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天才という罪

 オレ、綾小路岳は俗に言う天才という奴だった。

 昔から意識していたわけでも、自分からそう思っていたわけでもなかった。

 他人に言われて初めて気付いたのだ。

 ああ、オレは人よりできてしまう人間なのだと――。

 他人の夢を自分の才能で壊した瞬間、これが凡人には決してできることではないのだと知った時、自分が天才だということを自覚し戒めるようになった。

 それでも、あんな事件を自分から起こしたいだなんて思ってはいなかった。

 あれはオレが高校生の時だった。

 高校に入学してすぐにオレは美術部に入った。入部理由は単純で絵を描くのが好きだったからだ。

 中学三年の頃、歴史の授業があまりに退屈でノートに絵を描き始めたのがきっかけだ。

 アニメのキャラクターを描いたら、思いの外上手く描けて、それからずっと暇さえあれば授業中に絵を描くようになった。

 もっと上手く描きたいと思って、ネットで人体の描きかたを調べて、描いてみたらどんどん上手くなった。

 そして、気付いたらクラスで一番絵を描くのが上手くなっていた。

 だから、絵を描くのにはちょっと自信があった。

 美術部の新入生の自己紹介の時もその事を話すつもりだった。

 自己紹介は最初に入部した順から始まり、オレは五人いる中の二番目だった。

 オレがのんびりしていると一番目の自己紹介がすぐに始まった。

「小林っす。俺には夢があります。それはいつか歴史に残るような偉大なイラストレーターになることです。幼稚園の頃からずっと絵を描き続けてきたんで絵のことなら誰にも負けないつもりです。よろしくお願いします!」

 小林と名乗った彼の顔は自信に満ちていて、本当にこの中の誰にも負けないと本気で思っているのが伝わった。

 オレは素直に凄い人もいるもんだなと思った。

 続けて、オレも自己紹介をした。

「綾小路です。趣味は絵を描くことで、去年から絵を描き始めました。どうせなら、もっと上手くなりたいし、好きな絵をたくさん描きたいと思ってこの部活に入部しました」

 オレが自己紹介を終えるとクスクスと周りから笑い声が漏れた。

 先ほど自己紹介をした小林がオレの肩を叩いた。

「去年から描き始めたって、お前。遅すぎるだろ。みんな少なくとも小学生の頃から絵を描き始めてるぞ」

 そうなのかと思って周りを見るとみんなウンウンと頷いていた。

 どうやら、オレはこの中で一番描くのが遅かったらしい。

 一通り自己紹介も終わり、まずはみんなの実力をみようということで新入生は各々好きな絵を描くことになった。

「あっ、綾小路くんにはとくに期待してないから大丈夫。去年から始めた人の絵が上手いわけないし」

 副部長が笑いながらそう言った。

 オレはそれを聞いて、そんなもんかと思った。みんなオレより早く始めたんだから、上手いに違いないと、オレ含めて全員がそう思ってた。

 でも、結果は違った。

 誰の目から見てもわかるほどオレの絵が一番上手かった。

 小林は口を震わせながら、

「な、なんだよ、綾小路。去年から始めたってのは嘘かよ。お前、ほんとはできるやつだったんだな」

 と冗談めかして言った。

 周りもあれは嘘だったんだという空気が流れ始めた。

 嘘だということにすれば安心できるからだ。

 去年から始めた人に画力で負けたという事実を受け止めなくて済む。

 だけど、オレは空気を読まずに

「いや、本当に去年から始めたんだ」

 と真面目に答えた。

 小林含めて新入生の顔の表情が歪んだ。

 オレ達の様子を見ていた先輩たちが口々にオレを賞賛した。

「すげーな。天才って本当にいるんだな」

「綾小路くん、一年でここまで描けるなんてすごいよ」

 オレはそんな賞賛を浴びても、何一つとして動じなかった。

 というか、あまりピンとこなかったってのもある。

 これがどれだけ凄い事なのかわからなかったのだ。

「ははは、ほんと、凄いよ綾小路」

 ただ、小林の傷ついた表情だけは覚えている。


 一学期の終わりには俺は部内の誰よりも画力が上になっていた。

 それでいて速く、描き上げられるようになっていた。

 二学期には県の美術コンクールでオレの描いた絵が金賞を取った。

 今までうちの高校で誰もとったことがない金賞をオレが取った。

 部内の誰もがオレの実力を認めるようになった。

 問題が起こったのは三学期だった。

 オレの陰口が部内で流れるようになったのだ。

 それも些細な事や捏造された陰口が。

 今まで、陰口を流されるようなこととは無縁だったため、鈍感なオレでも心にきた。いったい、誰が何の目的で流しているんだろう。

 だんだん、なにか言われるのを恐れて、部活へ行く足取りが重くなっていた。

 それでも堂々としていればいつか終わるだろうと思っていた。

 だけど、一ヵ月経っても、オレの陰口は終わらなかった。

 でも、誰がオレの陰口を流しているのかはわかった。

 副部長だった。

 なんでわかったかというと、実際にその現場に遭遇したからだ。

 朝早く部活に行っていると、たまたま副部長が別の先輩に陰口を流しているところを目撃してしまった。

 てっきり、オレを見てやめるかと思いきや副部長は親の仇を見るような目でオレを見てから話を続けた。

 今度はオレの耳にも聞こえるようにして。

 耐えかねたオレは部長に相談することにした。

 結果から言うと部長はまったく当てにならなかった。

「綾小路くんが悩んでいるのわかるよ。でも、僕には副部長がそんないい加減な陰口を流すとは思えないんだ。他の部員には慕われているようだし、あっ、もしかしたら君に原因があるんじゃないかな」

「オレに原因ですか? 部長はオレがなんて言われてるか知ってます? 綾小路は消しゴムのカスを好んで食べてるとか、綾小路は美術部の大事な備品を壊したとか、そんな根拠のない陰口をずっと叩かれてるんですよ。それでオレに原因があるって言うんですか?」

「それはひどいと思うけど、でも僕は現場を見たわけじゃないし」

「もういいです。部長に相談したオレが間違っていました」

 やりようのない怒りが胸の内で溜まっていく。

 やり返そうと思った。

 陰口ではなく、絵で。

 芸術というものは本来、比べることができないものだ。

 子供が好む絵と大人が好む絵が違うように、別の方向性で描いた絵や別の構図の絵を比べるのは難しい。

 だが唯一、比べる方法がある。

 それはまったく同じ絵を描くことだ。

 純粋な当人たちの画力勝負になる。

 美術部には伝統があった。

 それは三月に校内に自分たちの絵を飾って他の生徒に見せるという伝統が。

 事前に副部長がなにを描くのか聞き出していたオレはそこで、副部長と全く同じ題材と同じ構図の絵を描いた。

 美術部に属してない生徒の評価は残酷だった。

「どう見ても一年の方が上手いよな」

「あいつ、たしか美術部の副部長だったよな。それなのに一年より下手じゃん」

 副部長は校内で自分の評判を聞いたのか、それともオレの絵を見て自信をなくしたのかは知らないが学校へ二度と来なくなった。

 オレが自分の才能で副部長の心を折った。

 だけど、折れたのは副部長だけじゃなかった。

 放課後、小林に誰もいない空き教室に呼び出された。

「なんだよ、あの絵。お前、副部長に対して自分がなにしたかわかってんのか!?」

「オレはやり返しただけだ」

「お前がやったことは才能を使ったいじめなんだよ。人が持ってない才能を使って他人をいじめるのはそんなに楽しかったかよ」

「別に楽しくなんて……」

 嘘だった。本当のオレは愉悦を感じていた。

 副部長じゃ、どうあがいてもオレに画力で勝てないことはわかっていた。

 最初から勝つ気でいたし、負けるなんて微塵も思っていなかった。

 その傲慢さを小林には見透かされていた。

「お前、もし百億円があって、どんなものでも買えるとしたらなにを買う?」

「え?」

 急に出された質問の意図がわからなかった。

 だけど、小林が言ったことを聞いて、その意図が理解できた。

「俺はな、綾小路。百億円あって、どんな物でも買えるなら俺は才能を買うよ。百億全部つぎ込んでもな。お前は一度でも、俺と同じことを思ったことがあるか? ないよな。お前はそういう奴だもんな」

 そんなこと考えたことすらなかった。

 その時、初めてオレは才能が欲しいなんて一度も思ったことがないのに気付いた。

 なぜなら、才能をもっていたから。

「副部長は優しい人だった。少なくとも俺らにはそうだった。でも、お前が壊したんだよ。お前の才能に嫉妬した副部長のことを少しは理解してやってくれよ。天才になれない凡人の気持ちを少しは理解してくれよ。お前はな、副部長や俺たちが百億払ってでも欲しいものを持ってるんだよ!」

 俺の肩を掴む小林。

 痛いほど力を込めていた。

「なんでなんの信念もないお前が才能を持っていて、ずっと努力してきて、いつか歴史に名を残すようなイラストレーターになりたいと思っていた俺には才能がないんだよ」

 言い終えた後、息をきらして、ぜぃぜぃと息を吐く。

 小林の目やぶつけてきた想いは真剣そのものだった。

 でも、オレに小林ほどの信念なんてものはなかった。

「オレ、やめるよ。幼稚園の頃から頑張ってきたけど、今回の発表会でもお前には画力で勝てないことがわかったしな」

 そう言い捨てて、小林は空き教室から去っていた。

 残されたオレは力なく笑った。

 なんで自分が笑っているのかもわからず、ただ壊れた人形のように笑った。

 オレが二人の心を折った。

 才能で小林の夢を潰したんだ。

 程なくして、オレは美術部の顧問の先生に退部届を出した。


 高校を卒業後、オレは美大やイラスト系の専門学校ではなく、ごく普通の大学へ進学した。

 絵は趣味にしようと思っていたのだ。

 それにもし、美大やイラスト系の専門学校に入って、一生懸命頑張ってる人たちの心を折ってしまったら申し訳ないと思ったから。

 そんな理由で普通の大学へと進学した。

 口が達者な方じゃないオレは大学で友達を作れず、液タブで一人、アニメのキャラクターの絵を描いていた。

 構内でただ一人、誰の迷惑にもならないよう隅にひっそりと座りながら。

 そんな時だった。

 涼宮部長が来たのは。

 いつも通り、オレが絵を描いていると後ろから覗き込んでいる人がいた。

「お前、めちゃくちゃ絵上手いな」

 振り返るとそこには見知らぬ男がいた。

 オレの視線に気付いた彼は胸をドンと叩き、

「俺は涼宮大吾。お前と同じオタクだ。見かけない顔だから、お前一年だろ。俺はこの大学の二年生だ。今、ちょうどオタクサークルの部員を探しててな。お前、うちのサークルに入らないか?」

 聞いてもいないのにべらべらと話す涼宮先輩。

 今まで友達だったかのような厚かましい態度に驚いた。

 でも、涼宮先輩の誘いにオレはちょっと乗り気だった。

 どうせ、ずっとぼっちだったし、誰かと関わり合いになるのもいいかもしれないと思ったのだ。

 いいですよと返事をしようとした時に思い出した。

 あの高校時代の美術部でのことを。

 だから、オレは

「……辞めときます。あなたが思っている程、オレはいい人ではないので」

「なんでだよ。理由を話してくれよ」

「実は……」

 オレは高校時代のことを包み隠さず話した。

 涼宮先輩はその間ずっと一言も話さず、ただ黙って聞いてくれた。

 話し終えると涼宮先輩が口を開いた。

「そんな嫌な奴らのこと気にする必要ないだろ」

「えっ……」

 意外だった。もっと軽蔑されるんじゃないかと思ったからだ。

 オレは涼宮先輩の目を見る。

 涼宮先輩はどこまでも真っ直ぐにただオレを見ていた。

「お前が嫌がるようなことをしていた奴らになんでお前が気にしなきゃいけないんだ? お前は気に止める必要なんてない!」

「でも、オレは一人の人間の夢を壊して……」

「その程度で折れる夢なら初めからないも同然だ。小林とかいう奴はもっと努力すべきだったんだ。才能で負けてる、それなら努力でカバーすればいいだろ」

 正論だった。

 でも、その正論をオレは誰かが言ってくれることをずっと期待してたことにこの時初めて気付いたんだ。

 いつの間にか、涙があふれていた。

「オレ……そんなつもりじゃなくて……でも」

 涙を流すオレに涼宮先輩は抱き寄せて

「お前はもっと楽しい思いをすべきだな。うちのサークルに入れよ。そんなクソみたいな奴らいないぞ。俺の幼馴染の英二も入ったばかりの比企谷もいい奴だ」

 幼馴染はともかくとして、その入ったばかりの比企谷とやらをどうしてそこまで信用できるんだよと笑いそうになった。

「それとお前はプロになれ」

「えっ……」

「その才能を殺すのはもったいない」

「でも、一生懸命プロになりたいと頑張ってる人に申し訳ないし……」

「なれない奴はなれないんだ。気にするな。大体、お前は勘違いしている」

 涼宮先輩は一呼吸つけてからオレに指さしてこう言った。

「お前の絵は上手い。だけど、それは学生の中で上手いだけに過ぎない。プロの世界じゃお前より若くて上手い奴はごろごろいる。なんせ、プロの世界は年齢も関係ないバトルロワイヤルだからな。お前みたいに学生時代天才ともてはやされた奴がしのぎを削る世界だ。お前程度、気にも止めないさ。高校時代みたいなことにはならない」

 盲点だった。

 たしかに言われてみればプロの世界はオレみたいに学生時代から天才だと言われていた人たちが切磋琢磨する世界だ。

 オレ程度じゃ、嫉妬を買うこともない。

「オレ、絵を仕事にしてもいいんですか? 信念もたいして努力もしていないオレが、プロになんてなってもいいんですか?」

「他人なんて気にするな。お前がなりたいかどうかだ」

「……なりたいです、オレもっと大好きな絵を描いていたい。仕事にしたいです」

「そう、それでいいんだよ。一つしかない自分の人生を他人への配慮で台無しにするなんて、馬鹿らしいだろ」

 ニッコリと笑ってどこまでも自分勝手な涼宮先輩にオレは心惹かれた。

 この人ともっとずっと一緒にいたいと思った。

 だから、

「で、オタクサークルには入るのか?」

「……それはちょっと考えさせてください」

「うおおい! ここにきてそれはないだろ!」

 ちょっと意地悪したいと思った。

 翌日、オレは涼宮先輩の作ったオタクサークルに入った。

 そこでの一年は想像を絶するほど楽しくて仕方がなかった。

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