第95話『初めての野営支度』
翌朝、ギルドの前は人だかりができていた。掲示板の前で新人たちが背伸びをして、貼り出された紙を覗き込んでいる。
リナが人の間を縫って、掲示の一枚を指で辿った。
「あったわ。私の引率、通ってる」
掲示に顔を寄せる。名前だけなら拾える——自分の綴りを見つけると、その下に四つ、知らない名が続いていた。
「……ゴルド、レト、ノナ、セラ」
「読めたわね」
「名前くらいはな。細かい並びは、まだ拾えない」
「前衛から後衛まで、ちゃんと揃った編成よ」
リナが下の段を指で辿って、そこを読み上げた。
「集合は三日後の第三鐘。それと——初日から森の外れで一泊、野外実習があるわ。各自、野営の支度をしてくること、ですって」
「一泊」
「日帰りばかりじゃないの、冒険者は。奥に入れば戻れない日もある。今のうちに支度を揃えておきましょう」
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裏通りの道具屋は、天井から縄や革袋が幾つも吊り下がっていて、店の奥まで薄暗い。油と埃の匂いが籠っている。
リナが棚を見て回りながら、必要なものを拾い上げていく。
「まず寝床。毛布と、下に敷く油布。地面の冷えは体温を奪うから、油布を敷かないと夜通し眠れないわよ」
差し出された寝具の束を受け取る。畳まれた油布は、見た目より重い。
「雨具の外套も要るわ。夜に降られて濡れると、火も熾せなくなるから」
棚の隅に、細工の光る箱が並んでいた。店主が横から口を挟む。
「そっちの着火の魔道具はどうだ。ひと擦りで火がつく。金貨——」
言葉の途中で、みぞおちがずしりと重くなる。喉の奥がせり上がって視界の端がにじみ、店主が口にしかけた一語が体の芯を裏返した。
「それは要らないわ」
リナが遮って、店主の手から視線を外させた。慣れた仕草で、こちらの背に手を添える。
「火口箱で充分。火打ち石と火口、それだけあれば熾せるでしょう」
「……ああ。それでいい」
息を整えると、少し楽になった。安い方でいい——というより、こちらは高い札を見ることもできない。
棚から火口箱を一つ取って、寝具の上に重ねる。
リナが選んだものを、店主が台に並べて数え上げる。値札の数字だけは、すんなり頭に入った——文字は今も骨だが、数の並びは昔から目に馴染む。
「灯りは小さいランタンを一つ。油も足しておくわ」
リナが奥の棚から、少し嵩張るリュックを下ろした。留め具に、見慣れない紋様が彫ってある。
「あと、これ。軽量化のリュックよ。魔道具の一種で、詰めた荷が軽くなるの。ダンジョンからも出るけど、街売りの品もあるわ」
受け取って背負うと、寝具も外套も入っているのに、肩に来る重さがやけに軽い。ただの布ではないのが、担いだ瞬間に分かる。
「妙だな。詰めた分より、明らかに軽い」
「そういう魔道具だもの。でも万能じゃないの。中の時間までは止まらないから、生ものは普通に傷むわ。保存食を選ぶ意味は、そこにあるのよ」
「時間まで止まる鞄はないのか」
「あるにはあるわ。アイテムポーチ——見た目は小さな布袋や、腰に下げるものだけど、中の時間が止まって、品によってはそれなりに入る。ただ、物が物でしょう。ダンジョンからしか出ないし、作り方も分からない。数がまるで回ってないの。A級S級でも、大商人でも、国のお偉方でも、持ってるのはほんの一握り。冒険者なんて、パーティに一つあれば御の字よ」
「時間が止まるなら、食料はそれで済むんじゃないのか」
言いながら、答えは頭の隅で出ていた——作れず、ダンジョン任せでしか増えない品では、数が伸びず値も下がらず、大半の人間の手には一生渡らない。満たされずに残る需要を埋めるのは、いくらでも作れて誰にでも行き渡る側——移動に耐えて長く持つ、干し肉や乾燥野菜といった保存食だ。
「それが、そうもいかないのよ。とにかく数が少ないんだもの、あれで軍ひとつ、隊商ひとつの食料を賄うなんて到底無理。ダンジョンで一つ手に入れば、売るだけで冒険者を辞められるほどの値がつくんだから。だから遠征でも戦でも、新鮮なものが手に入らない道中で腹を満たすのは、結局は日持ちする食料なのよ」
「出回らないものは、当てにできないな」
「そういうこと。だから駆け出しは、軽量化のリュックで妥協するの。これは一日二日ぶんの荷が軽く運べる程度——値の張るものなら、もっと詰めて軽くなるけど、今はこれで充分よ」
リュックを下ろすと、担いでいた軽さと裏腹に、床に置いた音は普通に重い。
「本来、荷運びはポーターの仕事なの。パーティに一人入れて、重い荷はまとめて持たせる。でも研修では、あえて各自に背負わせるわ。自分の手で野営の支度をして、荷の重さを知って——ポーターがどれだけ有難いか、体で覚えさせるのが狙いよ」
「持ってみて、初めて分かる、か」
「そういうものよ。……あとは食料ね。何を持っていくの」
「乾燥野菜とポーションは、店のを回す。肉と調味料は、ここで買う」
「野菜スープだけじゃ力が出ないものね。日持ちする干し肉と、塩や香辛料をひと通り。それが入れば、ちゃんとした一食になるわ」
店で作った乾燥野菜と瓶が、そのまま自分の野営の備えになる。肉も塩も他所で足すにしても、妙な感慨があった。
小銀貨と大銅貨を数えて、台に置く。銀の艶なら、指も震えない。
支度が軽量化リュックに収まると、それなりの嵩になった——軽くなるとはいえ、丸一日背負えば肩に来る。店を出ると、昼前の裏通りに人の声が戻ってきた。
リナが袋の重みを確かめるように、こちらの肩を軽く叩いた。
「初日から背負って歩くことになるわ。今日と明日で、この重さに慣れておきなさい」
「足慣らしのついでにやる」
「そうしなさい。……三日後、遅れないでよ」
研修まで、あと三日。読めない紙の下に自分の名前が並んでいることだけは、確かに分かった。
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【借金メモ・95話終了時点】
前話(94話)終了時:資金銀貨四十枚と小銀貨五枚と大銅貨八枚・残債なし
95話収入:初級ポーション(作淡濁:緑)二十本(銀貨二枚)+初級ポーション(作澄:緑)七本(小銀貨五枚と大銅貨六枚)+乾燥野菜販売分(小銀貨四枚)=銀貨二枚と小銀貨九枚と大銅貨六枚
95話支出:従業員給与(ミレイ・フィア・ソル・充填×二・ダル・セイナ・アデル・詰め作業担当)+食事分(銀貨二枚と小銀貨三枚と大銅貨一枚)+野営装備一式(銀貨一枚と大銅貨八枚)+野営食料(干し肉・塩・香辛料)(小銀貨三枚)=銀貨三枚と小銀貨六枚と大銅貨九枚
野営装備内訳:寝具(毛布・油布)小銀貨二枚/雨具の外套 小銀貨一枚と大銅貨五枚/火口箱一式 大銅貨八枚/携帯ランタン(油込み)小銀貨一枚と大銅貨五枚/軽量化リュック(駆け出し向け・時間経過あり)小銀貨五枚
野営食料内訳:干し肉 小銀貨二枚/塩・香辛料 小銀貨一枚 ※乾燥野菜とポーションは自店在庫から充当(購入なし)
ケイの資金:銀貨三十九枚と小銀貨八枚と大銅貨五枚
残債:なし
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【賃料管理メモ更新】
緑の雫(店舗):次回支払いまで残り6日
試作場:次回支払いまで残り10日
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