第109話『初めての討伐依頼』
研修が明けた朝、ミレイに店を任せる曜日を告げた。
「今日から、依頼を受ける日と、店に立つ日を分ける。今日は依頼の日だ」
「はい。いってらっしゃいませ」
見送りの声に、以前とは違う落ち着きがある。留守にすることに、もうミレイたちが動じない――それだけで、随分と気が楽だった。
「今日は、何を受けるんですか」
「近場の、ウルフの間引きあたりだ。まだ様子見も兼ねている」
「気をつけて行ってきてくださいね」
「ああ」
奥から、フィアとソルも顔を出し、軽く頷いてくる。留守を任せる相手が、こんなにも頼もしく見える日が来るとは、正直、思っていなかった。
扉を出る前に、もう一度、店の中を見渡した。棚に並んだ乾燥野菜、瓶詰めのポーション、そして、それを守る七人――全部、この数ヶ月で積み上げてきたものだった。
今日からは、そこに、依頼という新しい仕事が加わる。
ギルドの掲示板は、いつも通り人で賑わっていた。討伐依頼の紙が何十枚も貼られていて、新人らしい冒険者たちが、真剣な顔で紙を見比べている。
その一角で、聞き覚えのある声が耳に入った。
「だから、パーティに空きがあるならって話をしてるだけだろ。飯くらい奢るからさ」
「結構です。もう、失礼します」
セラの硬い声だった。見ると、ノナとセラが、身なりのいい男三人に囲まれていて、ノナは、あからさまに顔をしかめていた。
「わたしたち、今から依頼なので」
「そう言わずにさ。可愛い子が二人もいるパーティなんて、もったいないだろ」
男の一人が、馴れ馴れしく肩に手を伸ばしかけた。その手が届く前に、間へ体を入れる。
「二人とも、待たせたな」
わざと、聞こえよがしに声をかけた。男たちが、驚いたようにこちらを見る。
「連れがいたのか」
「見ての通りだ。それに、断ってるのが聞こえなかったか」
短く言うと、男たちが顔を見合わせた。一人が、舌打ちまじりに肩をすくめる。
「……チッ、無粋なパーティだな。行くぞ」
三人が、そそくさと離れていく。ノナが、詰めていた息を大きく吐いた。
「助かった、ケイさん! ありがとう!」
「大丈夫か」
「平気です。少し、しつこかっただけで」
セラが、静かに頷く。だが、その手が、まだ小さく震えているのが見えた。
「災難だったな」
「本当に。研修が終わったばかりだって聞いて、声かけてきたみたいで」
そこへ、聞き慣れた声がかかった。
「よう、ケイ。何かあったのか」
振り返ると、レトが軽く手を上げて歩いてきた。少し離れた場所から、様子を見ていたらしい。
「ナンパ、追い払ってもらった」
ノナの説明に、レトが眉を寄せる。
「ああ、さっきの連中か。うろついてるのは見えてたが、まさかお前らに」
「もう少し早く気づけよ」
「悪い悪い」
レトが軽く謝ると、遅れてもう一人、大柄な影が近づいてきた。ゴルドだった。
「揃ってるな」
「ちょうど今、助けてもらったところ」
ノナの説明に、ゴルドが小さく眉を上げ、こちらへ目をやった。それだけで、十分な礼のようだった。
「で、何て言われたんだ」
レトが、面白がるように訊ねる。
「『可愛い子が二人もいるパーティなんて、もったいない』とか」
ノナが、うんざりした顔で繰り返す。
「うわ、キザな台詞」
「でしょ! 飯くらい奢るからって、しつこくて」
「まあ、間違ったことは言ってないけどな」
思わず呟くと、ノナとセラが、同時にこちらを見た。
「……え?」
「二人とも、可愛いのは事実だろう」
淡々と言うと、ノナの顔が、みるみる赤くなった。
「な、なに、急に……!」
セラも、耳まで赤くして、視線を逸らす。
「ケイさんまでそういうこと言う人だったんですね……」
「本当のことを言っただけだ」
セラが、それでも赤い顔のまま、俯いた。ノナも、口をぱくぱくさせるだけで、次の言葉が出てこないらしい。
隣で、レトが呆れたように肩をすくめた。
「お前、たまにとんでもないこと言うよな……」
その一言で、ようやく空気が緩んだ。ノナが、我に返ったように頬を膨らませる。
「二人とも、断り慣れてるな」
「慣れたくて慣れたわけじゃないもん」
ノナが、むくれたように言い返す。セラが、その隣で小さく笑った。
「今日は五人揃ってるんだから、心配ないな」
レトが場を仕切るように言うと、皆が頷いた。それを合図に、ようやく本題に移る空気になった。
「そういえば、お前は今日、どうするんだ」
レトが、こちらへ視線を戻す。
「まだ組んでない。今から決めるところだった」
「なら、今日だけ臨時で組もうぜ。研修の続きだと思えばいい」
レトの提案に、ノナが勢いよく頷いた。
「賛成! ケイさんと組めるの、なんか嬉しいし」
セラも、静かに頷く。
「わたしも、構いません」
ゴルドは、無言のまま小さく頷いた。それで十分だった。
五人で組めば、盾も弓も風も回復も、いつもの配置がそのまま揃う。
「助かる」
短く答えると、レトが得意げに笑った。
「じゃ、依頼選びから始めるか」
五人で受付へ向かうと、受付嬢が顔を上げた。
「ケイさん、研修修了、おめでとうございます」
「ああ」
「今日は、皆さんとご一緒ですか」
「そうだ。G、F相当の依頼は、一人では受けられないんだったな」
「はい。最低でも三名は必要です。Fランクまでは、パーティでの受注が原則になりますので、ちょうど良かったですね」
受付嬢が、掲示板の一角を指差した。
「そちらの列が、街の近くの討伐です。ウルフの間引きや、小型の魔物の駆除が中心ですね」
「初めての依頼なら、無理のない範囲がよろしいかと。焦って遠方まで行く必要はありません」
受付嬢の助言に、素直に頷いた。相場でも、初めての取引は、まず小さく確かめるところから始めるものだ――理屈は同じだった。
紙を数枚まとめて手に取ると、レトが横から覗き込んできた。
「読むの、俺がやろうか」
「助かる」
レトが、一枚ずつ内容を読み上げてくれる。報酬、対象、期限――聞きながら、五人で条件の良いものを選んでいった。
「こっちは、報酬は少なめだけど、依頼主から感謝状がもらえるってさ」
「感謝状は、今はいい。実入りを優先したい」
「わたしも、それでいいと思う」
ノナが同意する。セラも異論はないようだった。
「じゃあ、こっちはどうだ」
レトが、また別の一枚を読み上げる。境界の森でのウルフ討伐、報酬は小銀貨一枚――期限にも余裕があった。
「これにする」
五人の意見が揃った。
受付嬢に紙を渡すと、確認しながら受注の手続きを進めていく。
「境界の森、ウルフ三頭以上の間引き、パーティでの受注ですね。承りました」
紙にペンが走る音を聞きながら、正式な受注が完了するのを待つ。
研修で覚えた通りの手順で、あの座学が、ここで役に立った。
依頼の紙を懐にしまいながら、これまでとは違う一日を思う。これまでは、店の帳簿と睨めっこして数字を追う日々だったが、今日からは、こうして森へ出向き、体を動かして稼ぐ日も加わる。
依頼を受ける日と店に立つ日を分ける方針は、今日から実際に動き出す。頭では分かっていたつもりでも、実際に体験してみると、思っていた以上に切り替えが必要だと分かった。
トレーダーだった頃とも、店主として働き始めた頃とも、また違う日々が、今日から始まる。
森へ向かう道すがら、五人で自然と横並びになった。
「研修が終わっても、こうやって歩くのは変わらないもんだな」
レトが、少し懐かしそうに言う。
「研修が終わっても、こうして組めるんだな」
「臨時なら、いつでもいいってさ。まあ、今日だけだけど」
境界の森に入り、まず気配を探ると、慣れた感覚が、すぐに戻ってきた。木々の匂いも、足元の落ち葉の感触も、あの研修の日々と、何一つ変わらない。
右手の茂みに、気配が三つ。研修で嫌というほど繰り返した、あの感覚だった。
「三頭。伏せてる」
小声で伝えると、四人の顔つきが引き締まった。
「全員、後ろの木立に背をつけろ。ゴルドは正面、レトは俺が起こしたところを射て。ノナは足止め、セラは後方で構えてくれ」
「了解」
「わかった」
小石を投げて群れを起こすと、三頭が茂みを割って飛び出した。その瞬間、短剣を構えて前に出る。
一頭目、喉を狙った刃が浅く逸れ、致命傷には届かず、獣が怯まず飛びかかってきた。とっさに体をひねって躱すと、肩を掠める牙の熱さが走る。
「ケイ!」
セラの声に構わず、体勢を立て直して二撃目を入れた。今度は、確かな手応えがある。
二頭目は、ノナの風に足を取られてよろけたところを、レトの矢が仕留めた。だが、放った矢は一射目が外れ、二射目でようやく届いたものだった。
「くそ、外した!」
レトの舌打ちが響く中、三頭目が横合いから回り込もうとする。
「ゴルド、右!」
短く叫ぶと、ゴルドの盾が間に割り込み、突進を受け止めた。鈍い音とともに獣の勢いが死に、追い詰められた一頭を、なんとか押さえ込んで片付けた。
呼吸が乱れ、額に汗が滲んでいる。研修の時と同じ手順のはずが、実際にやってみると、思っていたよりずっと綱渡りだった。
戦い終えて、大きく息を吐いた。
「研修班じゃなくなっても、ちゃんと動けたな」
レトが、感心したように言う。
「お前らのおかげだ」
「そう言うなって。持ちつ持たれつだろ」
セラが、怪我がないか一人ずつ確かめて回る。肩の傷に気づくと、手早く布を当ててくれた。
「これくらいなら、大丈夫そうです」
「みんな、無事ですね」
「うん、平気!」
汗を拭いながら、辺りを見回すと、静かな森が、五人の周りに広がっていた。班で戦っていた頃と同じ、確かな手応えが、胸の内に残っていた。
「依頼は三頭以上って書いてあったな。もう少し欲張るか」
レトの提案に、四人が頷いた。日はまだ高く、せっかくここまで来たなら無駄にしたくないという気持ちは、皆同じらしかった。
森を進むうち、また気配を探る。今度は、少し違う感触だった。
「左手、低い位置に二つ。動きが速い」
「ウルフとは違うな」
近づくと、灰色の毛並みに、額から角を生やした獣が二頭、こちらへ向かって突進してきた。
「ホーンラビットか。角の突進、まともに受けるな!」
叫びながら横へ跳ぶ。一頭が、勢いそのままに木の幹へ突っ込んだ。
「今だ!」
体勢を崩したところへ、ゴルドの剣が振り下ろされる。もう一頭は、ノナの風で足を取られたところを、レトの矢が仕留めた。
「見た目より、勢いあるな……」
レトが、額の汗を拭いながら呟く。
「角を掴んで捻れば、簡単に仕留められるらしいが」
「知ってたなら早く言ってよ!」
ノナの抗議に、レトが苦笑いを浮かべた。
素材を回収し、街へ戻る。夕暮れの街道を、五人並んで歩いた。
「報告書の記入、誰がやる」
「代表者一人でいいんだったよな。俺がやろうか」
レトの申し出に、頷く。
ギルドで買取を済ませると、査定額が読み上げられた。
「ウルフの牙、六本。ホーンラビットの角と毛皮も、状態は良好です。査定額と依頼報酬を合わせて、小銀貨二枚と大銅貨五枚になります」
「五人で山分けか」
「悪くない金額だな」
「初めてのパーティ受注にしては、上出来かと。傷一つない討伐は、なかなか見られません」
窓口の担当が、感心したように言い添えた。素材の状態が良ければ良いほど、査定額も上がる――座学で学んだ通りの結果だった。
「報告書の記入は、代筆でよろしいですか」
「お願いします」
窓口の担当が、慣れた様子で記入を進めていく。研修で見た手順と、寸分違わなかった。
分け前を五等分し、それぞれの取り分を受け取る。
「また組めたら組もうぜ」
レトの一言に、ノナとセラも頷いた。
「今日は、助かった」
短く返すと、四人が笑った。
受付を離れ、外へ出ると、日は、まだ高い位置にあった。今日は依頼の日だが、明日は店に立つ日だ――二つを両立させる生活が、こうして始まっていく。
依頼の日は、体を動かして稼ぐ。店の日は、数字と客の相手をする。
まったく違う二つの仕事を、この街で並行してやっていくことになる――忙しくなるだろうが、不思議と、嫌な気はしなかった。
店へ戻ると、ミレイが顔を上げた。
「おかえりなさい。どうでした」
「問題ない。三頭、片付けた。研修班のみんなと組んでな」
「研修で一緒だった方々ですか。心強いですね」
ミレイが、頬を緩める。奥からフィアとソルも顔を出し、軽く頷いてきた。
「今日一日、店の方は」
「変わりなかったです。お客さんも、いつも通り来てくれました」
「そうか」
「明日は、店に立つ。今日みたいに任せきりにはしない」
「はい」
「明日は、あの乾燥野菜のスープでも作るか。留守中、店を守ってくれた礼にな。ホーンラビットの肉も持ち帰ったから、唐揚げも添えられる」
ミレイの目が、ぱっと輝いた。
「本当ですか! スープだけでも嬉しいのに、お肉まで……フィアさんたちも喜びます」
「材料が足りるか、確かめておいてくれ」
「はい、任せてください!」
弾んだ声に、思わず口元が緩んだ。討伐で稼いだ分を、こうして店のみんなに還元する――それも、悪くない使い方だった。
この街で始まった新しい生活は、思っていたよりずっと、悪くないものになりそうだった。
窓の外を見ると、通りは、いつも通りの喧騒だった。研修を終え、討伐依頼を受けられるようになった今も、変わらないものが、ここにはある――数字の向こうに、この店と、この街の暮らしがあった。
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【借金メモ・109話終了時点】
前話(108話)終了時:資金銀貨四十一枚と小銀貨八枚・残債なし
109話収入:初依頼報酬(小銀貨一枚)+ウルフ素材買取(大銅貨八枚)+ホーンラビット素材買取(大銅貨七枚)=小銀貨二枚と大銅貨五枚を五等分、ケイの取り分:大銅貨五枚
ケイの資金:銀貨四十一枚と小銀貨八枚と大銅貨五枚
残債:なし
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【賃料管理メモ】(108話から一日経過)
緑の雫(店舗):次回支払いまで残り4日
試作場:次回支払いまで残り1日
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