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鉄の線路は国境を越えて ~売国奴と蔑まれた令嬢は、敵国の天才技師と未来への架け橋を築く~  作者: ぱるめりあ
第2章:鉄と汗と信頼

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第16話:街の祝祭

 季節は晩秋を迎えようとしていた。


 リベール共和国から届いた「特級鋼」の効果は絶大だった。

 クロードの再設計したトラス構造は、従来の鋼材では耐えられなかった負荷を見事に受け止め、巨大なアーチの基礎部分が、ついに峡谷の両岸からせり出し始めたのだ。


 鉄の腕が、空中で握手を交わそうとしている。

 その光景は、グレンデルの住民たちをも熱狂させた。


 そして今日。

 アーチの第一段階接合の成功を祝って、街全体で大規模な「架橋祭」が開かれることになった。


「ボス! 今日くらいは仕事の手を休めてくださいよ!」

「そうですよ! 現場のことは俺たちに任せて、街で美味いもんでも食ってきてください!」


 夕方。

 現場事務所で書類と格闘していた私は、ハンズとガストンたちによって、半ば強制的に外へ連れ出された。


「ちょっと、まだ来月の予算案が……」

「そんなもん明日でいいですって! ほら、主任も待ってますから!」


 背中を押されて宿舎の前に連れて行かれると、そこには既にクロードが立っていた。

 彼はいつもの油まみれの作業着ではなく、洗いざらしだが清潔な白いシャツに、茶色のベストを着ていた。髪も少し整えられている。


「……なんだ、その格好は」


 私を見るなり、彼が眉をひそめた。

 無理もない。私はまだ、泥のついた作業着のままだ。


「貴方こそ、随分と小綺麗にしているのね。誰かとデート?」

「ハンズの野郎が『ボスの護衛を頼みます』ってうるさいんだよ。……ほら、着替えてこい。そんな格好で歩いたら、祭りの余興と間違われるぞ」


 彼はぶっきらぼうに言って、顔を背けた。

 護衛、ね。

 体のいい口実だということは分かっている。作業員たちが気を使って、私たち二人を休ませようとしているのだ。


「……わかったわ。少し待っていて」


 私は宿舎に戻り、クローゼットを開けた。

 ドレスはもうない。あるのは、この前切り刻んだ残骸か、実用一点張りの作業着だけ。

 でも、せっかくの祭りだ。

 少しは「女の子」らしい格好がしたいと思ってしまうのは、あのオルゴールのせいだろうか。


 私はトランクの底から、以前変装用に買ったまま使っていなかった、平民の娘が着るようなワンピースを取り出した。

 淡いブルーの生地に、小さな花の刺繍が入っている。

 コルセットは締めず、髪もシンプルにリボンで一つに束ねる。

 鏡に映った自分は、どこからどう見ても公爵令嬢には見えない。ただの町娘だ。


「……ま、こんなものでしょう」


 私は少しだけ頬を叩いて赤みを差し、外へ出た。


 ***


「お待たせ」


 私が声をかけると、クロードが振り返った。

 そして、私の姿を見て、数秒間動きを止めた。


「……どうしたの? やっぱり変かしら」

「……いや。いつもの高慢ちきなドレスよりは、マシだ」


 彼は咳払いを一つして、視線を逸らした。

 素直じゃない男。

 でも、耳が赤いことには触れないでおいてあげる。それが大人の余裕というものよ。


「行きましょう、クロード。私の護衛なんでしょう? はぐれないようにしっかり頼むわね」

「へいへい。迷子になっても探さないからな」


 私たちは並んで歩き出した。

 夕暮れのグレンデルは、いつになく華やいでいた。

 メインストリートには無数のランタンが灯り、両国の国旗が飾られている。

 通りには屋台が立ち並び、香ばしい匂いが漂っていた。


「すごい人ね……」


 私は圧倒された。

 帝国の兵士と共和国の商人が肩を組んで歩いている。子供たちが笑いながら走り回り、広場では楽団が陽気な音楽を奏でている。

 戦争の危機が迫っている国境の街とは思えないほど、平和で、エネルギーに満ちていた。

 そして、その中心にあるのが、私たちが作っている「橋」なのだと思うと、胸が熱くなった。


「おい、あれ食ってみろ。リベールの串焼きだ」


 クロードが屋台を指差した。

 スパイシーな香りが鼻をくすぐる。

 私が財布を出そうとすると、彼が制した。


「今日は俺の奢りだ。……ボーナスも出たしな」

「あら、私の出した給料で私を餌付けする気?」

「うるさい。いいから食え」


 彼が買ってきたのは、羊肉の串焼きだった。

 行儀悪く歩きながら齧り付く。

 肉汁とスパイスが口の中に広がる。


「美味しい! 何これ、帝都の料理より刺激的だわ」

「だろ? こっちの屋台じゃ定番なんだ。……ほら、口についてるぞ」


 まただ。

 彼は自然な動作で、私の口元を指先で拭った。

 以前より手つきが優しい気がして、心臓が跳ねる。

 周囲から見れば、私たちは完全に「祭りに来た恋人同士」に見えていることだろう。

 実際、すれ違う人々が私たちを見て微笑ましそうな顔をしている。


「……ねえ、クロード」

「ん?」

「私、こんな風に街を歩くの、初めてかもしれない」

「……箱入り娘だからな」

「違うわ。いつも馬車から見下ろしていただけだったの。……地面に近い場所って、こんなに暖かくて、匂いが濃いのね」


 私は雑踏の熱気を感じながら呟いた。

 泥にまみれ、汗をかき、安い串焼きを食べる。

 今の私は、アルニム公爵家の令嬢ではない。ただのエリザベートだ。

 それがこんなに心地よいなんて。


「……悪くないだろ」


 クロードがポツリと言った。


「お前が降りてきてくれて、現場の連中も喜んでる。……俺もな」


 最後の一言は、雑踏の音にかき消されそうなほど小さかった。

 でも、私の耳にはしっかりと届いた。

 私は嬉しさを隠すために、わざと大きな声で言った。


「あら、あっちで射的をやっているわ! 勝負しましょう、クロード! 負けた方が荷物持ちよ!」

「はあ? 技師の動体視力を舐めるなよ!」


 私たちは子供のようにはしゃぎながら、祭りの夜を駆け回った。


 射的では、私が百発百中の腕前を見せて(狩猟も貴族の嗜みだ)クロードを驚愕させた。

 輪投げでは、クロードが物理計算を駆使して景品のぬいぐるみを取り、不器用に私に押し付けてきた。

 甘い砂糖菓子を半分こにして、手がベタベタだと笑い合った。


 何もかもが、新鮮で、輝いていた。

 明日になればまた、鉄と油の戦場に戻る。政治的な駆け引きと、技術的な難題が待っている。

 でも、今夜だけは。

 この数時間だけは、ただの男女でいたかった。


 ***


 祭りの喧騒から少し離れた、峡谷を見下ろす丘の上。

 私たちはベンチに座り、夜風に当たっていた。

 眼下には祭りの灯りが、そしてその向こうには、ライトアップされた建設中の橋が浮かび上がっている。


「……綺麗ね」

「ああ。……いい形になってきた」


 クロードは満足げに橋を見つめ、タバコに火をつけた。

 その横顔を、私は盗み見た。

 初めて会った時の、刺々しい敵意はもうない。

 今は、隣にいるのが当たり前のような、静かな信頼感がそこにあった。


「ねえ、クロード」

「なんだ」

「橋が完成したら……貴方はどうするの?」


 ふと、聞いてしまった。

 このプロジェクトが終われば、私は帝都に帰るのか、それとも別の場所に飛ばされるのか。

 彼は共和国の英雄として、また別の現場へ行くのだろうか。


 クロードは紫煙を吐き出し、少し考え込んだ。


「……わからん。だが、俺は技術屋だ。もっと難しい、もっと誰も見たことのないものを作りたい」

「そう。……貴方らしいわね」

「お前は?」


 彼が逆に聞いてきた。

 私は夜空を見上げた。


「私は……そうね。この橋を渡って、世界中を見て回るのもいいかもしれないわ。商売の種はどこにでも転がっているし」

「へっ、強欲なこった」


 彼は笑った。

 そして、吸殻を消すと、真面目な顔で私に向き直った。


「……どこに行こうが勝手だが、一つだけ言っておく」

「何?」

「俺の設計した橋は、100年は保つ。お前がお婆ちゃんになっても、絶対に落ちない」


 彼は私の目を真っ直ぐに見た。


「だから、いつでも渡ってこい。……俺も、たまにはメンテナンスに行ってやる」


 それは、遠回しな「また会おう」という約束だった。

 いいえ、「ずっと繋がっている」という宣言だった。


 胸が熱くなる。

 私は彼から貰ったぬいぐるみを、ぎゅっと抱きしめた。


「……メンテナンス料は高いわよ?」

「出世払いで頼むわ」


 二人は顔を見合わせて笑った。

 言葉にしなくても通じ合う。

 恋人というには淡泊で、友人というには重すぎる。

 「共犯者」という言葉が、今の私たちには一番しっくりくる。


 その時。

 ドォォォォン……!

 夜空に大輪の花火が打ち上がった。

 赤、青、金。

 光の粒子が降り注ぎ、私たちの顔を照らす。


「わあ……!」

「派手に上げやがって。予算の無駄遣いだな」


 憎まれ口を叩きながらも、クロードは花火を見上げている。

 私は、花火ではなく、彼の横顔を見ていた。

 光に照らされたその瞳が、とても綺麗だったから。


 ふと、彼が視線に気づいてこちらを見た。

 目が合う。

 花火の音が遠のく。


 彼の顔が、少し近づいた気がした。

 私も、逃げなかった。

 ぬいぐるみを抱く手に力が入る。

 もし今、彼が――。


「……おい、エリザベート」

「……何?」


 彼は何かを言いかけて、口ごもり、そしてバッと顔を背けた。


「……鼻に、砂糖がついてるぞ」

「えっ!?」


 私は慌てて鼻を擦った。

 何もない。

 騙された!


「嘘つき!」

「ははっ、引っかかったな! お前、そういう隙だらけなところ、どうにかしろよ」

「う、うるさいわね! ムードのない男!」


 私は怒って彼の方を叩いたが、彼はおかしそうに笑いながら避けた。

 雰囲気ぶち壊しだ。

 でも、これが私たちなのだ。

 甘いロマンスよりも、こうして笑い合っている方が、性に合っている。


 その時、広場の方から陽気な音楽が風に乗って流れてきた。

 バイオリンとアコーディオン。

 リズミカルな舞曲だ。


「……ねえ、クロード。聞こえる?」

「ああ。楽団が始めたみたいだな」


 クロードがベンチから立ち上がり、服についた埃を払った。

 

「さて、帰るか。明日は早朝から……」

「嫌よ」


 私はベンチに座ったまま、彼を見上げた。


「……あ?」

「聞こえない? あの音楽。……まだ終わりたくないの」


 私は立ち上がり、彼の目の前に立った。

 そして、まるで舞踏会のダンスを申し込むように、右手を差し出した。


「エスコートしなさい、クロード。……私と、踊りましょう?」


 クロードは呆れたように私を見ていたが、やがて観念したようにため息をついた。

 そして、苦笑しながら私の手を取った。


「……ったく、お姫様の体力には敵わねえな」

「光栄ね。さあ、行きましょう!」


 私たちは手を繋ぎ、音楽が響く広場へと駆け出した。

 花火は終わってしまったけれど、私たちの夜はまだ終わらない。

 この幸せな時間が、嵐の前の静けさだとは知らずに。

 私たちはただ、今この瞬間、互いの体温だけを頼りに光の中へと飛び込んでいった。

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