この時代に居続けるということ
「給仕がお客様に話しかけるなんて、なに考えてんの!」
バックヤードに戻るとすぐに初音さんに怒鳴りつけられた。
そりゃ、あんなことしたら怒られるよな。
「す、すみません。滅多にない機会だったもので」
「大体、あの人が誰だかわかってて、お友達の小説を読んでもらおうと思ってるの?」
「聞いていたんですか」
「聞こえたのよ。君の声、馬鹿デカいから」
そういや、昔からお前は声がデカいと言われてたな。
声が小さくて聞こえないよりはいいと思ってたんだが。
「いや、その講談社の社長だろ」
「創業者ね。つまり、初代社長。名刺貸して」
「あ、ああ」
初音さんに名刺を渡そうとポケットから取り出すと即座に奪い取られる。
なにするんだ、この人。
「やっぱり、本物の野間清治ね。あの雑誌王の」
「雑誌王? なんだそれ」
「はぁー。君、なんにも知らないんだね。野間清治といえば九つの雑誌を刊行し、その全てをヒットさせた出版界の至宝よ。単に会社を大きくしただけの人じゃないの。大衆娯楽の歴史を一人で塗り替えてしまった、この時代の傑物なんだから。『昭和の雑誌王』であり、彼の仕掛けるものはすべてが時代の流行になる。国民の娯楽を文字通り支配している『メディア界の巨頭』に、君は一体なんて大それた口を利いたと思っているの!?」
「そ、そこまでの人だったのか」
今更ながらとんでもない無礼なことをしたもんだ。
いくら俺がこの時代のことをろくに知らないとはいえ。
「それにしても随分、初音さんは詳しいんだな」
「有名な人だもの。新聞でも取り上げられてるし」
有名人なら知っていても不思議じゃないか。
改めて、とんでもない人の名刺を手に入れちゃったなぁ。
「そうそう、 店長すごーく怒ってたからね。君がお客様に話しかけたこと。お説教と減給は覚悟しておいた方がいいかもね」
「げ、減給ですか……」
「当たり前でしょ。ここは普通の喫茶店とは違うんだから。来る人もそれなりの人だし、店員もそれ相応の振る舞いをしなきゃならない。まあ、この不況の中、クビにはしないそうだからよかったじゃない」
「それはありがたいですけど……」
俺たち、今月の下宿代を払えるんだろうか。
「帰ったぞ」
「今日もお勤めご苦労様です、涼宮部長」
下宿屋に帰ると俺を笑顔で出迎えてくれる比企谷。
こんな時代にやってこようと本当に比企谷はひねくれもしないいい後輩だ。
ずっとこのままでいてほしい。
「比企谷はなにしてるんだ?」
「女将の手伝いを。僕は働いてないので……。少しでもお役に立てればと」
ほんとできた後輩だ。
階段を上り、二階にある俺たちが泊まってる部屋に入る。
綾小路は俺が前に買ってきた画材を使って、なにかを一生懸命に描いていた。
たぶん、きっと必要な事なんだろう。
綾小路は無駄なことはしないからな。
英二はというと、新聞を読んでいた。
「珍しいな。英二が新聞を読んでいるなんて」
「やる事もないし、この時代の事を知っておこうと思ってな。女将から読み終わった新聞をもらったんだ。しかし、この時代の新聞は読みづらいな。かろうじて、同じ日本語だからわかるものの、見たこともない難しい漢字なんか使われたりしててわかりにくい」
「お前はお前で色々考えてたんだな」
「馬鹿。お前が考えてなさすぎなんだ。お前、この先なにが起こるか知らないわけじゃないだろ」
「なにが起きるっていうんだよ」
はぁーとため息をつく英二。
なんだよ、俺そんなおかしなこと言ったか?
「約十年後、始まるだろ。……太平洋戦争が」
太平洋戦争。日本とアメリカの戦争。アメリカに敗戦し、日本が焼け野原になる。
広島と長崎に原子力爆弾が落とされ、東京は大空襲に襲われる。
日本を決定的に変えてしまった戦争。
知らないわけじゃない、ただ俺は今を生きるのに必死で意識していなかった。
でも、英二はずっと考えていたんだ。
「いざという時になったら、東京から逃げる準備をしておかないと。空襲に巻き込まれて、俺たち全員死亡なんて御免だぜ」
「まだその前に現代に戻れるかもしれないだろ」
「もう一ヵ月が過ぎた。俺は正直、元の時代に帰ることを諦めてる。だったら、もうこの時代で生きる覚悟を決めるしかないだろ」
「まだなんとかなるって。諦めるなよ」
「……そうだな。まあ、戦争になる前に帰ることができればそれが一番いいんだがな。俺はこのサークルのメンバーが嫌いじゃないからな。だから、戦争に巻き込まれて死んでほしくない。それだけだ」
「俺らの事が好きならそう言えって。ツンデレだなぁ」
「べ、別にそんなじゃねえし。ただ、心配だっただけで……」
「わかった、わかった。大丈夫だ。戦争が始まるまでにこの時代にいたら、みんなで東京から逃げよう。俺は歴史に詳しくないから、どこに行けばいいかわからないが必ず全員で生き延びよう」
「ああ、そん時になったら必ずだぞ」
俺はこの時、まだ現代に帰れると思っていた。
タイムスリップした時みたいな、あんな不思議な事がもう一度起きると根拠もなく信じていた。
だから、戦争の足音が近づいてきても、俺たちには関係ないと思っていたんだ。
だって、俺たちはなんの害もない一般人でアニメや漫画やラノベに詳しいオタクでなにかを作ることが好きで、誰かを傷つけるような大それた事なんて考えたこともない人畜無害な男たち。
俺がこの時代に流行らせようとするライトノベルが大きな問題になるなんて、この時はみじんも思っていなかった。
ただ、俺は長年評価されない英二と比企谷の才能が世間に認められて、俺たちがラノベのいや、オタク文化のパイオニアになれたらなと浮かれていたことを思っていただけだった。
歴史を変えるということがどういうことなのか、新しい文化を創り出してしまうことがどういうことなのか、この時は本当になにも考えていなかったんだ。




