第6章 灰の道
灰の道を、二人は歩いていた。
風は止み、音が消えた。ただ靴底が砕けたガラスを踏む音だけが、長い廃墟の回廊にこだまする。
慧吾は歩を乱さなかった。けれど、その肩が一度、かすかに揺れる。
ジャックが横目で見た。
「……歩けるか」
「問題ない」
声は平坦だった。だが、その掌は震えていた。
手袋の下で、光がかすかに滲み――淡い青と、血のような黒が、ひとつの脈に混じり始めていた。
(……βが、反応してやがる)
ジャックは心の中で舌打ちした。
腰の荷袋に括りつけた結晶が、微かな光を漏らす。それは光でも影でもなく、生き物が“呼吸”するように、ふくらんでは縮む。
「……熱いな、こいつ……」
ジャックが思わず袋に触れると、中のβが“ぴくり”と動いた。
布越しに伝わるその振動は、心臓の拍動よりも不規則で、まるで死んだ何かが蘇ろうとするような、嫌な鼓動だった。
同じリズムで――慧吾の胸も脈打つ。
風が吹かないのに、灰が舞った。空気そのものが歪んでいる。
慧吾が足を止める。
「……見えるか」
「見えるもなにも……これは、いやな“寄り方”だぜ」
ジャックが銃を構えた。
慧吾の視線の先――崩れたビルの屋上に、黒い影がひとつ。
形を変えながら、こちらを見下ろしている。
その影の周囲に、まるで糸に引かれるように、エコーズが集まっていた。
一体、二体……徐々に、灰の中から湧き出るように増えていく。
「……おい、慧吾。
こいつら、“βに寄ってきて”やがるぞ」
慧吾の胸の痛みが一瞬だけ強くなった。膝がわずかに折れる。
「おい!」
ジャックが手を伸ばす。
「……近寄るな」
短く、それだけ。怒気も弱さもなく、ただ──自分の中の何かを必死に押しとどめている声。
ジャックは一瞬、足を止めた。慧吾の外套が揺れ、光と影が脈打つ。
掌の下で“何か”が暴れている──それを必死に押さえつけている。
「……そういう時だけ、素直なんだよな」
ジャックは小さく笑い、慧吾の横に並んだ。
銃を構え、影とエコーズを射抜くように視線を向ける。
「わかってるさ。
“近寄るな”の裏には、
“ここにいろ”って願いがあるのはな」
慧吾の唇がかすかに動く。
「……お前は、うるさい」
「お前が黙りすぎなんだよ」
慧吾の額に汗がにじむ。息が浅い。だが、その瞳だけはまっすぐに影を見据えていた。
胸の奥から、闇が血のように溢れかける。
「こいつは……俺の中にいる」
ジャックは目を細めた。
「……まさか、βが“呼んで”やがるのか」
慧吾の口元がわずかに歪んだ。
「面倒なものを、拾ったな」
「拾ったのは誰だと思ってんだ、バカ」
ジャックが荷袋を叩く。中で、βが“ドクン”と脈動した。
反応している。慧吾に。
「いいか、慧吾。
お前が倒れたら──俺が引きずってでも戻す」
慧吾は短く息を吐いた。
「……好きにしろ」
その瞬間、空の上で稲妻のような閃光が走った。
灰の雲が裂ける。黒い影が形を変えながら降りてくる。それに呼応するように、周囲のエコーズが荒れ狂った。
慧吾の胸が脈打つ。闇が血管に逆流するように。
「……来るぞ」
「言われなくても分かってる!」
風が再び生まれた。音が戻った。
そして、二人の影が灰の中へ跳ねた。




