第12章 風を曇らせる影
ソムニウムの空が、春のどの夕暮れよりも静かだった。
風の流れが、少しだけ重い。色の濃い雲が、塔の跡の方へ集まっていく。
「……来たか」
慧吾は家々の屋根の上から風を読んでいた。胸の光は以前より落ち着いている。それでも“何か”が空気を歪ませているのを感じ取る。
ノヴァが後ろからそっと服をつまむ。
「けいご……なんか、へんなのがまざってる」
慧吾は振り返り、ノヴァの手を包んだ。
「感じたか。……大丈夫だ。これは“敵の影”だが、まだ遠い」
ノヴァは不安そうに眉を寄せる。
「また……、ぼく……?」
慧吾は首を振った。
「違う。あれは“結びつき”のせいだ。今感じているのは──俺たち全員のものだ」
ノヴァは小さく息をのんだ。
(……ぼくだけじゃ、ないんだ)
そのことが彼の心を少し救った。
夕暮れの道を、ジャックが駆けてきた。肩の上には荷物袋、手は埃まみれ。息を荒げながら怒鳴る。
「慧吾!! やっぱり動いてやがる!」
慧吾は屋根から飛び降り、ジャックの前に立つ。
「SIGMAがか?」
「ああ……ヤツら、何かを探してる。βが消えたのに関係してるんだろう。“光の残滓”を追っていやがる」
ノヴァの肩がびくっと震えた。
慧吾はすぐに抱き寄せる。
「ノヴァのせいじゃない。βが砕けたことへの反応だ。お前を狙っているわけではない」
ジャックがノヴァの頭をくしゃっと撫でた。
「安心しろよガキ。お前はもう、誰にも触らせねぇ」
ノヴァはほっとしたように頷く。
そこへ哲平と諒介が駆けてきた。
「ジャック! ほんとかよ、SIGMAが動いてるって!」
「……やっぱりな。風の道がざわついておったわ」
辰彦も杖を突きながら現れる。
慧吾は仲間全員の顔を見回し、静かに言う。
「……戦いは避けられない。だが──今回は俺ひとりでは行かない」
ジャックが鼻で笑う。
「当たり前だ。お前だけ行かせたら、また死に急ぐだろうが」
哲平は拳を握る。
「ノヴァが戻ってきて、やっと街が明るくなったのに……こんな時こそ俺たちが動くんだよな」
諒介も頷く。
「慧吾。俺たち、前からそうしてきただろ?」
慧吾は小さく笑い、うつむいた。
(……ああ。俺はずっと、“ひとりで終わらせる道”ばかり選んでいた)
でも今は違う。
仲間がいて、ノヴァがいて、守りたい日常がある。
胸の光が、穏やかに気流を整えるようにスッと落ち着いた。
そのときだった。
風が、一瞬だけ逆流した。
慧吾の胸がきゅ、と痛む。だが今までと違う。
鋭い痛みではなく、まるで──導かれるような“風の方向”。
(……塔の跡地が騒いでいる)
慧吾は思わず眉を寄せる。
ジャックがすぐ気づく。
「おい。胸が痛むのか?」
「……違う。これは……“呼ばれている”んじゃない。“示されている”。」
皆が息を呑む。
「行く必要はあるのか?」諒介が問う。
慧吾ははっきりと頷いた。
「行く。だが俺ひとりで行くことはない」
ジャックが笑う。
「最初からそのつもりだ。交代で見張り?バカ言えよ。今日は全員で行く日だ」
ノヴァが慧吾の手を握った。
「けいご……ぼくも行く。もう、ひとりにしないよ」
慧吾はひざまずき、ノヴァの目を見つめる。
「……ありがとう。お前に支えられて俺は立っているんだ」
ノヴァは嬉しそうに抱きついた。
「けいごは、ぼくのひかりだから!」
慧吾はその小さな体を抱きしめ、静かに目を閉じた。
(……大丈夫だ。今回は、もう“終わらせる戦い”じゃない)
風が、未来の気配を少しだけ運んだ。




