第5話 人を祝うのは、得意なんですけどね
誰かが、俺のために灯りを消して、待っていてくれる。俺のために、ケーキを焼いて、何度も練習までしてくれる。胸の奥が、なんだか、ぐっと詰まった。喉が熱くなって、俺は慌てて、目元を片手で覆った。
「……いやだなあ」
なんとか笑おうとした。けれど、声が震えていた。
「歳を取ると、涙もろくて、いけませんね」
四人が、ぽかんとしていた。それは、そうだろう。俺はいつも、飄々としていた。何があっても、慌てず、騒がず、ただ笑って飯を作る男だった。その俺が、いま、ろうそく一本の灯りを前に、目元を覆って立ち尽くしている。
「……管理人さん」
まひるさんが、おそるおそる言った。
「もしかして、泣いて……」
「泣いてませんよ」
俺はぐい、と目元を拭った。
「泣いて、ないです」
明らかに、声が湿っていた。四人が、顔を見合わせた。
俺は深呼吸をひとつして、できるだけいつもの調子で言った。
「……困りましたね」
「困った?」
「ええ。あの。俺、人を祝うのは、得意なんですけどね」
苦笑して、頭をかいた。
「祝われるのは……どうも、勝手が、分からなくて。何を、すればいいのか」
その一言で。四人の何かが、ふっと解けたのが分かった。
「……何もしなくていいんですよ」
最初に口を開いたのは、怜さんだった。いつもの早口でも、仕事モードの敬語でもない。やわらかい声だった。
「祝われる人は、ただ、にこにこ笑って、ろうそくを、消すだけです」
「……それだけ、ですか」
「それだけです」
俺は、ろうそくの前にしゃがんだ。ずいぶん長いこと灯してこなかった灯りが、ゆらゆらと揺れていた。
「……ふう」
ひと息で、消した。
ぱちぱち、と四人が拍手をした。小麦が、わん、と吠えた。煙がひとすじ、天井へ立ちのぼっていった。
ケーキは、お世辞にも上手とは言えなかった。生クリームは甘すぎたし、スポンジは、少し固かった。苺だけが、やたらと瑞々しかった。
けれど。俺は、その一口を、ゆっくりと噛みしめた。
スポンジの、不揃いな気泡。塗りむらの生クリーム。瑞々しい苺の酸っぱさ。そのどれもが、口のなかで、じんわりとほどけていく。
「……美味しい」
ぽつり、と零れた。
「お世辞、いらないですよ」
ゆめちゃんが、唇を尖らせた。
「お世辞じゃ、ないです」
俺は、首を横に振った。
「本当に、美味しい。──こんなに、美味しいケーキ、初めて、食べました」
それは、嘘ではなかった。誰かが、俺のことを思って、不器用に、何度も練習して焼いてくれた。その味が、まずいわけがなかった。
「ねえ、管理人さん」
苺を頬張りながら、まひるさんが言った。
「今度は、私たちが、覚える番ですからね」
「覚える?」
「管理人さんの好きなもの。大事な日。気分まで、ぜんぶ」
「いつも、してもらってばっかりだから」と、ゆめちゃん。
「たまには、させてください」と、累さん。
怜さんが、おちょこをこちらに傾けた。
「乾杯、しましょうか。──主役に」
四つのグラスと、一つのおちょこが、ことん、と合わさった。
その夜は、ずいぶん賑やかだった。四人が笑って、喋って、ケーキを食べて、小麦がおこぼれをねだって。俺は、その輪の真ん中で、ただ笑っていた。
──不思議なものだ。
いつも、俺はこの輪の外側にいた。飯を作り、灯りを灯し、誰かの帰る場所を守る。それが、俺の場所だった。それで、十分だと思っていた。
なのに、今夜は。その輪の真ん中に、座らされている。
なんだか、落ち着かなくて、けれど──悪く、なかった。
***
夜が更けて。四人が、二階へ上がっていった。
「おやすみなさい、管理人さん」
「おやすみ。ありがとう、本当に」
階段の途中で、四人が振り返って、笑った。
その背中を見送って。俺は、しんと静まったリビングで、ひとり、消えたろうそくを片付けていた。溶けた蝋の跡を、指先でなぞる。
「……こんなの、何年ぶりだろう」
ぽつり、と呟いた。
何年ぶり、だっただろう。誰かに祝ってもらうこと。誰かが、自分のために灯りを消して、待っていてくれること。
人を祝うのは、得意だった。世界中の、誰かの特別な一日を、何百回となく作ってきた。けれど、その俺自身が、誰かに祝われた記憶をたどろうとすると。
──ずっと、ずっと、昔で。
その先には、もう、思い出したくない場所があった。俺は、軽く頭を振った。
「……やめよう。今日は、いい日だ」
蝋の欠片を、ゴミ箱に落とした。それでも、胸の奥に、ひとつ、小さな灯りが残っていた。
人を祝うのは、得意だ。それは、変わらない。ただ──祝われるのも、案外、悪くない。
そんなことを、四十二にもなって、初めて知った夜だった。
足元に、小麦がすり寄ってきた。その金色の頭を撫でる。
「お前も、ありがとうな。小麦」
小麦は、嬉しそうに目を細めた。
冷蔵庫には、ケーキがまだ半分ほど残っている。明日の朝、みんなで食べよう、と思った。きっと、一晩寝かせたほうが、生クリームが馴染んで美味い。
そう考えて、俺は、ひとり、ふっと笑った。
──ああ、明日の朝が楽しみだ、なんて。
そんなふうに思うのも、ずいぶん、久しぶりのことだった。
「祝われるのは、勝手が分からなくて」と目元を覆う人へ、「ただ、にこにこ笑ってろうそくを消すだけ」。祝われるのも案外悪くないと四十二で初めて知った夜――胸が温かくなったら、【泣ける】か【いいね】を! 押し入れの箱の行方も、ブックマークで見届けてください。




