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透明の心臓  作者: 水瀬 悠里
Ⅴ 赦しの環

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第7章 バザールの街

乾いた風が、香辛料と焼き菓子の匂いを運んできた。石畳の向こうで、色とりどりの布が揺れている。


「……にぎやかだな」


慧吾がそう呟くと、ジャックは鼻で笑った。


「ここはそういう街だ。 戦争も任務も、一旦置いてけって場所だな」


バザールの通りは人で溢れていた。果物、金属細工、香草、古い書物。どれも生き延びるためじゃなく、生きるためのものばかりだった。


「わ……!」


ノヴァが思わず声を上げる。目を輝かせて、あちこちを見回していた。


「走るなよ、坊や」

ジャックが言う前に、ノヴァは慧吾の外套の裾を掴んでいる。


「だって……すごい。 ここ、ぜんぶ“あったかい”」


慧吾は一瞬、言葉に詰まった。それから、静かに頷く。


「ああ……そうだな」


露店の一つで、ノヴァが足を止めた。小さなランプが並んでいる。ガラスの中に、淡い灯りが閉じ込められていた。


「これ、よるにつかうの?」


「らしいな」

ジャックが覗き込みながら言う。

「風が吹いても消えにくいんだとさ」


慧吾はランプを手に取り、重さを確かめる。


「……軽いな」


「持つ奴の“気配”に合わせるんだとよ」

ジャックが適当に訳す。


ノヴァは少し考えてから、慧吾を見上げた。


「けいご。 よる、ねむれないときあるでしょ」


慧吾は否定しなかった。ただ、一瞬だけ視線を逸らす。


「……ああ」


ノヴァは小さく頷いた。


「じゃあ、これ。 くらくても、ひとりじゃないやつ」


慧吾は驚いたように目を瞬かせ、それから、ゆっくりと口元を緩めた。


「……そうだな」


ジャックはその様子を見て、肩をすくめる。


「坊や、いい買い物するじゃねぇか。 無駄にナイフ増やすより、よっぽど役に立つ」


「えへへ」


ノヴァは照れたように笑った。


通りを歩きながら、ノヴァは干し果実を頬張り、ジャックは露店の主人と軽口を叩き、慧吾は少し後ろを歩いて、その背中を見ていた。


胸の奥が、静かに温かい。


(……守るだけじゃない)


ふと、ノヴァが振り返る。


「けいご!」


「どうした」


「ちゃんと、いる?」


慧吾は足を止め、はっきりと答えた。


「ああ。 ここにいる」


ノヴァはそれで満足したように、また前を向いた。


露店のざわめきから少し外れた場所で、ジャックが足を止めた。


「……ここだ」


慧吾とノヴァが並んで覗き込む。小さな布の上に並んでいたのは、青い石を一つだけ煌めかせたブレスレットだった。


深い空の色。夜明け前の海みたいな、静かな青。


店主が言う。


「その石はね、“絆の石”だよ。 “切れても結び直せる”って言われてる」


ノヴァがぱっと顔を上げる。


「こわれても?」


「そう。 壊れたんじゃなくて、 “一度ほどけただけ”って考えるんだよ」


ジャックは無言で、三つのブレスレットを手に取った。


「……三つだ」


慧吾が眉を上げる。


「全員分、か」


「ああ」


ジャックはぶっきらぼうに答える。


「旅の間だけじゃねぇ。 ここまで来た“証”だ」


ノヴァが小さく首を傾げる。


「でも、いつか、ちがうところに行くかも」


ジャックは、少しだけ口元を緩めた。


「だからだ。 環ってのは、離れねぇって意味じゃねぇ」


慧吾が、静かに言葉を継ぐ。


「……戻れる、という意味だな」


ジャックは一瞬だけ、慧吾を見る。


「……ああ。 切れても、結び直せる」


ノヴァは、三つのブレスレットをキラキラした瞳で見つめる。


「じゃあ、これ…… ぼくたちの“たびのわ”だね」


「そうなるな」


ジャックは金を置き、ノヴァの手首にひとつ、結ぶ。


次に、自分の手首へ。


そして──最後のひとつを、慧吾へ差し出した。


慧吾は一瞬、ためらった。


「……俺が持つ資格は」


「黙れ」


ジャックが短く遮る。


「ほどけたことがあるから、 結び直す意味があるんだろ」


ノヴァが、ぐいっと慧吾の手を引く。


「けいご、いっしょ!」


慧吾は、ほんの少しだけ目を伏せてから、その輪を受け取った。


三つの青が、同じ光を映す。


「……赦しの環、か」


慧吾が小さく呟く。


ジャックは肩をすくめた。


「大げさだな」


ノヴァは、にこっと笑う。


「でもね、 きれても、また“まる”になるんだよ! うれしいな!3にん、おそろい!」


バザールの喧騒の中で、三人の影が、円を描くように並んだ。


それは、壊れない約束ではなく、壊れても戻れる関係のかたち。


旅の終わりではなく、続いていくための、静かな証だった。


バザールの上を、風が通り抜ける。布が揺れ、笑い声が混じり、そこに戦いの匂いはなかった。


それはほんの短い寄り道。けれど確かに――この3人が、共に生きている時間だった。

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