第7章 バザールの街
乾いた風が、香辛料と焼き菓子の匂いを運んできた。石畳の向こうで、色とりどりの布が揺れている。
「……にぎやかだな」
慧吾がそう呟くと、ジャックは鼻で笑った。
「ここはそういう街だ。 戦争も任務も、一旦置いてけって場所だな」
バザールの通りは人で溢れていた。果物、金属細工、香草、古い書物。どれも生き延びるためじゃなく、生きるためのものばかりだった。
「わ……!」
ノヴァが思わず声を上げる。目を輝かせて、あちこちを見回していた。
「走るなよ、坊や」
ジャックが言う前に、ノヴァは慧吾の外套の裾を掴んでいる。
「だって……すごい。 ここ、ぜんぶ“あったかい”」
慧吾は一瞬、言葉に詰まった。それから、静かに頷く。
「ああ……そうだな」
露店の一つで、ノヴァが足を止めた。小さなランプが並んでいる。ガラスの中に、淡い灯りが閉じ込められていた。
「これ、よるにつかうの?」
「らしいな」
ジャックが覗き込みながら言う。
「風が吹いても消えにくいんだとさ」
慧吾はランプを手に取り、重さを確かめる。
「……軽いな」
「持つ奴の“気配”に合わせるんだとよ」
ジャックが適当に訳す。
ノヴァは少し考えてから、慧吾を見上げた。
「けいご。 よる、ねむれないときあるでしょ」
慧吾は否定しなかった。ただ、一瞬だけ視線を逸らす。
「……ああ」
ノヴァは小さく頷いた。
「じゃあ、これ。 くらくても、ひとりじゃないやつ」
慧吾は驚いたように目を瞬かせ、それから、ゆっくりと口元を緩めた。
「……そうだな」
ジャックはその様子を見て、肩をすくめる。
「坊や、いい買い物するじゃねぇか。 無駄にナイフ増やすより、よっぽど役に立つ」
「えへへ」
ノヴァは照れたように笑った。
通りを歩きながら、ノヴァは干し果実を頬張り、ジャックは露店の主人と軽口を叩き、慧吾は少し後ろを歩いて、その背中を見ていた。
胸の奥が、静かに温かい。
(……守るだけじゃない)
ふと、ノヴァが振り返る。
「けいご!」
「どうした」
「ちゃんと、いる?」
慧吾は足を止め、はっきりと答えた。
「ああ。 ここにいる」
ノヴァはそれで満足したように、また前を向いた。
露店のざわめきから少し外れた場所で、ジャックが足を止めた。
「……ここだ」
慧吾とノヴァが並んで覗き込む。小さな布の上に並んでいたのは、青い石を一つだけ煌めかせたブレスレットだった。
深い空の色。夜明け前の海みたいな、静かな青。
店主が言う。
「その石はね、“絆の石”だよ。 “切れても結び直せる”って言われてる」
ノヴァがぱっと顔を上げる。
「こわれても?」
「そう。 壊れたんじゃなくて、 “一度ほどけただけ”って考えるんだよ」
ジャックは無言で、三つのブレスレットを手に取った。
「……三つだ」
慧吾が眉を上げる。
「全員分、か」
「ああ」
ジャックはぶっきらぼうに答える。
「旅の間だけじゃねぇ。 ここまで来た“証”だ」
ノヴァが小さく首を傾げる。
「でも、いつか、ちがうところに行くかも」
ジャックは、少しだけ口元を緩めた。
「だからだ。 環ってのは、離れねぇって意味じゃねぇ」
慧吾が、静かに言葉を継ぐ。
「……戻れる、という意味だな」
ジャックは一瞬だけ、慧吾を見る。
「……ああ。 切れても、結び直せる」
ノヴァは、三つのブレスレットをキラキラした瞳で見つめる。
「じゃあ、これ…… ぼくたちの“たびのわ”だね」
「そうなるな」
ジャックは金を置き、ノヴァの手首にひとつ、結ぶ。
次に、自分の手首へ。
そして──最後のひとつを、慧吾へ差し出した。
慧吾は一瞬、ためらった。
「……俺が持つ資格は」
「黙れ」
ジャックが短く遮る。
「ほどけたことがあるから、 結び直す意味があるんだろ」
ノヴァが、ぐいっと慧吾の手を引く。
「けいご、いっしょ!」
慧吾は、ほんの少しだけ目を伏せてから、その輪を受け取った。
三つの青が、同じ光を映す。
「……赦しの環、か」
慧吾が小さく呟く。
ジャックは肩をすくめた。
「大げさだな」
ノヴァは、にこっと笑う。
「でもね、 きれても、また“まる”になるんだよ! うれしいな!3にん、おそろい!」
バザールの喧騒の中で、三人の影が、円を描くように並んだ。
それは、壊れない約束ではなく、壊れても戻れる関係のかたち。
旅の終わりではなく、続いていくための、静かな証だった。
バザールの上を、風が通り抜ける。布が揺れ、笑い声が混じり、そこに戦いの匂いはなかった。
それはほんの短い寄り道。けれど確かに――この3人が、共に生きている時間だった。




