第2章 大地の共鳴
少年は、ノヴァと名乗った。
そして、ノヴァがソムニウムに連れ帰られた夜から、風の道はざわつき続けていた。
生き延びている安堵よりも先に、街全体が「何かが底で目を覚ました」ように緊張していた。
ノヴァは深い眠りにつき、その寝息は静かすぎた。呼吸ごとに胸の(βの核)が淡く灯り、そのリズムは——慧吾の胸の灯りと寸分違わず同期していた。
諒介はその異様さに気づいていた。
「……慧吾、お前、何か隠してるだろ」
「隠してない。ただ……まだ“確信”じゃない」
慧吾の沈黙には、皆が知っている“重さ”が宿っていた。胸に残る魔の残滓。βの核。そして——戦場で渡した命。
誰も口にはしない。けれど、誰も忘れていなかった。
その夜。
ノヴァは眠っているはずの部屋で、小さく呻いた。
「……やだ……いやだ……」
リリカが飛び起きると、部屋の隅には、ずっと見守っていた慧吾が座っていた。
「また……呼ばれているの?」
慧吾は言葉を探すように頷いた。
「……街の“下”が動いてる。 そこに……ノヴァの光が触れている」
リリカの手が震える。
その瞬間——
──ドオンッ!!
大地が、唸るように揺れた。
棚が鳴り、埃が落ち、外で犬が吠えた。
リリカが叫ぶ。「なにこれ……地震じゃ……?」
慧吾は小さく首を振る。
「違う。これはソムニウムの“心臓”だ」
その時だった。
ノヴァが跳ね起きた。
「やだっ!! こわい声するっ!! 壊せって……戻れって……! やだぁ!!」
泣き叫ぶ声が空気を裂く。慧吾の胸の光が、ノヴァのそれと同じ速さで暴走し始めた。
「くっ……!」
慧吾の顔が苦痛に歪む。
「ノヴァ!!」
同時にリリカが叫ぶ。ノヴァは床に崩れ落ち、耳を塞ぎながら叫び続ける。
「やだよぉ……!ききたくない……!!」
慧吾は痛みに息をつきながらも、迷わず抱きしめた。壊さないように、でも離さないように。
かつて、彼が欲しかった抱擁そのものだった。
慧吾の声は震えていた。だが、誰も聞いたことがないほど、柔らかかった。
「ノヴァ……大丈夫だ…」
「ひっ……こわいよ……」
「壊さなくていい。そんな声は聞くな」
慧吾の胸の光が、ゆっくりと沈静していく。ノヴァの光と繋がり、ふたつの呼吸が同じ深さに落ちていく。
慧吾はノヴァの髪に手を置いた。
「昔の俺は……誰にも救われなかった。 だから一人で……闇を歩いた」
ノヴァの涙が慧吾の外套に染みていく。
「……ひっ……く……」
「でも、お前は違う。 今は、俺がいる」
慧吾の腕は震えていた。それでも抱く力を弱めなかった。
「怖いなら呼べ。泣くなら……ここで泣け。 お前はもう、ひとりじゃない」
ノヴァは慧吾の胸に顔を埋めて、ずっと、ずっと押し殺してきた涙を流した。
大地の揺れも、慧吾の胸の痛みも、ノヴァの脈動も——ゆっくりと落ち着いていく。
リリカが震えながら呟く。
「……あの子、やっと泣けた……」
駆けつけていたジャックは、腕を組んでため息をついた。
「ガキってのは怖ぇよ。 大人より傷つくし、大人より……まっすぐだ」
慧吾はノヴァを抱いたまま目を閉じた。
「……ああ」
嵐の前触れは、この夜から始まった。
「おい! 揺れは一度じゃ済まん! 物資急げ!」
辰彦の怒号が広場に響く。
哲平は走りながら叫ぶ。
「屋根のひび割れ十軒! ノヴァの部屋のガラス歪んでる!」
街には、地震では説明のつかない“恐怖”が漂っていた。
辰彦は風を読み、静かに言う。
「……これは“災い”じゃない。 “変化”じゃ」
誰も反論できなかった。風が確かに、何か新しいものの匂いを運んでいたから。
ノヴァは慧吾の外套に包まれたまま眠っていた。顔にはまだ涙の跡が残っている。
慧吾は壁にもたれ、胸の奥の痛みと余韻を押し殺していた。
ジャックが外の気配を見ながら言う。
「昨夜の揺れ……ただの地震じゃねぇ」
慧吾は静かに答えた。
「……地下の“心臓”だ。 βが暴れた夜にも……あれは脈打っていた」
リリカの顔が青ざめる。
「慧吾……それって、ノヴァと関係あるの?」
慧吾は目を伏せる。
「……おそらく」
その時、ジャックの表情が固まった。
「……思い出した。 戦場で、お前が子どもに命を渡した時……」
慧吾が顔を上げる。
「……見ていたのか」
ジャックは苦い顔で続ける。
「白い影と黒い影が……同じ場所に吸い込まれた」
リリカは息を飲む。
慧吾は胸に手を当てた。
「……ノヴァの中で混ざったんだ。 俺の光も……βの核も、そして、【魔】も」
部屋が静まり返る。
その時、ノヴァがむくりと起きた。
「……ひかり、ねむってる」
リリカが駆け寄った。
「怖くない?」
ノヴァは小さく首を振る。
「きょうは……こわくない」
慧吾は、ほんの一瞬だけ安堵の色を見せた。
ノヴァが慧吾を見て微笑む。
「……だっこ、してくれたね」
慧吾は少しだけ目をそらす。
「……ああ」
「ありがとう、あったかかった」
その瞬間——慧吾の胸の光が強く明滅し、心臓の奥がひどく痛んだ。
まるで未来を暗示するように。




