第28話:引き裂かれた夜
ガタン、ゴトン。
不快な振動と共に、鉄の箱が揺れる。
私は手錠をかけられたまま、冷たいベンチシートに座っていた。
護送車の中は暗い。小さな小窓から差し込む月明かりだけが、私の汚れたドレスと、前の席で見張りをしている憲兵の銃身を照らしている。
頭がぼんやりとする。
あまりにも急激な展開に、感情が追いついていないのかもしれない。
さっきまで、私は現場のボスだった。
クロードと未来を語り、作業員たちと笑い合っていた。
それが今は、国家反逆罪の汚名を着せられた囚人だ。
「……っ」
車が大きく揺れ、手錠が手首に食い込む。
痛みで意識が引き戻されると同時に、先ほどの光景が鮮烈にフラッシュバックした。
執務室から引きずり出された瞬間。
将軍の嘲笑。
そして、クロードの顔。
彼は押さえつけられながら、必死に私を見ていた。
その瞳は燃えるように熱く、そしてどこまでも真っ直ぐだった。
ドアが閉まる直前。
彼が何かを叫んだのが見えた。
分厚い扉に遮られ、声は届かなかった。
でも、私には聞こえた気がした。
スローモーションのように、彼の唇の動きが脳裏に焼き付いている。
『ま、つ、て、ろ』
『か、な、ら、ず、た、す、け、る』
――必ず助ける。
幻聴かもしれない。
私の願望が見せた幻かもしれない。
けれど、あの不器用で、約束を絶対に守る男なら、きっとそう言ったはずだ。
「……馬鹿ね」
私は膝の上で拳を握りしめた。
無茶だ。軍の施設に幽閉された人間を助け出すなんて、一個人にできることじゃない。
もし失敗すれば、彼もまた反逆罪で処刑される。
だから、忘れてほしい。私のことなんて見捨てて、逃げてほしい。
そう願う理性の裏側で、心が叫んでいた。
嬉しい、と。
世界中が私を敵と見なしても、彼だけは私を諦めないでいてくれる。その事実だけで、この暗闇の中で正気を保っていられる気がした。
***
車が減速した。
窓の外を見ると、巨大な影が見えた。
現場のゲートだ。
私たちが守り、育ててきた「城」の入り口。
「……あ」
私は鉄格子に顔を押し付けた。
ゲートの周りに、無数の人影があった。
作業員たちだ。
ハンズがいる。ガストンがいる。
昼間のシフトの者も、夜勤の者も、帝国の人間も共和国の人間も。
数百人の男たちが、雨に濡れながら、ゲートの両脇に整列していた。
暴動を起こそうとしているのではない。
彼らはただ、無言で立ち尽くしていた。
手にはハンマーも工具も持っていない。ただ帽子を脱ぎ、胸に当てている。
沈黙の敬礼。
彼らはわかっているのだ。
今ここで騒ぎを起こせば、軍に発砲の口実を与え、私への罪状を増やすことになると。
だから、彼らは耐えている。
怒りと悔しさを奥歯で噛み殺し、彼らなりの最大限の敬意を持って、ボスを見送ろうとしているのだ。
「……みんな」
ハンズが泣いているのが見えた。
ガストンが、鬼のような形相で涙を堪えているのが見えた。
そして、その列の先頭に、クロードの姿があった。
彼は殴られたのか、口の端を切っていた。
でも、その立ち姿は凛としていた。
護送車が彼の前を通過する一瞬。
彼は右手をゆっくりと上げ、拳を握りしめ――そして、自分の胸をトン、と叩いた。
『任せろ』
そう言っているようだった。
現場は俺が守る。お前の帰る場所は、ここにある。
だから、死ぬな。
涙が溢れ出した。
止めようとしても止まらなかった。
私は鉄格子越しに、彼らに向かって深く頭を下げた。
ありがとう。
ごめんなさい。
そして、必ず戻るから。
護送車はスピードを上げ、ゲートを通過した。
遠ざかる現場の灯り。
雨に煙る巨大な橋脚が、まるで見守る巨人のように見えた。
あれが私の全て。
私の誇り、私の愛、私の生きた証。
絶対に、諦めたりしない。
私は涙を拭い、前を向いた。
向かう先は地獄かもしれないけれど、背中には最強の味方がついている。
それなら、私は悪女として、地獄の釜の蓋が開くまで笑って立っていよう。
***
連れて行かれたのは、グレンデルの街外れにある古い石造りの塔だった。
かつては要塞の一部だったのだろうか。今は臨時の軍事刑務所として使われているらしい。
石の階段を登ると、独房へと突き飛ばされる。
「入れ」
看守が鍵を開け、私を押し込んだ。
ガチャン!
重い鉄の扉が閉まり、鍵がかけられる音が、私の自由の終わりを告げた。
部屋は狭かった。
カビ臭い空気。
家具は硬い寝台と、粗末な木の机、そしてバケツが一つだけ。
明かり取りの高窓には、太い鉄格子が嵌められている。
「……最悪の宿ね」
私は埃っぽいベッドに腰を下ろした。
着任初日に案内された廃倉庫の宿舎もひどかったが、ここはそれ以下だ。
ドレスの裾が床の汚れを吸っていく。
かつての私なら、これだけで発狂していたかもしれない。
でも、今は不思議と落ち着いていた。
背中の傷が痛むけれど、心は冷たく澄んでいる。
これからどうなる?
おそらく、簡単な尋問の後、軍法会議にかけられる。
弁護士などつかないだろう。判決は最初から決まっている。「死刑」だ。
早ければ数日後には、処刑台に立たされるかもしれない。
「……上等じゃない」
私は独り言を呟いた。
殺すなら殺せばいい。でも、ただでは死なない。
私は思考を巡らせ始めた。
この塔の構造。
看守の巡回パターン。
差し入れられる食事の内容。
外部との連絡手段。
諦めるには早すぎる。
クロードは「助ける」と言った。なら、私は「助けられる準備」をしておかなければならない。
彼が手を差し伸べてくれた時、その手を掴むだけの体力を残しておかなければ。
カチャリ。
扉の下にある小窓が開き、トレイが差し入れられた。
夕食だ。
硬くなった黒パンと、具のないスープ。
かつて現場で見た、あの餌のような食事だ。
私はそれを見て、一瞬顔をしかめたが、すぐに手を伸ばした。
パンを手に取り、スープに浸して口に運ぶ。
味気ない。冷たい。砂の味がする。
「……まずい」
でも、私はそれを残さず食べた。
パン屑一つ残さず、スープも飲み干した。
栄養を摂らなければ、思考が鈍る。体力が落ちる。
それは死に直結する。
食べ終えて、私は空になった皿を睨みつけた。
「覚えていなさいよ、ゲルハルト……」
低く、地を這うような声が出た。
「ここから出たら、貴方に最高のフルコースを振る舞ってあげるわ。……絶望と破滅のフルコースをね」
私はベッドに横になった。
硬いマットレスが背中の傷に触るが、構わない。
この痛みは、私が生きている証拠であり、復讐の誓いだ。
目を閉じると、瞼の裏にクロードの顔が浮かぶ。
彼の不器用な笑顔。
温かい手。
そして、あの口パク。
『かならず、たすける』
その言葉を呪文のように心の中で唱えながら、私は意識を手放した。
明日からは、生き残るための戦いだ。
泣いている暇などない。
私はエリザベート・フォン・アルニム。
この国の未来を買いに来た、誇り高き悪女なのだから。




