第5章 花の国が汚される夜(前)
ソムニウムの外縁に広がる花の平野は、本来なら“命を拒まない土地”だった。風が運ぶ種が芽吹き、夜でも光る花々が揺れ、旅人はその光を「帰る道」と呼んだ。
だが――その夜だけは違った。
慧吾が最初に気づいた。
胸の光がひりつき、痛みが骨の隙間を叩くように響いた。外套の内側で、光がかすかに明滅する。
(……来たか)
地面がわずかに震え、花の海がざわりと右へ倒れた。
ジャックもすぐに気づいた。「風が……“押し返して”やがる」
哲平、辰彦、諒介もすでに走り出していた。
ソムニウムからわずか半刻の場所。本来なら絶対に寄ってくるはずがない。
光を嫌う。風を嫌う。だからこそ、この街は守られていた。
なのに――
黒い影が、花の海を押し分けるように迫っていた。
音のない足音。波紋のように地面が歪む。
まるで“呼ばれているように。
リリカが手で口元を覆う。「慧吾……これ……ノヴァの……?」
慧吾は答えなかった。代わりに胸の光が強烈に脈打った。
(……共振している。ノヴァの心臓と、地下の核と、エコーズが……全部繋がっている)
痛みが鋭くなり、膝に力が入らない。それでも――
「通すか……ッ!!」
慧吾は長剣を抜いた。
外套の薄布が裂け、風の刃が跳ね上がる。
ジャックが横に並ぶ。「死に急ぎすんなよ、バカ。背中は見てる」
二人を中心に、小規模な守備隊が半円を描いた。諒介は後方で指示を飛ばし、辰彦は花を踏む黒影を拳で叩き、哲平は石を投げて囮を作る。
花の平野で、静かな戦いが始まった。
ノヴァは眠りについていた。けれど、胸が痛いほど熱くなり、目が覚めた。
(……ひかりが、ないてる……)
ふらふらと家の外へ出る。
街の外が、荒々しい音で溢れていた。
家々は、なにかに怯えるように、窓も戸も固く閉ざされていた。
風の道が揺れている。白い花が吹き飛んでいた。
そして――
ノヴァは見てしまう。
「慧吾……?」
花の海の外で、慧吾の影が揺れていた。
長剣を振り抜くたび、身体が崩れそうになる。息が浅く、肩で呼吸している。
胸の光は荒く、痛みで滲むように震えていた。
「……来るな……!!ここは……絶対に、通さない……ッ!!」
慧吾の声が、ノヴァの胸を貫いた。
エコーズの一体が牙を剥く。ジャックがナイフで斬り伏せる。
「よそ見すんな慧吾!!死ぬぞ!!」「……わかってるッ……!」
血が、花びらに落ちた。
ノヴァはその場で足がすくんだ。
胸の奥が熱い。耳の奥がキーンと鳴る。
(なんで……なんで……)
慧吾は剣を支えられず、一瞬ふらついた。その背をジャックが押しとどめる。
「しっかりしろ!お前が倒れたら街が終わる!!」
ノヴァの喉が震えた。
(……ぼく、の……せい……?)
慧吾の胸の光が激しく乱れた。ノヴァの胸の痛みも、同じように揺れた。
世界が一瞬白く弾けた。
ぼくのせいだ。ぼくの……せいなんだ……ぼくがいるから……慧吾が……こんなに痛いのに……守ってる……!
ノヴァの視界が涙で滲んだ。
(だったら……ぼくが……消えれば……)
その瞬間。
慧吾がこちらを振り返った。
痛みと焦燥で歪んだ顔。でも――ノヴァを見つけた途端、声が変わった。
「ノヴァ……来るな!!」
ノヴァは一歩、後ずさった。
慧吾が、苦しんでる。
ぼくを守るために。ぼくのせいで。
その事実がノヴァの心を決定的に崩した。




