第4話 小麦、ダイエット大作戦
事件は、体重計の上で起きた。
「……増えてますね」
俺は、小麦を抱えて獣医から戻ったところで、リビングのみんなにそう報告した。
定期検診で、小麦の体重が、先月より一キロ近く増えていた。先生いわく、「このサイズの子の一キロは、人間でいう数キロです。おやつ、あげすぎてませんか」と。
リビングがしんと静まった。
ソファに座る遠野さん。ダイニングのまひるさん。床に座ってタブレットをいじっていたゆめちゃん。ブランケットにくるまった累さん。
全員が、ふいに、目をそらした。
「……あの」
最初に口を開いたのは、まひるさんだった。
「私、夜、帰ってきた時に……生姜焼きのお肉、一切れだけ、あげちゃってました。すみません……すごく、おねだりされて」
「私もよ」
遠野さんが、ため息をついた。
「晩酌してると、足元で、あの目で見上げてくるから。ちくわを、一本」
「うちはチーズ……」
ゆめちゃんが、小さく手を挙げた。
「トーストの、はじっこのとこ。だって、可愛いんだもん」
「私は……」
累さんが、ぼそりと言った。
「メンチカツの衣を……夜中に……一緒に……」
俺は、頭を抱えたくなった。つまり、全員が、「自分だけはこっそり」あげていたわけだ。小麦からすれば、四人分の夜食のおこぼれを、毎晩ローテーションで頂戴していたことになる。そりゃあ、太る。
「みなさん」
俺は咳払いをした。
「今日から、おやつは、禁止です」
その瞬間。
小麦が、俺を見上げた。垂れた耳。うるうるした、大きな黒い目。首を、こてんと傾げる。
「……くぅん」
「……」
リビングの全員が、息を呑んだ。
「無理」
ゆめちゃんが即座に言った。
「無理だよあれは。あの顔で禁止って、人類には無理」
「ゆめちゃん、しっかりして」
まひるさんが言ったが、その声も震えていた。
俺は、努めて冷静に続けた。
「小麦の体のためです。それに、みなさんが普段食べているものの中には、犬にあげてはいけないものも、あるんですよ」
「え、そうなの?」
ゆめちゃんが顔を上げた。
「チョコレートは、有名ですよね。あれは、犬には毒なんです。少量でも、心臓や神経に来ます。ゆめちゃん、ココアも、絶対にあげちゃだめですよ」
「……知らなかった。あげなくてよかった」
ゆめちゃんが青ざめた。
「玉ねぎやネギも、だめです。赤血球を壊して、貧血を起こします。だから、生姜焼きのタレが染みたお肉も、本当はよくない。まひるさん」
「ひっ……す、すみません……!」
まひるさんが、頭を抱えた。
「ぶどうやレーズンも危ない。腎臓に来ます。あとは、キシリトール。ガムとか、甘味料に入ってるやつ。これも、犬には強い毒です」
「……知らないことばっかり」
遠野さんが、感心したように言った。
「あと、アボカドも、よくないんですよ。それから、お酒は、絶対にだめです。人間には少しでも、犬には命に関わる」
「お酒……」
遠野さんが、はっとした顔をした。
「私、晩酌してる時に、ちくわをあげてました。でも、もし、間違えて、おつまみの……」
「ええ、だから、晩酌のときは、特に気をつけてください。小麦は、人が美味しそうに食べてると、何でも欲しがるので」
俺がそう言うと、足元の小麦が、まるで分かっているみたいに、「くぅん」と鳴いた。
リビングに、小さな笑いが起きた。
「だから、おやつは、俺が安全なものを作ります。それ以外は、禁止。いいですね」
「……はーい」
四人が、しおしおと頷いた。
――はずだった。
その夜から、常夜灯は、奇妙な緊張に包まれた。
俺が夜、キッチンの片付けをしていると、廊下の奥から、こそこそとした足音がする。振り返ると、誰もいない。気のせいかと思って、また手を動かす。すると、今度は反対側から、衣ずれの音がする。
体重一キロ増の犯人は――全員だった。「自分だけはこっそり」あげていた四人の白状に、思わず笑ったら【笑える】を! 首をこてんと傾げて「くぅん」、あの必殺の上目づかいにやられた人は、ブックマークで作戦の行方を。




