幕間3:鉄の決断
エリザベートを乗せた護送車のテールランプが、雨の闇に飲まれて消えた。
後に残されたのは、泥にまみれた俺たちと、絶望的な静寂だけだった。
数百人の男たちが、身動き一つせず立ち尽くしている。
誰もが理解していた。ボスがいなくなった今、この現場は終わりだ。明日には軍によって完全に解体されるか、俺たち全員が収容所送りになるかだ、と。
「……クソッ」
俺は足元の泥を蹴り上げた。
無力だ。
「死なせねえ」と誓った舌の根も乾かぬうちに、みすみす連れ去られるのを見ていることしかできなかった。
あの時、あいつは俺に言った。『現場を頼んだわよ』と。
あいつは諦めていなかった。
自分の命が風前の灯火だというのに、まだこの場所を、俺たちの夢を守ろうとしていた。
――なら、俺が膝をついている場合か?
俺は顔を上げた。
雨が頬を打ち叩く。その冷たさが、沸騰しそうな頭を冷やし、思考を研ぎ澄ませていく。
助け出す。絶対にだ。
だが、どうやって?
正面から軍隊に喧嘩を売っても勝てない。俺たちは丸腰の技術屋だ。
技術屋なら、技術屋らしく戦うしかない。
俺の視線が、泥の中に落ちていた白い布切れに向いた。
エリザベートが落としていったハンカチだ。
俺はそれを拾い上げ、泥を払った。微かに残る香水の匂いと、あいつの気高い「悪女」としての矜持を感じた。
……そうだ。あいつなら、きっとこう言うはずだ。
『泣いている暇があったら手を動かしなさい』と。
俺の中で、狂った計算式が組み上がる。
ここにある資材。軍の監視。そして、将軍の欲望。
それら全てを利用して、あいつを取り戻すための「道」を作る。
俺はハンカチをポケットにねじ込み、執務室へと引き返した。
まだそこにいるはずの、ゲルハルト将軍の元へ。
***
執務室のドアを開けると、将軍は勝利の美酒に酔いしれていた。
俺が入ってきても、彼は興味なさそうにグラスを揺らすだけだった。
「なんだ、技師殿。貴様も牢屋に行きたいのか?」
「……提案がある」
俺は努めて冷静な声を出し、彼の前の椅子に座った。
「提案だと?」
「あんたの望みは『重列車砲』を通すことだろう? エリザベートがいなくなった今、現場を動かせるのは俺だけだ」
俺は将軍の目を真っ直ぐに見据えた。
「俺に現場を任せろ。……期限までに、重列車砲が通れる橋を完成させてやる」
将軍は鼻で笑った。
「何を言い出すかと思えば。……貴様、先日までは『人殺しの道具は通さない』と喚いていたではないか。命惜しさに寝返ったか?」
「ああ、惜しいね。俺だって死にたかねえ」
俺は心にもない嘘を吐いた。
プライドなど、ドブに捨ててやる。
「だが、条件がある。……今すぐ『実地試験』を行わせてくれ」
「実地試験?」
「机上の計算だけじゃ不安だ。実際に数百トンの荷重をかけて、地盤が沈下しないか、レールが歪まないかを確認する必要がある」
俺はもっともらしい嘘を並べ立てた。
「そのためには、今すぐ橋の上にレールを敷き、ウェイト(重り)を積んだ機関車を走らせる必要がある。……軍の資材庫を開放してくれ。鉄板も、レールも、ありったけ必要だ」
将軍は疑わしげな目を向けたが、技術的なことなど何もわからない素人だ。「重列車砲のため」という言葉は、奴にとって魔法の呪文のようなものだ。
「……ふん。いいだろう。失敗したら貴様の首も飛ぶと思え」
「構わんよ。……やってやるさ」
許可は取った。
俺は一礼して部屋を出た。
廊下に出た瞬間、俺の顔から卑屈な笑みが消え、獣のような笑みが浮かんだ。
馬鹿な奴だ。
俺が作るのは「重列車砲の道」なんかじゃねえ。
俺たちがここから脱出し、世界へ飛び出すための「滑走路」だ。
***
現場に戻ると、作業員たちはまだ雨の中で立ち尽くしていた。
俺は彼らの中心に立ち、声を張り上げた。
「おい、野郎ども!! 面を上げろ!!」
俺の怒号に、彼らがビクリと顔を上げる。
「葬式ごっこは終わりだ。……仕事に戻るぞ」
「仕事……? 主任、正気ですか?」
ハンズが泣きそうな顔で言った。
「ボスが捕まったんですよ!? こんな状況で、誰のために橋を作るって言うんですか! 帝国の軍隊のためですか!」
「違う!!」
俺は叫んだ。
「ボスのためだ」
俺は周囲を見渡し、声を潜めた。近くに監視兵がいないことを確認して。
「いいか、よく聞け。……今から橋にレールを敷く。機関車も整備する。
だが、それは将軍のためじゃねえ。
俺たちがエリザベートを奪還し、そのままこの地獄から脱出するための『逃走経路』を作るんだ」
全員の目が点になった。
そして次の瞬間、ガストンの目にギラリとした光が戻った。
「……マジかよ。軍の鼻先で、脱出の準備をするってのか?」
「そうだ。将軍には『強度試験のため』と嘘をついた。奴の許可付きだ。堂々と作業ができる」
俺はニヤリと笑った。
「ガストン、お前の班は格納庫だ。『夜明け号』を叩き起こせ。
『試験用のウェイト』と称して、分厚い鉄板を溶接しろ。銃弾を弾き返す最強の装甲車に仕立て上げるんだ」
「ハンズ、お前たちはレールだ。
『とりあえず通れればいい』なんて手抜きは許さねえぞ。最高速度で突っ込んでもビクともしない、完璧な軌道を作れ」
俺は全員の顔を見た。
「期限は……エリザベートの処刑が決まるまでだ。おそらく数日しかねえ。
死ぬ気でやれ。
ボルト一本の緩みが、ボスの命取りになると思え」
静寂。
雨音だけが響く。
やがて、ハンズが泥だらけの手で顔を拭い、工具を握り直した。
「……やってやりますよ。ボスのためなら、エンマ大王だって騙してみせます」
「へっ、違いねえ。……面白くなってきやがった」
ガストンがニッと笑い、仲間たちに合図を送る。
男たちの目に、再び炎が灯る。
絶望の炎ではない。反逆の炎だ。
「総員、配置につけ!
軍の監視兵に気づかれるなよ! 『真面目に命令に従っているフリ』をしろ!
その裏で、牙を研ぐんだ!」
「おおおおおっ!!」
鬨の声は上げない。
だが、男たちの熱気は、冷たい雨を蒸発させるほどだった。
俺は一人、設計室へと向かった。
書かなければならない図面が山ほどある。
レールの強度計算、機関車の装甲配置、そして……強行突破のシミュレーション。
待ってろ、エリザベート。
お前が命がけで守ったこの現場が、今度はお前を救う番だ。
最高の「乗り物」と「道」を用意して、迎えに行ってやる。
俺は図面にペンを走らせた。
その線の一本一本が、将軍への「死刑宣告」になると信じて。




