第3話 誰かの誕生日ばかり、祝う人
翌朝。朝食の席に、まひるさんが下りてきて、目を、まんまるにした。食卓に、特製のオムライスが、置いてあったのだ。
ふわとろの卵の上に、ケチャップで、小さく『おめでとう』と書いてある。湯気が、まだ、ほわほわと立っていて、バターの匂いが、ふわりと鼻をくすぐった。横には、彼女の好きな、いちごのプリンまで。カラメルの、ほろ苦い艶が、朝の光を、つやりと弾いていた。
「……え。これ」
「お誕生日、でしょう。今日」
まひるさんが、固まった。
「……なんで、知ってるんですか」
「掲示板に、書いてあったので。前に、ちらっと」
俺は、なんでもないことのように言った。実際には、何ヶ月も前に、ゆめちゃんが世間話のついでに「まひるさん、十月生まれなんだって」と言ったのを、覚えていただけだ。それを、あえて言うのも野暮な気がして、黙っていた。
まひるさんは、しばらく、オムライスを見つめていた。それから、ぽろり、と、涙を零した。
「……私、今日が誕生日だって、誰にも言ってなかったのに」
「いやだなあ。泣かないでください」
「だって。会社でも、誰も覚えてなくて。私、今日、ひとりで、コンビニのケーキでも買おうかなって、思ってたのに」
スプーンを握ったまま、まひるさんは、ぐすぐすと泣いた。
「……嬉しい。すごく、嬉しいです」
俺は、そっと、彼女の前に、温かいココアを置いた。
「お誕生日、おめでとうございます」
***
その話が、二階に広まった。
「ちょっと待って」と、ゆめちゃんが、目を丸くした。
「私の誕生日のときも、そうだったよ」
「私もよ」と、怜さん。
「私も」と、累さん。
四人が、顔を見合わせた。
ゆめちゃんの誕生日には、はちみつたっぷりのフレンチトーストと、手作りのケーキが。怜さんの誕生日には、とびきりのおでんと、彼女の好きな銘柄の日本酒が。累さんの誕生日には、メンチカツサンドの特盛りと、ひと口サイズの唐揚げが、山のように。
全員、当日の朝に、何も言わないのに、完璧に祝われていた。
しかも、ただ祝うだけではない。怜さんのおでんは、その日が、特に仕事で擦り切れた日だった。まひるさんのオムライスは、会社で泣いた、その夜だった。落ち込んだ日には、ガッツリしたものを。胃が疲れた日には、優しいものを。まるで、その日の心まで、見透かしたように。
「しかも」と、まひるさん。
「私、誕生日、言った覚えないんです。なのに、知ってて」
「予知レベルじゃない、それ」と、ゆめちゃん。
***
「管理人さんって、エスパーなんじゃないですか」
そうして、冒頭の朝に、戻る。
俺は、菜箸を持ったまま、首をかしげた。
「エスパーは、言い過ぎですよ。ただ、皆さんの好きなものと、大事な日くらいは、覚えておきたいなあ、と思っているだけで」
「それが、できる人、いないんですって」
まひるさんが、力説した。
「普通、自分の誕生日だって忘れるのに。四人ぶんですよ。四人ぶんの誕生日と、好物と、その日の気分まで」
「気分は、さすがに……」
「当ててるじゃないですか。落ち込んでる日は、ガッツリしたやつ。疲れてる日は、優しいやつ。ぜんぶ、ちょうどいいんです」
俺は、ただ、はあ、と笑った。そんなのは、長年の癖のようなものだ。誰かの顔色を見て、今日はこれが要るな、と先回りする。昔の仕事で、嫌というほど身についた、ただの職業病だった。
***
その夜。リビングで、四人が、こそこそと、額を寄せ合っていた。俺が麦茶を運んでいくと、ぴたりと、話をやめる。
「……どうしました」
「なんでもない!」
四人の声が、揃った。
また、これだ。俺は、首をかしげながら、台所へ戻った。
***
──あとで、まひるさんが、こっそり教えてくれた。
四人は、相談していたのだ。「私たちも、管理人さんの誕生日、祝いたい」と。
いつも祝われてばかりで、祝い返したことが、一度もない。それが、なんだか、申し訳ないというか、悔しいというか。
「だから、管理人さんの誕生日、聞き出そうってことになって」
まひるさんが、声をひそめて言った。
「でも」
「でも?」
「絶対に、教えてくれないんです。何回聞いても、はぐらかすんですよ。管理人さん」
たしかに、と、俺は思った。俺は、自分の誕生日を、誰にも言っていない。
別に、隠しているつもりは、なかった。ただ、訊かれても、つい、言葉を濁してしまう。
「俺の誕生日なんて、どうでもいいですよ」とか。「いい歳して、祝ってもらうものでもないでしょう」とか。そう言って、笑って、流す。
それが、いつのまにか、癖になっていた。
***
その日の夕食の席。ゆめちゃんが、わざとらしく、切り出した。
「ねえねえ、おじさん。誕生日、いつ?」
「俺ですか。さあ、いつでしたかねえ」
「自分の誕生日、忘れる人いる?」
「歳を取ると、ねえ。どうでもよくなるものですよ」
「ぜんっぜん、教えてくれないじゃん!」
ゆめちゃんが、ぷう、と頬を膨らませた。俺は、ただ、味噌汁をよそいながら、笑っていた。
──正直に言えば。
俺は、もう、ずいぶん長いこと、自分の誕生日というものを、祝っていなかった。
昔は、それどころではなかった。誰かの記念日を完璧に演出することばかりに、神経をすり減らしていた。世界中の誰かの「特別な一日」を作る仕事だった。
その合間に、自分の誕生日が、いつのまにか過ぎている。気づくのは、たいてい、翌日か、翌々日だった。別に、寂しいとも思わなかった。
人を祝うのは、得意だった。誰かのために、最高の一日を、組み立てる。好物を、さりげなく揃え、苦手なものは、そっと外す。その人が、いちばん輝く瞬間を、舞台裏から整える。それが、俺の仕事だった。
ただ、祝われるということが、どういうものだったか。自分のために、誰かが、舞台を整えてくれること。自分が、その舞台の、真ん中に立つこと。
──思い出せないくらい、昔の話だった。
だから、まさか思ってもみなかった。俺の忘れていたはずのその日を、まだ覚えている人が、いるだなんて。
それを、思いがけない一本の電話で知らされることになるとは──このときの俺は、まだ知らないでいた。
言った覚えもない誕生日を、当日の気分ごと完璧に祝われていた四人。なのに当の本人は、自分の誕生日を頑なにはぐらかす――「人を祝うのは得意」の裏にある切なさに気づいたら、【泣ける】か【びっくり】を! 続きが気になったらブックマークを。




