5.学園祭当日
学園祭の朝。王立学院はいつもとは違う空気が流れていた。普段は閉ざされている正門が大きく開け放たれ、次々と人が吸い込まれていった。貴族子女の通うこの学院は、部外者の出入りが固く禁じられている。高い塀に囲まれた敷地は、まるで外の世界と隔絶された要塞である。しかし、学園祭の日には、その堅牢な結界がふっと解けるのだった。
生徒の両親や家人はもちろんのこと、王都に暮らす平民たちまでもが、こぞって王立学院の門をくぐった。模擬店で振る舞われる飲食物も、並べられた手作りの品も、演芸場の入場料も、すべて無料である。日々の暮らしに追われる平民たちにとって、この日は数少ない、心ゆくまで楽しめる祭りの日だった。子供の歓声、焼き菓子の甘い匂い、あちこちから聞こえる笑い声。学院の敷地全体が、まるで市場のように活気づいていた。
サラは人混みを縫うようにして学院内を歩いた。普段の静かな学び舎とはまるで違う別世界。小説の手がかりになるかもしれないから、その賑わいを目に焼き付けた。
学園祭の盛り上がりに合わせて、サラの緊張は高まっていた。もう少しで、サラが台本を書いた舞台が上演される。
劇場前の広場には、各教室の演芸や演劇の宣伝用看板がずらりと並べられていた。その中でもひときわ人目を引いていたのが、ルイの手がけた看板だった。花畑を背景に描かれたジャンとアンナの姿は、役者がそこにいるような存在感を放っていた。
「これを描いたのはフィリップじゃないかしら?」
看板を囲む婦人の一団から、そんな声が聞こえてきた。サラは思わず足を止め、聞き耳を立てた。
「この繊細な筆遣い……本当に、フィリップの画風にそっくりですわ」
「色使いも、あの独特の陰影も……同じですわ」
婦人たちは看板の絵と覆面絵師フィリップの作風の類似点を語り合っていた。サラの心臓がどくりと跳ねた。看板の制作者を尋ねる婦人に対し、演劇場の横にいた教員が困ったように苦笑いを浮かべた。
「フィリップがどなたかは存じ上げませんが、これを描いたのは王立学院の生徒です」
教員に訊いても無駄だと悟った婦人たちは、残念そうにしながら演劇場に入っていった。
**
学園祭が終盤に差し掛かる頃、生徒会による演劇の幕が上がった。ルイの宣伝用看板が好評だったこともあり、演劇は立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。
舞台の袖から現れたジャン役とアンナ役の生徒の顔には、緊張の色が浮かんでいた。しかし、台詞を交わすうちに硬さは少しずつ解けていき、やがて自然な演技になった。役者の二人の醸し出す空気が、花屋の息子ジャンと女優を夢見る娘アンナの物語として、観客に届いた。
いくつもの想いが、ジャンの胸の内で交錯していた。愛するアンナと離れたくない。それでも、夢を追いかけるアンナを心から応援したい。アンナの存在はジャンにとって、単なる想い人であるだけでなく、自分には手の届かない自由の象徴でもあった。ジャンの葛藤を目の当たりにした観客席からは、すすり泣く音が聞こえた。
物語が終盤へと差し掛かり、舞台背景が茜色に染まる花畑に変わった。ジャンが夕焼けを眺めていると、遠くから手を振る女性が現れた。遠くて女性が誰かは分からなかった。
その瞬間、婦人たちの沈んだ表情が、喜びに変わった。
「アンナだわ……!」
客席のあちこちから抑えきれない歓声が上がった。
幕がゆっくりと下りると、割れんばかりの拍手が劇場中に鳴り響いた。
劇場を出ていく婦人たちは、興奮冷めやらぬ様子で言葉を交わしていた。
「花畑に現れたのは、やっぱりアンナですよね?」
「これから二人は、幸せになれるのかしら」
会話は尽きることなく続いた。劇場を立ち去る観客を見送りながら、サラは観客の声に耳を澄ませていた。自分の台本が、人々の心を動かした。その事実に、喜びがこみ上げてきた。観客の生の声は、小説の読者の感想とは違う。別の種類の喜びだった。
すれ違いざま、一人の婦人が呟いた。
「あの余韻は……ジャック・ローレンだったわ」
その一言に、サラは息を呑んだ。
誰にも知られてはならないもう一つの自分の名前が、見知らぬ人の口から語られた。サラはその場で立ち尽くした。
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