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第3話 お花見弁当だ、本物の

ウッドデッキにござを敷いて、座布団を並べた。桜の枝が頭上に、ふわりと広がっている。風が吹くたび、花びらがひらり、ひらりと落ちてきて、重箱の上や誰かの髪に、そっと舞い降りた。


「すごい。お花見弁当だ。本物の」


怜さんが、おちょこを片手に目を細めた。今日の彼女は、スーツじゃない。オーバーサイズのニットに、すっぴん近い顔。素のままの、休日の怜さんだ。


「日本酒、冷やしてありますよ」


「……管理人さん。あなた、私を、ダメにする気でしょう」


「お休みの日くらい、いいじゃないですか」


俺が冷やの一升瓶を差し出すと、怜さんは嬉しそうに、おちょこを差し出した。


まひるさんは、桜エビのかき揚げをはふはふと頬張っている。


「おいしい……! このエビ、サクサクで、香りが、すごい」


ゆめちゃんは、桜のおにぎりをスマホで何枚も撮ってから、ようやくひと口。


「待って、これ、映えるとかの次元じゃない。普通に、めちゃくちゃ美味しい」


累さんは、いつものように片手で筍ご飯を掻き込みながら、もう片方の手でラフ帳に、この光景を素早くスケッチしていた。


足元では、小麦がヘソを天に向けて、桜の下で気持ちよさそうに寝そべっている。時々、誰かが落とした桜エビのかけらに「わふ」と顔を上げては、また、ころんと丸くなった。


***


宴は、ゆっくりと和やかに過ぎていった。怜さんがほろ酔いで、若い頃の失敗談を語り、まひるさんがそれを聞いて、けらけらと笑う。


「入社一年目でね。大事なプレゼンの資料、全部、家に忘れたの」


「ええっ、怜さんでも、そんなことが」


「あるわよ。タクシー飛ばして、間に合わせたけど。あの頃は、毎日、生きた心地しなかったなあ」


まひるさんが、ぱっと顔を上げた。


「……私も、今、毎日、生きた心地しないです」


「大丈夫。十年経てば、笑い話になるから」


怜さんが、おちょこ越しにふっと笑う。その横顔を見て、まひるさんが少しだけ安心したように、肩の力を抜いた。


ゆめちゃんが、累さんの描いたスケッチを覗き込んで「うますぎ」と感嘆し、累さんが珍しく照れる。


「ねえ」


ふと、ゆめちゃんが桜のおにぎりを摘んだ手を止めて、言った。


「私たち、来年も、ここで、こうしてるのかな」


一瞬、場が静かになった。


ゆめちゃんは、専門学校を卒業すればここを出ていくかもしれない。怜さんも、まひるさんも、累さんも、いつかはそれぞれの道へ。そういう未来が、確かにあるのだ。


「……どうかな」


怜さんが、おちょこを置いてふっと笑った。


「でも、別に。出ていったって、いいんじゃない」


「え」


「ここがあるって、知ってれば。いつでも、帰ってこられるって、思えてれば。それで、十分でしょ」


まひるさんが、こくこくと頷いた。


「うん。私、もし結婚しても、ここのご飯、食べに来ちゃうと思います」


「図々しいな」


累さんが、笑う。


「累さんだって、絶対来るくせに」


「……まあ、来るけど」


四人が、笑った。俺はその笑い声を聞きながら、空になった皿をそっと片付けた。


帰る場所がある、ということ。それは、ずっとここに居続けることじゃない。どこへ行っても、戻れる灯りが一つある。それだけのことだ。


***


風が、また吹いた。桜の花びらがいっせいに舞い上がって、淡い雪のように降ってきた。


俺は、ふと立ち上がった。そして、満開の桜を見上げた。枝の隙間から、よく晴れた春の空が見えた。


──登美さん。


心のなかで、呼びかけた。


見てますか。


あなたが遺してくれた、この家。あなたが大切にしていた、この桜。その下で今、四人の女の子が笑っています。ご飯を食べて、お酒を飲んで、来年のことを話しています。


あなたが言った通りになりました。俺は、ただの「ご飯が上手なおじさん」になれました。


「……周さん?」


ゆめちゃんが、俺を見上げて首をかしげた。


「どうしたの。空、見て」


「いえ」


俺は、桜から目を離して笑った。


「ちょっと、挨拶を」


「挨拶? 誰に」


四人が、きょとんと俺を見た。俺はもう一度、桜の枝の向こうの空をちらりと見上げて、言った。


「この家を、俺にくれた人ですよ」


四人は、しばらく黙っていた。それから、怜さんが、おちょこを、そっと桜のほうへ掲げた。


「……いただいてます。ありがたく」


まひるさんも、湯呑みを掲げた。


「ごちそうさまです。前の管理人さん」


ゆめちゃんと累さんも、それぞれおにぎりを、ぺこりと桜に向けた。


桜が、また、ふわりと散った。まるで、頷いてくれたみたいに。


重箱には、まだ、いくつかの一皿が残っていた。桜の塩漬けの、淡い匂いが、宴のあとの空気にそっと溶けていく。


──この弁当を、もう一人、喜ぶ人がいる。そんな気が、なぜだかしていた。玄関のほうで、聞き慣れた「ただいま」の声がするのは、もう少しあとのことだ。


桜の下、二段重の飯テロと、おちょこと、ヘソ天の小麦。「出ていったって、いいんじゃない。ここがあるって、知ってれば」——その言葉に、帰る場所の意味がふっと沁みたら、【にこにこ】か【泣ける】を! この光景を尊いと思ってくださったら、★評価でそっと灯りを足してください。

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