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透明の心臓  作者: 水瀬 悠里
Ⅳ 優しき虚

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第12章 風を曇らせる影

ソムニウムの空が、春のどの夕暮れよりも静かだった。


風の流れが、少しだけ重い。色の濃い雲が、塔の跡の方へ集まっていく。


「……来たか」


慧吾は家々の屋根の上から風を読んでいた。胸の光は以前より落ち着いている。それでも“何か”が空気を歪ませているのを感じ取る。


ノヴァが後ろからそっと服をつまむ。


「けいご……なんか、へんなのがまざってる」


慧吾は振り返り、ノヴァの手を包んだ。


「感じたか。……大丈夫だ。これは“敵の影”だが、まだ遠い」


ノヴァは不安そうに眉を寄せる。


「また……、ぼく……?」


慧吾は首を振った。


「違う。あれは“結びつき”のせいだ。今感じているのは──俺たち全員のものだ」


ノヴァは小さく息をのんだ。


(……ぼくだけじゃ、ないんだ)


そのことが彼の心を少し救った。


夕暮れの道を、ジャックが駆けてきた。肩の上には荷物袋、手は埃まみれ。息を荒げながら怒鳴る。


「慧吾!! やっぱり動いてやがる!」


慧吾は屋根から飛び降り、ジャックの前に立つ。


「SIGMAがか?」


「ああ……ヤツら、何かを探してる。βが消えたのに関係してるんだろう。“光の残滓”を追っていやがる」


ノヴァの肩がびくっと震えた。


慧吾はすぐに抱き寄せる。


「ノヴァのせいじゃない。βが砕けたことへの反応だ。お前を狙っているわけではない」


ジャックがノヴァの頭をくしゃっと撫でた。


「安心しろよガキ。お前はもう、誰にも触らせねぇ」


ノヴァはほっとしたように頷く。


そこへ哲平と諒介が駆けてきた。


「ジャック! ほんとかよ、SIGMAが動いてるって!」


「……やっぱりな。風の道がざわついておったわ」


辰彦も杖を突きながら現れる。


慧吾は仲間全員の顔を見回し、静かに言う。


「……戦いは避けられない。だが──今回は俺ひとりでは行かない」


ジャックが鼻で笑う。


「当たり前だ。お前だけ行かせたら、また死に急ぐだろうが」


哲平は拳を握る。


「ノヴァが戻ってきて、やっと街が明るくなったのに……こんな時こそ俺たちが動くんだよな」


諒介も頷く。


「慧吾。俺たち、前からそうしてきただろ?」


慧吾は小さく笑い、うつむいた。


(……ああ。俺はずっと、“ひとりで終わらせる道”ばかり選んでいた)


でも今は違う。


仲間がいて、ノヴァがいて、守りたい日常がある。


胸の光が、穏やかに気流を整えるようにスッと落ち着いた。


そのときだった。


風が、一瞬だけ逆流した。


慧吾の胸がきゅ、と痛む。だが今までと違う。


鋭い痛みではなく、まるで──導かれるような“風の方向”。


(……塔の跡地が騒いでいる)


慧吾は思わず眉を寄せる。


ジャックがすぐ気づく。


「おい。胸が痛むのか?」


「……違う。これは……“呼ばれている”んじゃない。“示されている”。」


皆が息を呑む。


「行く必要はあるのか?」諒介が問う。


慧吾ははっきりと頷いた。


「行く。だが俺ひとりで行くことはない」


ジャックが笑う。


「最初からそのつもりだ。交代で見張り?バカ言えよ。今日は全員で行く日だ」


ノヴァが慧吾の手を握った。


「けいご……ぼくも行く。もう、ひとりにしないよ」


慧吾はひざまずき、ノヴァの目を見つめる。


「……ありがとう。お前に支えられて俺は立っているんだ」


ノヴァは嬉しそうに抱きついた。


「けいごは、ぼくのひかりだから!」


慧吾はその小さな体を抱きしめ、静かに目を閉じた。


(……大丈夫だ。今回は、もう“終わらせる戦い”じゃない)


風が、未来の気配を少しだけ運んだ。

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