第7章 塔の心臓(ハート)に触れる影
※本作には、もう一つの物語【外典】があります。 →透明の心臓【外典】
本編は【正史】として、このまま進みます。
塔は夜に沈みながら――まるで巨大な心臓のように、脈動していた。
ノヴァの小さな足が石段を駆け上がるたび、その鼓動は強まり、風が塔の周囲を巻き込み、古い瓦礫が震える。
「……やだ……こわい……でも……いかなきゃ……」
声は震えている。涙で視界がぼやけている。それでも、ノヴァの足は止まらなかった。
胸の奥で鳴り続ける声があった。それは意味を持たない叫びであり、けれど──慧吾の痛みと同じ“場所”から響いていた。
だから逃げられなかった。
塔の入口に辿り着いた瞬間、ノヴァは膝をついた。
「……いたっ……」
胸が、慧吾と同じ場所で激しく痛む。ひとつの心臓が、ふたつの身体に分けられたように。
「けいご……すごく……いたい…… ぼくも……おんなじ……いたい……」塔の扉は静かに開き、黒い呼吸をもらすように闇が滲む。
ドン……ドン……ドン……
塔の奥底にある“なにか”が、ノヴァの光と完全に同期していた。
(けいご……ごめんなさい…… ぼく……ぜんぶ……こわした……)
幼い顔に、決意の影が宿る。ノヴァは、そのまま塔の中へ──
「ノヴァ!!」
慧吾は夜道をふらつきながら走っていた。胸の痛みはもはや悲鳴そのもの。それでも、彼を止められる者はいなかった。
ジャックが後方から怒鳴る。
「速ぇよバカ!!肺が破れる!!」
「……呼んでるんだ……ノヴァが……!」
ジャックは舌打ちした。
「あのガキ……自分のせいだと思ってやがる……!」
慧吾の胸が鋭く収縮した。
その思考がどれほど危険か、彼自身が一番よく知っている。
「ノヴァ……待ってろ……!」
塔の根元に、ノヴァの小さな影があった。
慧吾は倒れ込みそうになりながら叫ぶ。
「ノヴァ!!戻れ!!そこは危険だ!!」
ノヴァが振り返る。涙で濡れた目で、それでも笑う。
「……けいご……」
「ノヴァ、聞け!」慧吾は必死だった。
「お前のせいじゃない!! 痛みも、揺れも、全部──俺の問題だ!!」
だがノヴァはかぶせる。
「でも!……呼んでるんだ。ぼくの……なかの……“これ”が……また……暴れちゃう前に……ぼくが連れていかないと……!けいごが、またいたくなる……!!」
慧吾の呼吸が止まった。
(──あの日の俺と同じだ)
「ノヴァ!!」慧吾は声を張った。
「いいか……お前は、いきてていい。 いなきゃいけない。 俺は、お前に生きていてほしい……!!」
ノヴァは涙を流し、震える。
「ありがとう……けいご…… だいすきだよ……」
そして、塔へ駆け上がった──
ノヴァが踏み出したその時。
ゴォォォッ!!
塔の上部が大きく揺れ――瓦礫が崩れ、入り口が塞がりはじめた。
慧吾が叫ぶ。
「ノヴァぁぁぁ!!」
その叫びに反応するように、ノヴァが振り返り、手を伸ばす。
塔内部で脈動が乱れ、黒い渦がノヴァを飲み込もうと迫る。下から吹き上げる風が灰色の髪を揺らす。
下では、慧吾が血の気のない顔で手を伸ばしていた。
だけど……届かない。
その瞬間。
「──慧吾、立て!! まだ終わっちゃいねぇだろ!!」
ジャックの腕が慧吾の胴をがっしりと掴んだ。
ふわり、と地面が浮いたように、慧吾の視界が一瞬高くなる。
次の瞬間には、ジャックの両腕が、慧吾を自分の肩の上まで 持ち上げていた。
「行け!! あとはお前しかいねぇ!!」
諒介が瓦礫を体当たりで押し返し、哲平がジャックの足を支える。辰彦は老体にムチを打って落ちてくる岩を拳で粉砕する。
リリカは涙で顔をくしゃくしゃにしながら叫ぶ。
「ノヴァ!!見て!! あなたはひとりじゃないの!! みんな……あなたを受け止めるから!!」
ノヴァは、はっと気づいた。
塔の上から見下ろす光景は、それまでのどんな景色より、どんな夜より、どんな痛みよりも──胸を打った。
みんなが両手を広げていた。
慧吾は片手を伸ばし、もう片方で胸を押さえながら、声を振り絞った。
「ノヴァ……降りてこい!! 誰も……お前を手放さない!!」
ノヴァの目から涙が溢れる。
塔の鼓動が背後でうなった。白と黒の渦がノヴァを引きずろうとする。
でも──視界いっぱいに広がる、“大好きな人たち全員の手が、ここにある” という事実が、その渦よりもずっと強かった。
足が震える。体が熱くなる。胸の光が不規則に脈打つ。
「……ぼく……」
声が震えた。
「……でも……しってるんだ。ぼくがきてから、まちがゆれた。ぼくがいると…あいつらも…」
涙が零れる。
慧吾が蒼白な顔で、それでも自分に手を伸ばしている。
ノヴァの小さな手がそっと前に伸びた。
慧吾がさらに手を伸ばす。
「関係ない!怖くてもいい。泣いてもいい。 それでも―― 俺はお前を掴む!!!」
ノヴァが足を踏み出した瞬間、塔の内部が轟音を上げて崩れ始めた。
時間が止まったような一瞬。
小さな身体が、空へ飛んだ。
慧吾の手が──
ついに届いた。
指先が触れた瞬間、ジャックが慧吾ごと腕を引き寄せ、ノヴァを抱きとめた。
その直後、塔の中へ吸い込まれたのは、ノヴァではなく、塔に残っていた“βの欠片”だけだった。
黒い渦が一瞬叫び、塔が静かに沈黙した。
ノヴァは慧吾の胸に顔を押しつけて泣いた。
「……けいご…… ぼく……ほんとうに…… いきてて……いいの……?」
慧吾は息を震わせながら抱きしめた。
「いい。何度でも言う。 お前は、生きていい。 どれだけ泣いても…… 何度でも、俺たちは迎えに行く」
リリカ、哲平、諒介、辰彦――全員が泣きながらノヴァを囲む。
「帰ってきてくれて……ありがとう……!」
風が夜をぬぐうように吹き抜けた。
黒い渦ごと、塔は消えた。でも──ノヴァの未来はここにあった。




