第19話 佳き縁に。
三日後。
王宮では晩餐会の準備が着々と進められていた。
長い食卓には白いクロスが掛けられ、銀の燭台には無数の蝋燭が並ぶ。
王都中から選び抜かれた料理人たちが忙しく皿を運び、使用人たちも慌ただしく会場を行き交っていた。
一樹は料理長の隣で、その光景を落ち着かない様子で眺めていた。
「すごい……。」
思わず声が漏れる。
「こんな立派な晩餐会、初めてです。」
料理長は料理の盛り付けを確認しながら答えた。
「王宮では珍しくない。」
「だが、今日の主役は料理だけではない。」
そう言って、一樹の後ろに置かれた樽へ視線を向ける。
白葡萄酒。
数え切れない人の手によって生まれた一杯が、静かにその時を待っていた。
一樹は樽へそっと触れる。
「頼むぞ。」
小さく呟くと、後ろから聞き慣れた声がした。
「酒井さん。」
振り返ると、村長が正装姿で立っていた。
「村長。」
「緊張していますか。」
「はい。」
一樹は苦笑する。
「赤蜜麦酒を造った時より緊張してます。」
「相手が国王陛下ですから。」
村長は優しく笑った。
「一人ではありません。」
「ここまで来られたのも、皆で造った酒だからでしょう。」
「……そうですね。」
一樹が頷いた、その時だった。
会場の扉がゆっくりと開く。
近衛兵が声高らかに告げた。
「国王陛下、ご入場。」
その場にいた全員が一斉に頭を垂れる。
一樹も慌てて姿勢を正した。
ゆっくりと歩いてきた国王は、威厳を漂わせながらも穏やかな表情を浮かべていた。
玉座へ腰を下ろすと、ゆっくりと会場を見渡す。
「面を上げよ。」
その一言で、一同は顔を上げた。
国王の視線は、まっすぐ一樹へ向けられる。
「酒井一樹。」
名を呼ばれ、一樹は一歩前へ出た。
「はい。」
「団長より報告は受けている。」
「オークとの争い。」
「乾杯の盟約。」
「そして、赤蜜麦酒が生まれるまでの経緯も、すべて聞いている。」
一樹は驚いたように団長を見る。
団長は腕を組んだまま、小さく頷いた。
「監察の結果は、すべて陛下へ報告する。」
「当然だ。」
一樹は改めて国王へ向き直る。
「そうだったんですね。」
国王は穏やかに微笑んだ。
「今日は、その続きを見せてもらおう。」
「王都で生まれた、新たな一杯を。」
料理長が静かに一礼した。
「畏まりました。」
やがて、最初の料理が運ばれ始める。
そして、その隣には。
淡い黄金色に輝く白葡萄酒が、静かに並べられていた。
料理長は自ら木杯へ白葡萄酒を注ぎ、国王の前へそっと置いた。
「陛下。」
「本日は白身魚の香草焼きとともに、お召し上がりください。」
国王は静かに頷く。
まずは料理だけを一口。
香草の香りと白身魚の旨味を確かめるように、ゆっくりと味わう。
続いて、白葡萄酒へ手を伸ばした。
木杯を口元へ運び、一口。
そして、もう一度料理を口へ運ぶ。
会場は水を打ったように静まり返っていた。
誰もが国王の言葉を待っている。
国王は静かに木杯を置き、小さく笑みを浮かべた。
「なるほど。」
その一言に、料理長が顔を上げる。
「酒が料理を邪魔しておらぬ。」
「それでいて、料理の味が一段と深く感じられる。」
国王はもう一口、白葡萄酒を口にした。
「実に見事だ。」
その言葉に、料理長は深く頭を下げる。
「恐れ入ります。」
貴族たちにも料理と白葡萄酒が配られていく。
「これは旨い。」
「魚によく合う。」
「今まで飲んだ葡萄酒とは違うな。」
あちこちから感嘆の声が上がり始めた。
一樹は思わず胸をなで下ろす。
その様子を見て、料理長が小さく笑った。
「安心したか。」
「はい。」
「胃が痛くなるかと思いました。」
料理長は珍しく声を出して笑う。
「その顔なら、もう大丈夫だ。」
国王は木杯を置き、一樹へ視線を向けた。
「酒井一樹。」
「はい。」
「赤蜜麦酒も見事だった。」
「そして、この白葡萄酒もまた見事だ。」
一樹は静かに頭を下げる。
「ありがとうございます。」
だが、国王は首を横に振った。
「褒めたいのは酒だけではない。」
一樹は顔を上げる。
「報告書にはこうあった。」
「オーク。」
「村人。」
「葡萄農家。」
「酒蔵の職人。」
「王宮料理長。」
「誰一人欠けても、この酒は生まれなかったと。」
一樹は少し照れくさそうに笑う。
「本当のことです。」
「俺一人じゃ、何もできませんでした。」
国王は満足そうに頷いた。
「だからこそ、価値がある。」
「酒は、一人で造るものではない。」
「人と人が力を合わせて初めて、一杯になる。」
その言葉に、会場にいた者たちも静かに頷いていた。
料理長は木杯を見つめながら、穏やかに口を開く。
「陛下。」
「この酒は、料理に寄り添うために生まれました。」
「赤蜜麦酒とは違う役目を持つ酒です。」
国王は静かに微笑む。
「役目が違うからこそ、どちらも尊い。」
「酒とは、実に奥深いものだ。」
国王はゆっくりと立ち上がった。
会場にいた全員の視線が、その姿へ集まる。
侍従が静かに木杯へ白葡萄酒を注ぐ。
淡い黄金色の酒が、蝋燭の灯りを受けて美しく輝いた。
国王は木杯を手に取り、穏やかな声で語り始めた。
「我が王国では、祝いの席で古くから交わされる乾杯の言葉がある。」
一樹は静かに耳を傾ける。
「『佳き縁に(よきえに)』。」
聞き慣れない言葉だった。
国王は木杯を見つめながら続ける。
「良き出会いに。」
「良き巡り合わせに。」
「そして、この縁が末永く続くことを願う。」
「それが、この言葉に込められた願いだ。」
国王はゆっくりと会場を見渡した。
「杯を交わすということは、同じ卓を囲み、互いを信じるということ。」
「だから、この国では乾杯を何より大切にしてきた。」
一樹はその言葉に、胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。
(乾杯には、どこの国でも願いが込められているんだ。)
人間の「乾杯」。
オークたちの「ガル・ドゥール」。
そして王都の「佳き縁に」。
言葉は違う。
文化も違う。
けれど、そのどれもが、人と人をつなぐために生まれたものだった。
国王は木杯を高く掲げる。
「この白葡萄酒が結んだ、新たな縁に。」
「そして、この先も続くであろう数多の縁に。」
「佳き縁に。」
料理長が木杯を掲げる。
「佳き縁に。」
村長も。
団長も。
貴族たちも。
そして一樹も木杯を掲げた。
「佳き縁に。」
静かに重なった木杯の音が、大広間に心地よく響く。
一樹は白葡萄酒を一口飲み、ゆっくりと目を閉じた。
酒は、人を酔わせるためだけのものじゃない。
人と人が同じ卓を囲み、笑い合い、言葉を交わすきっかけになるもの。
そんな当たり前のことを、この世界は乾杯という文化で教えてくれている。
その一杯が、また新しい縁を結び、新しい物語を運んでくる。
一樹はそう確信していた。
乾杯が終わると、大広間には再び穏やかな談笑が広がった。
国王は木杯を静かに置き、一人の騎士へ視線を向ける。
「セレナ。」
女性騎士は一歩前へ出て、胸へ手を当てた。
「はっ。」
国王は穏やかに頷く。
「此度の任、ご苦労であった。」
「ありがたきお言葉にございます。」
一樹はそのやり取りを見て、思わず首をかしげた。
(……セレナ?)
女性騎士が国王の前から戻ってくる。
一樹は小声で尋ねた。
「女性騎士さん。」
「今、セレナって……。」
女性騎士は少しだけ困ったように笑った。
「申し遅れました。」
「私は、セレナ・アルディス。」
「王直属近衛騎士として陛下にお仕えしております。」
一樹は思わず目を丸くする。
「えっ!?」
「王直属だったんですか!?」
「もっと早く言ってくださいよ!」
セレナは小さく肩をすくめた。
「聞かれませんでしたので。」
一樹は思わず笑ってしまう。
「確かに聞いてませんでしたけど……。」
そのやり取りを見ていた国王も、小さく笑みを浮かべた。
「酒井一樹。」
「はい。」
「そなたには、これからも各地を巡ってもらいたい。」
一樹は表情を引き締める。
「各地を……ですか。」
「そうだ。」
国王は静かに頷いた。
「団長からの報告で知った。」
「そなたは争いの中で、誰に命じられるでもなく杯を交わした。」
「その結果、人とオークは争いを止めた。」
「それが偶然だったとしても、その事実に変わりはない。」
一樹は静かに聞いていた。
「酒は人をつなぐ。」
「そして乾杯は、人と人が向き合うきっかけになる。」
「今の王国には、その力が必要だ。」
国王はセレナへ視線を向ける。
「セレナ・アルディス。」
「はっ。」
「今後は酒井一樹の護衛を命ずる。」
「各地を巡る旅に同行し、その身を守れ。」
セレナは胸へ手を当て、力強く一礼した。
「謹んで拝命いたします。」
一樹は驚きながらも笑みを浮かべる。
「じゃあ、これからも一緒なんですね。」
セレナも穏やかに微笑んだ。
「はい。」
「改めまして。」
「よろしくお願いします、酒井さん。」
一樹も右手を差し出す。
「こちらこそ。」
「よろしくお願いします、セレナさん。」
二人は固く握手を交わした。
その様子を見守る国王は、小さく頷く。
また一つ、新しい縁が結ばれた。
その旅が、王国を、そして世界を少しずつ変えていくことを、この時はまだ誰も知らなかった。
晩餐会が終わり、王城を出る頃には、夜空には無数の星が瞬いていた。
一樹は足を止め、静かに王宮を振り返る。
オークたちと造り上げた赤蜜麦酒。
王都で生まれた白葡萄酒。
酒は違う。
乾杯の言葉も違う。
それでも、一杯の酒を囲んで笑い合う人々の表情は、どこへ行っても変わらなかった。
セレナが隣へ並ぶ。
「酒井さん。」
「はい。」
「明日から忙しくなりますよ。」
「覚悟しておいてください。」
一樹は苦笑した。
「俺、お酒を飲むのが好きなだけだったんですけどね。」
「気付けば、旅に出ることになるなんて思ってもいませんでした。」
セレナは小さく笑う。
「酒井さんらしいですね。」
「自分では歩いているつもりがなくても、人との縁が自然と次の道へ導いてくれる。」
「そんな方なのだと思います。」
一樹は少し照れくさそうに頭をかいた。
「そういうものですかね。」
「ええ。」
セレナは穏やかに頷く。
「だから、きっと大丈夫です。」
一樹は夜空を見上げ、小さく笑った。
「どんな旅になるのか、楽しみです。」
その呟きは夜風に乗り、静かに星空へ溶けていった。
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酒図鑑 No.2
白葡萄酒
王都近郊で育つ白葡萄から造られた果実酒。
実の数を調整して育てた葡萄と、新たに見つかった醸造法を組み合わせることで誕生した。
料理を主役にし、その味わいをより豊かに引き立てる酒として、王宮料理長や国王から高い評価を受けた。
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乾杯文化 No.2
「佳き縁に」
王国の貴族社会で古くから受け継がれる乾杯の言葉。
「良き出会いに。」
「良き巡り合わせに。」
「そして、この縁が末永く続くように。」
そんな願いを込めて、祝いの席や新たな門出で杯を交わす。
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異世界メモ
王都の酒文化
王都では、酒は料理とともに楽しむものと考えられている。
料理を引き立てる酒が良い酒とされ、料理人と酒造り職人が互いに知恵を出し合う文化が根付いている。
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第3章へ続く




