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酒で世界は救えますか? ~飲み過ぎで死んだ酒豪、異世界では乾杯ひとつで争いを終わらせます~  作者: 春野ケイ


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第15話 王宮料理人

 事情聴取が終わると、一樹たちは文官に案内され、部屋を後にした。


 静まり返っていた会議室とは違い、廊下には多くの人が行き交っている。


 書類を抱えて足早に歩く文官。


 鎧の音を響かせる騎士。


 豪華な衣装を身にまとった貴族らしき人物。


 一樹は辺りを見回しながら歩いた。


「本当に、城の中だけで一つの町みたいですね。」


「王城には多くの者が働いています。」


 文官が振り返らずに答える。


「王族や貴族だけでなく、料理人、職人、侍女、庭師……数え切れません。」


「なるほど。」


 一樹は感心しながら歩みを進める。


 やがて、廊下の先から香ばしい匂いが流れてきた。


 焼きたてのパン。


 香草。


 肉を焼く音。


 煮込み料理の湯気。


 一樹の鼻がぴくりと動く。


「この匂いは……。」


 女性騎士が微笑んだ。


「厨房ですね。」


「王宮の料理は、すべてここで作られています。」


 大きな扉が開く。


 その先には、村の酒蔵とは比べものにならないほど広い厨房が広がっていた。


 巨大な竈には何口もの火が入り、大鍋からは白い湯気が立ち上る。


 料理人たちが休む間もなく包丁を動かし、皿を運び、味を確かめていた。


「すごい……。」


 一樹は思わず足を止める。


「こんな厨房、初めて見ました。」


 その言葉を聞いた一人の男が、ゆっくりと振り返った。


 白髪混じりの短い髪。


 年は五十を少し過ぎた頃だろうか。


 背筋は真っすぐ伸び、真っ白な料理服には汚れ一つない。


 鋭い眼差しは、一樹ではなく、騎士たちが運ぶ樽へ向けられていた。


「……それか。」


 低く落ち着いた声だった。


 文官が一歩前へ出る。


「料理長。」


「こちらが酒井一樹さんです。」


 料理長は一樹を一瞥しただけで、再び樽へ視線を戻す。


「酒井。」


「はい。」


「話はあとでいい。」


「まずは酒を見せろ。」


 一樹は思わず笑みを浮かべた。


(この人……。)


(俺じゃなくて、酒に興味があるんだ。)


 嫌な気はしなかった。


 むしろ、少し嬉しかった。


 酒好きなら、その気持ちはよく分かる。


 料理長は樽の前まで歩き、木肌を軽く撫でる。


「この樽も村で作ったものか。」


「はい。」


「樽職人の親方が作ってくれました。」


「ほう。」


 料理長は短く頷いた。


「酒は中身だけじゃない。」


「樽も味を育てる。」


 その一言で、一樹の表情が変わる。


(この人、本当に酒を分かってる。)


 そんな相手と会えたことに、一樹の胸は少しだけ高鳴っていた。


料理長は樽の前へしゃがみ込み、金具や木目をじっくりと眺めた。


「悪くない。」


 その一言だけ告げると、立ち上がって一樹を見た。


「栓を開けてくれ。」


「はい。」


 一樹は慣れた手つきで樽の栓を抜く。


 ふわり、と赤蜜の実の甘い香りと、麦の香ばしい香りが厨房へ広がった。


 忙しく働いていた料理人たちの手が、一瞬だけ止まる。


「……いい香り。」


「なんだ、この酒。」


 小さなざわめきが起きる。


 料理長は木杯を受け取ると、すぐには飲まなかった。


 まず色を見る。


 光へかざし、ゆっくりと揺らす。


 次に香りを確かめる。


 一度。


 二度。


 深く息を吸い込んだ。


「赤蜜の実か。」


「はい。」


「オークの集落で採れる実です。」


「なるほど。」


 料理長は小さく頷く。


 そして、ようやく木杯へ口をつけた。


 厨房に静寂が訪れる。


 一口。


 もう一口。


 料理長は何も言わず、ゆっくりと味わっている。


 一樹は思わず唾を飲み込んだ。


 村長も緊張した面持ちで見守っている。


 やがて料理長は木杯を机へ置いた。


「……面白い。」


 その一言に、一樹は胸をなで下ろした。


 料理長は続ける。


「麦酒らしい香ばしさがある。」


「だが、赤蜜の実が後味を軽くしている。」


「飲み飽きない。」


 そう言うと、もう一度木杯を持ち上げ、小さく笑った。


「久しぶりだ。」


「二杯目を飲みたくなった酒は。」


 周囲の料理人たちが顔を見合わせる。


「料理長が、そこまで言うなんて……。」


「初めてじゃないか。」


 文官も少し驚いた表情を浮かべていた。


 料理長はそんな周囲を気にすることなく、一樹へ視線を向ける。


「酒井。」


「はい。」


「料理は持ってきたか。」


「もちろんです。」


 一樹は村長から木箱を受け取り、丁寧に蓋を開けた。


 中には、焼き色のついた赤蜜麦餅がきれいに並んでいる。


「これが?」


「赤蜜麦餅です。」


「酒を搾ったあとの麦を使っています。」


 料理長の眉がわずかに動く。


「酒粕ではなく、搾りかすを使ったのか。」


「捨てるのはもったいないと思って。」


「食べてみてください。」


 料理長は一つ手に取り、半分に割る。


 立ち上る湯気とともに、香ばしい香りが広がった。


 まずは赤蜜麦餅だけを一口。


 ゆっくり噛みしめる。


 続いて赤蜜麦酒を口へ運ぶ。


 再び静寂。


 料理長は目を閉じたまま、しばらく動かなかった。


 そして静かに目を開き、一樹を見つめる。


「……そういうことか。」


 一樹は首をかしげる。


「え?」


「この酒は、この餅と一緒に完成する。」


 料理長は赤蜜麦餅をもう一口食べながら続けた。


「酒だけでも旨い。」


「餅だけでも旨い。」


「だが、一緒に口へ運ぶと、それぞれの良さが何倍にも引き立つ。」


「最初から、この組み合わせを考えていたのか。」


 一樹は照れくさそうに頭をかく。


「いや。」


「食料不足を何とかしたくて作ったら、結果的にこうなりました。」


 料理長は思わず笑った。


「狙って作れるものではない。」


「だからこそ価値がある。」


 その言葉に、一樹は少しだけ肩の力を抜いた。


 王都へ来て初めて、自分たちが作ってきたものを、心から理解してくれる人に出会えた気がした。


料理長は木杯を静かに置くと、厨房で働く若い料理人へ声をかけた。


「今朝の昼餐で出す予定だった前菜を持ってきてくれ。」


「はい。」


 ほどなくして、大きな皿が運ばれてくる。


 薄く切られた白身魚の香草焼き。


 柑橘を使ったさっぱりとしたソース。


 季節の野菜を添えた、見た目にも鮮やかな一皿だった。


「酒井。」


「この料理と合わせてみろ。」


「え、俺がですか?」


「お前が造った酒だ。」


「一番よく知っているだろう。」


 一樹は頷き、料理を一口食べる。


 魚の旨味が口いっぱいに広がる。


 そのあと、赤蜜麦酒を流し込んだ。


「……あ。」


 思わず声が漏れた。


 料理長は表情一つ変えずに尋ねる。


「どう感じた。」


 一樹は正直に答える。


「美味しいです。」


「でも……。」


「でも?」


「赤蜜麦酒が少し勝ちます。」


 料理長は静かに頷いた。


「私も同じだ。」


 村長は少し驚いた顔をする。


「それは、酒が悪いということでしょうか。」


「違う。」


 料理長はすぐに首を横へ振った。


「この酒は悪くない。」


「むしろ、よく出来ている。」


 木杯を持ち上げながら続ける。


「この酒は、村で生まれた酒だ。」


「人間とオークが同じ卓を囲み、赤蜜麦餅を食べ、笑い合う。」


「その景色が浮かぶ酒だ。」


 一樹は黙って聞いていた。


「だが、王都の料理は違う。」


 料理長は白身魚を指した。


「素材の香りを楽しみ、繊細な味を重ねる。」


「そこへ、この酒を合わせると……。」


 一樹が続ける。


「赤蜜麦酒の個性が強すぎる。」


「その通り。」


 料理長は満足そうに頷いた。


「酒が料理を消してしまう。」


「逆に言えば。」


 一樹は少し考えながら言う。


「料理に寄り添う酒があればいい。」


 料理長の口元が、ゆっくりと緩んだ。


「やはり、お前もそこへ辿り着くか。」


 そう言うと、料理長は近くの棚から一本の瓶を取り出した。


 中には淡い黄金色の酒が入っている。


「これは王都で造られている葡萄酒だ。」


 一樹は木杯へ少しだけ注いでもらい、香りを確かめる。


「華やかですね。」


「飲んでみろ。」


 一口含む。


 爽やかな酸味と、果実の香りが広がった。


「美味しい……。」


 だが、一樹はゆっくり首を傾げる。


「でも。」


「何か足りない。」


 料理長は静かに笑う。


「私もそう思っている。」


 その一言に、一樹は料理長を見た。


「だから酒井。」


「お前に頼みがある。」


 厨房にいた料理人たちも、一斉に料理長へ視線を向ける。


「王都の料理に、本当に寄り添える一杯を。」


「私と一緒に造ってみないか。」


 一樹は少し驚いたあと、自然と笑みを浮かべた。


「面白そうですね。」


「ぜひ、やらせてください。」


 料理長は満足そうに頷く。


「決まりだな。」


「明日、ある場所へ案内する。」


「酒は酒蔵だけでは生まれん。」


「まずは畑を知らなければならん。」


 一樹は力強く頷いた。


「はい。」


 新しい酒は、まだ影も形もない。


 だが、その一歩は、確かに踏み出された。


⸻


次回


第16話 白き実り

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