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酒で世界は救えますか? ~飲み過ぎで死んだ酒豪、異世界では乾杯ひとつで争いを終わらせます~  作者: 春野ケイ


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幕間② 酒好きの休日

 白葡萄酒の発酵が始まってから、しばらくが過ぎた。


 今日も酒蔵には、静かな時間が流れている。


 樽の中では酵母が働き続けているが、人ができることは多くない。


 一樹は並んだ樽を眺めながら、小さく息をついた。


「今日も待ちですね。」


 親方は樽を軽く叩き、耳を澄ませる。


「順調だ。」


「酒は急がせるもんじゃねぇ。」


 料理長も樽の香りを確かめ、小さく頷いた。


「あとは酒に任せるだけだ。」


「俺たちが手を出す方が、かえって酒を駄目にする。」


 一樹は苦笑する。


「待つのも仕事なんですね。」


「そういうことだ。」


 酒蔵に穏やかな沈黙が流れる。


 しばらく樽を眺めていた一樹は、何かを思いついたように顔を上げた。


「そうだ。」


 親方と料理長が同時に視線を向ける。


「今日はみんなで飲みに行きませんか?」


「飲みに?」


 親方が目を丸くする。


 一樹は笑顔で頷いた。


「はい。」


「たまには、純粋に飲む側も楽しみましょう。」


 親方は腕を組み、豪快に笑った。


「はっはっは!」


「面白ぇこと言うじゃねぇか。」


 一樹は料理長にも目を向ける。


「料理長もどうですか?」


 料理長は少し考え込み、静かに息を吐いた。


「……悪くない。」


「料理も酒も、他人の仕事から学ぶことは多い。」


 一樹は嬉しそうに拳を握る。


「決まりですね!」


 三人は酒蔵を後にし、王都の街へ向かった。


 昼下がりの王都は、今日も多くの人で賑わっている。


 市場では威勢のいい声が飛び交い、道端では旅芸人が子どもたちを笑わせていた。


 そんな通りを歩いていると、見覚えのある銀色の鎧が目に入る。


「あ。」


 一樹は笑顔で手を振った。


「女性騎士さん!」


 見回りをしていた女性騎士は足を止め、一礼する。


「酒井さん。」


 一樹は三人を指差しながら笑った。


「今日はみんなで飲みに行こうって話になったんです。」


「よかったら、一緒にどうですか?」


 女性騎士は少し驚いたように親方と料理長を見た。


 二人も穏やかに会釈を返す。


 しばらく考えたあと、女性騎士は小さく微笑んだ。


「それでは、お言葉に甘えます。」


「やった!」


 一樹は子どものように笑う。


「今日は賑やかになりそうですね。」


 親方は笑いながら先頭を歩き出した。


「俺が昔から通ってる店がある。」


「旨い酒と料理なら、あそこが一番だ。」


 四人は並んで、王都の酒場街へと歩いていった。


親方に案内された店は、王都の中心街から少し離れた場所にあった。


 派手な看板はない。


 年季の入った木の扉と、小さく灯るランプだけが目印だった。


「ここですか?」


 一樹が尋ねると、親方は頷く。


「ああ。」


「若い頃から通ってる店だ。」


 扉を開けると、木の香りと料理の湯気が優しく迎えてくれた。


「おや。」


 店の主人が親方を見るなり笑顔になる。


「珍しいじゃないか。」


「今日は連れがいるのか。」


 親方は照れくさそうに鼻を鳴らした。


「たまにはな。」


「四人だ。」


「いらっしゃい。」


 案内された丸テーブルへ腰を下ろす。


 店内は騒がしすぎず、仕事帰りの客たちがゆっくり酒を楽しんでいた。


 一樹は周囲を見回し、嬉しそうに笑う。


「こういう雰囲気、好きだなぁ。」


 料理長も静かに頷く。


「酒も料理も、落ち着いて味わえる店だ。」


 主人が木杯を四つ並べる。


「今日はおすすめを出そう。」


 運ばれてきたのは、琥珀色に透き通る酒だった。


「栗酒です。」


「秋に収穫した栗をじっくり漬け込んで仕上げています。」


「栗のお酒?」


 一樹は興味津々で木杯を手に取った。


 香りを確かめ、一口飲む。


「……あ。」


 思わず笑みがこぼれる。


「甘い。」


「でも蜂蜜酒とは全然違う。」


「栗の香ばしさが残ってる。」


 主人は満足そうに頷いた。


「分かる人には分かる味なんだ。」


 親方も木杯を傾ける。


「昔から変わらねぇな。」


 料理長も一口飲み、静かに口を開く。


「鶏料理と合わせたくなる。」


 主人が思わず笑う。


「さすが料理長だ。」


「初めて飲んでも料理のことを考える。」


 一樹も笑った。


「職業病ですね。」


 料理長は少しだけ口元を緩める。


「否定はせん。」


 その一言に、四人は思わず笑い声を上げた。


 女性騎士も木杯を口元へ運ぶ。


「……優しい味ですね。」


「飲むと、ほっとします。」


「そうなんですよ。」


 一樹は嬉しそうに頷く。


「お酒って、美味しいだけじゃなくて、安心する味もあるんですね。」


 主人は木杯を掲げた。


「気に入ってもらえたなら嬉しい。」


「それじゃあ。」


「乾杯。」


「乾杯。」


 四人の木杯が、静かに触れ合った。


乾杯を終えると、焼きたての料理が次々と運ばれてきた。


 香草をまぶした鶏の炭火焼き。


 焼き立てのパン。


 香り豊かなきのこの炒め物。


 そして、大皿いっぱいの焼き野菜。


「うまそう……。」


 一樹は思わず声を漏らした。


 料理長は小さく笑う。


「冷める前に食べろ。」


「はい!」


 一樹は鶏肉を口へ運ぶ。


 続けて栗酒を一口。


「……。」


 思わず目を閉じる。


「合う。」


「栗の甘さが鶏の旨味を引き立ててる。」


 料理長も頷く。


「酒は料理を邪魔しない。」


「だから、この店は長く愛される。」


 親方が笑う。


「昔から料理長は、そればっかりだ。」


「旨い酒を飲んでも、結局は料理の話になる。」


「仕事だからな。」


「休みの日までですか?」


 一樹が笑うと、料理長も珍しく笑みを浮かべた。


「癖みたいなものだ。」


 四人は思わず笑い合う。


 そんな穏やかな空気の中、親方が木杯を揺らしながら口を開いた。


「酒井。」


「はい。」


「お前は、酒が好きなのは分かる。」


「だが、なんでそこまで好きなんだ?」


 女性騎士も少し興味があるように一樹を見る。


 一樹は少しだけ考え、木杯を眺めた。


「難しいですね。」


「理由なんて考えたことありませんでした。」


 少し笑って続ける。


「でも。」


「嬉しいことがあった日も。」


「落ち込んだ日も。」


「誰かと笑った日も。」


「なんとなく一人で過ごしたい日も。」


「気付けば、いつもお酒がありました。」


 三人は静かに耳を傾ける。


「だからでしょうか。」


「俺にとってお酒は、特別なものじゃないんです。」


「毎日の中にある、当たり前の楽しみなんですよ。」


 親方は「なるほどな」と小さく頷いた。


 料理長も穏やかな表情で木杯を見つめる。


 女性騎士は一樹の横顔を見ながら、優しく微笑んだ。


「だから酒井さんは。」


「お酒じゃなくて、お酒を飲む時間そのものが好きなんですね。」


 一樹は照れくさそうに頭をかいた。


「そういうことなのかもしれません。」


 木杯の中の栗酒が、店の灯りを受けて静かに揺れていた。


穏やかな時間が流れる中、不意に店の扉が開いた。


 からん、と鈴が鳴る。


 店主が入口へ目を向けると、にやりと笑った。


「おや。」


「今日は珍しいお客さんが続くな。」


 一樹もつられて振り返る。


「あ。」


 そこに立っていたのは、観察騎士団長だった。


 団長も一樹たちに気付き、一瞬だけ足を止める。


「……酒井。」


「団長!」


 一樹は嬉しそうに手を振る。


「こっちです!」


 団長は小さくため息をつきながら歩み寄った。


「随分と賑やかだな。」


 親方が笑う。


「ちょうどいい。」


「一杯くらい付き合っていけ。」


「いや、俺は——」


「見回り帰りなんだろ?」


 店主が口を挟む。


「今日はもう非番だ。」


「それくらい知ってるぞ。」


 団長は少しだけ言葉に詰まり、親方を見た。


「……一杯だけだ。」


「それでいい。」


 親方は向かいの席を軽く叩く。


「座れ。」


 団長は静かに腰を下ろした。


 店主は慣れた手つきで木杯を一つ置き、栗酒を注ぐ。


「相変わらずこれですか。」


「他のを飲む理由がない。」


 店主は苦笑する。


「団長は昔から浮気しないねぇ。」


 一樹は思わず笑った。


「団長にも行きつけがあったんですね。」


「意外です。」


 団長は木杯を手に取りながら答える。


「十年以上になる。」


「この店の酒は、仕事終わりにちょうどいい。」


 一樹は店内を見回しながら頷いた。


「だから親方も料理長も来るんですね。」


 親方は笑って木杯を掲げる。


「旨い酒と旨い飯がある。」


「それだけで十分だ。」


 料理長も静かに木杯を持ち上げた。


「今日は久しぶりに全員揃った。」


 一樹も木杯を掲げる。


「それじゃあ。」


「もう一度、乾杯。」


「乾杯。」


 五つの木杯が、心地よい音を立てて重なった。


 最初は酒井を疑い、監視する立場だった団長も、今は同じ卓を囲み、同じ酒を飲んでいる。


 一樹はその小さな変化が、少しだけ嬉しかった。


しばらく他愛もない話が続いた。


 親方が若い頃の失敗談を話せば、店中が笑いに包まれる。


 料理長はそれに淡々と突っ込みを入れ、女性騎士も肩を震わせて笑っていた。


 一樹は木杯を傾けながら、その光景を嬉しそうに眺める。


「いいですね。」


「こういう時間。」


 親方が笑う。


「酒は旨けりゃ十分だと思ってたが。」


「こうして飲む酒も悪くねぇ。」


 一樹は団長へ目を向けた。


「団長はどうですか?」


「こういう飲み会って、よく来るんですか?」


 団長は少し考え、木杯を見つめる。


「ほとんど来ない。」


「やっぱり。」


 一樹が苦笑すると、団長は小さく肩をすくめた。


「騎士団長という立場だ。」


「部下の前で酔うわけにもいかん。」


 親方が豪快に笑う。


「真面目すぎるんだ、お前は。」


「昔から変わらねぇ。」


 料理長も珍しく口を挟む。


「だから信頼される。」


 その一言に、団長は少しだけ照れくさそうに木杯へ視線を落とした。


 一樹はそんな団長を見て笑う。


「でも今日は、ちゃんと飲んでますね。」


「……一杯だけだ。」


「それ、さっきも聞きました。」


店の中に笑い声が広がる。


 団長も小さく息を吐き、ほんのわずかに口元を緩めた。


 一樹は思わず目を丸くする。


「……団長。」


「笑うんですね。」


 その一言に、団長は少しだけ咳払いをした。


「失礼だな。」


 親方が豪快に笑う。


「こいつもちゃんと笑うぞ。」


「滅多に見られねぇだけだ。」


 料理長も静かに頷く。


「昔からそういう男だ。」


 女性騎士も小さく微笑んだ。


「少し安心しました。」


「団長も、普通に笑う方だったんですね。」


その一言に、店中から笑い声が上がる。


 団長は小さくため息をつきながら、栗酒を一口飲んだ。


「笑うところか。」


「笑いますよ。」


 一樹は肩を揺らす。


「団長って、もっと堅い人だと思ってました。」


「堅いぞ。」


 親方が即座に答えた。


「こいつは昔っから石みてぇな男だ。」


「石は言い過ぎだ。」


 団長がぼそりと返す。


 料理長が静かに口を開く。


「いや。」


「石より頑固だ。」


 一瞬の静寂。


 次の瞬間、店中が大きな笑いに包まれた。


 一樹は笑いすぎて木杯を落としそうになる。


「料理長まで言うんですね。」


「事実だからな。」


 料理長は真顔のまま栗酒を口へ運ぶ。


 団長は額に手を当て、小さく首を振った。


「今日は味方が一人もいない。」


「そんなことありませんよ。」


 一樹は笑顔で木杯を掲げる。


「団長が来てくれて、俺は嬉しいです。」


 その言葉に、団長は少しだけ目を丸くした。


 やがて照れ隠しのように鼻を鳴らす。


「……変わった男だ。」


「よく言われます。」


「自覚はあるんだな。」


「あります。」


 また笑いが起こる。


 酒は人を饒舌にすることもある。


 けれど、この場に流れているのは酔いではなかった。


 同じ卓を囲み、同じ酒を飲み、同じ時間を笑って過ごす。


 それだけで十分だった。


 王都で過ごす日々は、気付かないうちに一樹にとって大切な思い出になり始めていた。


気付けば、テーブルの上の料理はほとんどなくなっていた。


 代わりに、空になった木杯がいくつも並んでいる。


 店主が苦笑しながら近付いてきた。


「皆さん、本当によく飲みますね。」


「特に酒井さん。」


「どの酒も、本当に美味しそうに飲んでくださる。」


 一樹は少し照れくさそうに笑った。


「だって、美味しいですから。」


「造った人が心を込めたお酒は、ちゃんと分かります。」


 店主は嬉しそうに頷く。


「そう言ってもらえると、酒を扱う者として嬉しいですよ。」


 親方は立ち上がり、大きく伸びをした。


「そろそろ帰るか。」


「明日も酒が待ってる。」


 料理長も静かに席を立つ。


「ああ。」


「発酵の様子も見なければならん。」


 一樹も名残惜しそうに木杯を置いた。


「今日は本当に楽しかったです。」


「また皆さんと飲みたいですね。」


 親方は笑う。


「酒蔵にいる限り、その機会はいくらでもある。」


 料理長も短く頷いた。


「次は白葡萄酒が完成した祝いだな。」


 一樹は嬉しそうに笑顔を見せる。


「約束ですよ。」


 女性騎士も穏やかに微笑んだ。


「その日を楽しみにしています。」


 団長は席を立ち、静かに剣帯を整える。


「……では、俺は行く。」


 一樹は慌てて立ち上がった。


「団長。」


 団長は振り返る。


「今日はありがとうございました。」


「楽しかったです。」


 団長は一瞬だけ一樹を見つめ、小さく頷く。


「……悪くない夜だった。」


 そう言い残し、夜の王都へ歩き出していく。


 一樹はその背中を見送りながら、小さく笑った。


「また、みんなで飲みたいな。」


 その何気ない願いが、もうすぐ訪れる旅立ちの前の、大切な約束になることを、この時の一樹はまだ知らなかった。


――幕間② 酒好きの休日 終


 

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