6.出版依頼
「お嬢様、編集長は学園祭の物語を小説として書いてほしいそうです」
出版社から戻ったケリーが、愛想笑いを浮かべながら告げた。窓の外では、風が庭木の葉を揺らしていた。サラは手にしていた刺繍の針を止め、顔を上げた。
ケリーはサラの代理として、出版社とのやり取りを一手に引き受けてくれている。今日もいつものように打ち合わせに出かけたはずが、ケリーの表情には戸惑いが浮かんでいた。
どうやら、編集長が学園祭に足を運び、あの生徒会の舞台を観劇したのだという。感銘を受けた編集長は、台本を書いた生徒を調べ上げ、それがブラウン公爵令嬢であることを突き止めた。編集長がジャック・ローレンの正体を知った瞬間であった。
そして、編集長は代理人であるケリーに相談を持ちかけた。
「そんなことしたら、私がジャック・ローレンだと知られてしまうわ」
サラは首を横に振った。せっかく守ってきた覆面作家としての秘密が、こんなところから崩れてしまうかもしれない。サラはため息をついた。
「登場人物の名前と職業を変えましょう」
ケリーが身を乗り出して提案した。その目は輝いていた。ケリーはジャック・ローレンの熱狂的なファンである。新作をどうしても読みたい――その一心で、ケリーは根気強くサラを説得し続けた。話し合いは日が暮れるまで続き、サラはとうとう長いため息をついた。
「しかたないわね」
そう呟いたサラの口元には、諦めとも安堵ともつかない、複雑な笑みが浮かんでいた。
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小説化にあたって、サラは学園祭の台本から大幅に設定を練り直した。花屋の息子ジャンはワイン醸造職人のハンスへ、女優を夢見るアンナは演奏家のルイーゼへと変えた。机の上に広げた羊皮紙に向かい、サラは夜な夜な物語を紡いだ。
物語を厚みのあるものにするため、いくつかのサブストーリーも織り込んだ。ハンスに想いを寄せる商人の娘を新たに登場させ、遠くにいるルイーゼと、すぐそばにいる娘との間で揺れ動くハンスの心を丁寧に描き出した。愛する女性と、自分を愛してくれる女性。その狭間で膨らむ不安と、堪え忍ぶ孤独。羽根ペンを走らせながら、サラはハンスに深く同情した。
さらに、演奏家として名を上げたルイーゼに言い寄る貴族を登場させた。平民の妻となる道と、貴族の妾となる道。天秤の両端で揺れるルイーゼの葛藤を書き綴った。
約二週間、サラは寝食を惜しんで筆を執った。愛、夢、結婚、そして二人を隔てる距離――そのすべてが絡み合い、ハンスとルイーゼの物語はより深く、より切実なものへと仕上がった。
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原稿は三度の校正を経て、印刷所へと送られた。そうして生まれたのが、『花畑で君を待つ』だった。
本作は前作『鐘の鳴る丘で、もう一度あなたと』と大きく異なる点があった。表紙の絵を、あの覆面絵師フィリップに依頼したのだ。その話をケリーから聞かされたとき、思わず声を上げた。サラは気絶しそうなほど喜んだ。
出版社がフィリップの絵を扱う商会を通じて代理人に問い合わせたところ、フィリップは快く依頼を了承したのだという。サラがケリーを窓口にしているように、フィリップもまた代理人を介して活動していた。
代理人を立てる理由は二つだ。正体を隠したいか、あるいは極度の人見知りか。サラ自身は、その両方に思い当たる節がある。フィリップはどちらなのだろう?
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発売された『花畑で君を待つ』は、たちまち予約が殺到し、発売と同時に増刷が決定した。
貴族の茶会では、優雅な仕草で紅茶を口に運びながら、婦人たちは熱い議論を繰り広げた。
「ルイーゼは貴族の妾になるべきでしたわ」
「いいえ、お金よりも愛を選ぶべきです」
意見はまとまることなく、いつまでも議論が続いた。
一方、酒場では二人の紳士が杯を傾けながら、婦人たちに負けじと議論していた。
「帰ってくるかもわからない女を待つより、俺なら商人の娘と結婚する」
「いや、一度口にした約束は守るべきだ!」
平民と貴族の身分差、遠距離恋愛の不安と忍耐、揺れ動くハンスとルイーゼの心。『花畑で君を待つ』は、リネール王国中の紳士淑女の間に、大きな論争の波を巻き起こした。
世間の騒がしさとは裏腹に、サラはワードローブの中のエドワードに語り掛けていた。今宵もエドワードは何も言わず、サラの言葉に耳を傾けていた。




