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元トレーダー、金アレルギーなのに金本位制の異世界に翻弄される  作者: 夜明け一葉
第4章

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第105話『座学』

ギルドの講堂は、木の長椅子が並んだ簡素な造りだった。研修班の面々は、もう先に来ていた。


「よう、久しぶり」


レトが軽く手を上げる。だが、その目は挨拶よりも先に、こちらの顔から足先まで、素早く一往復していて、何かを値踏みするような、いつもの癖だった。


ゴルドは無言で頷き、ノナが勢いよく振り返った。


「ケイさん! 元気だった?」


「ああ、問題ない」


セラも、小さく頭を下げてくる。数日ぶりの顔だが、妙に懐かしい気がして、空いていた席に座ると、レトが身を乗り出してきた。


「顔、ちょっと硬いぞ。何かあったのか」


観察眼だけは無駄に鋭い男だった。


「少しな。片付いた話だ」


深くは説明しなかった。ゴルドが、それ以上は訊かず、話を変える。


「討伐依頼、もう受けてみたか」


「まだだ。研修が終わってからだな」


「俺たちも同じだ。早く終わらせて、稼ぎに行きたいところだが」


レトが、肩をすくめる。ノナが、横から口を挟んだ。


「わたし、早く依頼に出たい! 座学って、なんか眠くなるんだよね」


「寝るなよ、絶対」


「寝ないもん! ……たぶん」


最後の一言だけ、声が小さくなった。班の空気は、あの二日間よりも、幾分か砕けている。


前方の扉が開き、見知った担当官が入ってきた。ギルドの受付で何度か顔を合わせた男だ。


「揃っているな。今日からは座学に入る。討伐依頼を受けるには、報告書の作成が必須になる」


配られた紙束を、ノナが受け取って、こちらへ回してくる。文字がびっしり並んでいた。


見覚えのある単語が、ぽつぽつと目に留まるが、それをつなげて意味にする力は、まだ十分に身についていない。周りが黙々とページをめくる音の中で、こちらだけが、ただ紙の表面を眺めていた。


指先が、無意味に紙の端を撫でた。何かをしている風を装う、何年もかけて身につけた誤魔化し方だったが、今日は、隣の視線が、いつもより長く止まっている気がした。


「ケイさん」


隣から、セラが小声で囁く。


「もしかして……字、読むの、あまり得意じゃないですか」


心臓が、一拍、跳ねた。誤魔化す言葉を探したが、出てこず、動かないままの紙と、こちらの顔を、セラの視線が一度だけ往復していた――それだけで、もう遅かった。


頷くのに、思ったより長く時間がかかった。


「わたしが、読み上げます。書く方は、代筆でいいと思います。制度上、許されているはずです」


淡々とした申し出だった。同情でも驚きでもない、ただの事務的な提案が、かえって助かった――哀れまれるより、よほど楽だ。


「頼めるか」


「はい」


セラの声が、小さく、しかし丁寧に、紙面の内容を読み上げていく。種別の記入欄、日時の書式、討伐数の数え方――一つずつ、頭に入れていった。


助けられているのは分かっているのに、素直に礼の一言が出てこず、代わりに頷くことしかできなかった。


「討伐数の欄って、群れで倒したときはどう数えるんだ」


隣で、レトが担当官に質問する。


「一頭ずつ数える。誰が仕留めたかまでは問わない」


「なるほどな」


セラが、中断していた続きを、また小声で読み上げ始める。紙面の細かい注意書きまで、丁寧に拾ってくれていた。


「セラ、こういうの、詳しいんだな」


「幼い頃、読み書きだけは、きちんと教わったので」


セラの指が、紙の端を、ほんの少しだけ強く押さえたが、それ以上は、何も続かなかった。訊いていいものか迷ったが、結局、何も言わなかった――知り合ってから、まだそう長くなく、踏み込んでいい距離かどうかも、まだ測りかねていた。


担当官が、口頭でも補足を入れる。


「討伐対象の見誤りは、報酬だけでなく、次の依頼許可にも関わる。特に、上位種と亜種の混同は多い。今日は、その見分け方も扱う」


「見分け方って言われてもな……」


レトが、ぼやきながら紙をめくる。


「これ、全部覚えるのか」


「主要なものだけだ。境界の森周辺で出るものに絞る」


続いて、依頼ランクの説明に移る。


「依頼にはG、F、E、D、C……という具合に、下からランクが振られている。受けられるランクは、冒険者自身の等級に応じて上限が決まる」


「俺たち、今どのランクだ」


ノナが訊ねる。


「お前たち四人は、研修修了後、Fランク相当からのスタートになる。野外実習の内容が評価された」


その一言に、ノナが嬉しそうに拳を握った。ゴルドも、わずかに口の端を緩める。


「四人は、ってことは」


レトが、こちらへ目をやった。担当官も、少し言いにくそうに続けた。


「ケイは、魔力量の関係でGランクのままだ。実績とは別の基準がある」


一瞬、講堂の中の空気が、微妙に変わった。誰も何も言わなかったが、それが逆に、重かった。


聞き慣れた話だ。今さら驚くことでもない――そう自分に言い聞かせても、拳の中に、じわりと力がこもる。


あの谷でも、あの尾根でも、班の誰より先に敵を見つけ、誰より正確に位置を伝えたが、紙一枚の等級では、一番下のままだった。


「ケイさんだけ、そのままなんですか」


ノナが、少し心配そうにこちらを見る。


「魔力の量は、実績じゃ変わらない。気にするな」


言葉にすると、思ったよりあっさり出てきたことが、少し悔しかった。慣れというのは、こういう時に限って、都合よく体に染みついている。


短く返すと、ノナが、それ以上は訊かずに頷いた。だが、その後もしばらく、こちらの顔をちらちらと窺っていた。


「危険度の等級も、ランクと連動する。単独で挑める相手か、複数人が必要な相手か、その判断を誤ると命に関わる」


担当官の声が、少し低くなった。座学とはいえ、軽い話ではない。


担当官が、黒板代わりの木板に、簡単な絵を描き始めた。ウルフとフォレストウルフの違い――体格差、毛色、動きの特徴、実際に戦った相手だ。


「フォレストウルフは、ウルフとは別種の魔物だ。毛並みが緑がかっていて、木々に紛れやすい。討伐報告では、種の区別を必ず明記すること」


絵よりも、体で覚えている感覚の方が、よほど正確だった。


「これは、分かる」


思わず呟くと、担当官が意外そうな顔をした。


「詳しいな」


「見た。何度も」


短く返すと、ゴルドが小さく笑った。


「俺たちも見たな、あれは」


「見たっていうか、囲まれたよな」


ノナが震えるふりをして見せると、セラが、それを見て小さく笑った。


「あのときのケイさんの指示、今思い出しても助かりました」


「気配だけで、あんな正確に位置が分かるの、未だに信じられない」


レトが、感心したように首を振る。


紙は読めなくても、これだけは誰にも負けない――そう思う自分がいることに、少しだけ驚いた。等級の紙切れ一枚と、実際に体で示せるものは、別物なのかもしれない。


昼を過ぎても、講義は続いた。依頼ランクの制度、危険度の等級、報酬の目安――数字の話になると頭に入りやすく、トレーダーだった頃の勘が、久しぶりに役立った気がした。


「今日はここまで。明日も同じ時間に」


担当官が紙をまとめ、講堂を出ていく。四人が、ほっとしたように伸びをした。


「疲れた……体を動かす方が、まだ楽だよ」


ノナがぼやく。レトが同意するように頷いた。


「座学って、想像以上にきついよな。頭、使いすぎた」


「わたしも、目がしょぼしょぼする」


ノナが目をこすりながら言う。ゴルドだけが、平然とした顔をしていた。


「お前、平気そうだな」


「石工の見習い時代、寸法の計算で毎日紙と睨めっこしてた。今更、これくらいでは」


「頼もしいな……」


「よし、飯でも行くか。今日は俺が奢るよ」


レトが、話を切り上げるように立ち上がった。


「珍しいな」


「たまにはな」


軽口を交わしながら、講堂を出る。ギルドの酒場に入って席につくと、ノナが早速、注文の品を並べ始めた。


「あ、ケイさん、あの乾燥野菜のスープ、また作ってよ。あれ美味かったな」


「今度、材料があれば」


「絶対だよ、約束!」


ノナが指切りでもしそうな勢いで詰め寄る。ゴルドが苦笑しながら、それを止めた。


卓の上に立てられた木札のメニューを、店員が指しながら注文を取っていく。文字の並びを、いつも通り眺めるふりだけしてやり過ごした。


その様子を、セラが横目でちらりと見ていた。注文が済み、店員が離れていくと、セラは何も言わず、ジョッキの水面をじっと見つめている。


「セラ、どうした」


「……ケイさんが読めないこと、今日知ったばかりですけど、そんなに大したことだとは思ってなくて」


その一言に、少し面食らった。深刻に受け止められるより、あっさり流されている方が案外きついが、それ以上に、拍子抜けするほど楽だった。


「気にされる方が、困る」


「ですよね」


セラが、静かに頷いた。踏み込みすぎず、離れすぎず――その距離の取り方が、今日一日で、少しだけ分かった気がした。


「そういえば、Fランクからのスタートって、よく考えたら結構すごいことだよな」


レトが、しみじみと呟いた。


「じゃあ、あの二日間、無駄じゃなかったってことか」


ノナが、それに勢いよく頷く。


「無駄じゃないよ! あんなに大変だったんだから!」


「大変だったのは、お前が一番騒いでたからだろ」


「うるさい!」


軽口の応酬に、セラが小さく笑った。ゴルドが、ふと、こちらへ視線を向けた。


「ランクのことは、気にするな。お前の目は、紙切れより役に立つ」


短い一言だったが、飾り気のない、いつものゴルドらしい言い方で、それだけに、素直に胸へ落ちてきた。


「ああ」


短く返すのが、精一杯だった。


研修は、まだ数日続くが、こうして顔を合わせる時間も、あと少しだと思うと、少し寂しくなった。


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【借金メモ・105話終了時点】

前話(104話)終了時:資金銀貨四十一枚と小銀貨八枚・残債なし

105話収支:本話内での増減なし(研修中の座学のみ、店舗は通常運営)

ケイの資金:銀貨四十一枚と小銀貨八枚

残債:なし

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【賃料管理メモ】(104話から一日経過)

緑の雫(店舗):次回支払いまで残り1日

試作場:次回支払いまで残り5日

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