。」


 一樹は何も言わない。


 静かな風が広場を吹き抜ける。


 目を閉じれば。


 笑い声が聞こえてきそうだった。


 木杯を打ち鳴らす音。


 子どもたちのはしゃぐ声。


 酒を酌み交わす大人たちの笑顔。


 今はもう何も残っていない。


 それでも、この場所には確かに幸せな時間が流れていた。


 ガンツはしゃがみ込み、草をゆっくりとかき分け始めた。


「長老?」


「少し手伝ってくれ。」


「はい。」


 一樹も隣へしゃがみ込む。


 二人で草を取り除いていくと、大きな平らな石が姿を現した。


 ガンツは石へ手を掛ける。


「持ち上げるぞ。」


「分かりました。」


 二人で力を合わせると、重い石がゆっくりと動いた。


 その下には、小さな空洞があった。


 一樹は思わず身を乗り出す。


「何かあります。」


 ガンツは静かに頷いた。


「……ああ。」


「三百年間。」


「誰も開けなかった場所じゃ。」


ガンツはゆっくりと空洞へ手を差し入れた。


 中から取り出したのは、一つの古びた木箱だった。


 長い年月を土の中で過ごしたのだろう。


 表面には土がこびり付き、金具には赤い錆が浮かんでいる。


 一樹は思わず息をのむ。


「これって……。」


「宴の日だけ使っていた箱じゃ。」


 ガンツは両手で大切そうに抱え、その場へ静かに置いた。


 箱へそっと手を添える。


「開けるのは。」


「三百年ぶりになる。」


 その言葉の重みに、一樹も自然と姿勢を正した。


 ガンツは深く息を吸い、錆び付いた留め金へ手を掛ける。


 ギィ……。


 乾いた音を立てながら、ゆっくりと蓋が開いた。


 二人は中を覗き込む。


 箱の中には、何本もの木杯が丁寧に並べられていた。


 どれも年月を感じさせる色合いだったが、不思議なことに割れているものは一つもない。


「……すごい。」


 一樹は思わず呟く。


「こんなにきれいなまま残ってるなんて。」


 ガンツは一本の木杯をそっと持ち上げた。


 指先で優しく縁をなぞる。


「宴の日になると。」


「皆、この木杯を手にした。」


「子どもには少し大きくてな。」


「両手で持っていたものじゃ。」


 ガンツの口元に、小さな笑みが浮かぶ。


「父に。」


『落とすなよ。』


と何度も言われたものじゃ。」


 一樹も自然と笑った。


「子どもの頃って、そういうのありますよね。」


「大人と同じことをしたくて。」


「ちょっと背伸びしたくなるというか。」


「うむ。」


 ガンツは頷く。


「初めてこの木杯を持たせてもらえた日は。」


「大人になれた気がした。」


 その言葉を聞きながら、一樹は木箱の中へ視線を落とす。


 木杯の一つひとつに、持ち主がいた。


 笑い合った人がいた。


 家族がいた。


 友がいた。


 その時間ごと、この箱の中へ眠っていたのだ。


 ふと、一番奥に置かれた一つの木杯が目に留まった。


 他の木杯よりも少しだけ装飾が施され、縁には炎のような模様が彫られている。


「長老。」


「あの木杯は?」


 ガンツは静かに振り返り、その木杯を見つめた。


 そして、懐かしそうに目を細めた。


「……それは。」


「儂の父の木杯じゃ。」


 その声には、深い敬意と、忘れることのない思い出が込められていた。


ガンツは父の木杯を両手で包むように持った。


「この木杯は。」


「最後の宴の日にも使われた。」


静かな風が広場を吹き抜ける。


「父は。」


「杯を掲げ。」


「こう言った。」


ガンツはゆっくり目を閉じる。


三百年ぶりに、その言葉を口にする。


「火は友に。」


一樹はその響きを胸の中でそっと繰り返した。


(火は友に……。)


短い言葉だった。


けれど、その一言に込められた想いは、木杯の重さよりもずっと重く感じられた。


次回に続く。

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