第7章 灰の臨界
夜が落ちた。
崩れた街の片隅で、ふたりは焚き火を囲んでいた。風は穏やかに吹き、灰がゆっくりと降り注ぐ。
湿った木がはぜるたび、赤い火の粉が宙を舞った。
ジャックは煙草に火をつけ、煙を風に流した。
「……さっきの“あれ”、止められたのか?」
慧吾は答えず、焚き火の中の枝を折った。パチ、と乾いた音が闇を裂く。
「止まったんだろ、“あの光”」
ジャックは静かに言う。
慧吾は、小さく息を吐いた。
「……俺じゃない」
「じゃあ誰だ」
慧吾は炎を見つめたまま、わずかに目を伏せた。
「……風が、止めた」
ジャックの眉が動く。
「風、ねぇ……リリカか」
答えは返らない。ただ、慧吾の瞳の奥で一瞬やわらかい光が揺れた。それで十分だった。
沈黙。灰が雪のように降り続ける。
ジャックはふいに口を開いた。
「なぁ、慧吾。お前……いつ食ってんだ?」
慧吾がわずかに顔を上げる。ジャックは煙をくゆらせながら続けた。
「ずっと思ってんだよ。
戦いのあとも休憩のときも……
お前が“飯食ってるとこ”、一度も見たことがねぇ」
慧吾はほんの一瞬、表情を止めた。
「……訓練されてきた」
「だろうな」
ジャックの声はぶっきらぼうだが、優しかった。
「戦い方も、生き方も、喰うことすら……
“要らねぇもん”全部削られてきたってぇ顔だ」
慧吾は焚き火に視線を戻し、ぽつりと言った。
「……食事は“必要ではなかった”。
空腹も、眠りも、感情も……“任務の障害”だった」
ジャックは煙草を地面に押しつけた。
「……そりゃ、喰わなくなるわけだ」
慧吾は少しだけ目を細める。
「……だが、お前たちと旅をして……
少しずつ思い出してきた。
食事の味も、風の匂いも……
“生きている感覚”も」
ジャックは火を見つめながら、短く笑った。
「そうかよ。 ならそれでいい。
……お前の“生きてる音”、ちゃんと増えてる」
慧吾は答えない。だが焚き火の赤が照らすその横顔は、以前よりずっと“人”だった。
風がふたりの外套を撫でていく。
そのときだった。
地の果てで、灰色の煙が立ちのぼった。風が止まり、空が唸る。焚き火の炎が青く揺らめく。
遅れて、爆発音が闇を揺らした。
慧吾の胸の奥の光が、ひときわ大きく脈打つ。
「……今の、見えたか」
「見えた。だが──行く気か」
慧吾は立ち上がった。外套が風を切り裂く。
「まだ、間に合う」
「間に合わねぇ!」
ジャックが立ち上がる。
「待て慧吾!
いまの身体じゃ──!」
火が、消えた。
風が、吠えた。
慧吾の影が夜を裂いて走り出す。灰が弾け、地を這う音が追いかける。
ジャックは拳を握りしめ、吐き捨てるように言った。
「……バカ野郎。
お前が倒れたら、誰があの光を守る」
そして彼もまた走り出す。風はふたりの後を追い、灰の夜を切り裂いた。




