第4話 ケーキ、三回練習したんです
その夜、管理人室で。固定電話が、けたたましく鳴った。
こんな時間に、珍しい。この番号を知る人間は、片手で数えるほどしかいない。
俺は、受話器を取った。
「はい、常夜灯です」
『あらぁ、周さん。久しぶりねえ』
聞き覚えのある、しわがれた、けれど張りのある声。昔、世話になった、ある料亭の女将だった。
「女将さん。ご無沙汰しています」
『元気にしてた? あなた、相変わらず、こんな電話一本でしか、捕まらないんだから』
「ええ、まあ。お変わりなく?」
『おかげさまでねえ。この前なんて、また妙な人たちが、あなたを探しに来たのよ。「柏木さんの連絡先を」って。もちろん、教えやしないけどね』
「……お手数を、おかけします」
『いいのよ。あなたが見つかったら、また連れ戻されちゃうもの。──ああ、そうそう。それより周さん』
女将の声が、ふっと、柔らかくなった。
『今年も、お誕生日、おめでとう。来週でしょう』
俺は、受話器を握ったまま、少し、黙った。
「……覚えていてくださったんですか」
『当たり前じゃないの。あなたの誕生日くらい。毎年、忘れたことなんてないわよ』
***
そのとき。管理人室のドアが、ほんの少し、開いていた。
麦茶のおかわりを、届けに来てくれたのだろう。まひるさんが、盆を手に、廊下に立ち尽くしていた。ドア越しに、聞こえてしまったのだ。
──来週。来週が、管理人さんの、誕生日。
まひるさんの目が、まんまるに、見開かれていた。俺は、まだ、その視線に、気づいていなかった。
『じゃあね、周さん。ちゃんと、ご飯食べるのよ』
「……はい。ありがとうございます」
受話器を、そっと置いた。カチャリ、と、静かな音がした。
***
翌朝から、常夜灯は、妙に落ち着かなかった。
二階が、やけに、ざわついている。四人が、何やら、ひそひそと、けれど興奮した様子で、相談している。俺が近づくと、ぴたりと、口をつぐむ。そして、四人が、揃って、こちらを見た。その目が、なんだか、きらきらしていた。
「……どうしました。みなさん」
「なんでもない!」
声が、見事に、揃った。
それから数日、四人は、やたらと、こそこそしていた。廊下でぱたぱたと足音がして、俺が顔を出すと、ぴたりと止む。買い物に出たかと思えば、紙袋を後ろ手に隠して帰ってくる。台所で何かしようとすると、「いいから、管理人さんは座ってて!」と追い出される。
「……俺、何か、しましたかね」
小麦に訊いてみた。小麦は、何も知らないというふりをして、けれど、しっぽが隠しきれずに、ぶんぶんと振れていた。
***
その日。夕食どきになっても、誰も台所に来なかった。
おかしいな、と思いながら、俺はいつものように夕飯の支度をしていた。そろそろできますよ、と声をかけようとした、そのとき。リビングの灯りが、ふっと消えた。
「……あれ。ブレーカーかな」
俺はエプロンで手を拭いて、リビングへ向かった。そして、ドアを開けた瞬間。
ぱっ、と灯りがついた。
「サプライズ! お誕生日、おめでとうございます!」
四人が横一列に並んで、声を張り上げていた。怜さん。まひるさん。ゆめちゃん。累さん。その真ん中に、誇らしげに座った、小麦。
テーブルの上には、手作りらしいケーキ。少しいびつだった。生クリームの塗り方が、あちこちでよれている。苺は、数だけはたくさん載っていた。真ん中には、火の灯ったろうそくが、四十二本──ではなく、四本と二本、ちょこんと立っていた。
『HAPPY BIRTHDAY 管理人さん』
そう書かれた手作りの飾りが、壁にぶら下がっていた。
──その瞬間の俺の顔を、たぶん、住人の誰も、見たことがなかったと思う。
俺は。立ち尽くした。何か言わなければ、と思った。けれど、言葉が出てこなかった。
「……あの」
口を開いた。けれど、その先が続かない。四人の顔と、ケーキと、ろうそくの灯りを、何度も見比べた。
「えっと……これは」
声が、少し上ずっていた。
「俺の……ため、ですか?」
「そうですよ!」
まひるさんが、目をうるうるさせながら頷いた。
「いつも、私たちのこと、祝ってくれるじゃないですか。だから、今日は、私たちが」
「来週が誕生日って、聞いちゃったんで」と、ゆめちゃん。
「フライングだけど。サプライズは、当日より、こっちのほうが、驚くでしょ」と、怜さん。
「ケーキ、私たちで焼いたんですよ。失敗しないように、三回も練習して」と、累さん。
俺は、ろうそくの灯りを見つめていた。ゆらゆらと揺れる、小さな炎。
──こんなの、いつ以来だろう。
灯りが消えたリビングで「サプライズ!」。いびつな手作りケーキ、四本と二本のろうそく、失敗しないよう三回練習した苺のケーキ。いつも祝う側の人が主役に座らされる瞬間にじんときたら、【にこにこ】か【泣ける】を! その顔の続きはブックマークで。




