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鉄の線路は国境を越えて ~売国奴と蔑まれた令嬢は、敵国の天才技師と未来への架け橋を築く~  作者: ぱるめりあ
第3章:嵐の前夜

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第21話:法と条約の盾

 銃口と、私の眉間。その距離はわずか数メートル。

 黒く冷たい穴の奥に、死の匂いが漂っているのがわかる。


 普通なら、悲鳴を上げて腰を抜かす場面だろう。

 あるいは、命乞いをして地面に這いつくばる場面かもしれない。

 けれど不思議なことに、私の頭の中は氷水に浸したように冷え切っていた。恐怖よりも先に、「怒り」という名の燃料が、思考回路を極限まで加速させていたからだ。


「……ほう?」


 ゲルハルト将軍が、面白そうに目を細めた。

 彼は銃口をクロードから私へとずらした。


「愛の逃避行か? それとも、悲劇のヒロイン気取りか? ……いい度胸だ、エリザベート嬢。だが、その綺麗な顔に風穴が空いても知らんぞ」

「エリザベート! 退がれ! こいつは正気じゃねえ!」


 背後でクロードが叫び、私を庇おうと腕を伸ばしてくる。

 私は振り返らず、扇子を持った手で彼を制した。


「動かないで、クロード。……これは私の喧嘩よ」


 私は視線を将軍に固定したまま、ゆっくりと、優雅に一歩を踏み出した。

 カツン、とヒールの音が静寂に響く。


「将軍。貴方は今、私に『死にたいのか』と問いましたわね?」


 私は扇子をパチリと閉じた。


「答えはNOです。私は死にませんし、クロードも殺させません。……死ぬのは、社会的かつ物理的に抹殺されるのは、貴方の方ですわ」


「……何だと?」


 ゲルハルトの指が、引き金にかかる。

 殺気。肌が粟立つほどのプレッシャー。

 だが、私は怯まずに懐から一冊の手帳を取り出した。

 ボルツ監督を追い詰めた時の薄いメモ帳ではない。帝都を出発する際、外務省の知人から極秘に取り寄せた、分厚い革表紙の書類束だ。


「貴方は軍人ですから、法律には疎いかもしれませんわね。……ご存知かしら? ここグレンデル建設現場は、帝国とリベール共和国の『共同統治区』に指定されています」


 私は手帳を開き、あるページを指で弾いた。


「『国境建設条約』第13条第2項。『建設区域内における軍事力の行使、および技術者への武力による威嚇は、即時停戦協定の破棄とみなす』」


 私は顔を上げ、ゲルハルトを真っ直ぐに見据えた。


「つまり、貴方が今放った一発の銃弾。そして、共和国籍を持つ技術者への殺害未遂。……これは、帝国による『一方的な宣戦布告』に該当します」


 ゲルハルトの眉がピクリと動いた。


「……ハッ、こじつけだ。ここは帝国の領土だ。スパイ容疑者を尋問するのに、条約など関係ない」

「関係大ありですわ。ここは治外法権に近い緩衝地帯。ここで戦争を始めるには、皇帝陛下の勅許と、議会の承認が必要です」


 私は一歩、また一歩と銃口に近づいていく。


「ねえ、将軍。貴方は皇帝陛下から『開戦の許可』を得てここにいらしたの? それとも、ただの視察という名目で、独断で軍を動かしているのかしら?」


 図星だったのだろう。

 ゲルハルトの目が泳いだ。

 彼はタカ派だが、あくまで「軍部の暴走」という形ではなく、既成事実を積み上げてなし崩し的に開戦へ持ち込みたいはずだ。自分一人が開戦の責任を負うつもりなど毛頭ない。


「……貴様、口が達者なアマだな」

「事実を申し上げているだけです。……そして、もう一つ」


 私は窓の外を指差した。


「今の銃声。……現場中に響き渡りましたわね。数百人の作業員、そして貴方が連れてきた兵士たち全員が聞きました」


 私は不敵に微笑んだ。


「彼らは証人です。……もしここで私たちが死体となれば、貴方は『視察中に暴発事故を起こした』と言い訳するつもりでしょうけれど、共和国側の作業員たちが黙っているかしら? 彼らはすぐに国へ逃げ帰り、こう証言するでしょう。『帝国軍が一方的に虐殺を始めた』と」


 そうなれば、リベール共和国は大義名分を得て、全力で反撃に出てくる。

 準備不足のまま全面戦争に突入し、国際社会からの非難を浴びるのは帝国だ。

 その全ての責任を、一将軍が背負えるはずがない。


「……揉み消せると思っているのなら、どうぞ引き金を引いてくださいな」


 私は自分の額を指差した。

 銃口の真ん前、わずか数センチの距離。


「ただし、その代償は貴方のキャリアと、一族の破滅ですわ」


 長い、息が詰まるような沈黙が流れた。

 ゲルハルトの顔が、朱色から土気色へ、そしてどす黒い怒りの色へと変わっていく。

 彼は拳銃を握りしめ、ギリギリと歯ぎしりをした。


 撃ちたい。

 目の前の生意気な小娘を撃ち殺してやりたい。

 その殺意と、自身の保身という理性が、天秤の上で激しく揺れているのがわかった。


 私は瞬き一つせず、彼を見つめ続けた。

 ここで視線を逸らせば、負ける。

 悪女は、賭けのテーブルで決して降りない。


「……チッ!!」


 ゲルハルトが舌打ちをし、銃口を下げた。

 カチャリ、と安全装置を戻す音が、勝利のゴングのように響いた。


「……いいだろう。今日のところは引いてやる」


 彼は忌々しそうに拳銃をホルスターに押し込み、ドカッと椅子に座り込んだ。


「法律書で命拾いしたな、エリザベート嬢。……だが、勘違いするなよ」


 彼はギロリと私を睨みつけた。


「俺は手出しできないとしても、命令は絶対だ。『重列車砲』を通せる橋を作れ。……期限は変わらん。もし完成しなければ、その時は条約違反だ何だと言う前に、貴様らを『軍務不履行』で軍法会議にかけてやる」


「……」


「それと、今日から作業員の監視を強化する。……逃亡者が一人でも出たら、連帯責任で全員処刑だ。わかったな?」


 完全な勝利ではない。

 首の皮一枚繋がっただけだ。

 だが、今はそれで十分。


「……承知いたしました。技術的な検討に入らせていただきます」


 私は深く一礼し、クロードの腕を引いた。


「行きましょう、クロード」

「……ああ」


 クロードは将軍を睨みつけたまま動こうとしなかったが、私の手の震えに気づいたのか、ハッとして私の肩を抱いた。

 私たちは背を向け、執務室を出た。


 ***


 廊下に出た瞬間、張り詰めていた糸が切れた。

 膝から力が抜け、崩れ落ちそうになる。


「っと……! おい、しっかりしろ!」


 クロードが慌てて私を支えた。

 私は彼の胸に額を押し付け、荒い呼吸を繰り返した。

 心臓が破裂しそうだ。冷や汗が背中を伝う。

 怖かった。

 本当は、立っているのがやっとだった。


「……無茶しやがって。撃たれたらどうするつもりだったんだ」


 クロードの声も震えていた。

 彼は私を抱きしめる腕に力を込めた。


「撃たれないわよ。……あいつは小物だもの。自分の地位が一番大事な男は、確実な勝算がない限り引き金は引けない」

「……それでもだ。俺の目の前にお前が立った時、心臓が止まるかと思った」


 彼は私の頭に顔を埋めた。


「守ってくれて、ありがとな。……悔しいが、俺じゃあいつを論破できなかった」

「……いいのよ。貴方は技術で戦う人だもの。口喧嘩とハッタリは、私の専門分野よ」


 私は顔を上げ、彼の頬に手を添えた。

 無精髭のチクチクした感触。

 生きている。彼も、私も。


「でも、問題は何一つ解決していないわ。……重列車砲。あんな化け物を、この橋に通すなんて」


 私は廊下の窓から、建設中の橋を見上げた。

 あの美しいアーチに、数百トンの鉄塊を載せる。

 それは橋に対する冒涜であり、自殺行為だ。


「……できるの? クロード」


 私が問うと、彼は苦渋に満ちた顔で首を振った。


「今のままじゃ不可能だ。……単純に補強すればいいって問題じゃねえ。重量が増えれば、基礎が持たない。基礎を広げれば、工期が間に合わない」

「じゃあ、詰み?」

「……いや」


 クロードの目に、技術者としての鋭い光が戻った。


「道はあるかもしれない。……だが、それは賭けだ。今までの常識を全部ひっくり返すような、無茶苦茶な設計変更が必要になる」

「無茶苦茶?」

「ああ。……『吊り橋』と『アーチ橋』のハイブリッドだ。……理論上は可能だが、実際にやった奴はいねえ」


 彼はポケットから、くしゃくしゃになったメモ用紙を取り出した。

 そこには、既にいくつかのラフスケッチが描かれていた。

 さっきの部屋で、銃を突きつけられながらも、彼は思考を止めていなかったのだ。


「エリザベート。……金はまだあるか?」

「ええ。モルガン氏から巻き上げた分が、まだ半分残っているわ」

「全部突っ込め。……最高強度のワイヤーと、追加の特級鋼が必要だ。それと、作業員を三交代制にして、24時間フル稼働させる」


 彼は私を見た。


「将軍の鼻を明かしてやる。……あいつらが腰を抜かすような、化け物じみた強度を持つ『最強の橋』を作ってやるよ」


 逆境を前にして、彼は笑っていた。

 その不敵な笑みを見て、私も自然と口元が緩んだ。


「上等ね。……使い捨てになんてさせないわ。その橋で、帝国の軍隊ごと、私たちの未来へ運んでやりましょう」


 私たちは歩き出した。

 廊下の先には、兵士たちの怒号と、重苦しい現場の空気が待っている。

 けれど、もう怖くはなかった。

 法という盾と、技術という剣。そして共犯者としての絆。

 武器は揃った。

 ここからは、泥沼の反撃戦だ。

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