第98話『初めての連携』
目を閉じ、まず気配を探る。森の縁に立つと、右手の斜面の奥で気配が濃くなり、いくつもの塊になっているのが分かった——数までは掴めないが、一つ二つではない。
斜面の上は木立に阻まれ、目では届かない。右目の奥が鈍く疼くのを承知で、気配の塊へ解析を絞り込む。
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【対象:生体気配】
【状態:右斜面上、伏せの気配が四点】
【予測:群れ(ウルフ)/一頭が前、後方に三頭/未発見】
「右の斜面の上、ウルフの群れだ。四頭、伏せてる。まだ、こっちには気づいてない」
言い終えると、背後で四人が息を詰めるのが分かった。
リナの声が、低く引き締まる。
「群れを、気づかれる前に見つけたのね。上出来よ。……でも四頭は、あなたたちだけには多いわ。二頭は私が引き受ける。残りをケイの指示で捌きなさい。囲まれる位置にだけは、絶対に立たないで」
一拍、迷う。読むのは慣れているが、人を動かす言葉はまだ手に馴染まない——それでも、見えているのは自分だけで、声に出さなければ誰も動けない。
「全員、背中を木立に寄せろ。後ろに回り込ませるな。ゴルドは正面、レトは右上の岩から射て。ノナは足止め、セラは後方で支えろ」
ゴルドが円盾を構えて前へ出る。指図を疑う様子はなく、セラは小さく頷いてノナの後ろへ下がった。
風向きが変わり、群れがこちらの匂いを拾った。四つの気配が、いっせいに立ち上がる。
リナが右の二頭へ躍り込んだ。残る二頭が、斜面を駆け下りてくる。
一頭がゴルドへ。円盾が受け止め、鈍い音とともに勢いが死んだ。
その脇から、もう一頭が横へ回り込もうとした。群れは、こうして獲物を横から囲もうとする。
「左! 回り込むぞ」
声で向きを教えると、レトの矢が回り込む獣の脇腹を捉えた。だが、傷は浅い。
その一頭は勢いを止めず、後衛のノナへ跳んだ。牙が、目の前に迫る。
ノナが凍りつく。
「ノナ、風!」
声に弾かれて、ノナの手が突き出される。風が獣の横面を叩き、跳躍が逸れた。
その隙に、ゴルドの剣が正面の一頭の首を断つ。逸れて着地した獣は、レトの二の矢が喉を捉えた。
振り返ると、リナはもう右の二頭を沈めていた。危なげは、どこにもない。
森が、静けさを取り戻す。ノナが、その場に座り込んだ。
「こ、怖かった……足、竦んじゃった」
「でも、ケイの声で、ちゃんと動けたでしょう」
リナが全員を見渡し、短く言った。
「ケイが早く見つけて、必要なことだけを短く伝えた。だから、囲まれずに済んだのよ」
レトが矢を抜き取りながら、こちらを振り返った。
「あの位置取り、ぴったりだったな。上から射れって言われて構えたら、ほんとにそこへ来た」
「見えたものを、言っただけだ」
「その見えたものが、俺には見えないんだよ。……いや、大したもんだ。斥候さん」
見つけるだけなら一人でもできたが、今日は、見つけたものを言葉にして初めて、みんなが動いた。ひとりで気づいて、ひとりで抱えていた頃とは、違う手応えがあった。
ゴルドが、倒したウルフの傍で短く言った。
「いい指示だった。次も、そう頼む」
「ああ」
短いやり取りだが、背中を預ける相手として認められた気がした。
森の浅い獣道を、隊列を保って進む。リナが先導し、こちらは少し離れて、前方の気配を探りながら歩いた。
「今日は、うちのほかにも研修の班が森に入ってるわ。あちこちで獣が追い立てられて、気が立ってる。……気を抜かないで」
その言葉は、すぐに正しさを証した。
しばらく行くと、前方の気配がいくつも集まり、こちらへ寄ってくる。さっきの群れより、明らかに数が多い。
「——来るぞ。六だ。正面の、開けた向こうからまっすぐ来る」
木立が切れた先に、灰色の影が横並びに現れた。走りながら、外の二頭がすっと横へ広がっていく。
「また囲む気だ。全員、後ろの大岩に背をつけろ。横を空けるな」
さっき覚えたばかりの動きを、五人が繰り返す。岩を背に、扇形に構えた。
「ゴルドは正面、レトは右、私が左。ノナは足止め、セラは怪我人が出たらすぐに」
リナが三頭を引き受け、残る三頭が正面へ雪崩れ込む。
ゴルドの盾が先頭を受け止め、その足をレトの矢が縫った。ノナの風が二頭目の踏み込みを鈍らせ、動きの止まったところをゴルドの剣が薙ぐ。
三頭目がレトの脇をすり抜け、その牙が腕を掠めた。裂けた袖に、血が滲む。
「レト!」
セラの手のひらが淡く光り、裂けた腕の傷が、みるみる塞がっていく。初めて見る、回復魔法の光だった。
「……いける。まだ引ける」
レトの射返した矢が、三頭目の首を捉えた。振り返れば、リナの三頭も、すでに地に伏している。
六頭を片づけても、息を整える間はなかった。気配が二つ——だが今度は、感触が違う。
ゆらゆらと不規則で、片方は芯から弱っている。
「二つ、来る。でも動きがおかしい。……弱ってるやつだ」
茂みを割って現れた二頭は、すでに傷だらけだった。片方は前脚を引きずり、もう片方の脇腹には、折れた矢が刺さったままになっている。
リナが目を細めた。
「他の班が仕留めそこねたのが、流れてきたのね。手負いは、追い詰められてるぶん、かえって見境がないわ。侮らないで」
言うそばから、手負いの一頭が甲高く鳴いて、まっすぐノナへ突っ込んだ。理屈も駆け引きもない、破れかぶれの突進だ。
「ノナ下がれ、ゴルド!」
ゴルドが盾ごと体で受け止め、獣を弾き返す。よろけたところへ、レトの矢がとどめを刺した。
もう一頭は、追い詰められて動けずにいる。リナが短く息を吐き、苦しませないよう、一息で首を落とした。
森に、また静けさが戻る。ノナが胸を押さえて、長く息を吐いた。
「……次から次に、来るね」
「他の班が起こした波が、こっちまで届いてるのよ。境界の森も、普段はこんなに荒れちゃいないわ」
リナが空を見上げた。陽は、もう梢の向こうへ傾いている。
「日が暮れる。今日はここまでにして、野営の場所を探しましょう」
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ほどなくリナが、開けた場所を選んで足を止めた。木立が途切れ、焚き火を焚けるだけの地面がある。
「今日はここで野営。暗くなる前に、各自、支度なさい」
続けて、リナが森の奥へ顎をしゃくった。
「それと、食べられるものを探してくること。森で拾えるものを見分けるのも、冒険者の仕事よ。……ただし、私がいいと言ったものだけ、口に入れなさい」
火を熾す前に、各々が近くの茂みへ散る。ノナが真っ先に赤い木の実を見つけ、口へ運びかけて、リナに手の甲を叩かれた。
「食べていいか、訊いてからにしなさい」
「はぁい……」
こちらは、倒木の陰に群れて生えた茸と、香りの強い草を摘んだ。リナが一つずつ検め、食えるものと避けるものを選り分けていく。
「その茸は当たり。草は——ああ、煮込みに入れると香りが立つやつね。よく見つけたわね」
茸を布に包んだとき、背すじにざらりと冷たいものが走った。気配が一つ、散らばった全員のちょうど真ん中へ、にじり寄ってくる。
「——止まれ、全員。動くな」
声に、四人がぴたりと止まる。だが、その姿はどこにも見えない——森の色に溶けて視認できない、フォレストウルフだ。
右目の奥へ、もう一度力を通す。二度目の疼きは一度目より重く、視界の端が白く霞んだ。
解析表示
【対象:生体気配】
【状態:ノナの右後方、四歩。低木の陰に伏せ、森の色に擬態】
【予測:フォレストウルフ一頭/跳躍の予備動作を確認】
「ノナ、右後ろの茂みだ! 跳ぶぞ、伏せろ!」
言い終わる前に、緑が爆ぜた。影がノナの背へ伸び、ノナが身を投げ出すと、牙がさっきまで首のあった空を裂いた。
「レト、着地の右!」
宙で位置を教えると、レトの矢が着地際の脇腹を掠める。だが浅く、獣は地を蹴ってセラへ向き直った。
「セラの前、ゴルド!」
指示より半歩早く、ゴルドの円盾がセラとの間へ滑り込む。牙が盾を噛み、鈍い音が森に響いた。
「ノナ、風で足を止めろ。レト、止まったら首を狙え」
盾に噛みついた一瞬が、隙になった。ノナの風が後ろ脚をすくって体勢が崩れ、泳いだ首へレトの二の矢が深々と刺さる。
それでもフォレストウルフは牙を剥き、ゴルドの盾を押し返そうとした。その喉を、横から滑り込んだリナの刃が薙ぐ。
獣が緑の上へ崩れ落ちた。今度ばかりは、リナも一度、剣を抜いていた。
森が、また静かになる。ノナが尻もちをついたまま、荒い息を吐いた。
「い、今の……全然、見えなかった……!」
レトが矢を回収しながら唸った。
「森の色に溶け込むやつだからな。ケイの声がなけりゃ、俺、あさっての方角を狙ってたぞ」
リナがフォレストウルフの骸を検め、短く言った。
「散らばってるときが、一番危ないの。今のを見つけそこねていたら、誰か一人、確実に持っていかれてたわ」
こめかみの奥が、まだ鈍く痛む。二度使えば、今日はもうそう何度も視られない——気配だけは、開けたままにしておく。
騒ぎが収まり、採ったものを抱えて焚き火の場へ戻る。火を熾すと、予行のときより早く火が育った——一度やった手順は、ちゃんと覚えている。
火のまわりに車座になって、各々が背負い袋から夕飯を出す。ゴルドは硬い黒パンと干し肉、レトは麦の携行食、ノナとセラは干し肉と木の実——どれも、火があってもなくても大差のない、ぱさついた飯だ。
こちらは、干し肉のほかに、湯で戻せば元の野菜になる乾燥野菜と、小鍋を取り出した。
「あんた、ずいぶん色々持ってきたな」
「作る。せっかく火があるんだ」
その乾いた野菜の袋を、ノナが覗き込んで、あっと声を上げた。
「これ……もしかして、最近噂の乾燥野菜!? お湯で戻すと、ちゃんと野菜になるってやつ!」
「聞いたことある。ギルドでも、遠征の飯が変わったって騒いでるやつだろ」
レトまで身を乗り出し、セラも袋の口をそっと覗き込む。噂の品をこんなところで拝むとは、という顔だ。
彼らが噂しているその品を作っているのが自分だとは、あえて口にしないでおいた。
小鍋に水を張り、まず香りの強い草と割いた干し肉を入れて、じっくり煮出す。浮いてきた灰汁を、匙で丁寧にすくった。
この国の誰も、わざわざこんな手間はかけない。前の世界で覚えた、自分だけのやり方だ。
澄んだ出汁が出てから、茸と、戻した乾燥野菜を落とす。塩と香辛料は、味を見ながら少しずつ加えた。
ただ煮るのではなく、順を追って重ねていく——前の暮らしで、何度も繰り返した段取りだ。
やがて、湯気とともに、香ばしくて濃い匂いが焚き火のまわりに広がっていく。戻った乾燥野菜と茸の香りに、干し肉の脂が溶け合った匂いだ。
ノナが、自分の乾いた携行食を手にしたまま、鼻を鳴らした。
「……なにそれ。すごい、いい匂い」
レトも自分の麦の携行食を見下ろし、あからさまに眉を寄せる。ゴルドまでが、無言で鍋の方へ目を向けていた。
鍋を火から下ろす。四人の視線が、揃って鍋に吸い寄せられていた。
「……食うか」
問いかけると、ノナが勢いよく頷いた。
「食べたい! すっごく、食べたい!」
「……いいのか。悪いな」
レトが遠慮がちに、しかし目は鍋から離さずに言う。ゴルドが小さく頷き、セラも、こくりと頭を下げた。
多めに作ってある。器に取り分けて、順に手渡した。
ノナが一口啜って、目を丸くする。
「なにこれ、あったかい……お店で出せるよ、これ!」
「あの噂の野菜、こんな味になるのかよ」
レトが感心したように椀を覗き込む。セラは両手で椀を包み、湯気を吸い込んでから、小さく息を吐いた。
「……体の芯から、あったまります」
前の暮らしで覚えた作り方に、自分の店の乾燥野菜を合わせただけだ。それでも、売り物として送り出すのと、目の前で誰かが美味いと言うのは、まるで違うものだった。
椀が空になる頃には、森はすっかり暗くなっていた。リナが焚き火へ枝を足し、全員を見回す。
「食事が済んだら、見張りに入るわ。野営でいちばん大事なのは、眠っている間に襲われないこと。二人一組で、交代して見張るのよ」
「順番は、まずゴルドとレト。真ん中の一番きつい刻をケイと私、明け方をノナとセラに任せるわ」
「夜警でいちばん辛いのは、はじめでも明け方でもない。人がいちばん深く眠る、真夜中の真ん中よ。眠気で気の緩むそこを、ケイの目に預けるの。……自分の番まで、眠れるうちに眠っておきなさい」
「分かった」
最初の見張りに立つゴルドとレトが、焚き火を背にして、闇の側へ向き直る。
毛布にくるまって目を閉じても、気配だけは、うっすら開けておく。森の夜は、まだ静かだ。
だが、真夜中の番は、自分だ。次に索敵するのは、いちばん深い夜の底になる。
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【借金メモ・98話終了時点】
※本話は97話と同日(研修初日の午後~日暮れ)。店舗の日次収支および賃料日数は97話で計上済みのため、本話での変動はなし。
前話(97話)終了時:資金銀貨四十一枚と小銀貨一枚と大銅貨五枚・残債なし
98話収支:店舗はミレイらが継続運営(日次分は97話計上)。本話での増減なし
ケイの資金:銀貨四十一枚と小銀貨一枚と大銅貨五枚
残債:なし
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【賃料管理メモ】(97話から変動なし)
緑の雫(店舗):次回支払いまで残り4日
試作場:次回支払いまで残り8日
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