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透明の心臓  作者: 水瀬 悠里
Ⅴ 赦しの環

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第13章 赦しを運ぶ小さな手

谷は静かだった。沈んだ地形は、まるで世界がそこだけ息を止めているようだった。


ノヴァは中心部に近づくほどに歩みをゆるめた。小さな背中は揺れず、怯えも、涙の気配もない。


慧吾の胸が疼いた。谷の底に沈んだ“残滓”が、その光に呼応しているのだ。


(……帰ってこい、と呼んでいる)


ジャックが険しい顔で慧吾を支えた。


「おい、本気で顔色悪ィ。戻れよ」


慧吾は苦笑し、首を振った。


「……これは、俺の役目だ」


その言葉を遮るように、ノヴァが谷の中心へ歩き出す。


「けいご、ちょっと、まって」


振り返ったノヴァの顔には、幼さとはかけ離れた深い決意だけがあった。


「ここ、ずっと“さみしい”の。 よんでるのはね……きずついた“こえ”だよ」


慧吾は息を呑んだ。


ノヴァは谷の底にしゃがみ込み、そっと地面に両手を当てた。


「もう……けいごは、ここにはかえらないよ。 ぼくと、じゃっくと、みんなといきるの」


風が、谷全体を包むように吹いた。


ノヴァの掌に光が宿る。柔らかく、陽だまりのような光。


それは、憎しみでも、怒りでも、哀しみでもなく──


赦しそのものの光 だった。


谷の残滓が静かに応えたようだった。声にはならない。ただ、すべてが和らぐ感覚。「さあ……!!」


ノヴァは伸び上がるように両手を広げた。


その動きに沿うように、たくさんの光が空へ舞い上がった。


慧吾の胸の痛みがゆっくりと消える。


ノヴァは振り返って微笑んだ。


「ほら、もうよばれないよ。 ここね、“やっとおわった”っていってる」


慧吾の胸が震えた。


「……ノヴァ。 お前が終わらせたんだ」


ノヴァは胸を張った。


「うん。ぼく、もう“こわくない”よ。 だって── いきてるひとは、まもらなくちゃいけないから」


風が谷を巡っていく。その吹き抜ける音は、悲鳴でも泣き声でもなく、ただの“静けさ”だった。


赦された場所の静寂。


ジャックは腕を組んで、鼻を鳴らした。


「……ちっ。 ガキのくせにやることが渋すぎんだよ」


けれど目の奥は、誇らしそうだった。


谷の影はもう呼ばなかった。慧吾の胸の痛みも、そこでやっと解けた。

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