↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
35/40

第5話 人を祝うのは、得意なんですけどね

誰かが、俺のために灯りを消して、待っていてくれる。俺のために、ケーキを焼いて、何度も練習までしてくれる。胸の奥が、なんだか、ぐっと詰まった。喉が熱くなって、俺は慌てて、目元を片手で覆った。


「……いやだなあ」


なんとか笑おうとした。けれど、声が震えていた。


「歳を取ると、涙もろくて、いけませんね」


四人が、ぽかんとしていた。それは、そうだろう。俺はいつも、飄々としていた。何があっても、慌てず、騒がず、ただ笑って飯を作る男だった。その俺が、いま、ろうそく一本の灯りを前に、目元を覆って立ち尽くしている。


「……管理人さん」


まひるさんが、おそるおそる言った。


「もしかして、泣いて……」


「泣いてませんよ」


俺はぐい、と目元を拭った。


「泣いて、ないです」


明らかに、声が湿っていた。四人が、顔を見合わせた。


俺は深呼吸をひとつして、できるだけいつもの調子で言った。


「……困りましたね」


「困った?」


「ええ。あの。俺、人を祝うのは、得意なんですけどね」


苦笑して、頭をかいた。


「祝われるのは……どうも、勝手が、分からなくて。何を、すればいいのか」


その一言で。四人の何かが、ふっと解けたのが分かった。


「……何もしなくていいんですよ」


最初に口を開いたのは、怜さんだった。いつもの早口でも、仕事モードの敬語でもない。やわらかい声だった。


「祝われる人は、ただ、にこにこ笑って、ろうそくを、消すだけです」


「……それだけ、ですか」


「それだけです」


俺は、ろうそくの前にしゃがんだ。ずいぶん長いこと灯してこなかった灯りが、ゆらゆらと揺れていた。


「……ふう」


ひと息で、消した。


ぱちぱち、と四人が拍手をした。小麦が、わん、と吠えた。煙がひとすじ、天井へ立ちのぼっていった。


ケーキは、お世辞にも上手とは言えなかった。生クリームは甘すぎたし、スポンジは、少し固かった。苺だけが、やたらと瑞々しかった。


けれど。俺は、その一口を、ゆっくりと噛みしめた。


スポンジの、不揃いな気泡。塗りむらの生クリーム。瑞々しい苺の酸っぱさ。そのどれもが、口のなかで、じんわりとほどけていく。


「……美味しい」


ぽつり、と零れた。


「お世辞、いらないですよ」


ゆめちゃんが、唇を尖らせた。


「お世辞じゃ、ないです」


俺は、首を横に振った。


「本当に、美味しい。──こんなに、美味しいケーキ、初めて、食べました」


それは、嘘ではなかった。誰かが、俺のことを思って、不器用に、何度も練習して焼いてくれた。その味が、まずいわけがなかった。


「ねえ、管理人さん」


苺を頬張りながら、まひるさんが言った。


「今度は、私たちが、覚える番ですからね」


「覚える?」


「管理人さんの好きなもの。大事な日。気分まで、ぜんぶ」


「いつも、してもらってばっかりだから」と、ゆめちゃん。


「たまには、させてください」と、累さん。


怜さんが、おちょこをこちらに傾けた。


「乾杯、しましょうか。──主役に」


四つのグラスと、一つのおちょこが、ことん、と合わさった。


その夜は、ずいぶん賑やかだった。四人が笑って、喋って、ケーキを食べて、小麦がおこぼれをねだって。俺は、その輪の真ん中で、ただ笑っていた。


──不思議なものだ。


いつも、俺はこの輪の外側にいた。飯を作り、灯りを灯し、誰かの帰る場所を守る。それが、俺の場所だった。それで、十分だと思っていた。


なのに、今夜は。その輪の真ん中に、座らされている。


なんだか、落ち着かなくて、けれど──悪く、なかった。


***


夜が更けて。四人が、二階へ上がっていった。


「おやすみなさい、管理人さん」


「おやすみ。ありがとう、本当に」


階段の途中で、四人が振り返って、笑った。


その背中を見送って。俺は、しんと静まったリビングで、ひとり、消えたろうそくを片付けていた。溶けた蝋の跡を、指先でなぞる。


「……こんなの、何年ぶりだろう」


ぽつり、と呟いた。


何年ぶり、だっただろう。誰かに祝ってもらうこと。誰かが、自分のために灯りを消して、待っていてくれること。


人を祝うのは、得意だった。世界中の、誰かの特別な一日を、何百回となく作ってきた。けれど、その俺自身が、誰かに祝われた記憶をたどろうとすると。


──ずっと、ずっと、昔で。


その先には、もう、思い出したくない場所があった。俺は、軽く頭を振った。


「……やめよう。今日は、いい日だ」


蝋の欠片を、ゴミ箱に落とした。それでも、胸の奥に、ひとつ、小さな灯りが残っていた。


人を祝うのは、得意だ。それは、変わらない。ただ──祝われるのも、案外、悪くない。


そんなことを、四十二にもなって、初めて知った夜だった。


足元に、小麦がすり寄ってきた。その金色の頭を撫でる。


「お前も、ありがとうな。小麦」


小麦は、嬉しそうに目を細めた。


冷蔵庫には、ケーキがまだ半分ほど残っている。明日の朝、みんなで食べよう、と思った。きっと、一晩寝かせたほうが、生クリームが馴染んで美味い。


そう考えて、俺は、ひとり、ふっと笑った。


──ああ、明日の朝が楽しみだ、なんて。


そんなふうに思うのも、ずいぶん、久しぶりのことだった。


「祝われるのは、勝手が分からなくて」と目元を覆う人へ、「ただ、にこにこ笑ってろうそくを消すだけ」。祝われるのも案外悪くないと四十二で初めて知った夜――胸が温かくなったら、【泣ける】か【いいね】を! 押し入れの箱の行方も、ブックマークで見届けてください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。