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透明の心臓  作者: 水瀬 悠里
Ⅳ 優しき虚
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第8章 風の帰る場所

塔が崩れ落ちた夜──ソムニウムの街には、奇跡のような静けさが満ちていた。


花の平野を吹き抜ける風は、どこまでもやわらかく、まるで街全体が「おかえり」を言っているようだった。


慧吾はノヴァを抱いたまま、崩壊した塔の残骸からゆっくりと歩き出した。


仲間たちが駆け寄ってくる。


リリカが泣きながらノヴァを抱きしめた。


「ノヴァ……!!もう……もう離さない……!!」


ノヴァは涙で濡れた目をこすりながら、リリカの胸に顔を埋める。


「……ただいま……リリカ……」


その言葉に、街の花が一斉に風に揺れた。


慧吾は胸の奥に、ずっとなかった“満ちる風”の流れを感じていた。


痛みはまだ残っている。でも──あの絶望のような疼きではない。


(……生きている。ノヴァと、街と、俺自身も……まだ、続いている)


ふと、隣に立ったジャックが肩をぶつける。


「おい。やっと帰ってきたな、風の坊主」


「坊主と言うな」


「言うわボケ。……よかった。マジで……よかった」


声が震えているのをごまかすように、ジャックは煙草をくわえたが――火をつけないまま、結局ポケットに戻した。


諒介は遠くの花を見ながら、ぽつり。


「塔……鳴き止んだな。βはもう戻ってこない」


辰彦が杖を響かせる。「ノヴァが“正しい器”を選んだんじゃ。闇はもう、あの子の胸から追い出されたんじゃろ」


哲平が安堵の息を吐く。「これで……ようやく眠れそうだ……」


ノヴァは、慧吾をそっと見上げる。


「けいご……ぼく……ここにいても……いい……?」


慧吾はその小さな頭を撫でた。


「当たり前だ。何度でも、何度でも帰ってこい。お前の命は──お前のものだ」


ノヴァの目が、また泣き笑いでゆるむ。


ソムニウムの住人たちが次々と集まってくる。


「ノヴァが帰ったぞ!」「無事だったんだ……!」「慧吾も……ありがとう……!」


街の人々の声が、灯火が、涙が、笑顔が、花の海の上に広がっていく。


その真ん中で、慧吾は気づいた。


胸の奥――光は確かに弱くなっている。命の残り火は覚悟していたほど弱くはない。


そして──孤独ではない。


ノヴァが肩に寄り添い、仲間が囲み、街が光る。


風が慧吾の髪を撫でた。


それは、あの凪の夜に初めて感じた“呼ばれた痛み”とはまったく違っていた。


いま流れている風は――


「まだ、生きていていい」という風だった。


慧吾は小さく息を吐く。


「……帰ろう。……俺たちの家へ」


その言葉に、ノヴァの顔がぱっと明るくなる。


全員が歩き出す。崩れた塔の跡には、柔らかい風と星光が落ちていた。


──その夜、ソムニウムには久しぶりに“風が眠る音”が満ちていた。



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