第4話 慰めなら、別の言い方を
その夜、ゆめちゃんは降りてこなかった。いつもなら、午前零時を過ぎたあたりで、リビングの奥に明かりがつく。ためらいがちな足音が、階段を下りてくる。でも、その夜は、それがなかった。
代わりに、二階から物音だけが聞こえた。何かを床に放るような、鈍い音。それから、しんとした静けさ。
何かあったな、と思った。
でも、二階は住人のための場所だ。男の俺が上がっていくところじゃない。俺にできるのは、台所で火を絶やさずに、待つことだけだった。
俺は出汁を引く手を止めて、しばらく待った。やがて、足音が階段を下りてきた。いつもより、ずっと重たい足音だった。
ゆめちゃんは、リビングのソファに、崩れるように座り込んだ。スマホを握ったまま、画面も見ずに、ただ宙を見ている。眼鏡もかけていない。目が、真っ赤だった。
「……小田切さん」
声をかけると、彼女は俺を見て、それから力なく言った。
「落ちた」
「落ちた、というのは」
「コンテスト。学校のやつ。応募してたんだけど、一次で落ちた」
ゆめちゃんは、スマホを見せてきた。画面には、応募作の一覧と、その中の自分の作品が映っていた。
「しかもさ、こっちも」
彼女が画面をスワイプすると、SNSの数字が出た。
「フォロワー、減ってんの。ここ最近ずっと。投稿しても、いいねもつかなくて。……わたしのこと、誰も見てないんだなって」
声が、震えていた。
「コンテストも落ちて、フォロワーも減って。わたし、ほんとに、何もないんだなって」
俺は、ソファの近くの床に膝をついて、彼女の握っているスマホの画面を、少しだけのぞかせてもらった。
「これ、応募した作品ですか」
「……うん。もう、見たくないけど」
それは、一枚のコーディネートの写真だった。ゆめちゃん自身がデザインして、縫った服。マネキンに着せて、撮影したもの。
俺は、それをじっと見た。ただ眺めたんじゃない。昔、そうしていたように——目の前のものが、どんな人を、どんなふうに、ほっとさせるのか。それを、一つひとつ確かめるみたいに。
服のかたち。布の落ち方。背景の取り方。そして——色。
縫い目は、正直に言えば、まだ揃っていないところがあった。技術だけなら、上手い子はもっといるんだろう。でも、俺の目を引いたのは、そこじゃなかった。
「ちょっと待ってください」と俺は前置きを置かなかった。ただ、見えたことを、そのまま言った。
「ここの、色」
「は?」
「上の生地と、裏地の。この、くすんだ青と、生成りの組み合わせ」
ゆめちゃんが、画面に目を落とした。
「これ、疲れた人がほっとする色です」
彼女が、顔を上げた。
「派手じゃない。目を引くわけでもない。でも、ずっと見ていられる。仕事で疲れて帰ってきた人が、ふっと肩の力を抜けるような、そういう色の合わせ方をしてます」
「……なんで、そんなこと」
「色の組み合わせには、人を緊張させるものと、ゆるめるものがあるんです。君が選んだのは、後者だ。それも、かなり繊細な加減で」
俺は、画面の一点を指した。
「特に、この裏地をほんの少しだけ見せてる。全部見せるんじゃなくて、動いたときにちらっと見えるくらい。これを意図してやったなら——君は、人がどこでほっとするか、分かってる人だ」
ゆめちゃんは、ぽかんとしていた。
「おじさん、それ……ほんとに思ってる? 慰めとかじゃなくて」
「慰めなら、もっと別の言い方をします」
俺は、自分でも少し言いすぎたかな、と思いながら、それでも続けた。
落選した作品を、管理人さんは「これ、疲れた人がほっとする色です」と一点だけ本気で射抜く。「慰めなら、もっと別の言い方をします」――ただ者じゃない“目”がふと覗いた瞬間に、はっとしたら【びっくり】を! その言葉の重みの続きは、ブックマークで見届けてください。




