新人編集者、風雲を駆ける
講談社の本社ビルの前で両の頬を叩く。
買いたての新品ほやほやのスーツに身を包み、気合いを入れ直す。
「よし、行きますか」
歩み始める。これからの新しい道に向けて。
編集部へ入って、勢いよく挨拶する。
「おはようございまーす!」
「うおっ、君。声でっけぇーなあ!」
すぐ側の席の人が驚く。
「元気なのが取り柄なもんで」
と俺は笑顔で返しといた。
俺の元に眼鏡をかけた天然パーマの青年が近づいてくる。後ろには出っ歯の男と俺と同じスーツに身を包んだ坊主頭の少年がいた。
天然パーマの青年は俺を見るなりニッコリと、
「涼宮くんだね。社長から話は聞いているよ。僕は中西健吾。君と同じ小説部門の編集者だ」
「ということは先輩ということですね。よろしくお願いします!」
「ははは、よろしく。で、こっちが」
中西さんの後ろにいた出っ歯の男が前に出る。
「栗原三郎だ。雑誌部門の編集者だ。それでこっちの坊主が――」
「稲葉茂です。主に会社で雑用やってます」
ちょくちょく講談社で見かける少年社員に改めて驚く。
「こんな小さい少年も働いているんですね」
「それが我が社の方針だよ。野間社長が中学校に行かなくても編集者になれるよう少年たちを雇っているんだ」
「そういうわけです」
ムスっとした顔で茂くんが答える。
俺は中西さんにそっと近寄って耳打ちする。
「なんで、あの子不機嫌なんですか?」
「そりゃ、社員の茂くんより君の方が先に編集者になっちゃったから」
ああ、そういう。
茂くんもなかなか可愛いところがあった。
「さて、小説の編集者の仕事を説明しようか。といっても、原稿はもう完成しているわけで。まず、君には誤字脱字のチェックをしてもらうよ」
「誤字脱字があったら大変ですもんね」
「せっかく楽しみにしていた小説にしょうもない誤字や脱字があったら嫌だろう?」
それもそうだ。読者の期待を裏切っちゃいけない。
俺はその後、二時間くらい使って、英二と比企谷の原稿を再度チェックした。
元々、誤字脱字がないように見返していたからか、一つも見つからなかった。
「見つからなかったようだね。それなら次は……」
「おい、涼宮」
口を挟んできたのは出っ歯の栗原さんだった。
「お前、内容は大丈夫なんだろうな。政府の検閲があるんだから、天皇陛下の批判や共産主義を持ち上げるような内容は駄目だぞ」
「えっ、政府の検閲があるんですか?」
「当たり前だろう。出版した後に特高(特別高等警察のこと)に内容が問題視されて、お縄になったんじゃ笑い事にならんぞ」
「大丈夫ですよ。時代劇ファンタジーとラブコメなんで」
「ラブコメ? なんだそれ?」
「えーっと、恋愛小説って意味です」
「まあ恋愛小説なら問題になることもないか。とにかく作家がそういう内容のものを出したらちゃんと直させるんだぞ」
「わかりました」
この時の俺はたいして気にも止めなかった。
だが、後々この検閲が厳しくなっていくことを知らなかった。
「さて、内容に問題がないとなれば次の仕事だ。次は小説の挿し絵を決めないとね」
「あっ、それならもうイラストレーターに宛てはあります。綾小路にやってもらうつもりです」
俺がそう言うと栗原と茂くんが笑い出す。
中西さんも困ったような顔を浮かべた。
「入社してきたばっかのお前なんかが綾小路先生に頼めるわけないだろう。いいか、綾小路先生といえばだ。あの画伯たる横山大観先生に認められた。今をときめくスーパー画家なんだぞ。日本中の全出版社が綾小路先生に自社の小説の挿し絵を書いてもらおうと思っている。にも、関わらずだ。綾小路先生は一切の仕事を受けたがらない。どれだけの大金を積んでもだ。そんな天下の大先生にお前如き新人社員が頼もうなんて、片腹痛いわ。いいか、お前なんかに綾小路先生が小説の挿し絵を書いてもらえるような事があったとしたら、俺は銀座で大通りを裸で走ってやるよ」
栗原さんが嫌味な顔で言った。
茂くんもうんうんと頷いている。
中西さんも目で「他の人に変えたら」と訴えかけてくる。
俺は余裕しゃくしゃくと返す。
「なら、栗原さんには銀座の大通りを裸で走ってもらいましょうか」
そう言って立ち上がった。
「どこへ行くつもりだい?」
「綾小路のやつに電話して今すぐ頼もうかと」
俺がそう答えると栗原さんが鼻で笑う。
「お前が綾小路先生の居場所を知っていると?」
「ええ、知ってます。一緒に寝泊まりしてる同じ大学の後輩なんで。電話あります? 連絡したいんで」
「ああ、そこに黒電話があるけど」
「お借りしますね」
編集部に備え付けてある黒電話を手に取る。
栗原さんが遠くで
「どうせ、あいつはホラを吹いてるに決まってる」
と言っていた。
あの人の鼻を明かすためにも綾小路には了承してもらわないとな。
下宿屋に電話をかける。
出てきた女将さんに綾小路に代わってもらい、英二と比企谷の挿し絵をしてほしいと依頼する。
綾小路はすぐに
「いいですよ」
と答えた。
さすが、綾小路。話が早いぜ。
請け負ってくれる綾小路に感謝を伝え、電話を切る。
中西さんが心配そうな顔を浮かべて尋ねてくる。
「どうだった?」
「もちろん、請け負ってもらいましたよ」
「フン、ホラを吹いてるに決まってる」
さすがの俺も栗原さんの態度にイラっときた。
「じゃあ、綾小路が描いた原画を持ってきたら、栗原さんには本当に裸で銀座の大通りを走ってもらいますからね」
「そんなことできるわけないだろ。馬鹿も休み休み言え」
あくまで余裕の栗原さん。
絶対、原画を持ってきてやろう。
そんなこんなで俺の編集者としての一日が終わった。
そして、数日後、雑誌キングが発売される。
世界初のライトノベルがこの世に出たのだ。




