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鉄の線路は国境を越えて ~売国奴と蔑まれた令嬢は、敵国の天才技師と未来への架け橋を築く~  作者: ぱるめりあ
第3章:嵐の前夜

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第28話:引き裂かれた夜

 ガタン、ゴトン。

 不快な振動と共に、鉄の箱が揺れる。


 私は手錠をかけられたまま、冷たいベンチシートに座っていた。

 護送車の中は暗い。小さな小窓から差し込む月明かりだけが、私の汚れたドレスと、前の席で見張りをしている憲兵の銃身を照らしている。


 頭がぼんやりとする。

 あまりにも急激な展開に、感情が追いついていないのかもしれない。

 さっきまで、私は現場のボスだった。

 クロードと未来を語り、作業員たちと笑い合っていた。

 それが今は、国家反逆罪の汚名を着せられた囚人だ。


「……っ」


 車が大きく揺れ、手錠が手首に食い込む。

 痛みで意識が引き戻されると同時に、先ほどの光景が鮮烈にフラッシュバックした。


 執務室から引きずり出された瞬間。

 将軍の嘲笑。

 そして、クロードの顔。


 彼は押さえつけられながら、必死に私を見ていた。

 その瞳は燃えるように熱く、そしてどこまでも真っ直ぐだった。

 ドアが閉まる直前。

 彼が何かを叫んだのが見えた。

 分厚い扉に遮られ、声は届かなかった。


 でも、私には聞こえた気がした。

 スローモーションのように、彼の唇の動きが脳裏に焼き付いている。


 『ま、つ、て、ろ』

 『か、な、ら、ず、た、す、け、る』


 ――必ず助ける。


 幻聴かもしれない。

 私の願望が見せた幻かもしれない。

 けれど、あの不器用で、約束を絶対に守る男なら、きっとそう言ったはずだ。


「……馬鹿ね」


 私は膝の上で拳を握りしめた。

 無茶だ。軍の施設に幽閉された人間を助け出すなんて、一個人にできることじゃない。

 もし失敗すれば、彼もまた反逆罪で処刑される。

 だから、忘れてほしい。私のことなんて見捨てて、逃げてほしい。


 そう願う理性の裏側で、心が叫んでいた。

 嬉しい、と。

 世界中が私を敵と見なしても、彼だけは私を諦めないでいてくれる。その事実だけで、この暗闇の中で正気を保っていられる気がした。


 ***


 車が減速した。

 窓の外を見ると、巨大な影が見えた。

 現場のゲートだ。

 私たちが守り、育ててきた「城」の入り口。


「……あ」


 私は鉄格子に顔を押し付けた。

 ゲートの周りに、無数の人影があった。


 作業員たちだ。

 ハンズがいる。ガストンがいる。

 昼間のシフトの者も、夜勤の者も、帝国の人間も共和国の人間も。

 数百人の男たちが、雨に濡れながら、ゲートの両脇に整列していた。


 暴動を起こそうとしているのではない。

 彼らはただ、無言で立ち尽くしていた。

 手にはハンマーも工具も持っていない。ただ帽子を脱ぎ、胸に当てている。


 沈黙の敬礼。


 彼らはわかっているのだ。

 今ここで騒ぎを起こせば、軍に発砲の口実を与え、私への罪状を増やすことになると。

 だから、彼らは耐えている。

 怒りと悔しさを奥歯で噛み殺し、彼らなりの最大限の敬意を持って、ボスを見送ろうとしているのだ。


「……みんな」


 ハンズが泣いているのが見えた。

 ガストンが、鬼のような形相で涙を堪えているのが見えた。

 そして、その列の先頭に、クロードの姿があった。


 彼は殴られたのか、口の端を切っていた。

 でも、その立ち姿は凛としていた。

 護送車が彼の前を通過する一瞬。

 彼は右手をゆっくりと上げ、拳を握りしめ――そして、自分の胸をトン、と叩いた。


 『任せろ』


 そう言っているようだった。

 現場は俺が守る。お前の帰る場所は、ここにある。

 だから、死ぬな。


 涙が溢れ出した。

 止めようとしても止まらなかった。

 私は鉄格子越しに、彼らに向かって深く頭を下げた。

 ありがとう。

 ごめんなさい。

 そして、必ず戻るから。


 護送車はスピードを上げ、ゲートを通過した。

 遠ざかる現場の灯り。

 雨に煙る巨大な橋脚が、まるで見守る巨人のように見えた。


 あれが私の全て。

 私の誇り、私の愛、私の生きた証。

 絶対に、諦めたりしない。


 私は涙を拭い、前を向いた。

 向かう先は地獄かもしれないけれど、背中には最強の味方がついている。

 それなら、私は悪女として、地獄の釜の蓋が開くまで笑って立っていよう。


 ***


 連れて行かれたのは、グレンデルの街外れにある古い石造りの塔だった。

 かつては要塞の一部だったのだろうか。今は臨時の軍事刑務所として使われているらしい。


 石の階段を登ると、独房へと突き飛ばされる。


「入れ」


 看守が鍵を開け、私を押し込んだ。

 ガチャン!

 重い鉄の扉が閉まり、鍵がかけられる音が、私の自由の終わりを告げた。


 部屋は狭かった。

 カビ臭い空気。

 家具は硬い寝台と、粗末な木の机、そしてバケツが一つだけ。

 明かり取りの高窓には、太い鉄格子が嵌められている。


「……最悪の宿ね」


 私は埃っぽいベッドに腰を下ろした。

 着任初日に案内された廃倉庫の宿舎もひどかったが、ここはそれ以下だ。

 ドレスの裾が床の汚れを吸っていく。

 かつての私なら、これだけで発狂していたかもしれない。


 でも、今は不思議と落ち着いていた。

 背中の傷が痛むけれど、心は冷たく澄んでいる。


 これからどうなる?

 おそらく、簡単な尋問の後、軍法会議にかけられる。

 弁護士などつかないだろう。判決は最初から決まっている。「死刑」だ。

 早ければ数日後には、処刑台に立たされるかもしれない。


「……上等じゃない」


 私は独り言を呟いた。

 殺すなら殺せばいい。でも、ただでは死なない。

 私は思考を巡らせ始めた。


 この塔の構造。

 看守の巡回パターン。

 差し入れられる食事の内容。

 外部との連絡手段。


 諦めるには早すぎる。

 クロードは「助ける」と言った。なら、私は「助けられる準備」をしておかなければならない。

 彼が手を差し伸べてくれた時、その手を掴むだけの体力を残しておかなければ。


 カチャリ。

 扉の下にある小窓が開き、トレイが差し入れられた。

 夕食だ。

 硬くなった黒パンと、具のないスープ。

 かつて現場で見た、あの餌のような食事だ。


 私はそれを見て、一瞬顔をしかめたが、すぐに手を伸ばした。

 パンを手に取り、スープに浸して口に運ぶ。

 味気ない。冷たい。砂の味がする。


「……まずい」


 でも、私はそれを残さず食べた。

 パン屑一つ残さず、スープも飲み干した。

 栄養を摂らなければ、思考が鈍る。体力が落ちる。

 それは死に直結する。


 食べ終えて、私は空になった皿を睨みつけた。


「覚えていなさいよ、ゲルハルト……」


 低く、地を這うような声が出た。


「ここから出たら、貴方に最高のフルコースを振る舞ってあげるわ。……絶望と破滅のフルコースをね」


 私はベッドに横になった。

 硬いマットレスが背中の傷に触るが、構わない。

 この痛みは、私が生きている証拠であり、復讐の誓いだ。


 目を閉じると、瞼の裏にクロードの顔が浮かぶ。

 彼の不器用な笑顔。

 温かい手。

 そして、あの口パク。


 『かならず、たすける』


 その言葉を呪文のように心の中で唱えながら、私は意識を手放した。

 明日からは、生き残るための戦いだ。

 泣いている暇などない。

 私はエリザベート・フォン・アルニム。

 この国の未来を買いに来た、誇り高き悪女なのだから。

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