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透明の心臓  作者: 水瀬 悠里
Ⅳ 優しき虚
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第7章 塔の心臓(ハート)に触れる影

※本作には、もう一つの物語【外典】があります。 →透明の心臓【外典】


本編は【正史】として、このまま進みます。


塔は夜に沈みながら――まるで巨大な心臓のように、脈動していた。


ノヴァの小さな足が石段を駆け上がるたび、その鼓動は強まり、風が塔の周囲を巻き込み、古い瓦礫が震える。


「……やだ……こわい……でも……いかなきゃ……」


声は震えている。涙で視界がぼやけている。それでも、ノヴァの足は止まらなかった。


胸の奥で鳴り続ける声があった。それは意味を持たない叫びであり、けれど──慧吾の痛みと同じ“場所”から響いていた。


だから逃げられなかった。


塔の入口に辿り着いた瞬間、ノヴァは膝をついた。


「……いたっ……」


胸が、慧吾と同じ場所で激しく痛む。ひとつの心臓が、ふたつの身体に分けられたように。


「けいご……すごく……いたい…… ぼくも……おんなじ……いたい……」塔の扉は静かに開き、黒い呼吸をもらすように闇が滲む。


ドン……ドン……ドン……


塔の奥底にある“なにか”が、ノヴァの光と完全に同期していた。


(けいご……ごめんなさい…… ぼく……ぜんぶ……こわした……)


幼い顔に、決意の影が宿る。ノヴァは、そのまま塔の中へ──


「ノヴァ!!」


慧吾は夜道をふらつきながら走っていた。胸の痛みはもはや悲鳴そのもの。それでも、彼を止められる者はいなかった。


ジャックが後方から怒鳴る。


「速ぇよバカ!!肺が破れる!!」


「……呼んでるんだ……ノヴァが……!」


ジャックは舌打ちした。


「あのガキ……自分のせいだと思ってやがる……!」


慧吾の胸が鋭く収縮した。


その思考がどれほど危険か、彼自身が一番よく知っている。


「ノヴァ……待ってろ……!」


塔の根元に、ノヴァの小さな影があった。


慧吾は倒れ込みそうになりながら叫ぶ。


「ノヴァ!!戻れ!!そこは危険だ!!」


ノヴァが振り返る。涙で濡れた目で、それでも笑う。


「……けいご……」


「ノヴァ、聞け!」慧吾は必死だった。


「お前のせいじゃない!! 痛みも、揺れも、全部──俺の問題だ!!」


だがノヴァはかぶせる。


「でも!……呼んでるんだ。ぼくの……なかの……“これ”が……また……暴れちゃう前に……ぼくが連れていかないと……!けいごが、またいたくなる……!!」


慧吾の呼吸が止まった。


(──あの日の俺と同じだ)


「ノヴァ!!」慧吾は声を張った。


「いいか……お前は、いきてていい。 いなきゃいけない。 俺は、お前に生きていてほしい……!!」


ノヴァは涙を流し、震える。


「ありがとう……けいご…… だいすきだよ……」


そして、塔へ駆け上がった──


ノヴァが踏み出したその時。


ゴォォォッ!!


塔の上部が大きく揺れ――瓦礫が崩れ、入り口が塞がりはじめた。


慧吾が叫ぶ。


「ノヴァぁぁぁ!!」


その叫びに反応するように、ノヴァが振り返り、手を伸ばす。


塔内部で脈動が乱れ、黒い渦がノヴァを飲み込もうと迫る。下から吹き上げる風が灰色の髪を揺らす。


下では、慧吾が血の気のない顔で手を伸ばしていた。


だけど……届かない。


その瞬間。


「──慧吾、立て!! まだ終わっちゃいねぇだろ!!」


ジャックの腕が慧吾の胴をがっしりと掴んだ。


ふわり、と地面が浮いたように、慧吾の視界が一瞬高くなる。


次の瞬間には、ジャックの両腕が、慧吾を自分の肩の上まで 持ち上げていた。


「行け!! あとはお前しかいねぇ!!」


諒介が瓦礫を体当たりで押し返し、哲平がジャックの足を支える。辰彦は老体にムチを打って落ちてくる岩を拳で粉砕する。


リリカは涙で顔をくしゃくしゃにしながら叫ぶ。


「ノヴァ!!見て!! あなたはひとりじゃないの!! みんな……あなたを受け止めるから!!」


ノヴァは、はっと気づいた。


塔の上から見下ろす光景は、それまでのどんな景色より、どんな夜より、どんな痛みよりも──胸を打った。


みんなが両手を広げていた。


慧吾は片手を伸ばし、もう片方で胸を押さえながら、声を振り絞った。


「ノヴァ……降りてこい!! 誰も……お前を手放さない!!」


ノヴァの目から涙が溢れる。


塔の鼓動が背後でうなった。白と黒の渦がノヴァを引きずろうとする。


でも──視界いっぱいに広がる、“大好きな人たち全員の手が、ここにある” という事実が、その渦よりもずっと強かった。


足が震える。体が熱くなる。胸の光が不規則に脈打つ。


「……ぼく……」


声が震えた。


「……でも……しってるんだ。ぼくがきてから、まちがゆれた。ぼくがいると…あいつらも…」


涙が零れる。


慧吾が蒼白な顔で、それでも自分に手を伸ばしている。


ノヴァの小さな手がそっと前に伸びた。


慧吾がさらに手を伸ばす。


「関係ない!怖くてもいい。泣いてもいい。 それでも―― 俺はお前を掴む!!!」


ノヴァが足を踏み出した瞬間、塔の内部が轟音を上げて崩れ始めた。


時間が止まったような一瞬。


小さな身体が、空へ飛んだ。


慧吾の手が──


ついに届いた。


指先が触れた瞬間、ジャックが慧吾ごと腕を引き寄せ、ノヴァを抱きとめた。


その直後、塔の中へ吸い込まれたのは、ノヴァではなく、塔に残っていた“βの欠片”だけだった。


黒い渦が一瞬叫び、塔が静かに沈黙した。


ノヴァは慧吾の胸に顔を押しつけて泣いた。


「……けいご…… ぼく……ほんとうに…… いきてて……いいの……?」


慧吾は息を震わせながら抱きしめた。


「いい。何度でも言う。 お前は、生きていい。 どれだけ泣いても…… 何度でも、俺たちは迎えに行く」


リリカ、哲平、諒介、辰彦――全員が泣きながらノヴァを囲む。


「帰ってきてくれて……ありがとう……!」


風が夜をぬぐうように吹き抜けた。


黒い渦ごと、塔は消えた。でも──ノヴァの未来はここにあった。

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