↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
酒で世界は救えますか? ~飲み過ぎで死んだ酒豪、異世界では乾杯ひとつで争いを終わらせます~  作者: 春野ケイ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/62

第16話 白き実り

 翌朝。


 一樹は王城の中庭で大きく伸びをした。


 王都へ来て三日目。


 昨日の事情聴取、そして王宮料理長との出会いを思い返しながら、朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。


「よく眠れましたか。」


 声をかけられ振り向くと、女性騎士が立っていた。


「おはようございます。」


「おはようございます。」


 一樹は笑って頭を下げる。


「昨日は緊張しっぱなしでした。」


「だからぐっすり眠れたのかもしれません。」


 女性騎士は小さく笑った。


「それは何よりです。」


 その時。


「待たせたな。」


 料理長が歩いてきた。


 今日も真っ白な料理服を身にまとい、その表情は昨日と変わらず引き締まっている。


「酒井。」


「はい。」


「今日は酒蔵へ行くんですか?」


 一樹が尋ねると、料理長は首を横に振った。


「違う。」


「酒はまだ造らん。」


「え?」


「酒造りの前に、見てもらいたいものがある。」


 一樹は首をかしげながらも頷く。


「分かりました。」


 王城の門を出ると、一台の馬車が待っていた。


 御者へ軽く合図を送り、料理長が乗り込む。


 一樹と女性騎士も続き、馬車はゆっくりと王都を離れ始めた。


 窓の外には、朝から賑わう王都の街並みが流れていく。


 開店準備をする商人。


 焼きたてのパンを並べる店主。


 市場へ急ぐ人々。


 活気に満ちた景色が少しずつ遠ざかると、やがて石造りの建物は減り、一面に緑が広がり始めた。


 畑。


 牧草地。


 小さな農村。


 王都とは違う、穏やかな時間が流れている。


「酒井。」


 料理長が静かに口を開く。


「昨日、お前は『料理に寄り添う酒があればいい』と言ったな。」


「はい。」


「その考えは間違っていない。」


「だが。」


 料理長は窓の外へ目を向ける。


「酒は酒蔵だけで生まれるものではない。」


「畑があり。」


「水があり。」


「育てる者がいて。」


「ようやく酒になる。」


 一樹は黙って耳を傾けていた。


「料理人も同じだ。」


「厨房だけ知っていても、一流にはなれん。」


「野菜がどう育ち。」


「魚がどこで獲れ。」


「肉がどう育てられたか。」


「それを知って初めて、料理になる。」


 一樹は小さく頷く。


「酒も同じ……。」


「そうだ。」


 料理長は短く答えた。


「だから今日は、酒蔵ではない。」


「酒が生まれる場所へ行く。」


 それからしばらくして、馬車は緩やかな坂道を上り始めた。


 視界が開ける。


 一樹は思わず息をのんだ。


「……きれいだ。」


 目の前いっぱいに、白葡萄の畑が広がっていた。


 朝露をまとった葉が陽の光を受けて輝き、淡い黄緑色の実が風に揺れている。


 どこまでも続く葡萄畑は、まるで緑の海のようだった。


 料理長は静かに微笑む。


「ようこそ。」


「ここが、王都の白葡萄畑だ。」


馬車を降りると、土の匂いがふわりと鼻をくすぐった。


 王都の石畳とは違う。


 踏みしめるたびに柔らかく沈む土。


 一樹は思わずしゃがみ込み、その土を指先でつまんだ。


「いい土ですね。」


 料理長は少し驚いたように一樹を見る。


「土を見るのか。」


「酒は畑から始まるって言ったのは、料理長じゃないですか。」


 一樹は笑いながら立ち上がる。


「だったら、土も大事なのかなって。」


 料理長は口元をわずかに緩めた。


「間違ってはいない。」


 二人が畑の中へ歩いていくと、一人の老人が脚立から降りてきた。


 日に焼けた肌。


 節くれ立った大きな手。


 長年、畑と向き合ってきたことが一目で分かる。


「来たか。」


 ぶっきらぼうな声だった。


 料理長は軽く手を挙げる。


「朝からすまんな。」


「いや。」


 老人は短く答え、一樹へ視線を向けた。


「そいつか。」


「赤蜜麦酒を造ったっていう若造は。」


 一樹は軽く頭を下げる。


「酒井一樹です。」


「今日はよろしくお願いします。」


 老人は返事をする代わりに、一房の白葡萄をもぎ取って差し出した。


「食え。」


 一樹は礼を言って受け取る。


 粒は丸く、大きい。


 朝露をまとった実は、陽の光を受けて宝石のように輝いていた。


 一粒、口へ運ぶ。


 皮が弾け、果汁があふれる。


「……甘い。」


 自然と笑みがこぼれた。


「美味しいです。」


 老人は腕を組む。


「そうだろう。」


「王都一の白葡萄だからな。」


 一樹はもう一粒食べる。


 今度はゆっくり味わった。


(甘い。)


(香りもいい。)


(でも……。)


 心のどこかに、小さな違和感が残った。


(そういえば……。)


(前の世界で、こんな話を聞いたことがあったような。)


 テレビだったか。


 本だったか。


 酒造りを特集した番組だった気がする。


 葡萄農家が笑いながら話していた。


 ――いい葡萄を作るには、勇気も必要なんです。


(勇気……?)


(なんだったっけ。)


 一樹は記憶をたどる。


 ぼんやりとした映像だけが浮かぶ。


 実がたくさん付いた葡萄。


 それを農家が、ためらいなく切り落としていく姿。


(ああ……。)


(確か。)


(実を減らすとか、そんな話だったような。)


(全部実らせるより、少し減らした方が、一粒に栄養が集まる……だったかな。)


(いや、違ったかもしれない。)


(房だったかもしれないし、剪定の話だったかもしれない。)


 記憶は曖昧だ。


 間違っている可能性もある。


 だから一樹は、「知っている」とは言えなかった。


 少し迷ったあと、遠慮がちに口を開く。


「すみません。」


 老人が振り向く。


「なんだ。」


「全然見当違いだったら申し訳ないんですけど……。」


 老人は黙って続きを待つ。


「もし。」


「実を少し減らしたら、一粒一粒にもっと栄養が集まったりしませんか?」


 畑に静寂が落ちた。


 老人は一樹の顔をじっと見つめる。


「……誰から聞いた。」


 一樹は慌てて首を振る。


「いえ、本当に思いつきです。」


「昔、そんな話を聞いたような気がして。」


「でも、うろ覚えなんです。」


「だから全然違ったら忘れてください。」


 老人は何も言わない。


 代わりに、一房の葡萄を静かに見つめていた。


しばらくの沈黙が続いた。


 風が吹き、葡萄の葉がさらさらと音を立てる。


 やがて老人は、一樹から視線を外し、畑の奥を見つめながら静かに口を開いた。


「酒井。」


「はい。」


「お前は、葡萄を育てたことはあるか。」


「ありません。」


「酒は?」


「造ったことはあります。」


「だが、葡萄酒は初めてです。」


 老人は鼻で小さく笑う。


「正直だな。」


 その一言に、一樹も苦笑した。


「知らないことを知ってるとは言えませんから。」


 料理長は二人のやり取りを黙って見守っている。


 老人は一本の葡萄の木へ歩み寄ると、枝をそっと持ち上げた。


「見てみろ。」


 一樹も隣へ並ぶ。


 一つの枝に、いくつもの房が実っていた。


「今年は豊作だ。」


「これでも、去年より少し減らした。」


「それでも、王都からは『もっと収穫を増やせ』と言われる。」


 老人は苦笑する。


「酒が売れれば売れるほど、欲しがる者は増えるからな。」


 一樹は枝を見つめたまま、小さく頷いた。


「難しいですね。」


「量を作れと言われる。」


「でも、いい酒を造るなら質も大事になる。」


「その通りだ。」


 老人は静かに答えた。


「だから、お前の言葉に驚いた。」


 一樹が顔を上げる。


「驚いた?」


「普通なら、『もっと実を付けろ』と言う。」


「減らせと言った奴は、お前が初めてだ。」


 一樹は頭をかいた。


「本当に、うろ覚えなんです。」


「前の……。」


 危うく「前の世界」と言いかけ、一樹は慌てて言葉を飲み込む。


「昔、どこかで聞いた気がしただけで。」


 老人はそれ以上は追及しなかった。


 代わりに料理長へ視線を向ける。


「お前はどう思う。」


 料理長は畑を見渡しながら答えた。


「私は料理人だ。」


「農業のことは、お前ほど詳しくない。」


「だが。」


「料理も酒も、素材で決まる。」


「一度試してみる価値はあると思っている。」


 老人は腕を組み、しばらく考え込んだ。


 風だけが三人の間を通り抜ける。


 やがて、小さく息を吐いた。


「……いいだろう。」


 一樹が顔を上げる。


「ただし。」


 老人は畑の一角を指差した。


「全部は任せん。」


「あの一区画だけだ。」


「結果が悪ければ、来年は元に戻す。」


 一樹は嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます。」


 老人はぶっきらぼうに背を向ける。


「礼を言うのは早い。」


「口で酒は旨くならん。」


「結果を見せろ。」


 一樹は力強く頷いた。


「はい。」


 料理長も満足そうに微笑む。


「酒井。」


「今日、お前が見たのは酒ではない。」


「酒になる前の命だ。」


 一樹は風に揺れる白葡萄を見上げた。


 まだ酒ではない。


 だが、この一粒一粒の先に、王都の料理に寄り添う新しい一杯が待っている。


 そんな予感がしていた。


⸻


次回


第17話 実りを待つ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。