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透明の心臓  作者: 水瀬 悠里
Ⅳ 優しき虚
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第2章 大地の共鳴

少年は、ノヴァと名乗った。

そして、ノヴァがソムニウムに連れ帰られた夜から、風の道はざわつき続けていた。


生き延びている安堵よりも先に、街全体が「何かが底で目を覚ました」ように緊張していた。


ノヴァは深い眠りにつき、その寝息は静かすぎた。呼吸ごとに胸の(βの核)が淡く灯り、そのリズムは——慧吾の胸の灯りと寸分違わず同期していた。


諒介はその異様さに気づいていた。


「……慧吾、お前、何か隠してるだろ」


「隠してない。ただ……まだ“確信”じゃない」


慧吾の沈黙には、皆が知っている“重さ”が宿っていた。胸に残る魔の残滓。βの核。そして——戦場で渡した命。


誰も口にはしない。けれど、誰も忘れていなかった。


その夜。


ノヴァは眠っているはずの部屋で、小さく呻いた。


「……やだ……いやだ……」


リリカが飛び起きると、部屋の隅には、ずっと見守っていた慧吾が座っていた。


「また……呼ばれているの?」


慧吾は言葉を探すように頷いた。


「……街の“下”が動いてる。 そこに……ノヴァの光が触れている」


リリカの手が震える。


その瞬間——


──ドオンッ!!


大地が、唸るように揺れた。


棚が鳴り、埃が落ち、外で犬が吠えた。


リリカが叫ぶ。「なにこれ……地震じゃ……?」


慧吾は小さく首を振る。


「違う。これはソムニウムの“心臓”だ」


その時だった。


ノヴァが跳ね起きた。


「やだっ!! こわい声するっ!! 壊せって……戻れって……! やだぁ!!」


泣き叫ぶ声が空気を裂く。慧吾の胸の光が、ノヴァのそれと同じ速さで暴走し始めた。


「くっ……!」


慧吾の顔が苦痛に歪む。


「ノヴァ!!」


同時にリリカが叫ぶ。ノヴァは床に崩れ落ち、耳を塞ぎながら叫び続ける。


「やだよぉ……!ききたくない……!!」


慧吾は痛みに息をつきながらも、迷わず抱きしめた。壊さないように、でも離さないように。


かつて、彼が欲しかった抱擁そのものだった。


慧吾の声は震えていた。だが、誰も聞いたことがないほど、柔らかかった。


「ノヴァ……大丈夫だ…」


「ひっ……こわいよ……」


「壊さなくていい。そんな声は聞くな」


慧吾の胸の光が、ゆっくりと沈静していく。ノヴァの光と繋がり、ふたつの呼吸が同じ深さに落ちていく。


慧吾はノヴァの髪に手を置いた。


「昔の俺は……誰にも救われなかった。 だから一人で……闇を歩いた」


ノヴァの涙が慧吾の外套に染みていく。


「……ひっ……く……」


「でも、お前は違う。 今は、俺がいる」


慧吾の腕は震えていた。それでも抱く力を弱めなかった。


「怖いなら呼べ。泣くなら……ここで泣け。 お前はもう、ひとりじゃない」


ノヴァは慧吾の胸に顔を埋めて、ずっと、ずっと押し殺してきた涙を流した。


大地の揺れも、慧吾の胸の痛みも、ノヴァの脈動も——ゆっくりと落ち着いていく。


リリカが震えながら呟く。


「……あの子、やっと泣けた……」


駆けつけていたジャックは、腕を組んでため息をついた。


「ガキってのは怖ぇよ。 大人より傷つくし、大人より……まっすぐだ」


慧吾はノヴァを抱いたまま目を閉じた。


「……ああ」


嵐の前触れは、この夜から始まった。


「おい! 揺れは一度じゃ済まん! 物資急げ!」


辰彦の怒号が広場に響く。


哲平は走りながら叫ぶ。


「屋根のひび割れ十軒! ノヴァの部屋のガラス歪んでる!」


街には、地震では説明のつかない“恐怖”が漂っていた。


辰彦は風を読み、静かに言う。


「……これは“災い”じゃない。 “変化”じゃ」


誰も反論できなかった。風が確かに、何か新しいものの匂いを運んでいたから。


ノヴァは慧吾の外套に包まれたまま眠っていた。顔にはまだ涙の跡が残っている。


慧吾は壁にもたれ、胸の奥の痛みと余韻を押し殺していた。


ジャックが外の気配を見ながら言う。


「昨夜の揺れ……ただの地震じゃねぇ」


慧吾は静かに答えた。


「……地下の“心臓”だ。 βが暴れた夜にも……あれは脈打っていた」


リリカの顔が青ざめる。


「慧吾……それって、ノヴァと関係あるの?」


慧吾は目を伏せる。


「……おそらく」


その時、ジャックの表情が固まった。


「……思い出した。 戦場で、お前が子どもに命を渡した時……」


慧吾が顔を上げる。


「……見ていたのか」


ジャックは苦い顔で続ける。


「白い影と黒い影が……同じ場所に吸い込まれた」


リリカは息を飲む。


慧吾は胸に手を当てた。


「……ノヴァの中で混ざったんだ。 俺の光も……βの核も、そして、【魔】も」


部屋が静まり返る。


その時、ノヴァがむくりと起きた。


「……ひかり、ねむってる」


リリカが駆け寄った。


「怖くない?」


ノヴァは小さく首を振る。


「きょうは……こわくない」


慧吾は、ほんの一瞬だけ安堵の色を見せた。


ノヴァが慧吾を見て微笑む。


「……だっこ、してくれたね」


慧吾は少しだけ目をそらす。


「……ああ」


「ありがとう、あったかかった」


その瞬間——慧吾の胸の光が強く明滅し、心臓の奥がひどく痛んだ。


まるで未来を暗示するように。

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